04. 一輝の思い
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筑紫の春は遅い。外は思っていたよりも寒かったけれど、山によって磨かれ、凛と張った鋭い空気は、寝起きの一輝のとって心地の良いものだった。
一輝は境内を出て、目の前を走る車道を横切った。麓から道沿いに上がってくる細切れの段々畑のあぜ道を、奥の土手に向かって歩いていく。
底の薄いサンダル越しに、枯れ草や畦土の湿った感触が伝わってくる。時々、足にまとわりついてくる朝露が痛いほどに冷たい。刈り取られた稲穂の切り株が並ぶ田の姿は、実に寒々しかった。農閑期のため、水路にはほとんど水も流れておらず、辺りはとても静かだ。人影もなければ、車道を通り去る車も無い。けれども、二ヶ月もすれば田植えが始まり、農村が賑やかさに包まれる暑い季節がやってくる。
一輝は、急な斜面の土手を、軽く助走をつけて駆け上がった。濡れた草露でサンダルが滑りそうになる。登り切った先の小高い土手は、荒れた砂利道で、すぐ先は切り立った崖だ。見下ろすと足元が竦むほどの高さで、流れるような山肌が、放射線状に麓の町並みに向かって広がっているのが観察できる。一輝にとって、この土手に立って筑紫町の景色を眺めることは日課のひとつといってもよかった。
まだ朝は少し早い。
町全体に広がる田畑から吐き出された朝靄が、薄い雲のように浮遊しながら町を覆い隠すように、じっと停滞していた。靄の底には、正方形、長方形、扇型など、大小様々な形の田んぼが無数に沈んでいる。春から夏にかけて若苗の新緑に満たされる田畑も、今は丸裸でどこか寂しげだ。その田畑の隙間には、散在する民家と小さな林。東南方面には小さな駅があり、周囲に市街地のビル群が見える。
一輝は、両手を広げて、思い切り深呼吸をした。
今日は、いつも以上に空気が澄んでいるのだろう。視線の遥か先には、いつもは見ることのできない撓んだ水平線をぼんやりと望むことができた。青い空と灰色の海の境界を出発して、ようやく本領を発揮し始めた太陽の光はそれなりに暖かい。オレンジ色の強い光で海面を染め上げていた。
麓からは、痛いほどに湿った風が吹き上げてくる。寝癖でボサボサになった一輝の頭を通り過ぎて、髪をかき分けてくれるようだった。
目の前の空には、大きな鳥が三羽。翼を大きく広げ、羽ばたかずに靄のかなり上空のところを旋回している。とても気持ちが良さそうだ。
どこか懐かしく、物悲しい。けれども、いつ見ても表情はひとつとして同じではなく新鮮。一輝は、幼い頃からこの景色が好きだった。
物心のつく五才の頃からこの山で暮らしている彼にとってこの景色は、幼い頃から見慣れたものであるが、落ち込んだ時は、必ずと言っていいほどこの場所に立った。ここに立って景色を眺めていると、不思議と心が落ち着くのだ。
嫌なことや辛いこと、寂しいことは無くならないけど、ここに来ればほんの一瞬忘れることができる。少しだけかき消すことができる。
一輝はふと、今朝の夢を思い出した。
夢の中で微笑みかけてくれた、父と母の顔を思い出す。けれども、やっぱり無駄だった。この無駄を、もう何度体感しただろうか。
(当たり前だよな……)
顔も、
名前も、
会ったことがあるのか、無いのかさえ……。
一輝は、幼少の記憶をすべて失っていた。
医者からは、津波に流された肉体的、精神的な影響だと言われた。気がつけばこの筑紫の町で暮らしていた彼にとって、この町での生活こそが記憶のすべてなのだ。
喜多川の家の人たちとは、血の繋がった本当の家族ではない。
彼がその事実を知ったのは、小学校に上がる頃だったろうか。実の父と思い慕っていた喜多川弥之助から、自分が震災孤児であることを聞かされた。幼心に、自分はこの家の子供ではないと薄々感じてはいたものの、やはり事実を聞かされた時はショックだった。
その時のことを思い出すと、今でも少し胸が痛む。目頭が熱くなる。
もちろん、喜多川親子は、自分を実の子供のように、いや、それ以上に大切に育ててくれた。これだけ荒んだ貧しい時代でも、幼い頃から今日まで、なにひとつ不自由な思いをしたことが無い。そして、なによりも一輝には、幼い頃からの仲間がいる。だから彼は、この筑紫の町に流れ着いたことを心から感謝をしていた。
だが、心の奥にぽっっかりと開いたままの穴は、未だに埋められずにいる。
目を閉じて、二回ほど、ゆっくりと深呼吸した。冷えた新鮮な空気が肺を刺激する。
自分は今、生きているんだ。
でも、自分は一体誰なのだろう。
どこから来たのだろう。
(わからない)
自分は、なんの為にここにいるのだろう。
なぜ、ここに来たのだろう。
そうやって、時々、無意味なことを考える。
無駄だと分かっていても、考えてしまう。
自分の悪いクセだな、と思った。
気がつけば、朝靄は少しずつ晴れ、景色は徐々に澄み切っていた。大空を悠々と飛んでいた鳥たちも見当たらない。変わりに、背後の山の茂みからスズメたちの陽気なさえずりが聞こえてきた。
(もう朝か……)
一輝は、両手を天に翳して、縮こまった全身の筋肉を引き伸ばしてやった。
ふと景色の北側に目をやると、国防軍の駐留基地と士官学校の敷地が見える。広大な地面にべったりと広がる灰色の空間は、長閑な田園風景には、かなり異質な存在だった。
基地の中にいる時は分からないが、ここから見下ろすと、基地がかなり広い面積であることがわかる。付近の田んぼや畑が数百枚あっても、きっと足りないくらいだろう。
海の方角、東側に向かってまっすぐ伸びる無機質な滑走路がはっきりと見える。まるで冷たいアルミ製の定規みたいだった。
『国防軍北部戦略中央基地』
通称、筑紫基地、北部基地とも呼ばれるこの基地は、筑紫だけではなく、北部地方全域を防衛することを主目的として建設された巨大軍事基地。一輝たちが卒業する士官学校も敷地内に存在している。そこで四年間士官学生として過ごした彼らは、来月からあの中央基地に配属されることが決まっている。
(いつも、あんなすごいところにいたんだよな……)
一輝は、士官学校で過ごした四年間に思いを巡らす。
これまでずっと気弱でネガティブだった自分も、想像を絶する過酷な訓練やトレーニング、厳しい共同生活は、なぜか不思議と耐えることができた。きっと、自分一人だったら、すぐに逃げ出していただろう。それもこれも、すべて慣れ親しんだ同級生たちのお陰だ。
(でも、そんなこと思ってる時点で、まだまだ自立できていない証拠だよな)
けれども、お陰で、高校卒業の頃とは比較にならない位に体力と筋力もついた。忍耐力と精神力は……、自分ではかなりつけたつもりだが、果たしてどうだろう。少しは立派な軍人候補になれただろうか。
一輝にとって辛かったのは、肉体的なことではなかった。学校の授業を通じて知った世界の惨状。これを知ることの方が、彼にとっては苦痛だった。
この戦争が始まったのは、今から二十年前。自分が二歳の頃だ。
それまでは、ただの抑止力でしかなかったはずの核兵器が、世界の至る所で大量に使用された聖戦。あらゆる自然が汚され、中には、人が住めないどころか、草さえ生えない不毛の大地と化した地域も少なくないという。そして、今まさに、自然の中で暮らす僕たち人間を含めた全ての生命が、核による汚染の脅威に晒されている。
この星で生きるすべての生き物は、自然から生まれ、自然と共に生きている。否、生命と自然、この星この宇宙は、すべて元は一つのもの。一蓮托生。父さんが言っていた。だから僕たち人間は、自然から離れることは決してできない。自然が汚れれば、その一部である僕たち人間もまた、その汚染に侵食されていく。
「馬鹿だよな……」素直で飾り気のない思いが、自然に言葉として口から漏れてしまった。一輝は、そんな自分が少しおかしくて口を斜めにした。
(なのに人間は、自分たちが一番で、この星のすべてを支配してるだなんて思い込んで、取り返しのつかないことをし続けているんだ)
土壌が汚れれば、食べるものを失っていく。
世界は、深刻な食糧不足にも悩まされている。
被曝死、
病死、
餓死、
戦死、
事故死、
自殺。
僅か二十年の間に、世界の三分の一の人口にあたる、二十億人以上の命が失われたという。確かにそれは事実なのだろう。
けれども、一輝はどうしても実感が湧かない。
その理由のひとつは、自分が今、こうして暮らして住んでいる国の環境だった。
一輝たちの住む国は島国。同盟国の過去の大きな軍事的影響によって、かろうじて非戦闘地域に指定されている。海の向こうで行われている戦争の影響にはほど遠く、少し気を抜けば、本当に戦争など起こってるのだろうか、と勘違いしてしまうほどだ。
少子化の影響で人口が減っていることも幸いし、自然も資源も、空気も水も食料も、まだ不足がない程度には残されている。海外に派兵された兵士たちが戦闘区域で死亡することはあっても、外国から直接攻撃を受けて、国内で死者が出るということも今の所は無いと聞かされている。つまり、国内にいれば、戦争の危険や危機を感じることも少なく、安全な状態なのである。
他にも、戦争の実感がわかない理由はあった。それは、テレビや新聞、インターネットなど、マスメディアの報道姿勢やあり方だ。
日々、一輝たち庶民が触れることの多いメディアは、ステレオタイプにこう言う。
『東の国では、軍による爆撃で何千人が殺された』
『西の国では、餓死者と病死者が何万人を越えた』
けれどもこれは、起こった事実や現象の表面を報道しているに過ぎない。
なぜそういうことが起こったのか。
現状はどうなっているのか。
その後はどうなると予測されるのか。
そういった原因や詳細についてはほとんど報道されない。
戦争によって起こされているありのままの現実が、その場限りの、インスタントな使い捨ての情報として垂れ流されるだけ。情報に触れる側も、それ以上のことに興味を持たず、深く知ろうとすることもない。無闇に消費し、忘れ去っていくだけ。それが国内の多くのメディアと聴衆のあり方だった。
でも、本当にそれでいいのかな……。
もしも身近な人が、たった一人でも、死んで、目の前から居なくなってしまったら……。もう二度と会えない存在になってしまったら……。きっと自分の身を切り裂かれる以上に悲しく苦しいはず。それなのに、それだけ重くて大切なはずの一人の人間の命でさえ、無感情で無機質な数字とデータに変換されて、情報にされてしまう。そして、その一つ一つの死に関わったはずの生の情報は、一切伝達されなくなってしまうのだ。
一輝は、そういった状況が腑に落ちなかった。
本当にそれでいいのか、と悩むことも多かった。
そしてその思いと疑問は、士官学校の卒業を目前にした今、更に強まっている。なぜなら、授業の中で、戦争の戦禍や戦局、世界情勢のありのままの現実を教わることで、普段、自分たちメディアを通じて触れていることが、実は、事実のほんの一部でしかないあることを知ったからだ。
(僕たちは、知るべきことをほとんどなにも知らされていない……)
知らされているようで、ほとんど知らされていない。知っている気になっている。知った気にさせられているだけで、実はほとんど知らない。自分だけじゃない。ほとんどの人間は、きっとそうなのだ。そして、普段、僕たちが触れている表側の情報は、料理で言えば、スープの上澄み汁のようなものなんだ。
それなのに、多くの人は、それで十分に満足してしまっている。
それだけがこの世のすべてであると、完全に思い込まされてしまっている。
でも、僕は、そんな上澄みだけを啜って生きて、果たしてそれでいいのだろうか。
果たしてそれが、本当に、生きていると言えるのだろうか。
(多分、昔の自分だったら、きっとそれでもよかっただろうな……)
『みんなと同じ』
僕は昔、そんな安上がりな言葉だけで安心できる、気弱な自分だったろう。
でも、今は違う。
そんなのは、嫌だ。
他の誰かと同じは、嫌だ。
もっと、本当の事を知りたい。
自分の目で見て、この世界の現実を確かめたい。
頭だけではなく、肌で感じてみたい。
生きているからには、何者かでありたい。自分の存在を確かめたい。
そう感じている。
記憶を失い、自分の過去を知らないからこそ、強くそう思うようになった。
もしかしたら高校を卒業して、都会で普通に就職して、普通に生活することもできたのかもしれない。それでもよかったのかもしれない。でも、もしもそうしたら絶対に後悔する。理由はわからないけど、そう感じた。だから、士官学校を出て、軍隊に入ることを決めたのだ。
一輝は、自分に言い聞かせるように、動機を思い出す。
目の前に広がる景色は平和だ。
随分前から、ほとんど変わってない。
変わったのは、それを見下ろす自分の背の高さくらいだろうか。けれども、今こうしている間も、世界のどこかでは、人間同士の殺し合いが行われているのだ。
そう、三日前のあの墜落事故のように、人が死んでいく。
自分もこれから、その中に入っていく。
いつ死んでもおかしくない、戦いの世界に入っていくのだ。
僕も、いつか、どこかの誰かを殺すのだろうか。
あまり考えたくない。
僕は、守るためだけに戦いたい。
真実を知る為だけに……。
でも、守るためにも、誰かを殺さなければいけないかもしれない。
いや、僕は誰も殺したくない。
だから、本当だったら戦争なんて行きたくない。
それが本音?
誰かを殺すくらいなら、自分で自分を殺すほうがまだマシだ。そう考えたこともあった。でも、きっとそんなことできないだろうな。
自害できるほど強くない。
相手を殺さなければ、いつかは自分が殺されるのだ。それは頭では分かっているつもりだった。でも、心は今でも怯えている。
情けない。
誰のことも殺したくないし、誰からも殺されたくない。
(そんなの、生きていれば当たり前じゃないか……)
生命は、他の生命を奪って初めて、自らの生を全うし、維持できる。
この世はそうやって仕組まれている。
自分を正当化してみる。
けれども、迷いは消えない。
答えは出ない。
だから、戦争なんていらない。
戦争なんてしたくない。
戦争さえなければ、人を殺さずに済むし、きっと、見知らぬ誰かから、理由もなく、殺されることもないのに……。
なぜ、戦争なんてあるんだろう。
どうして人は、戦わなければいけないのだろう。
守りたい。
戦いたい。
でも、
殺したくない。
殺されたくない。
いつも、この、どうしようもなく幼稚な矛盾に行き着く。
その度に、自分がいかに、偽善や妄想というぬるま湯の中に浸かっているかを思い知らされる。そんな気分だった。
戦わずに、戦争を終わらせる?
そんなことが、できるだろうか。
そんなご都合主義が許されるほど、軍隊や戦場は甘くない。
もう十分、四年間の学校生活で思い知ったじゃないか……。
バカバカしい。
所詮、綺麗事。
僕はどうして、こんな時代に生まれてきてしまったんだ。
こんなことなら、津波に飲まれてそのまま死んでしまえばよかったのに。
思ってもいないことを、試しに頭の中に浮かべてみたが、喜多川親子の顔が浮かび、すぐに後悔した。
結局、自分はいつも、できもしないことを頭に浮かべ、口先だけで言うだけの弱い人間だ。
(どうせ、僕なんか……)
弱い自分を責めた。
考えれば考えるほど、過酷な四年間をくぐり抜けた自分が嘘のように、弱くなる。
どうしようもない思考がとめどなく溢れ、自分を占領してしまう。
その時、一輝の下らない思考を見透かしたかのように、背後から明るい能天気なトーンの声が聞こえてきた。
「いっちゃーん」
一輝は、素早い動きで振り返って土手の下を見下ろした。
神社の鳥居の前では、ホワイトカラーのロードバイクに跨った人物がこちらに向かって手を振っている。
短い髪を整髪料で逆立たせた愛嬌のある表情の彼は、白いシャツの上に紺のパーカを着込み、タイトなブルージーンズに蛍光グリーンのスニーカを履いている。
彼も、幼い頃からの同級生の一人。
神代達也だった。
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