春の夫婦星
スピカの気持ちがわかってからというもの、俺の毎日は驚くほど変わった。何をしていても楽しかった。毎日の勉強も、習い事も、厳しい教育でさえも。
――スピカに会える。そう思うだけで、どんなことでも頑張れた。
そして今日も、いつものように討伐隊の本部へスピカに会いに行った。すると、すぐにスピカとララの姿が見えた。
「スピカ」
「アルクス!」
俺の姿を見つけた瞬間、スピカは嬉しそうに笑いながら駆け寄ってくる。
そんな彼女が可愛くて、俺は自然とスピカの頭を撫でた。
すると、その様子を見ていたララが、俺たち二人の距離感の変化に気づいたのか、「ふふっ」と楽しそうに笑った。
「今ね、お母さまとまたお星さまの本を読んでいたの。ねえ、アルクス。見て!」
そういってスピカは、図鑑に書かれた一つの星を指差した。
そこには――『アルクトゥルス』と書かれていた。
「見て! アルクスの名前みたいな星があるの!」
「本当だ」
図鑑を一人で見た時には、そんなことは思いもしなかった。
けれど、スピカに言われると不思議と本当に自分の名前と似ているような気がしてくる。
「じゃあ、そんなあなたたちに星のお話をしましょうか」
俺たちの会話を聞いていたララが、楽しそうに口を開いた。
「実はね。おとめ座のスピカと、うしかい座のアルクトゥルスは、『春の夫婦星』と呼ばれているのよ」
「夫婦星?」
スピカが不思議そうに首を傾げる。
「そう。春の夜空に並んで輝く、とっても仲良しのお星さまたちよ」
「わあ……素敵!」
「……」
俺は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
俺とスピカの星。春の夫婦星。自分の名前に、こんな意味があるなんて考えたこともなかった。
スピカの名前と並んでいる……それだけのことなのに、まるで俺とスピカが特別な存在なのだと言われたような気がして、嬉しくなった。
「ふふ。だから私は、あなたたち二人が仲良しで嬉しいのよ」
ララは優しく微笑む。
「二人がもし結婚したら、とってもロマンチックじゃない?」
「うん!」
「スピカ、けっ、結婚って……」
俺は思わずスピカを見た。
「意味、わかるのか?」
「うん。アルクスのお嫁さんでしょ?」
あまりにも無邪気にそう言うものだから、俺の心臓が大きく跳ねた。
けれど同時に、別の考えが頭をよぎる。
俺は公爵家の息子だ。もし本当にスピカが俺と結婚することになれば、公爵家の人間になる。
俺と同じように厳しい教育を受けることになるかもしれない。自由に遊ぶこともできなくなるかもしれない。そんな窮屈な場所に、スピカを連れていくことになるのだろうか。
「俺は……公爵家だから」
「そうね」
ララが穏やかに答える。
「二人が結婚したら、スピカも公爵家の人間になるわね」
どくん、と心臓が跳ねた。
スピカの気持ちを疑っているわけではない。ララが俺を身分や肩書きで見ていないことも、もうわかっている。
それでも、今まで向けられてきた周囲の視線が、俺の中に残っていた。もしここでスピカが『公爵家』という言葉に目を輝かせたら。
――俺はそれでも、彼女を今までと同じように好きでいられるのだろうか。
「公爵家……?」
スピカが小さく呟く。そして、少し俯いた。
「も、もしかして……」
どんな顔をしているのかわからない。俺は思わず息を止めた。
「それって……すごくめんどくさいやつ……?」
「は?」
予想外すぎる言葉に、思わず間の抜けた声が出た。
「だって、いつもセバスチャンにも怒られるの」
スピカはむっと頬を膨らませる。
「廊下を走るなとか、足を開くなとか。もう嫌になっちゃう」
「……」
「公爵家になったら、今よりもっともっと厳しい教育になるんでしょ?」
「そうね」
ララがくすくすと笑う。
「でも、それをアルクスはいつも頑張っているのよ」
その言葉に、胸が詰まった。まるで心の奥を見透かされたようだった。
「だから、そんなふうに言っちゃだめよ」
「うん……」
スピカは眉尻を下げ、しょんぼりとした顔で俺を見た。
「ごめんね、アルクス」
「いや、別にいい」
そう答えながらも、俺は気になっていた。
「でも……スピカは、公爵家に嫁ぐってことにそれしか思わないの?」
そう尋ねると、スピカは首を横に振った。
「公爵家に嫁ぐんじゃないよ」
そして、当たり前のことのように笑った。
「アルクスのお嫁さんになるんだよ」
――。
言葉が出なかった。
「まあ、結果として公爵家になっちゃうなら」
スピカは少しだけ困ったように笑う。
「アルクスを見習って、私も頑張るよ」
その言葉を聞いた瞬間、俺の目から涙がこぼれた。
今まで、誰にもそんなことを言われたことがなかった。
俺自身を見てくれた。公爵家の跡取りでもなく、無属性の魔法使いでもなく、アルクスだからと。
俺が頑張っていることを認めてくれて、俺の隣にいるためなら、自分も頑張ると言ってくれた。
「あれ?」
スピカが心配そうに俺の顔を覗き込む。
「アルクス、大丈夫?」
「……うん」
俺は涙を拭った。
「ありがとう、スピカ。ララ」
そういうと、ララは何も言わずに俺とスピカを優しく抱きしめた。スピカも俺のそばに寄ってくる。三人の体温が重なった。その体温がとても暖かく安心した。
◇◇◇
次にスピカに会った時、俺はあるものを用意していた。
スピカと俺の星『春の夫婦星』という言葉が、ずっと頭から離れなかった。だから星を、俺たち二人を繋ぐものにしたいと思った。
「スピカ。これ」
そういって、小さな箱を差し出す。
「なに?」
不思議そうに箱を開けたスピカは、中に入っていたものを見て目を輝かせた。
「わあ……!」
中に入っていたのは、小さな星を模した髪飾りだった。
「すごくかわいい……! 本当にもらっていいの?」
「うん、もちろん」
「ありがとう!」
スピカは嬉しそうに笑うと、すぐに自分の髪につけようとした。
「あれ?」
けれど、うまく髪につけられないらしい。何度か試しているが、星の髪飾りはなかなか思う場所に留まらなかった。
「貸して」
「うん」
俺はスピカから髪飾りを受け取る。
そして、そっと彼女の髪に星を飾った。栗色の髪に、小さな星がきらりと光る。
「……うん」
思っていた以上に似合っていた。俺は髪飾りに軽く口づける。
「お守りだよ」
「お守り?」
「うん」
俺の気持ちを込めた。俺がいない時も、スピカを守ってくれるように。
そして……俺たちを繋いでくれるように。
「ありがとう」
スピカは少し照れながら微笑んだ。
「どう? 似合ってる?」
無邪気な笑顔でそう聞いてくる。
「うん」
俺は迷わず答えた。
「すごく似合ってるよ」
「本当?」
「本当」
「嬉しい!」
スピカは髪についた星を大切そうに触った。
「宝物にするね!」
その笑顔を見るだけで、胸がいっぱいになる。
俺は日に日に、スピカへの思いを強くしていった。彼女も俺のことが大好きで、俺も彼女が大好きだった。
だからきっと、将来はスピカと結婚するのだろう。幼いながらに、俺はそう信じていた。
――これから先も、ずっと二人でいられるのだと。疑うことなく、信じていた。
しかし――。
それから、スピカとララの姿を見ることはなかった。




