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039 アリスの想い


 アリスは聖剣に宿っている、初代勇者の肩書きを持った少女だ。ちなみに五百十九歳である。と言っても五百年は眠っていたので実質十九歳である。

 つい先日――のように思われるが、アリスが封印から解かれたのは一月ほど前である。封印を解いたのは同じ年頃の少年だった。


 初めて会ったとき、アリスは心底驚いた。その少年からは魔力がほとんど感じられなかったのだ。


 普通、人は誰しも魔力を持っている。健康な人間であれば老若男女問わず、保有量の大小はあれども一定の魔力は保持している。元より魔力が少ない人間は、病弱な身体で生まれてくることが多い。だがそれでも、保有魔力は一定のラインを超えている。


 そのラインよりも低い魔力量であるにもかかわらず、少年の身体には病弱な点がまったく見られない。内面的なものかと疑ったが、その線も薄いようだ。


 ここまで魔力が少ないとなると、生きているのが不思議なくらいである。当たり前だが、魔法は使えない。しかし戦闘はこなす。まったくもって理解しがたい状況に置かれているのが、少年にはわかっていないようだった。


 少年は八雲と名乗った。八雲はかたくなに自身の情報を閉ざし、また、アリスとの会話も最小限に抑えようとしていた。


「第一印象最悪ですよ……」


 それに気づいたアリスはいよいよ不機嫌になった。いっそ無視し続けて、身体が戻ったらとっととお別れしてやろうとさえ考えた。


「なのに……」


 できなかった。アリスは聞いてしまったのだ。夜な夜な呟かれる、八雲の告白めいた独り言を。八雲はどうやら、召喚された勇者らしかった。


 それ以上の情報となると、アリスは何も知らない。知れたのは、ときどき呟かれる人名と、それに付随して漏れる苦悩と悲嘆くらいのものだ。


 ──あんなの聞いたら放っておけないよ……。


 同じ勇者として、その肩書きが持つ、ある種呪いめいた重圧を理解しているからかもしれなかった。もしかすると単なる同情を寄せていただけかもわからない。


 ただ、漠然と支えなければと思ったのだ。

 この感覚を味わうのは、今まで一人で旅をしてきたアリスにとって初めての体験だった。これまでの旅路でアリスが支えられたことは一度もないだろう。むしろ、民衆に縋られてその支えにならざるを得ないのがアリスを取り巻く状況だった。


「思い出しちゃだめ……」


 かぶりを振って嫌な想像を掻き消す。


 とにかく、アリスは初めて自ら人を支えたいと思った。魔王や竜王と談笑しているときには感じられなかった想いの発露だったのだ。

 それは母性だったのかもしれないが、アリスは母性というものを知らない。ゆえに、自分の想いを冷静に分析することもせず、アリスは行動した。

 ……もとより考えるのが苦手なだけだ。


 ──ていうかアホの子ってなんなんだろう?


 アリスは心の中で反論を唱える。

 よくからかわれるが断じてアホの子ではない。……まずアホの子がよくわからない。アホの子がアホだと思ったら大間違いだ。というかアホって誰のことだ。

 やはり考えるのは苦手だった。


 ──わけわかんないや……。


 悪く言えばアリスはアホの子だ。良く言えば少し残念な子である。全然良くない。


 アリスは考えるのを放棄した。だが、考えなくては今の状況に対応できない。

 しかし考えようとすると、目の前で可愛らしいヒヨコたちがくるくる回るのだ。アホの子たる所以(ゆえん)である。


「まったくもう」


 ヒヨコたちを無視してアリスは思い出す。

 刺々しい八雲の態度に対し、アリスはあくまで優しく柔らかくを貫いた。と言っても、アリス自身刺々しい態度が取れないのでそうなっただけだ。

 この人のことをもっと知りたい。知って、支えてあげたい。

 付け加えると、そんな想いを心の奥底に根付かせていたのもアリスは知らない。


 ともあれ、アリスは行動に起こしたのだった。いつでも明るく振る舞い、うるさいくらいに話しかけてみた。……結局いつものアリスである。

 八雲の刺々しい態度の意味を理解していたから、アリスは憤ることもなかった。八雲は心底うざったそうにしていたが、アリスは知っていた。

 


 過去の自分自身がそうだったから。 


 ──寂しかったんですよね、きっと。


 つい、「もしかしたら美少女の私に惚れたのか!?」と思ったのは秘密である。見えていないのに惚れるはずもない。これはさしものアリスも後に否定した。

 ……ちなみに美少女は否定しなかった。


「ふふ、私は魔王ちゃんをして可愛いと言わせしめた容姿の持ち主ですからね……!」


 妄言は置いておくとして、それからのアリスは明るさを保ち続けた。一度だけアリスも暗鬱とした気分で話したこともある。

 あのとき言い出せればまた違ったのかもしれないが、あれだけは言っていい気分になるものでもない。魔王にも口止めされている。

 それに、もしも嫌われたらと思うと怖くて言葉にできなくなる。


「私の名演技には劇場の名女優も形無しです」


 寂しがったりするのも演技だ。きっと八雲も騙されたことだろう。まったく、自分の演技が上手すぎて怖くなる。いきなりいなくなったところで五百年も一人だったアリスには痛くもかゆくもない。


「ずっと……ひとりだったんですから……」


 不覚ながら涙声の一歩手前だ。いや、不覚というのは寂しがる演技がここにきてまた出てしまったことである。決して他に理由などない。


「わ、わたしってば演技上手すぎです……自分のことも騙せるとかすごすぎです……」


 自分をも騙す名女優ここにあり。隠そうとし過ぎて本心が露わになっているとは気づかなかった。

 アリスは涙を拭うと、


「そういえば、これもいつか直したいなぁ……」


 演じると言えば、アリスは言葉を口に出そうとすると敬語になってしまう。生まれた家が家なだけに、自然と敬語が身についてしまったのだ。


「まったく……ていうか、もう……」


 考え疲れた。アリスはひとりでいるときにいろいろと考えるのが一番苦手なのだ。

 ともあれ、現在アリスの魂は聖剣を形代としている。聖剣がどこかに行けばそれについていかないといけないし、聖剣が封印で眠らされればアリスも強制的に眠らされる。


「なんですかこの状況っ!?」


 ようやく、アリスは現実に目を向けた。

 そう、アリスは聖剣に宿っている。聖剣に宿っていると言っても、起きているときは霊体になってふよふよ浮かんでいるのが常だ。ただ眠るとなると、霊体を維持してもいられなくなる。一度聖剣に取り込まれるのだ。


 だから、いまの状況がある。


「なんで抱きしめられてるんですか!?」


 なぜかアリスは、八雲に抱きしめられているのだ。当の八雲はすっかり熟睡していて、起こすのも忍びない。なにせずっと眠れていなかったのだから。


「魔王ちゃん、わたし……抱きしめられてますよ……」


 と言っても、傍目からすれば聖剣が抱かれているだけ。霊体なのだから感触などあるはずもない。簡単に抜け出せるはずだ。

 しかし、


「……抜け出せないです」


 涙目でアリスは呟いた。頬が真っ赤に染まり、目がぐるぐる回る。

 どういうわけか、抜け出せないのだ。何故なのかと考えたとき、アリスは八雲の身体がほんのり輝いているのに気がついた。


付与魔法エンチャント・マジック……!?」


 アリスの付与魔法の効果が持続している。だが付与魔法自体には霊体を触れる効果などない。ただあるとすれば、魔法の贈り主であるアリスの魔力に反応して感触を生み出しているのだろう。

 そう言えば戦闘の最中、八雲の背を押したときも感触があった。まさかこうなるとは思いもしなかったが。


「泣いてたんですね……」


 八雲の頬には幾筋か、涙の通った跡が残っている。目の周りは赤いし、泣いたとみて間違いないだろう。

 そんな八雲を見て、アリスは微笑んだ。


「…………」


 しばし硬直して、アリスの顔がまた熱を帯び始める。


「ち、近くないですか……?」


 起床時の状態では、アリスは八雲の肩に顎を乗せて眠っていた。首だけ動かして八雲の顔を見ていたのだが、急に恥ずかしくなり始めたのだ。

 あと少しずれれば、八雲の頬に唇が触れそうなくらい近い。もしここで八雲が顔をこちらに向けたら……、


「そ、それはまずいですよ!?」


 その光景を想像して、アリスがますます羞恥に染まる。耳まで熱くなって、すでに真っ赤だ。羞恥心が高まるのに比例して、心臓の鼓動も速まってきている。

 そのとき、八雲の身体がびくりと震えた。


「や、だめ──」

「──ごめんな……」


 一滴の涙が跡をなぞっていく。八雲は悔しげに歯を食いしばっていた。


「八雲さん……」


 アリスは瞠目した。八雲が涙を流すのを見るのはこれで何度目かもわからない。

 いつも眠ろうとするときに聞こえる、八雲の啜り泣く声が思い出される。涙の理由(わけ)は、きっと、彼が隠している秘密にある。


 いつか、聞かせてほしい。

 たとえ傷を埋めることができずとも、そばに居ることならアリスにもできる。


 今にも泣き出しそうな面差しの八雲に、


「辛かったんですね……」


 アリスはその涙を指で拭いとった。八雲の過去を知らないアリスが言っても、同情の言葉にしか思えないことだろう。だから、起きているときには言えない。

 同情されてもますます辛くなるだけだということをアリスは知っている。

 だから、


「今だけなんですから」


 再び肩に顎を乗せると、アリスは八雲を抱きしめた。首に手を回して、優しめに八雲をなでる。なんだか猫のようで、可愛らしく思えた。


「そうだ、結界も張らなくちゃ……」


 アリスは片目を瞑り、茶目っ気たっぷりに人差し指をくるりと回す。


 しかし、


「……って、あれ?」


 すでに張ってある。何故かはわからないが、アリスのものと比べても遜色ない質の結界だ。

 それも、聖属性。ここの魔物が張れるはずもなければ、誰かが通った痕跡もない。


「もしかして?」


 アリスはふと思い当って、八雲とアリスの間に挟まれているアクアを見つめた。まったく動く気配がなく、どうやらアクアは眠っているようだ。


「すこいんだね、アクアちゃん」


 アリスがなでると、アクアはぷるんと体を震わせる。


「……少しくすぐったいかな」


 八雲に掛けた付与魔法の残滓がアクアにも纏わりついていたらしい。アリスの胸元にぷにぷにした感触がある。どうにもくすぐったいが、身動きが取れずどうにもできない。

 この結界を張ったのは、きっとアクアなのだろう。それも、八雲を護るためのものだ。


 微笑ましい主従関係に目を細めると。


「アクアちゃんは本当にご主人様思いなスライムみたいですよ、八雲さん」


 まだ顔の赤いアリスが耳元でささやいた。少しだけ、八雲の表情が和らぐ。

 身体に密着したおかげで八雲の体温まで伝わってくるのがどうにも恥ずかしいのだ。ひんやりとした外気と、八雲の体温の差がはっきりしていて、その差が眠気を誘ってくる。


「ふぁぁ……」


 欠伸に目をしばたたかせてから、アリスは改めて辺りを見てみる。

 幸い、ここは滝でできた水飛沫が霧状になって部屋全体に撒かれている。細雪(ささめゆき)のような冷たい霧(ミスト・シャワー)が心地いい。

 火照った顔を冷ますには最適な場所だ。


「あと少しだけですよ……?」


 悪戯っぽくささやく。浮かべた微笑はそのままに、アリスは再び目を瞑った。


 ──こんなに眠くなっちゃうのも当たり前だよね。


 だって、久しぶりに感じた人の暖かさが、本当に心地いいものだったから。

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