18. 覚醒開花
<本稿のテーマソング>
ん〜、非常に悩みましたが!
『Before my body is dry』澤野弘之さん
https://www.youtube.com/watch?v=uc7EcuqVhPE
他にもマッチする名曲はたくさんありますが、
今回はこれで如何でしょう?!
18
エミリは、階下からの激しい振動と轟音を全身で感じ取った。
後醍醐と平太。二人の身に何かが起こったことは確かだろう。
いつまで待っても、通信に彼らの声が乗ることはなかった。替わりに聞こえてきたのは、ニーナが二人の名を呼ぶ悲痛な酒越えだけだった。
けれども、エミリは目の前に立つ男から目を離すわけにはいかなかった。固唾を飲んで、二人の無事を祈る他ない。
背後に不気味なデビルフラワー、タッカシャントリエリを咲かせた漆黒の男は、今も尚、こちらを射抜くような、鋭くギラついた視線を送りつけてきている。
男の左目は潰れていた。目玉があったであろうくぼみを覆った表皮が、寄生虫を擁しているかのように、不気味な動きでぐりぐりと蠢く。
方や生きている冷徹な右目は、まばたきもせず、微動だにせず、真っ直ぐこちらを見据えている。
(今、確かに撃ったはず……)
エミリは、泥のように重たい視線を手元に落としてレーザガンを見た。
引き金は引いた。間違いない。指が痺れていたとしても、トリガを引いた感触だけはあった。しかし、男の体に変化は無い。
エミリはもう一度、トリガ引いた。
こんなもの一つを軽く引くだけで、人の命を奪える代物。トリガは、氷のように冷たく、そして綿埃のように軽い。この世に蔓延る、人の命と同じくらいに。
しかし、事態はなにも変わらなかった。
二人の体の間には、眩い碧が一閃。光は、相手の体に吸収されるように、殺傷力を失い消えてしまう。
エミリの震えた人差し指は、狂ったようにトリガを引いた。
連射。
連射。
連射。
放てば放つほど、青い光は、虚しく闇の底に消えてしまう。
「なにやってるんだ?」男は、焦るエミリを嘲笑するように、青白く乾いた顔を嫌らしくニヤつかせた。「そんな作り物の光、俺の闇の前では無力。何度やっても同じことだ」
諦めたエミリは男を睨み、腹の底に溜まった感情を絞り出すようにして声を発した。「あなたたちは誰? 一体なにが目的なの?!」
ようやく発することがでた大きな声。けれども、声は微かに震えている。
声帯の粘膜がくっついて離れなくなるほど、喉が渇いているのが分かった。
唾を飲み込む。
喉が痛い。
それと同時に、日中から続いた背中の鈍痛が、再び込み上げてきているのを感じた。
(こんな時に……)エミリは舌打ちして、自分の躰を妬ましく呪った。
だが、あれ程までに感じていた恐怖にも、少しずつ慣れていく不思議な感覚を覚える。
負けるな。
気丈に保て。
(不安なんて、ただの妄想なんだ……!)
奈落の底に落ちかけている自分の心に、そう何度も言い聞かせた。
如何なる状況でも、何事にも負けない強い、不屈の精神力。彼女はそれを、士官学校時代の四年間で身につけたことに自信があった。
エミリの心を見透かしたように、男は口を斜めに大きく引き上げた。
「いいだろう、答えてやろう。俺たちはアギィト」
「アギィト……?」
「|Anti Government Independence Troopers《反政府独立革命軍》」男は片方の眉毛を上げた。「俺たちの目的は、政権奪還……、奴隷解放、愚民の駆逐だ」
「反政府……? 奴隷解放……?」エミリは目を細めて返した後、口から息を吹き出して軽く笑った。「ふざけたこと……、言わないで」
「ふざけてなどいないさ。むしろ、ふざけているのはお前たちの方だろう」男は、息を漏らすような独特な口調で続けた。「俺は、自分が生まれたこの美しい国を愛している。自由を愛している。どこの誰よりもだ。だが、本来であればこの国を守り高め、繁栄させるべきお前たち軍隊や政府、政治家、官僚どもはどうだ? この国を本当に愛しているか? 真の自由を手にし、それを謳歌し、国民にそれらを手渡しているのか?」
「……だからこそ私たちは今、ここにいるわ」エミリははっきりとした口調で言い返した。「真の自由を得るために」
男はふっと息を漏らして、口元を斜めにして笑った。
「そうかもしれないな……。だが、現実は違う。お前はなにも知らないようだから、教えてやろう。政府は、国と民を守るどころか、我々を貶め、苦しめている。過剰な重税を課し、搾取し、監視し、管理し、束縛し、更には、地の底の底まで堕落し切った腐敗メディアを利用し扇動し、洗脳する……。すべて、自分たちの利権欲しさ、保身の為だ。奴ら政治家は自分よりも大きな権力に尻尾を振る犬と化し、尤もらしい、耳障りのいい、中身も思想も志も感じられない上っ面だけの言葉を嘯く傀儡。それらに傅くお前たち軍隊も同じだ。国防軍などとふざけた名前を掲げながら、実態はまったく違う。海外の激しい戦地に派兵され、他国の地で殺戮を繰り返しているに過ぎない殺戮集団だ。お前たちのような若い人間に、自分都合の理想を知り込み、戦いに駆り立て、戦場に送り出す。若い兵士は皆、この小僧のように無惨に殺されていくだけ……」男は、冷たい床に倒れたままの達也を見下ろしながら、エミリに問いかけた。「形骸化して退廃した国家、己の利しか考えることのできない腐敗した権力中枢に己の命運を任せ、命を預け、洗脳され、利用され、擦り切れるまで使われ、最後は無駄死にする。それが一体なんの為になる? 国防? 平和? 安全保障? 笑わせるな……。それが貴様のいう真の自由なのか……?」
エミリも視線を落として達也を見た。
時間が止まったように動かない。
否、死んでいる?
暗がりの床は、達也を中心に円を描いて赤黒く染まっていた。
しかし、それでもエミリは、鋭い視線を男に向けて負けじと反論した。
「私たちだって、戦争なんかしたくない! 戦いたくなんてない! 人殺なんてしたくない! でも、だからこそ戦ってるの。戦いを終わらせるには、戦うしかない! 私は! あなたを今ここで殺してやる!」
「正論だ。だが、正論だけではこの世を変えることはできない。己の理想と正論を具現化し、この堕落した世の金輪際を一斉に変える為には、人類の想像を超越した絶大なる力が必要だ」
「絶大なる力……」エミリは眼を細めた。
「しかし、貴様らは、軍人である以上、政府の犬。一定の陳儀で雇われ、安定を得、利用され使い捨てられる立場に過ぎない。そんな容易い安住の地に甘んじる貴様らのような若輩に、世を変えることは到底できないだろう。馬鹿が」男は笑った。
「そんなことない……!」場の状況に慣れだしたエミリは、ようやく取り戻した本調子で叫んだ。
「しかし、声が震えているぞ? 怖いのか……? 己の歩んだ道を否定され、非難され、長年信じてきた常識という名の檻が壊れ覆るのが」男は嘲笑を浮かべた。「己の都合の良いものにのみ興味を示す。それこそが愚民が愚民であり奴隷であることの証。しかし、作られた支配の枠を飛び出す為に必要なのは真への探求。それは、己を否定し、作り出された常識を破壊し、既成概念を駆逐する激しい衝動のにのみ産まれ出もの。貴様がどれだけもがこうとも、喚こうとも、真実は変えられない」
「私は、私のやり方で戦う」エミリは、恐怖と怒りの入り混じった、激しい感情のやり場をみつけられないまま、闇雲に声を張り上げ続けた。「絶対に、誰にも私を否定させない!」
「それも一興。しかし、ならば聞こう。今、この世界で果てしなく続く永遠の戦争が起こっているのは何故だ? 貴様はそれを知っていて、生ぬるい台詞を吐いているのか? まさか、原因も分からず、理由も分からず、ただ闇雲に戦って、それでこの世が変わるとでもいうのか? 与えられた命、唯一の奇跡を権力に捧げ、理想を掲げ、神に祈り、戦いごっこに明け暮れ、それで真の平和と永久の安寧が手に入るのか?」男は上機嫌に笑みを浮かべて、エミリに視線を戻す。「それこそ、生ぬるい幻想! 御伽! 他力本願。自らの生命を徹底して振り絞り、真の努力と勇気ある行動を枯れるほどまでするでもなく、すべてを他者に委ね、依存し、意味のない愚かな祈りを捧げ、ただただ与えられるのを待って惚けた口を開けるだけの受動的家畜ロボット! 愚民の典型的思考だ……、実にくだらない! ヘドが出る! 貴様のその憎しみに満ちた目は、擬似か? 作り物か? それとも、権力に屈服した奴隷の瞳の正体こそが、それか?」
黙れ! そう叫びたかった。けれども、エミリは沈黙する。
男の言っていることが間違っていないということ以上に、今はただ、背中の激痛に耐えるだけ精一杯。飽和した感情の中に、苦痛の要素が加わり、彼女は気絶寸前の状況と戦っていた。
背中が重い。
(痛い……、痛い……!)
顔を顰めた。
呼吸が荒くなる。
吸っても吸っても、酸素が足りない感覚。
まるで、闇に溺れる小魚の気分……。
このまま窒息して死んでしまえば……。
(逃げちゃだめ……。耐えるの! 絶対に! 戦うのよ、私! もう二度と逃げないって、約束したじゃない……!)
けれども、どれだけ思考を巡らせようとも、勝てる気力も希望も算段も、一切湧いてこなかった。
対峙している男の力は、それほど深く、彼女の想像を優に超えるほどに巨大。
まさに闇だった。
それ以外の言葉が見当たらない。
身が竦むほどの、悍まし気迫に満ち満ちていた。
そう……、それは多分、
一度でも触れてしまえば、
こちらの身を粉にするほどの勢いで暴発する張り詰めた怒り……。
膨張する憎悪……。
エミリは苦痛に顔を歪める。なるべく相手に悟られないようにしたつもりだった。しかし、鈍痛だったはずの痛みは、いつの間にか、全身が切り裂かれるような激しく鋭い痛みに変わっていた。
男は、エミリの表情を読み取り、不敵さを増した不気味な笑みでこちらを見る。「だが、俺たちアギィトは愚民ではない。選りすぐった少数精鋭の集まりだ。この戦いの元凶を知っている。その一つが、こいつら政権を担う政治家の連中だ。腐敗し、堕落し切った政府こそが、この国が、出口のない醜い戦いに巻き込まれた元凶だ!」
男は後ろを振り返り、総理を一瞥した。
総理は暗闇の中、怯えきった瞳にいっぱいの涙を浮かべて、激しく息をしながらこちらを見上げている。
「こいつらは、自らの保身の為だけにこの国を売った。資本主義が終焉を迎え、国の経済が縮小した時、過去、この国は最も安易な選択をした。さまざまな口実を設け、国民を欺き、法を犯し、憲法を無視し、軍隊を設立し、他国に言われるがまま戦争に加担したのだ……。なぜなら戦争ほど儲かるものはないからだ」男は吐き捨てるように笑って言った。「その結果、この国はどうなった? 世間は、役にも立たない物ばかりで溢れ、人心は腐敗し、倫理は荒み、法は犯され、命は冒涜され……、ただでさえ失いかけていた正義の残存は完膚なきまでに駆逐された。それに対して、貴様ら愚民共はどうだ? 怒るどころか、日々メディアに毒されながら、気さくに楽しく笑っていやがる。貴様ら愚民は、人間にとって唯一無二の尊厳であり特権でさえある思考をも放棄し、腐った政府に擦り寄り、やることといえば、ただ祈りを捧げるばかりだ。権力にひれ伏し、恫喝に怯え、薄汚れたカネに、ハイエナかゴキブリ、シロアリの如く群がった。支配の為に作り出された仮初めの平和、偽りの自由にぶら下がり、お零れを頂戴する乞食同然。虫や獣のそれよりも酷い、垂れ下がり怠け切った面で、日々与えられるだけの餌を豚のように食い散らかして安息するだけの従順な奴隷、家畜に成り下がった。違うか?」
男は徐々に興奮した口調で声をあげながら、怒鳴るように言い続ける。
エミリは、相手の吐息を感じる距離で硬直したまま、言葉をただ聞くしかなかった。
「……つまり、特定少数の特権階級が、不特定多数の家畜と奴隷を支配する。それこそがこの国、この世界の真の姿であり、すべての愚民は、国家と常識という、目には見えない檻に閉じ込めら、その中で蹂躙され続けるだけの生ける死骸に過ぎん。つまり、お前ら軍隊でさえも、所詮は、犬。愚民であり奴隷だ……。そんな飼い犬のお前たちがどれだけ命をかけて必死に戦おうが、どれだけ何かを守ろうが、それらはすべて、この国を支配する連中の意思や意図の中で操られているに過ぎない! 作り出された、己の枷と枠を破壊する以外に、真の自由はあり得ない!」
「違う!」エミリは、喉が裂ける勢で叫んだ。「少なくとも、私たちだけは違う!」エミリは喉が裂けるかと思うほどの声を上げた。
「なにが違う……! 世の真相を知り、それを正すことができる力を持った俺たちのみこそが正義だ!」
……私たちは、誰かの意思の為に戦うんじゃない……
……NFI…………
…………自然の意思……
そう……
私たちは……
「私たちは、私たちの意思で、私たちのやり方で戦う! 守る為に! 終わらせる為に戦う!」エミリは腹の奥底から言葉を捻り出して怒鳴りつけた。「私たちは、誰にも束縛されない! 常識にも支配にも! そんなの私たちには関係ないの! だから、絶対に誰にも否定させない! 誰にも認められなくても、誰にも許されなくても、私はそれでも戦う!」
「お前は……、一体、何を守る為に戦う?」男は、白く長い首を捻り、エミリを真下から見上げるようにして言った。
「命……」エミリは俯き加減で呟いた後、顔を上げて大きな声で言い放った。「私たちは、命を守る為にここにいる」
「くだらん。愚民の命など、守るに値しない。すべては駆逐するべき、瑣末な欠片だ」
「違う! 私たちは、小さい頃から、戦争やテロ、無意味な戦いによってたくさんの命が奪われるのを嫌という程見てきた。でも、もうこれ以上そんなものは見たくない! だから、それを守る為に戦う。戦争が終われば、もうこれ以上無駄な血は流れない。命だって無くならない!」
「ほう」と漏らした男は、再び口元を緩めてにやりと笑った。「ならば、俺たちの利害は一致している。ここで戦う必要はない。互いの理想を気づく為に、手を組もう」
「ふざけないで!」エミリは大きく首を横に振り、相手を威嚇するような視線を叩きつけた。「私は馬鹿じゃない。あなたの言わんとしていることは分かるわ……。でも、あなた達がやっていること、やろうとしていることは、ただの殺戮よ! 一方的で独善的な論理を振りかざして、自分たちの欲望の為に人を殺してるだけ。それはただのファシズム。あなたが今否定した、過去の大勢の権力者達とやっていることは変わらない」
「生意気な……」
男は、初めて不快を露わにして舌打ちをした。エミリの意外な反応が気に食わなかったのだろう。片眉を上げてこちらを睨む。しかし、口元は変わらずニヤけている。「……ならば、貴様らはどう守る? この腐りきった世を、武力も、殺戮も、恐怖も、圧力、制圧も一切使わずにどう変える?」
「……私たちの小さな力では、もしかしたら世界を変えることはできないかもしれない。でも、戦い続ければ、守り続ければ、世界はいつかきっと、必ず変わるわ!」
「ハッハッハッ」
男は大きな片手で顔を覆い隠しながら、愉快だと言いたげな表情で口を開け広げて高笑いを上げた。
エミリは、耳障りな奇声に顔をしかめる。
その瞬間、脳髄に突きあがる鋭い痛みを全身に感じた。しかめた顔がさらに歪んでいく。痛みはまるで、鋭利な刃物で背後からまっすぐ縦に切り裂かれたように、背中を襲う。
痛い。痛い。
(なんで、こんなときに……)エミリは自分の額に脂汗が浮かんでくるのを感じていた。
とうとう全身が痺れ出した……。
研ぎ澄ませたはずの感覚が、徐々に奪われ失せていく。
漆黒の軍服姿の男は、ひとしきり笑った後、再びエミリを見つめ、低い声で呟いた。
「とんだ理想論者だ! 面白い……、ならばやってみろ」男はエミリを軽蔑の目線で見下しながら言った。
「あなたに言われるまでもない……!」エミリは苦痛を堪えながら、はっきりとした口調で言い放った。
「惜しいな……。実に惜しい。いい目をしているんだ! お前のその目は、完全にこちら側の人間のものだ。……どうだ、やはり俺たちとともに来ないか? 手を組もうじゃないか」
「ふざけないで!」エミリは、男の声を振り払うように叫んだ。
男は鼻で笑い、目を吊り上げた。「残念だ。だが、これだけは言っておく。人間の歴史は、殺し合いの歴史だ。それは、今も昔も、そしてこれから先も絶対に変わらない。人間という生き物こそが、この星の力の象徴。人間にのみ、意思がある。他の動物にはない過剰な攻撃性がある。だからこそ、これまでの人間の歴史の転換点には、いつもその凶暴性や暴力性が介在してきた。人間は、殺し合いながらここまで発展してきた。この世に平和など無い……。時代が変わるとき、そこには必ず力が在る。殺戮がある。役目を終えた古いものは死に絶える。新たな力によって排除される。その上で、次の世代を担う新しいものが芽生える。それがこの世の常。地球の摂理だ」
「……それでテロを? あなた達がやったのね……」
「革命は、ママゴトではない。生易しい手段ではなにも変わらない。綺麗事だけで、世界は変えられない」男は薄ら笑いを浮かべながら続ける。「甘い顔をすればつけあがる。それが、この世を腐らせた愚民どもだ。一度腐敗したものは、決して元に戻ることはあり得ない。すべてを変えるには、古い、過去の産物を徹底的に排除し、消去し、抹殺しなければいけない。それこそがこの国を救うために残された唯一の手立てであり革命。奴隷解放だ!」
「どれだけ正しくても、無差別に人を殺してまでする革命なんて、許されない!」
「すべてを排除するのだ。これから消え去るものたちの許しなど必要ない。否、これからの世を作り上げる我々アギィトこそが、既存の国家体制、社会を許容しない!」
「総理を……、殺すつもりね……」エミリは小さく聞いた。
「そのつもりでいた。……だが、予想外の邪魔が入った。まあ構わない。こいつを殺したところでなにも変わらない。雑魚はいつでも処理できる。こいつでさえ、所詮は飼い犬にすぎないのだ。殺したところで次がまた沸いて出てくるだけ。エネルギィの無駄というものだ」
「どういうこと……?」エミリは眉間にしわを寄せた。
「さあ、話はこの辺りで終わりにしよう。もう時間だ。ほんの挨拶代わりのつもりだったが、おかげで楽しい時間を過ごすことができた。貴様のことは非常に惜しいが、お互いの理想を貫き、いつかまた出会えることを願っている」
「答えなさい!」
男は、エミリの問いを聞き流して続ける。
「もちろん、この場を、自らの力で生きて出られたらの話だがな……」
そう言い終えた瞬間、男は片手を突き出した。
「橘さん、逃げて!」耳元で、雑音混じりのニーナが叫んだ。
気づけば、男の背中で萎んでいたデビルフラワーが、再び生気を取り戻したかのように大きく広がり始めた。
「タチバナ……?」男は、エミリのイヤモニタから漏れたニーナの声を復唱した。「貴様、名は?」
男は手を止めた。
揺らめいていた悪魔の花が動きを止めた。
「あなたのような人間に教える名前はない」エミリは憎らしげな顔で男を睨む。
「なら、言わせるまでだ」そう言うと、漆黒の軍服はエミリにさらに顔を近づけ、片目を見開いた。
(ブレインハック……!)
エミリは危険を察知し目を背けようとしたが、未だに躰は自由に動かない。不気味な目玉に睨まれ、頭がぼうっとし、朦朧となった意識が次第に遠のく……。
「わたしは……」エミリは、自分の意思に反して、体が、口が、勝手に反応して動き出すのを感じた。「わたしは……、たちばなえみり……、あなたは……」
「やはりそうか……」男は満足げな表情を浮かべて囁いた。細い爪先でエミリの頬を一筋、撫でる。「俺はジン。冥土の土産だ……。取っておけ」
次の瞬間、男の背後から広がった闇の靄が、ホースで撒かれた重油のように翻り、エミリの視界を奪い去った。
闇の花。
私の力……。
自分の力……。
守るの。
生きるの。
「逃げて!」
そう……。さっきからずっと。
全身が激しく痛む。
ここまで、私、何度も、何度も、逃げてきた。
でも、どれだけ逃げても、必ず捕まった。
(痛い……)
その繰り返しだった。
でも、ある時気がついたの。
逃げても、問題は解決しない。
解決するには、その場で、本気で、立ち向かうしかないって……。
だから、もう逃げない。
そう決めた。
私は、逃げない。
(痛みからも……)
私は、戦う。
(恐怖にも……)
立ち向かえば、恐怖は消える。
(お母さん……!!)
……あなたの中に
……私の花を咲かせましょう
誰?
私の中から聞こえる声。
誰かいる。
誰?
……あなたの中に咲いた花
……あなたの内なる声
私の中に……、咲いた花?
男の手からほとばしる黒紫の炎。
鈍く光る、闇の剣尖。
一瞬にして、エミリの体を貫いた。
冷たい何かが、体の中に入ってくる。
でも、とても暖かい。
血?
体温?
違う。
全身を襲っていたはずの痛みが、たった今消えた。
(刺されたのに……?)
湧き上がる。
私のなかの。
もうひとつの。
命。
芽生える。
男の顔を見る。
狼狽している。
黒い男が初めて見せた、蒼白な狼狽。
真っ直ぐに私の心臓めがけて突き出された黒い、妖艶な霞の剣。
冷たい。
全身が凍えた。
なのに、暖かい。
……目を閉じて
……心を鎮め黙し
……湧き上がる自我を秘して
……恐怖との対峙を覚悟した時
……意識の深層に佇む、内なる声に耳を傾けた時、
……あなたたちの本当の力が開花します
……私はほんのお手伝い
あなたは一体……
……私の名は
……千年花
……この世を造りし者
次の瞬間、エミリの全身は、体内から爆破のように迸る激しい紺碧の光に包まれた。
男の突き出した剣尖が、震えるようにエミリの体の直前で硬直している。
「きっさまああああ……!?」
エミリは、顎を引いて視線を落とし、剣先を見つめる。
凍っている。
刺されていない。
否、跳ね除けた?
躰が、淡く輝く紺碧の氷で覆われていた。
初めは剣先を覆っていただけの冷気と氷が、パキパキと甲高い音を立てて、男の手、手首、腕、肩と、侵食するように、瞬時に凍らせていく。
「まさか……!」男は目を見開き、苦痛の声を上げると、数メートル後ろに飛び退いた。
エミリから放たれた極寒の冷気によって、骨の芯まで凍てつかされた男の片腕は、着地の衝撃によって崩れ去り、ボロボロと地面にこぼれ落ちた。氷のかけらは、床に落ちた衝撃で、さらに細かく砕け、白い冷気の煙を上げた。
「くっっそおおおおお……!!」怒号を上げて、絶叫する漆黒の軍服。「なぜ貴様が……!」
エミリは、突如として目の前で起こった出来事に唖然とし、棒立ちになっていた。
体の奥底から湧き上がる冷気が、とても暖かく心地よい。
感じたことのない力。
感じる。
エミリの背中に、花が咲いていた。
ドーム状に開いた氷碧の装飾花は、まるで無数の小灰蝶がかぐわしい蜜香に群がったような姿をしていて、全体がうっすらと透き通っている。触れれば即座に壊れてしまいそうなほど薄い氷花弁の生み出す碧のグラデーションは、人の手では決して作り出すことのできない繊細さで、花全体の美しさを際立たせていた。
そう、紫陽花。
美しい、氷の紫陽花。
エミリの背後に咲き乱れた氷結の紫陽花によって凍りついた大気中の蒸気は、細かな氷霧となってしんしんと降り注ぐ。
やがて床には、待機中の水分がやんわりと結晶化した淡雪が、うっすらと降り積もる。
空間を俄かに霞め出した氷霧に差し込む一筋の月明かりは、絶妙な光の柱を作り出した。その柱は、ダイアモンドダストの幻想的なきらめきを纏った一筋のスポットライトとして、宝石のような気品に満ちた氷結の紫陽花と、それと同化したエミリの姿を、同時に、闇夜の中にくっきりと浮かび上がらせた。
再び、どこかから声が聞こえる。
ニーナではない。
頭のなか。
聞いたことのない声。
……そう
……それが
……あなたの中に咲いた花
……あなたの心の形
……あなたの本当の姿
「私の、本当の姿……」
……あなたは今、覚醒開花を遂げました
……戦いなさい
……選ばれし者
……この世界を破滅から救う為に
……誰の為でもなく
……自分の為に
「なにをごちゃごちゃ言っている……!!」激しい怒号がエミリに襲いかかった。
しかしエミリは、その声を難なく跳ね除け、目の前で狼狽する男をまっすぐに見つめ、ほくそ笑んだ。
「お返しに、教えてあげる」
そして、頭に鳴り響くその声に呼応するように、
「私の花の名前……」
感じる……。
聞こえる!
「それは……」
その花の名を復唱するように、斜めに緩んだ口元をゆっくりと開いた。
『極寒 の 冷笑』
連続更新は本日で一旦終了です。
明日18日木曜日の定期更新はお休みして、次回更新は2016年2月25日木曜日!
よろしくお願いします!
※この物語はフィクションであり、実在する人物、法律、団体、名称とは一切関係ありません。
※当作品内に掲載されているすべての文章、画像等の無断転載、転用を禁止します。すべての文章、画像等は日本の著作権法及び国際条約によって保護を受けています。
[ Copyright 2016 Koma Aoi. All rights reserved. Never reproduce or replicate without written permission. ]




