後日譚 男爵エノックは、想い人アリスに告白がしたい 中編
学園から抜け出すことは、それほど簡単なことではなかった。
悪魔騒動で厳重な警備が敷かれていて、常に兵士が巡回しているような状態だ。これ以上貴族が傷つけられることはあってはならないとの王命が出されており、いつにないほどひりついた空気が流れている。
しかし、エノックとアリスが簡単に街に出ることが許された。
「大変かと思ったけど、普通に出られちゃったね」
「う、うん……」
エノック自身も困惑した。
正面の緑豊かな庭からではなく、使用人が使う裏口から城壁を抜けてきたわけだが、それにしても緩すぎる。
警備の兵士がいなかったのは、誰かのお節介な手助けがあった証なのだが、それを二人が知る由もなかった。
「こんなふうにこっそり抜け出すとさ、少し前のことを思い出すね」
「そうだね。あの時はすっごくドキドキしたなあ」
侯爵令嬢と辺境伯令嬢を連れて抜け出すなんて、とんでもないことをやらかしている。
本人の命令だったとはいえ、本当に危ない橋だった。
あれのおかげで色々と優遇や信頼を得られているわけだが、それでももう一度やれと言われたら勘弁してほしい。
それがエノックの正直な気持ちだ。
だが小心なエノックと違い、アリスは純粋に懐かしむだけで楽しそうだった。
「ほら、やっぱり学園の外は普通だよ」
「ほんとだ。全然なんにもなかったみたいだね」
いつの間にか貴族街を降りて、普通の平民が住んでいる地域までやってきていた。
警備の兵士なんて当然いるはずもなく、普段通りの賑わいが流れている。
アリスとエノックは平然とその中に混ざった。
「ふふ、こっちのほうが落ち着くよ」
「王様は解決したって言ってたけど、今はまだピリピリしてるもんね」
「それもそうなんだけどね、こうやって普通に歩いているほうが落ち着くの」
「でもアリスは勇者の……」
「それは言わない約束だよ、エノック」
柔らかい指先をあてがわれて、口を封じられる。
エノックは顔を赤くしてうなずいた。
言うことを聞いてくれて、アリスは満足げだ。
「とりあえずお金も必要だし、親のところに顔を出したいから、一緒に来てもらっていいかな」
「うん。エノックのお家、前はゆっくり見る機会がなかったから楽しみだなあ」
「あはは、うちはただの商家だよ」
「そんなことないよ。わたしからしたら、すっごいお金持ちだよ!」
アリスのほうがよっぽどすごいんだけどなあ、という言葉は引っ込めた。
エノックの実家は商家で、王都に大きな店舗を構えている裕福な一族・ビノシュ家だ。
母親が貴族の血筋で、父親が男爵の称号を有している。
一般的に見れば裕福であることには違いない。
そんな一族の三男であるエノックは、アリスを実家に招待した。
「アリス、着いたよ。ここが僕の家だ」
「わあ……! やっぱり凄いね、たくさんお客さんがいるね!」
一般的な家の五倍はあろうかという木造建築。
平民と貴族、両方に向けた商売を行っているためか、ひっきりなしに人が出入りしている。
以前に来た時は裏口から出入りし、しかも夜だったため分からなかったが、やっぱり凄いとアリスは目を輝かせる。
エノックは何となく照れ臭い気持ちになった。
「僕たちはこっちから入ろう」
「うん、お客さんの邪魔になっちゃうもんね」
普通、客を連れてきた場合は正面から入るが、このご時世だ。目立たないほうがいい。
手を引いたて、横の商品などを搬入する馬車道から中に入って、建物の入り口に立っていた青年の見張り番に声をかけた。
「やあ、ただいま」
「あっエノック坊ちゃん! あ、いえ、エノック様!」
エノックを見るなり、敬礼して敬意を示した。
普段は両親以外に適当な対応をしている彼が、自分を見て冷や汗を流している。
なんだか妙な罪悪感を感じながら尋ねる。
「手紙で来ることは伝えてあったと思うけど、父上はいる?」
「はい、アクセル様は御在宅です! エノック様を首を長くしてお待ちしておられるそうです!」
「あ、あの……そんなに畏まらなくていいんだよ」
「いえ、エノック男爵にそのような態度は不敬にあたってしまいます」
「いいってば。この家の当主は父上なんだから」
「そうですか……?」
戸惑っている様子だった。
アリスを見る。平民から貴族学園に入学して、女爵になって苦労してきた彼女にも覚えがあるのか、苦笑いしている。
エノックは貴族の子息というだけでなく、本人が爵位を持っている。
大変なことになったかもと、いまさら実感が湧いてきた。
「そちらの方はアリス様ですね。私が当主様のもとまでご案内します」
「ありがとうございます」
裏の積荷の搬入口から家の中に入る。
中には従業員が大勢、ひっきりなしに働いていたけれど、エノックとアリスに気付くなり慌てて深々と頭を下げた。
お互いに、こういうことには慣れていない。
むず痒さを感じながら、二人で父親の執務室の前までやってきた。
「こちらでアクセル様がお待ちです」
「うん……」
久しぶりの父親との対面に緊張する。
貴族の爵位を授与されてから実家に戻るのは初めてだった。
どんな顔をされるのだろう。喜んでもらえるだろうか。
意を決して待っているうちに、使用人の手によって扉が開かれた。
「ああ、私の可愛いエノック、よく帰ってきたわ!」
「わっ!?」
真っ先に飛びついてきた。
エノックに似た髪色と、赤渕の眼鏡をかけた中年女性は母親のビノシュ夫人だ。
何の前触れもなく全身を包まれて困惑する。
「は、母上、どうしたの……!?」
「どうしたもこうしたも。あなたはビノシュ家の誇りよ。これで我が家名も安泰だわ!」
エノックの困惑も、隣で見ていたアリスの戸惑いも無視して、一気にまくしたてる。
こんなに甘く迎え入れられたことはなく、動けずにいると奥から声がかかる。
「その辺にしておきなさい、お前」
「いいじゃないの。私たちの大切な息子が貴族入りを果たしたんですから、たくさん褒めてあげないと」
「だが、客人を迎えるほうが先だとは思わないかね」
「あらいけない、そうだったわ!」
ようやくアリスが隣にいることを思い出したらしく、エノックから体を離して頭を下げた。
執務机についているのは白髪の男性。
事務仕事が多いせいか片目にモノクルを装備しており、レンズ向こうの目には深い隈を作っている。
「エノックよ。よく帰ってきた」
「う、うん。ただいま父上……えっと、友達を連れてきたんだ」
「話は聞いている。平民の身ながら多大な貢献を行い、特例で貴族入りを果たしたという噂の女爵殿だろう」
エノックがうなずく。
父親のアクセル・ビノシュ男爵は立ち上がり、アリスに近づいた。
「女爵アリス殿、君の来訪を心より歓迎しよう」
「あ、あの、こんにちは……」
もともと体が大きいせいか、ものすごい威圧感でアリスは若干腰が引けていた。
手を握り合ったあと、礼を述べた。
「ニーベル侯爵令嬢様だけではなく、君の力あってエノックは躍進できた聞いている。我々ビノシュ一族の代表として感謝申し上げる」
「ありがとうございます。ですが、それは私じゃなくてエノックの実力です」
「そう言っていただけるとありがたい。だが礼はさせてくれたまえ」
そう言って当主である父は手を打ち鳴らす。
廊下から使用人がやってきて、そばで何かを告げると「畏まりました」と深々と一礼する。
「店にあるものは何でも君に差し上げよう。好きなものを選んで持って行くといい」
「ええっ!? で、でもそれじゃあお店が……」
「何も問題はない。そうだろう、お前」
「もちろんよ。我が家が発展したのも、エノックが貴族位を頂けたことも、ニーベル侯爵家あってのこと。忠信である貴女に礼を差し上げない方が、ビノシュ家の名折れというものです」
メガネを持ち上げながら堂々と言う。
エノックは大袈裟な振る舞いだと引き笑い、アリスは余計に恐れ慄いていた。
お待たせしました。
金曜日に後編を投稿させていただくので、あと少しだけお待ちください……!
本日、異世界恋愛の短編を投稿しました。
下にリンクを貼っておきますので、読んでいただけると嬉しいです!
「孤児になった男の子が、孤独な森の魔女に救われる話」




