05. 汚いマジックの殴り書き
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5
巧が姿を消してから三十分後。
みつほと千草は資料室を出て、暗い廊下を歩き出す。目的地は、巧とニーナの待つ司令室である。二人の手には、何冊もの対策マニュアルが大事そうに抱えられていた。
研究棟の三階は資料室と書庫、倉庫専用だと聞かされた。
夜遅い時間ということもあって、フロアにはまったく人気が感じられない。しかも、今は緊急事態の真っ只中である。隊員の大半は司令室に集まっているか、もしくは、爆破テロの現場に急行しているのだろう。自然研究所の研究員たちは三階より上のフロアにいるらしいが、時間的にはもう多くの職員は退社しているかもしれない。
みつほは廊下に出たとき、ふと、同級生でNFIメンバである荒田守のことが気になった。彼はこんな一大事に、一体どこでなにをやっているのだろうか……。
このフロアは、各部屋、各倉庫が安物のパーティションで区切られていた。部屋と部屋の間を、十字に張り巡らされた細長い廊下は、窓がないため、どこか寂しげで冷たく感じる空間だった。省エネのためだろうか、天井照明は人感センサ式で、誰もいない廊下は真っ暗。最新式の人感センサらしく、人間のいるところだけが部分的に点灯しているのだ。
廊下に出た二人が歩き出すと、ぼんやりとした青白い光が追いかけてくるようで、少しだけ気味の悪い感じがした。
記憶を頼りに暗闇のフロアを歩く二人は、迷うことなく渡り廊下まで辿り着くことができた。
けれどもそこで、今まで一度も聞くことのなかった物音が聞こえたような気がして、二人同時にぴたりと足を止めた。
二人のいる場所だけがスポットライトに照らされたように明るい。
背後の光はすぐに消えさり、廊下の床面は、飽和した黒い闇にゆっくりと侵食されていく。目の前に真っ直ぐ伸びる渡り廊下の先には、本部の控え室の明かりがかすかに見えた。
みつほと千草は、互いに顔を見合わせて息を飲んだ。
じっとしてみる。
呼吸を止めてみる。
音はもう、聞こえなかった。
「みつほさん……、今、なにか物音、聞こえませんでしたか?」千草は不安の色を目に浮かべ、隣に立つみつほに囁いた。
「う、うん……。でも、この階には誰もいないはずよね」みつほは明らかに怯えているようで、声が震えている。
すると、渡り廊下に向かって左側に伸びる廊下の奥が、ぽっと一瞬明るくなった。
「ひいいいっ」みつほが、エンジンの吸気音のような引きつった声を上げた。
人感センサが反応したのだろう。淡い明かりに包まれた空間は、再びゆっくり闇に消えていく。
(誰かいる……!)
もう一度顔を見合わせた二人は、ほぼ同時にそう思い、ゆっくりと首を縦に動かした。
闇に沈んだ廊下の奥を凝視したみつほは、ゆっくりと歩き出そうとしたが、千草がそれを制しした。みつほの腕を力強く掴んだのだ。
「みつほさん……」千草はかすれた声で囁き、みつほを見つめた。やめたほうがいいと伝えるために、何度か顔を横に振った。
「絶対誰かいるよ」みつほは、千草にしか聞こえない、漏れ出る吐息のような声で囁いた。「大丈夫。なにかあったら戦えばいいだけ……」
「でも……」
みつほは、表情を曇らせ首を振り続ける千草を無視すると、彼女の手を握り返して、引っ張るようにしながらゆっくりと前進する。千草は仕方なく、手を引かれるまま、みつほの歩調に従わざるを得なかった。
音を立てないように廊下を歩く二人。
青白い天井光は、無感情に淡々と、二人の後に付いてくる。みつほは、追いかけてくる冷たい光が、どことなく橘エミリのようだなと、くだらない妄想を掻き立ててしまう。彼女だって戦うのだから、私だって戦わなければと、妙な負けん気に装飾された、偽りの正義感と勇気を奮い立たせながら、廊下の奥に辿り着いた。
廊下の奥には、左右二枚のドア。どちらも倉庫の入り口だろう。
右のドアは死んだように閉まって静かだった。けれども、左のドアは部屋の内側に向かって開け放たれていた。廊下から見える部屋の壁には、ギラついた青白い光が照り返している。その光は旧型モニタ特有のLED光らしく、かすかに点滅を繰り返しているのがぼんやりとわかった。
千草を控えたみつほは、これ以上前に出たら廊下の明かりで室内から見つかるというギリギリの場所で立ち止まった。千草を振り返ってこくりと頷いたみつほは、とっさに手を離して部屋に思い切り駆け込んだ。
「誰かいるの!?」
みつほは震える声で叫び、部屋を見回した。千草も後に続いて部屋に入ってくる。
飛び込んだ部屋の奥は、立ち並ぶ複数のスチール書棚。左手前には小さなデスク。その上に置かれたパソコンモニタがこちらを向いて、怪しげなブルーライトを放って光っている。そのデスクの奥の床の上には、白い芋虫のような物体がクネクネと動き回っている。
「守ちゃん!」
「守さん!」
二人は同時に、悲鳴にも似た金切り声を上げた。
床の上で不気味に蠢く生命体は、白衣を来た荒田守であった。
荒田は、小柄な身体をワイヤーロープで完全に拘束され、顔は手ぬぐいのような布でぐるぐる巻きに覆われている。顔を真っ赤にして汗をかき、鼻で苦しそうに息を漏らしながらもがく荒田は、塞がれた口の奥で必死に声を上げて、何かを訴えかけているようだった。
「あんた、こんなところでなにやってるのよ!」みつほは、デスク越しに声を投げると、身軽なジャンプでデスクを飛び越え、守に寄り添った。
「んー! んーんー!ぬー!」もがき続ける芋虫男。
「千草、手伝って!」みつほは、顔を真っ赤にした守を見たまま声を上げ、彼の顔に巻かれた布を剥ぎ取ろうとした。しかし、背中からは、待っていた千草の返事は返ってこない。薄闇の中には、守のうめき声とみつほの吐息だけが響き渡っている。
「千草?」事態の異様さに気づいたみつほは、すぐに千草を振り返った。
デスク越しに見上げた千草は、恐怖に凍りついた表情で、モニタの光にぼんやりと照らされた書棚の奥を呆然と見つめていた。
「み……、つほ……、さん」
みつほはゆっくりと立ち上がって、彼女の視線の先を追うようにして睨んだ。
そして、苦しむ守に気を取られて、部屋の奥まで意識を回しきれていなかったことを後悔した。
もちろん、気づいた時には遅かった。
人の気配。
モニタの光が届かない部屋の奥から、ぬうっと顔を出した人間の右手。しかも、二人分。
全体が黒ずんで汚れ、節くれだった指の背には、清潔感とは程遠い縮れ毛が密集して生えている。そのおぞましい右手には冷え冷えとした黒鉄の拳銃。どこまでも黒い二つの銃口は、それぞれ、みつほと千草に向けられていた。
男たちは、銃を構えたまま、一歩、前へ歩み出た。
暗がりにかき消されていた表情が、青白いモニタ光に照らされ、薄闇の中に浮かび上がった。
一人は長身の長髪。年齡は若い。病的なほどやせ細り、切れ長の鋭い目でみつほを睨んでいる。もう一人は禿げ上がった中年男。全身を小刻みに震わせ、頭を斜めに傾けたまま、視点の定まらない虚ろな目で、まばたきもせず千草を見つめていた。口元は不気味に歪んで、なにかをぶつぶつとつぶやいている。
「誰……、あんたたち?」みつほは、向けられた銃口にも一切怯まず、毅然とした態度で声を張り上げた。
しかし、男は答えず、一歩、また一歩とこちらににじり寄ってくる。
みつほはゆっくりと右半身を引き、腰を落として構えをとった。両手の拳は痛いほどに握り締められている。空手の構えだ。
千草は、相手に悟られないように大きく右手と右足を身体の前に突き出し、左手と左足は後方に引く。両手を、握手するときのような形に整え、見開いた目で男を睨む。千草は、合気道の有段者である。
二人の構えは、ゴシックなデザインの制服には不釣り合いなものであったが、今はそれどころではない。二人は瞬きもせずに、相手を視線で刺しにかかる。
「んぬのー! ぬぬのー!」荒田の悲痛なうめき声は、どんどん大きくなる。
「答えなさい。あんた、誰よ!」みつほは再び声を上げた。今度は、いつもの彼女とはまるで別人のような、低く沈んだ、相手を威嚇するような怒号だった。
それでも男たちは動じず、微動だにせず、小さいブラックホールのような銃口をこちらに向けている。黄色く濁った薄気味悪い目玉は、毛細血管を浮き立たせながら、くすんだ視線を保ったままだ。
乾燥しきって粉を吹いた男の唇は、白髪交じりの不潔な無精髭で覆われている。その奥から、ニコチンとアルコールの混じったような臭気を感じる。
「どこ……、やった」急に、長身の男が震えた声を出した。
「はあ?」みつほは、相手の言葉に少しだけ拍子抜けしたが、直後、あの光る種の姿が頭をよぎった。極度の緊張によって研ぎ澄まされた思考は、いつになく明朗快活のようだ。いつもこうならいいのに、とみつほは、思いの外冷静で入られている自分を、心の中でこっそりと評価してやった。
「たね……、どこやった」
「な、なんのこと、知らないわよそんなの」
「種って、もしかして……」千草がつぶやこうとしたが、みつほは慌てて「千草、黙って」と声を上げて制止した。
「集中して。さっき読んだマニュアル、思い出して」みつほは、相手の目をじっと睨んだまま、構える千草に言い放った。
「はい……!」千草は、自分を奮い立たせるように、はっきりと頷いた。
(まさか、このふたりが一輝を……?)みつほは、そう思った瞬間、全身に嫌悪感が広がっていくのを感じた。それと同時に、心の奥底から恐怖の感情が大量に湧き上がってくる。徐々に膝が震え始めた。
(今、目をそらせば、私も撃たれる……)
そう感じたみつほは、負けじと相手を睨み返す。
人は、死んだら一体、どうなるのだろう。
痛いのかな。
苦しいのかな。
私、こんなところで死にたくないよ……。
(お願い、膝の震え、止まって……!)
湧き上がる恐怖を振り切るように、頭を軽く振って息を整えた。
相手との距離は、約二メートル半。
(落ち着くのよ、私。さっき読んだばかりの、テロ対策のマニュアルにも書いてあった……)
『拳銃の弾は、秒速約三百メートル』
脳裏に焼きついた文字が鮮明に浮かぶ。
それと同時に、数日前に聞いた、エミリの声が頭の中に反響した。
『戦場では、考えて立ち止まっていたらすぐに殺されるのよ』
それと同時に、引き金にかけられていた指が、スローモーションで動き出したような気がした。
もう一つ、湧き上がるイメージ。
フラッシュバックのように、マニュアルの裏表紙に見かけた文字が浮かび上がる。
マジックで書かれた、汚くも大きい、殴り書きの一文。
鮮明な記憶。
そう……。あれは……!
引き金が徐々に押し込められていく。
『やられる前に、やれ! by 後醍醐蘭丸』
(隊長……!)
殴り書きされた言葉をはっきりと思い出した次の瞬間、みつほは、気がつくと攻撃に出ていた。
部屋に鳴り響く、一発の銃声。
弾丸は、みつほのおくれ毛を撃ち抜き、壁にめり込み、火薬臭い煙を上げた。
弾道をかわしたみつほは、目にも留まらぬスピードで全身を低く下げ、すぐさま全身をバネのように使って、男の手元をめがけて鋭い蹴りを突き入れた。その後、畳み掛けるように顔面を数発殴打し、その勢いで回し蹴りを延髄めがけて叩き込む。
足先が空気を切り裂くかすかな音。
相手の顔面をえぐるようにめり込む、ヒールのつま先。
異様なまでに凹む頬骨。
なにかが折れる、鈍い音。
男のくぐもったうめき声。
この間、数秒。まさに一瞬の出来事だった。
銃は冷たい金属音と共に床を滑り、男は勢い良く床に沈みこむ。
千草は、その様子に狼狽した中年男の一瞬の隙を見逃さなかった。
音もなく擦り寄った千草の動きは、残像が見えたかと思うほどに静かなものだった。否、ほとんど静止していたようにさえ見える。
ようやく気づいた男が引き金を引こうとするが、時すでに遅し。
千草は、銃を掲げた右腕を両手で絡みとると、まるで旗でも振り回すかのような軽い動きで全身を屈めて、大の男をいとも簡単にその場でくるりと回転させた。脳天から床に叩き落とされた相手は、声を上げる間も無く白眼をむいて気絶した。
張り詰めていた周囲の空気が、激しい動きで乱され、渦のように舞っているのが肌を通じてはっきりと分かった。
部屋には、女性ふたりの荒い吐息、呼吸音。
冷んやりとした部屋の中、全身が、ねっとりと不快な脂汗で覆われていくのを感じる。
暗い床の上には、気を失った不審者が二名。
みつほはその光景を見た途端、極度の緊張が解け、膝が折れるようにその場にへたり込んだ。頭も心も、絵の具かスプレーで塗りつぶされたように真っ白で、ごくごく自然に涙がこぼれ落ちてくる。
「わああああああ、こわかったよおお……、ちぐさあああああああ」みつほは声を上げてわんわん泣きわめく。
「みつほさん、大丈夫ですか?」千草は必死に呼吸を整えながら、泣きわめく彼女を見遣った。
「だいじょうぶうう……、わあああああ、怖かったあああ」
口を開け拡げて子供のように泣きじゃくる彼女を見て安堵した千草は、ほっと一息ついて微笑んだ。
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