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20. 生まれたての恐怖

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20

 

 一同の目の前には、想像もつかない光景が広がっていた。


 フロア全体を揺らし、地に足をつける者の全身に響く深い且つ不規則な振動。


 聞いた者の精神を歪ませ狂わせてしまうような、耳をつん裂く甲高い奇声。


 明らかにこの世の正常な生き物の姿ではない、不気味な造形の巨大生物が、中央ホールで、大勢の特殊部隊隊員に囲まれながら狂ったように暴れていた。


 身の丈凡そ五メートル。ロケットのように尖った頭。顔に、目や鼻、耳のような類のものは一切見当たらず、替わりに、中央には、獣のような牙を備えた口だけが大きく裂け広がっている。


 はち切れんばかりに、隆々と膨張した筋肉に包まれた体躯には、阿修羅のように左右六本の腕と手。下半身には、濃密な体毛に覆われた大樹のような足が二本。それらを交互に振り上げて床を踏み鳴らしながら、不気味な大口から鼓膜を突き刺すような咆哮をあげ、小刻みに全身を震わせている。


 全身の皮膚は焼け焦げ爛れた肉の如く黄褐色(おうかっしょく)で、全体がぬめりけの強い粘液で濡れている。筋肉全体には、鋭いメスで裂かれたようにぱっくりと口を開けた傷口が無数にあり、その切れ目から醜く突き出た無数の口が、サメのように鋭利な牙を剥き出しにしている。餌を待つ鳥の雛のようにパクパクと動く無数の口腔は、捕食した生命のものであろう血液で真っ赤に染まりつつ、緑色の粘液のような唾液が滴り、不気味に糸を引いて、今も尚、新たな餌を求めて動きを止めない。


 突如として現れた謎の生命体は、目こそ無いものの、口を通じてこちらを睨んでいるようだった。



 阿鼻叫喚。



 周囲の無残な光景を目の当たりにした五人は、ほぼ同時にその言葉を思いつく。


 巨大な手で全身を鷲掴みにされ、絶叫をあげる者。


 全身から突き出た不気味な口に食いつかれる者。


 大きな手に捕まり、壁に投げつけられる者。


 ガラスを突き破り、外の庭に投げ捨てられる者。


 狂ったように振り上げられた巨足に踏みつぶされ吐血する者。


 大勢いたはずの特殊部隊隊員たちが、ほんの数分の間に、三分の一ほども駆逐されてしまっている。


 残った隊員たちは、果敢に周囲を取り囲み、発砲を続けていた。足元から銃を構える大勢の隊員。中には、二階の廊下から、ガラス柵越しに、怪物の頭めがけて引き金を引く者も見えた。


「撃て! 撃てえ!!」

 恐怖に引きつりながらも、必死の形相で指令を下す部隊長の声。


 直後、その指令の声さえもかき消すほどの激しい銃撃音。


 いくつもの銃から漂う硝煙が、蒸せ返すほどに充満していく。


 しかし、床を伝わり、臓腑に響く化け物の踏みしめた激震は止まない。


 耳をつん裂く、苦しみに満ちた絶叫は、狂気の色を増すばかり。


 無数の銃弾を受けた怪物は、全身から濃緑の粘液を噴出し、辺りに飛沫させた。


 しかし、怯む様子はまったく無く、次から次に周囲の隊員たちを捕食せんと、片っ端から掴み、咥えて、咀嚼し、飲み込もうとする巨大怪物。


 その都度、周囲に響き渡る絶叫。


 人間の骨が砕ける鈍い音。


 化け物の体を赤く染める、人間の血しぶき。


 目を背けたくなるような光景が、総理官邸という、高貴であるべきはずの空間に、みるみるうちに広がっていく。


「おい……。いつから俺たちは特撮映画の撮影現場に迷い込んじまったんだ……」後醍醐は呆然と口を開けている。


「本気かよ……」永峰が呟いた。


「ほらあ! やっぱりいたじゃない、化け物! 怪物! 早くやっつけてよお! あんたたち、軍隊でしょ!!」


 脇坂と永峰が振り返ると、そこでは、会議室の奥から這い出てきた夢野さくらが奇声をあげながら、目の前の怪物を指差していた。その後ろではカメラを構えて必死に撮影する土井の姿も見えた。伊達は、おそらく教卓の後ろに隠れたままなのだろう、姿が見えない。


 恐怖にうち震えながらも、ここまで出てくるマスコミ関係者を垣間見た脇坂は、呆れるほどのプロ根性に関心さえ示し始めていた。


「ええ、本当にいましたね……」二人のマスコミ関係者を制止し、安全確保する本来の職務さえ忘れた脇坂は、呆然と立ち尽くし、頷くしかなかった。


「おい、こういうの、俺、ゲームのシーンで見たことあるな」平太が嬉しげに言う。「ラスボスってやつか!」


「なにバカなこと言ってるの!」明確な苛立ちを露骨にしたエミリが、惚けた顔の平太に発破をかけた。「のんきなこと言ってる暇があったら、早く攻撃しなさいよ!」


「待って!」

 エミリの声をかき消すように、耳元のニーナが叫んだ。すぐに、バイザモニタに彼女の憔悴した顔が映し出される。


「どうしたニーナ」後醍醐が訝しげな表情で問いかけた。


「隊長、みんな、撤退してください……」


「は?」「え?」

 五人の隊員たちは、司令官から発せられた予想外の言葉にあっけにとられ、息を止めた。


「落ち着けニーナ」後醍醐が冷静な口調で諭すように言った。「お前、自分が今、なにを言っているかわかっているか? 敵前逃亡は重……」


「わかってます!」後醍醐の言葉尻をかき消すようにニーナは言い放った。「でも、これは、司令としての私からの命令です。それではいけませんか? 」モニタ上のニーナは、今までに見せたことがないほど動揺している様子だったが、真剣な面持ちでこちらを見据えているようだった。


 しばらくの沈黙の後、後醍醐はモニタの彼女を叱責するように凄んだ。「ならば聞くが、今ここで逃げて、一体この先どうなる?」


「でも、このままではみんなが! それに、相手は恐らくバイオモンスタです……!」ニーナは再び声を上げた。


「バイオモンスタ……」ニーナの叫んだ言葉を受け止めた後醍醐は、数秒の間、それをかみしめるように目線を下に落とす。


 二人のやりとりを見守っていたエミリは、司令の口から出た聞きなれない言葉に、かすかに眉毛を上げた。


 しばらく黙っていた後醍醐は、満を持して再びニーナに問いかけた。


「……だからどうした?」


「どうしたって……」ニーナはこちらに睨みを利かすように、目を細めた。


「ニーナ少将は怖いのか? 怯えているのか? ニーナ司令は、NFI初の任務中に起こった予想外の出来事の連続に激しく動揺するほどの無能だったのか?」


「隊長、いくらなんでも言い過ぎじゃ……」後醍醐の、相手を煽り追い立てるような言い草に感情的になった平太が食ってかかろうとする。しかし、その彼を肩を引っ張り静止するものが居た。


 平太が振り返ると、それは脇坂だった。


 片目を瞑ってウィンクした脇坂は、片手の人差し指を口の前に立て微笑み、もう片方の手でインカムマイクを口元から遠ざけていた。スイッチはオフなのだろう。司令に気づかれないように小声でつぶやく。「隊長のいつもの手口だから、気にするなって」


「手口……、ですか?」平太は始め、不納得そうな顔で頬を膨らませていたが、脇坂の訳あり顏を見つめながら、言いかけた言葉を飲み込むように頷いた。


「隊長は司令との付き合い長いから、いろいろ分かってるんだよ」永峰が言った。


「分かってる……?」平太は首を僅かに捻って聞き返す。


「どう伝えれば、司令に一番効果的かっていうことさ」


 後醍醐は、二人の先輩に諭された平太を見てから、口元にうっすらと笑みを浮かべ、追い打ちをかけるように言い放つ。


「安全な司令室にいるはずの司令官が、現場の恐怖に怯えてどうする。トップが怯えていたら、現場の俺たちは、足がすくみ、恐怖に震え、最悪は死ぬかもしれない。それでいいのか? 俺たちがこの場を放棄して逃げ出したら、他にまともに戦える者など無きに等しいこの状況で、それでもお前は撤退命令を出すのか? お前は、お前自身が手塩にかけて育てたこの新人たちを信頼していないのか? 俺は、いつ何時でさえ、隊員全員に絶対の信頼を寄せているぞ。それがNARDSFだ。お前の受け持つNFIは違うのか? それが、大隈長官から受け取った、この国を守る為の意思か?」


 後醍醐はしばらく間を置いて、ニーナの反応を待ったが、彼女は俯き黙したままだった。


 後醍醐は小さくため息をついて続けた。


「初めての任務に恐怖を感じるのは分かる。だが、それは現場の俺たちも同じだ。いや、むしろ、現場に立って事態と直面する俺たちの方が、恐怖は大きい。だからと言って、逃げることは許されない。俺たちの任務と使命はなんだ? 国民の安全と、この国の雄大な国土や風土、自然環境を守ること。俺たち国防軍の役目は、危険を顧みず、この身を以て責務の完遂に務め、国民の負託に応えること。違うか?」


「いえ……、隊長の仰る通りです」ニーナは頷き、首を横に振る。


「だったら、こういう時こそ、己を信じろ。仲間を信じろ。俺たちNARDは、そう簡単には死なねえぜ」後醍醐は、かすかな笑みを浮かべて言葉を投げた。「まあ、本来ならそこには俺が立っているはずだったが、今日はお前にその席を譲った。それがどうしてか、分かるか?」


 ニーナは無言で首を横に振った。


「今日はお前らNFIの華々しい記念すべきデビュー戦だ。そんな時に、こんな俺のようなむさ苦しい男が司令室に立っていても仕方がないだろう。それに、恐怖っていうのはな、触れれば触れるほど、案外慣れていくもんだっていうことを、お前に知って欲しかったからだ」


 モニタ上のニーナは、真剣な面持ちで耳を傾けている。


「おい、海馬、高嶋、袴田。いるか? いるなら、お前らもよく聞け。橘と大鎚、お前らもだ」


 言われたエミリと平太は、後醍醐の後ろで頷いた。


 後醍醐は軽く目を閉じ、ニーナの背後に立つであろう侵入隊員たちの姿を想像しながら続けた。「どんな恐怖も、大抵はじめは些細で小さいものだ。だから、見逃してしまうこともある。放っておきたくなることもある。だがな、恐怖っていうのは、見て見ぬ振りをして放置すればするほど、面倒だからと逃げれば逃げるほど、最終的には、誰も手がつけられなくなるほど巨大なものになることさえある。だから、軍人たるもの、どんな恐怖からも絶対に逃げるな。逃げるくらいなら立ち向かえ。考えている暇があるなら行動しろ、戦え。それこそが、恐怖を感じずに済む唯一の方法だ。恐怖は、小さなうちに、自分の意思で徹底的に潰すもんだ。いいか……」


 後醍醐は早口で告げると、一呼吸おいて、次の言葉を口にしようとした。


 しかし次の瞬間、互いに目を合わせて笑みを浮かべた脇坂と永峰が、示し合わせたように、同じ口調でユニゾンで言い放った。



『生まれたての恐怖は、お前のただの幻想だ』

『生まれたての恐怖は、お前のただの幻想だ』



「ですよね、隊長?」脇坂が、白い歯を見せて後醍醐に笑いかける。


「隊長の決め台詞、たまには俺たちにも言わせてくださいよ」メガネの位置をひとさし指で直しながら、永峰が言った。


「お前らあ……」


 二人のNARD隊員を憎らしげに睨んだ後醍醐は、軽く舌打ちをした。力こぶを見せつけるように握った拳を目の前にかざした後醍醐の顔は、言葉を無理に飲み込んだせいか、悔しさと苦しさの入り混じった不思議な表情になっている。


 その様子を見たエミリと平太は、軽く吹き出た。


「ニーナ!」後醍醐はバツの悪そうな顔をしたまま声を張り上げた。「俺たちに最後の司令を下してくれ! 早くしろ!」


「分かりました……」ニーナは力強く応答し、消えかけた火を取り戻したような強い表情で言い放つ。「先ほどの命令は撤回。一階の生命体を撃破、駆逐し、総理官邸を死守!」


「よっしゃ! 司令官たるもの、そうこなくっちゃいけねえ」後醍醐はニヤリと口元をあげて、サブマシンガンを構えながら暴れ狂う怪物に向かって駆け出した。


「いくぜお前ら!」

※この物語はフィクションであり、実在する人物、法律、団体、名称とは一切関係ありません。


※当作品内に掲載されているすべての文章、画像等の無断転載、転用を禁止します。すべての文章、画像等は日本の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。

[ Copyright 2016 Koma Aoi. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission. ]

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