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19. 愚者に死を

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19


「なんなのよおおお、一体!!」

 夢野さくらは、一階会議室の床に尻餅をついた姿勢のまま、錯乱状態で金切り声を上げた。


 轟音と共に崩れ落ちた天井。


 積み上がった瓦礫から勢い良く舞い上がる粉じんによって視界が遮られた。


 迫り来る風圧から身を守るように、伏せた顔の前に片腕を掲げる脇坂と永峰。


 突然の出来事に大声を上げて驚愕する富澤と伊達。


 一階の会議室に一時避難した矢先のことだった。天井が崩れ、上階からなにかが降ってきたのである。


 ほどなくして、霧のような粉じんは沈殿し、その奥底に構えた巨体の影が露わになった。


「隊長!「大鎚!」脇坂、永峰、二名の隊員が声を上げた。


 上階の床二枚を突き破り、猛烈な勢いで床面に叩きつけられた後醍醐と平太は、廃棄された人形のようにうつ伏せたまま微動だにしない。二人の背中には、砕け散った瓦礫や粉じんがうっすらと積もっていた。


 岸壁のように高く、ダム壁のように厚い巨体の男は、血みどろの顔に深い皺を掘り、厳しい表情でこちらに睨みを利かせていた。


「と、富澤! カ、カ、カメラ、回せ!」伊達がどもりながら、手を回して叫んだ。


「は、はい!」あっけにとられていた富澤は、伊達の声で我に返ったのか、震える手でカメラを肩に乗せ、ファインダを覗き込んだ。


「ちょっと! だめだって!」脇坂が声を上げ、片手を上げながら報道陣の前に駆け出る。「いいから下がって!」


「愚者に死を」海坊主は枯れた声で呟きながら、瓦礫を踏みしめてゆっくりとこちらに近づいてくる。


 脇坂は両足を大きく広げて腰を落とした。永峰は片膝を地面につき銃を構えた。


 攻撃準備の整った二人は、示し合わせたかのように、同時に銃を撃ち放った。


 空気を破裂させたような激しい銃撃音が連続的に響き、それと共に上がる硝煙。


 銃からこぼれ落ちる金属薬莢が、乾いた音を立てて床に散らばる。


 永遠に続くかとも思える銃撃が、丸腰の報道関係者の耳を切り裂うた。


 硝煙が晴れる。


 だが、相手は倒れなかった。


 頬に伝う血の雫を腕で拭いながら、姿勢を変えずにこちらに向かってくる。


「幽霊! 化け物!! こっちに来ないでええ!!」夢野が足をバタバタと動かしながら叫び、手元に転がる瓦礫の破片を掴んで投げつける。


「参った……。隊長の言う通りだ……」脇坂が目尻を上げて言う。


「銃は効かねえってことか」永峰は口元を上げて言った。「常識が通用しな過ぎて、頭がおかしくなりそうだぜ……」


「同意」脇坂が小さく笑った。「こんな任務、初めてだね」


 その時、背後のドア外、玄関ホールからガラスの割られる激しい音が聞こえた。全員が一斉に振り返った光景には、青白い月明かりに紛れて、割れたガラス壁から大勢の黒い人間が一斉に流れ込んでくる様子が見えた。


 SAT、ようやくの突入。その数、凡そ百名は下らない。


 その様子を見た大男は、ふと足を止めた。


「遅すぎだ……。しかも正面突破かよ」舌打ちする永峰。

「特殊急襲部隊の名が泣くね」呆れ顔の脇坂。

「あれじゃあ、特殊でも急襲でも、なんでもねえ」

「ただの部隊だよ、あれじゃ」

 二人の隊員は、迫り来る大男を睨みながら、小さく笑いあった。


「橘さん、生きてる?」脇坂は、ふいにインカムに向けて声をかけた。


「はい」エミリが短く応答する。


「そりゃよかった」脇坂は口だけで笑顔を作った。顔は引きつっている。


「人質の安全を確保。神代くんが重傷を負っています。それから、侵入者一名ですが……」エミリは一回言葉を切って沈黙した。「……消えました」


「消えた? どういうことだ」永峰が、エミリを責めるような口調で声をあげる。


「詳細をお伝えしている時間がありません。すぐにそちらに合流します」


「……わかった」永峰は即座に応答した。「司令、負傷者三名。緊急に措置をお願いします」


「了解」黙していたニーナが即座に応答した。「SATに続き救護班が突入。大至急、負傷者の救護を行うよう打診します」


 ニーナの応答を聞き終えた脇坂と永峰は、再び目の前の大男を見据えた。


「さあ、どうする脇坂。俺たちと、あの部隊さんたちで、(やっこ)さん、止められるか」


「んー、自信ないね。銃、効かないし。為す術なし」


 その時、海坊主の背後で、床に伏せたまま動かなくなっていた後醍醐の体がわずかに痙攣した。粉塵まみれで真っ白になったゴリラの背中が、瓦礫を押しのけながらゆっくりと盛り上がる。


「隊長!」二人の隊員が、復活した雄ゴリラに歓喜の声を投げかけた。


 鈍重な動きで上半身を起こした後醍醐は、片膝と拳を床につき、全身で大きく呼吸をしながら、血だらけの顔面を起こし、こちらを睨んだ。「お、い、お前ら……。全部……、聞こえたぞ……。なに……、諦めようとしてんだ……。絶対、諦めるんじゃねえ……。この世に、完全無欠な生命体など、いるものか……!」


 後醍醐の声に気付いた海坊主は、背後をジロリと睨むように目玉を横に動かし、ゆっくりと振り返った。「まだ生きていたか」


「当たり前だ……。こんな程度でいちいち死んでたら、特殊部隊の隊長なんか勤まんねえんだよ!」後醍醐は顔を激しく顰めながらも、下半身に力を入れて重たげな全身を持ち上げると、血混じりの唾を吐き捨てながら微笑した。「おい、大鎚。お前、いつまで寝てんだ。死んだふりごっこか? 起きろ……!」


 すると、先ほどまでピクリとも動かなかった平太が、うつ伏せたまま、いたずらっぽく答えた。「あ、バレました……?」


「けっ……。お前……、マジで任務、ナメてるだろ。これは遊びじゃねえんだぞ、馬鹿野郎」後醍醐が、足元で死体のように寝そべっている平太を見下げて笑う。「俺より頑丈な装備を着込んでるくせに、気ぃ失ってる場合じゃねえだろ」


 平太は、後醍醐とは真逆の身軽な動きで飛び起きると、爽やかな表情で微笑んだ。真っ黒だったはずのボディスーツは粉塵をかぶり、後醍醐同様真っ白になっている。


「ナメませんって。でも、さすがにちょっと脳震盪を起こしたみたいで……」平太は、わざと白眼を剥いて頭をゆらゆら左右に揺らした後、口を斜めにして「へへへ」と笑った。「隊長こそ、ちょっとは隊員を大事にしてくださいよ」


「贅沢言うな。俺ほど隊員思いの隊長も、国防軍では珍しい方だと思うがな」


「自分で言うことじゃないでしょ……」口元を上げてニヤける平太。


「んなら、このまま都内に残って、陸軍でしごき直してもらうか?」ご機嫌な調子で続ける後醍醐。


「それは遠慮しときます」平太は口を真一文字に噤んだ。


 ひとしきり会話が終わった直後、二人の背後に音もなくエミリが現れた。彼女は、四階の大穴からここまで飛び降りた……、否、重力を往なすようにふんわりと舞い降りた。


 その場にいた全員の視線は彼女に釘付け。青白いオーラに全身を包まれた彼女の姿を見て、驚かないものはいなかった。カメラを掲げたままの富澤は、当然、こっそりとレンズを向ける。


 エミリの気配に気付いた後醍醐は、満足そうな様子で小さな声を投げかけた。「橘、よくやったな。勲章もんだぞ」


「いえ、私はなにも……」冷淡な口調で答えたエミリは、沈んだ表情で視線を落とした。


「神代は助かる。信じろ」後醍醐は、エミリの心を鋭く見抜き、短く告げた。


「はい……」エミリは上目遣いで頷いた。


「ところで、お前……。その様相は、一体、なにがあった……」後醍醐は、驚愕と笑みの入り混じった表情で聞いた。


 エミリは言葉に詰まり、目の前の大きな野生顔を見つめた。


 言えない。


 否、自分でもよくわからない、というのが正直な心境だった。


 私の身体に、一体なにが起こったのか……。


 気がつくと、エミリは自分の躰が、微かに震えていることに気がついた。


 その震えは、果たして冷気のせいか。それとも、畏怖か、武者震いか。


 それさえ、今は正確に判断できそうもなかった。


 しばらくの沈黙。


 後醍醐は沈黙の意味を察したのか、背中を向けて、海坊主を見遣った。「……まあいい。とにかく、今日のお前は十分過ぎる活躍だ。お前、俺の代わりに少将やるか?」


 後醍醐は口を斜めにあげた。


「いえ……」エミリは小さく拒否し、首を横に振った。


「冗談だよ、がはは」後醍醐は、大口を開けて短く笑った。


 同級生ひとりに大怪我を負わせてしまった自分は、評価されるべきではない。


 かすかな自責の念が、達也の青白い顔を伴い頭を過ぎった。


 エミリは、ゆっくりと目を細めて、唇を噛み締めた。


 そういえば、今日、最後にルージュを塗ったのはいつだったろうか。


 こんな時に、どうでもいいくだらないことを考えた。きっと、頭が危険を感じて、現実から逃避しようとしているに違いない。時々私の中に起こる、見慣れた現象だ。


(そう……、確かあれは昼食後……)


 エミリは、確かめるようにもう一度唇を噛んだ。


 しっかりと上塗ったはずのルージュも、今はどこかへ消えていた。


 そう……。


 結局、いつだってそう。


 どんなものも、いつかは消えていく。


 どれだけ美しくしても、


 どれだけ綺麗にしても、


 どれだけ飾ってみても、


 人が手を加えたものは、いつか必ず消えていく。


 そして最後は、いつだって、ありのままの姿だけが表出する。


 本当だけが残る。


 本物だけが残る。


 自然。


 本質だけは、自然だけは、真実だけは、いつまでも消えることがない。この星の摂理。消えることが分かっているのだから、何もしなければ、本当はもっと美しいはずなのに、人間は、どうしても手を加えてしまう。


 ならば、作り出された不自然な私の姿、存在は……?


 残る?


 消える? 


 どうせ消えるなら、生きなければいい。


 そもそも、初めから消えることが分かっているのに、どうして生まれてくるのだろう。


 でも……。


 バカバカしいな、と思った。


「なあ橘、お前さ……、よくわかんねーけど、大丈夫なのか?」平太は、全身を霜に覆われた異様な姿の同級生を、つま先から頭まで、舐め回すように見つめた。「やっぱりあの種か……?」


「くだらないこと言ってないで。今は神代くんを助けるほうが先でしょ」エミリは、無用な思考をかき消しながら、平太に対してきつい口調で言い放った。


「くだらないことって……、こっちは心配してやってんじゃねえかよ……」


「そういうことだ、大鎚」後醍醐は、隣に立つ平太の横顔を一瞥する。「人命救助が最優先。その他の説明は、すべてが終わってからでも遅くない。だろ? 橘」


「はい」エミリは短く答えると、デビルフラワーを咲かせたあの男と同じ、漆黒の大男に鋭い視線を送った。


「まあ、今からでも、大隈長官がどんな顔をするかくらいは想像がつくがな……」後醍醐が苦笑する。


 正面には後醍醐と平太、エミリ。背後には、銃を構える脇坂と永峰。


 男は会議室の中で完全に包囲されていた。気がつけばマスコミの三人は、部屋の一番奥に備えられている大きな教卓の裏に身を隠し、そこからこっそりとカメラを出して撮影していた。


 部屋の入り口は、既に銃を構えた大勢のSATの隊員たちによって塞がれていた。


 その様子を確認したエミリは、一刻も早い救護隊の到着を祈った。


「おい、海坊主!」意気揚々と張り上げられた後醍醐の大声は、だだ広い会議室を震わした。「形勢逆転だな」


 しかし、大男に動じた様子は見られない。それどころか、周囲の状況を楽しみ笑い飛ばすかのように、喉の奥で引きつらせた笑いを、不気味に吐き出し失笑していた。


「なにがおかしい」後醍醐は低い声で言い放った。「追い詰められて、気でも触れたか」


「実に愚かしい」男は口元を上げてにやりと薄笑いを続ける。


「なに?」後醍醐は眉を潜める。


「人間というのは、こうも愚かな生き物か」男は、低く野太い声で続ける。「お前たち人間は、自ら作り出したものによっていずれ滅ぼされる」


 五人の軍人は、男の意味深な言葉に不審な表情を作る。


「どういう意味だ」後醍醐は更に凄んだ。「テロの予告か?」


「栄華を極めたものはいつか必ず没落する。何者も逃れることのできない絶対的な摂理である」


「言いたいことがあるならはっきり言え!」


 後醍醐はジリジリと距離を詰めながら言葉を放つ。男の十メートル背後に控える脇坂と永峰は、スコープを覗いて銃を構えた。


「お前たちにも、いずれ分かる時が来る」


 男が告げた直後、室外の中央ホールから、一斉射撃の激しい銃撃音が轟いた。


 全員が部屋の入り口、玄関ホールを振り返った。


 それと同時のことだった。


 轟く銃声を隠れ蓑に、上階から誰かを呼び寄せる声が聞こえた。


(レオナルド……?)


 全員が銃声に気を取られる中、エミリだけがその声を聞き逃さなかった。大男に視線を戻し、声を上げた。「逃がさない!」


 しかし、レオナルドと呼ばれた海坊主は、エミリに向かって不敵な笑みを浮かべたかと思うと、軍服の袖を振り回すように腕を掲げた。すると、相手の姿は、人間消失マジックのように、否、それ以上に手際よく、一瞬のうちに姿を消した。


 突然の銃声に後醍醐たちが気を取られたほんの僅かの間の事である。


「消えた……」永峰が唖然とする。


「四階に潜入した対象が消えた時と同じです」エミリは淡々と告げた。「今、名前を呼ばれていました。レオナルド……、と」


「レオナルド……?」後醍醐は顔を顰めて激しく舌打ちをした。「一体なんなんだ……、どいつもこいつも。常識外れの出来事が起こりすぎて、こっちの気が狂いそうだ」


「隊長、それ、さっき俺が言いました」永峰が口を斜めにする。


「うるせえ!」


 次の瞬間、全員のイヤモニタにニーナの緊迫した声が響いた。


「謎の生命体が、一階中央ホールを急襲! 特殊部隊との交戦が始まっています」


「やれやれ、一難去ってまた一難……、か」


 全員が、マスコミを置き去りにして、ホールに飛び出た。

※この物語はフィクションであり、実在する人物、法律、団体、名称とは一切関係ありません。


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