041 信じられるもの
「ま、アリスはアホじゃからな」
「そう言われると腑に落ちるものがあるからなぁ……」
竜王がカラカラと笑い、八雲がそれに頷く。
二人して、初対面のくせに意気投合しているのが気に食わないらしい。アリスは不機嫌そうな声で、
「なんでそんなに仲良さげなんですかっ」
「お、拗ねとるぞ」
「拗ねてるなぁ」
「拗ねてませんよっ!」
「やっぱり拗ねてるの」
「拗ねてばっかりだな」
「す、すねてない……ですし……」
竜王につられてつい、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてしまう。だんだん悲しくなってきて、アリスは思わず涙声になっていた。さすがに可哀想になってくる。
八雲がわざとらしく息を吐くと、竜王は片眉を持ち上げた。
「ま、ここまでにしとくかの」
竜王が顎をさすりながら片目を閉じる。そのさまはどこからどう見ても、普通のお爺さんだ。白髪頭に白い髭。唯一の特徴的なところは、甚平を着ているところだろうか。
竜王はちらりと八雲を見ると、雰囲気を一変させる。柔らかな、優しい感じだ。
「さ、お入り」
「すみません、ありがとうございます」
「ええんじゃ。アリスの認めた男ならわしも安心して招けるからの」
八雲が中へ入り、後ろ手に扉が閉められる。
――また扉……?
重厚な扉の向こうには、もう一枚の扉があった。こちらも金属製で、いかにも分厚い。
「二重扉になってたのか」
「そうじゃよ。ここにもマグマが来るからの。断熱じゃ」
竜王が軽く説明する。するとアリスが落胆に近い声を出した。
「前に私が言ったじゃないですかー……本当に人の話を聞かないんですから」
「ここまで来るとは言ってなかっただろうが」
「察してくださいよ、それくらい」
「俺が察せるくらいの情報量をくれたら察してやる」
さらりと言うアリスに八雲が肩を竦める。アリスの言葉はいつも少し足りない。それですべてを察しろと言われても無理難題だ。
自覚があったのか、アリスは情けない声で嘆く。
「うぅ、私も悪いとは思ってますし……」
「別に気にすることはないさ。咎めてるわけじゃない」
「じゃあ八雲さんの言い方が悪いんですー……棘ありすぎなんですよ……」
「うぐっ」
急所を突かれた思いだ。八雲は申し訳なさで目を伏せると、
「……悪い」
「気にしないでください……」
つい黙りこくってしまう。それはアリスも同じだったようで、静寂が場に鎮座した。今度からは気をつけようと八雲は心に誓う。
すると、竜王が可笑しそうにカラカラ笑った。
湛えた皺がさらに深くなって、しかし子供のような無邪気さも併せ持っている。これが普段ならばいざ知らず。今の状況では軽く不満になってくる。
「お主らは面白いのう!」
依然笑いを絶やさない竜王。八雲とアリスは半眼になって睨んだ。
「俺は面白くない」
「右に同じです」
八雲はしかめっ面になり、アリスも不満そうに唸る。
傍目には面白かろうと当人たちにとっては面白くない。
「まあ、そう気を悪くするな。あと、敬語は要らないからの」
などと言って、竜王がまた取っ手に手を掛ける。老人の腕ではとても無理に見えたが、八雲の予想を裏切って、やすやすと扉を開いた。
――腕力があるようには見えないんだがな……。
八雲が眉を八の字にして見ていると、それに気づいた竜王が振り向く。悪戯が成功したように笑いかけるさまは悪ガキにしか見えない。
「不思議かの?」
「え? あ、はい……その、重くはないんですか」
「堅苦しいから敬語は要らんからの」
ええ、と頷く八雲。また敬語になってしまったが、次からは気をつけよう。
「まあ、仕組みは簡単じゃ。この扉は魔力を流すと半自動的に開くように設計しておる。それをわしが押すと、あたかもわしの力で開けたように見えるんじゃよ」
説明を受けて、八雲はへえと息を吐く。
なるほど仕組みは理解できた。だが魔力というのは八雲にとっての鬼門である。なにせ、この身体には、現在、魔力を宿していないのだから。
一度くらい体験してみたいが……と八雲は苦笑する。
「俺はやめておくよ」
「なかなか面白いんじゃぞ?」
「……でも俺、魔力がないんだ」
「ふむ。とりあえず、なかにはいりなさい」
神妙な面持ちで竜王が手招きする。八雲とアリスは礼を言って、門をくぐる。それから、眼前に広がる光景を見た八雲は、
「湖……?」
と、目を丸くした。扉の先は広大な空間となっており、しかもその大半を湖が占めている。湖畔にはこじんまりとした――八雲にはそう見えた――ログハウスがある。
驚くべきは、空間の明るさだった。太陽があるわけではないのに、地上の昼間のような明るさを保っている。それから、ほんのりと陽光に似た暖かさも感じられる。とても地下ダンジョンの最奥とは思えなかった。
「すごいでしょ!」
「あ、ああ……これは、すごいな……」
ほう、と感嘆の息を吐く。
この光景は、絵画などで見た湖を思い出させる。いや、あの絵画のように青々とした草原や駆け抜ける風はないが、それを目にしたときの感動を起こすのだ。
魅入る八雲に、両手を広げた竜王が自慢げに言った。
「この明るさは魔石を使って演出しておる。夜になったら消えるんじゃよ。そうなったら、煌水晶の輝きが湖に映えるんじゃ」
「私も初めて見たときは驚いたんですから」
「ここが地底だとは思えない……」
アリスが興奮気味に言うと、八雲はまた溜息を吐く。あまりの美しさに、言葉も出ない。アリスとともに見た光景を凌ぐほどの眩さを放っている。そんな気がしてならなかった。
「ここで一服も乙なもんじゃが、とりあえずお主らは家に来なさい。相当疲れたろう」
湖のほとりを歩きながら、ログハウスを目指す。こじんまりとしたログハウスは、どうしようもなく涙をあふれさせる。込み上げる思いが、八雲の胸を打っていた。
「八雲さん……」
「家に着いたら自己紹介から始めんとのう」
アリスと竜王の言葉も、すでに八雲の耳には入らなかった。
八雲は俯いて唇を噛んでいた。心に残っていた情景が、目の前の一枚と重なるから、見れば見るほど涙をあふれさせそうだった。
もはや八雲自身にもわからない衝動が胸を打つのだ。けれど、ただひとつ言えるのは、この涙に嫌な思いが混じっていなかった。
極めて純度の高い涙が、頬を伝ってぼろぼろと落ちていく。くずおれそうな膝を叱咤して、ログハウスまでの道のりを歩き続ける。ここで止まってはいけない。
八雲は、顔を上げた。濡れた顔をごしごし拭って、振り返る。
「悪い、しんみりさせたな」
「別にそんなことないぞい。わし、お主のことなーんも知らんし」
「もう少しくらい気を遣ってくれたって罰は当たらないぞ?」
「知らんもんは知らん。お主が話してくれるのなら、そのときにわしは聞くとするよ」
竜王の言葉に不思議と元気が出る。慰められるよりかは断然心地よかった。
――そうだよな。
深呼吸して、八雲は目を閉じる。
竜王の言うとおりだ。それに……、と八雲は親友に向けた言葉を思い出す。あのときと同じじゃないか。あれはもしかしたら、自分への言葉だったのかな、なんて苦笑してみた。
あの日の自分から、いまの自分へのメッセージ。だとすれば、面白い。
『言わなかったら、何も始まらないだろうが』
誰にも聞き取れないくらい、小さく、呟いた。
言わなければ何も始まらない。親友の言うとおり、言ったところで伝わらない想いもあるのだろう。そのときはきっと、悩む。苦悩と葛藤に苛まれる。
それでも、言わなければ始まらない。最初の一歩の重さは知っているつもりだったが、これから踏み出す一歩は予想よりはるかに重い。果てしなく長い道への第一歩。
八雲は、晴れやかな、快心の笑みを見せた。
「じゃあ今から話すとするさ。少し長くなるけど、アリスも竜王も、聞いてくれるか?」
少しだけ、返答が怖い。心臓の高鳴りを感じつつ、八雲は二人からの答えを待つ。
「わしも聞いていいのか?」
「そうですよ! 竜王さんをそう簡単に信用していいんですか!?」
「……それ、どういう意味かの」
「い、いえその、言葉の綾というか……」
「言葉の綾の意味を知っとったんじゃな」
「それこそどういう意味ですか!! 怒りますよ!?」
「くくっ……」
憤るアリスだが、まったく威厳がない。なんだかハムスターが両手を上げているみたいで、八雲が笑い声を漏らす。
「八雲さんまで笑うんですか!?」
頬を膨らませるハムスターがアリスの声で喋っている。想像すると、もうダメだった。
「くくくっ……あはははっ」
「笑わないでくださいよー……」
大笑する八雲にアリスが声を落とす。そのうち竜王も笑い出して、八雲も腹を抱えて笑った。二人の笑い声が大きくなるごとに、アリスは落ち込んでいく。可哀想だった。
「はぁっ…‥くくっ……わるいわるい、こんなつもりじゃなかったんだ」
「八雲さんのことを思って言ってあげたのに……」
「ごめん、それからありがとな」
ひとしきり笑って、ようやく落ち着いた八雲が小さく手をあげて謝意を示す。
「俺はアリスを信じるって言ったろ? アリスが信じてるなら、俺も竜王のことも信じられるよ」
本心から出た言葉だ。アリスを信じると決めた。だから、アリスが信じる人を八雲も信じる。八雲はそれでいいと思えた。
「ほほう、信頼されてるようじゃの、アリス」
「ま、まぁ? 私、強いですし?」
「たぶんそれは関係ないがの」
アリスの自慢癖は相変わらずだ。ただ、照れ隠しなのかもしれないと気づくと、些細な自慢も可愛く見えてくる。見栄を張っているちびっこみたいだ。
アリスと竜王の掛け合いを眺めつつ、八雲はログハウス目指してゆっくりと歩を進めた。