温かな場所
彼女は、自分の好きなものについてよく話してくれた。演劇が好きなこと、綺麗な花を見るのが好きなこと。そして、夜空に輝く星が好きなこと。
スピカと過ごす時間が増えるにつれ、俺は少しずつ彼女のことを知っていった。そして不思議なことに、彼女の好きなものを知れば知るほど、俺もそれらに興味を持つようになっていた。
もっとスピカを喜ばせたい。もっと、彼女の楽しそうな顔を見たい。彼女の好きなものについて、隣で一緒に語り合えるくらい知識をつけたい。
そんな思いから、今までつまらないとしか思っていなかった勉強にも、自分から取り組むようになった。
花の名前を覚え、星の名前や星座について調べた。演劇についても、たくさんの本を読んだ。すべては、彼女が楽しそうに話す姿をもっと見たかったからだ。
そしてある日――。
いつものようにガーデンパーティーでスピカと会っていると、スピカが嬉しそうに俺の手を引いた。
「アルクス! 今日はね、お母さまがいるの!」
「お母さま?」
「うん! 紹介するね!」
そういって連れて行かれた先には、一人の女性が立っていた。スピカと同じ栗色の髪。そして、同じように澄んだ青い瞳。彼女を見るなり、スピカは嬉しそうに言った。
「こちらが私の自慢のお母さまよ!」
俺は慌てて姿勢を正した。
「初めまして。アルクス・ドラートと申します。スピカさんとは、仲良くさせていただいております」
いつものように丁寧に挨拶をする。
すると――。彼女の母親は、ぱちぱちと目を瞬かせたあと。
「……可愛い!」
とだけ言った。
「え?」
思わず間の抜けた声が出た。
「私はララよ。よろしくね、アルクスくん」
にっこりと笑う彼女の笑顔は、スピカにそっくりだった。眩しいくらい明るくて、柔らかい笑顔。
この家族は、みんなこんなふうに笑うのだろうか。伯爵家だというのに、今まで会ってきた貴族たちとはどこか違っていた。
「スピカがいつもあなたのお話をしているのよ」
「……俺の?」
「ええ。無属性の魔法使いなんでしょ? 五歳で覚醒したなんてすごいわね」
「ありがとうございます」
スピカだけじゃない。ララもまた、俺の肩書きではなく、俺自身を見て話してくれているような気がした。
「ねえ、そんなにかしこまらなくていいのよ」
「え?」
「スピカのお友達なんでしょう? だったら、私とも仲良くしてほしいわ」
そういって、ララは少し屈んで俺と目線を合わせた。
「だから、ララって呼んでね」
「……うん」
大人にこんなふうに接されたのは、初めてだった。大人に甘えることも、大人と友達のように話すことも。俺にはほとんどなかった。初めて自分が子ども扱いされた気がした。
「ふふ。素直で可愛いわね」
「お母さま! アルクスは私のお友達なんだから!」
「ふふ。取らないわよ」
そんな二人のやり取りを見ているだけで、不思議と心が温かくなった。
ふと、ララを見る。俺の目には、彼女の魔力が見えていた。ララの魔力の大きさは――信じられないくらい大きなものだった。そして銀色で、スピカと同じ色だった。俺は改めて、二人が親子なのだと実感した。
キャンベル家については、その後少し調べた。
ララ・キャンベル。討伐隊に所属する、星属性の魔法使い。国内でも有数の実力を持つ魔法使いであり、討伐隊では数々の功績を残しているらしい。
……正直、目の前にいる彼女からは想像もできなかった。今は討伐隊で事務仕事を中心にしているらしい。
一方、スピカの父親であるマーチャー・キャンベルは元平民だった。商人として成功し、今では社交界でも彼の扱うワインは高い評価を得ている。身分や経歴だけを見れば、決してありふれた夫婦ではない。けれど、そんなことを感じさせないほど、スピカの家族は温かかった。
――そんなある日。
父から、討伐隊本部へ挨拶に行くと言われた。
「お前も近い将来、世話になる場所だ。今のうちに顔を覚えてもらっておけ」
俺は父に連れられ、討伐隊本部を訪れた。一通り案内を受け、建物の中を歩いていると――。見覚えのある栗色の髪が目に入った。
「……ララ?」
俺は思わず名前を呼んだ。
「あら!」
ララがこちらを振り返った。
「アルクス! こんなところで会うなんてびっくり!」
「え? アルクス?」
ララの足元から、小さな顔がひょこっと現れた。スピカだった。
まさか、こんなところで会えるとは思っていなかった。胸が一気に高鳴る。
「なんでアルクスがいるの?」
「今日は討伐隊への挨拶回りなんだ」
「へえ……なんだかすごいね」
「スピカは何をしてるの?」
そう聞くと、スピカは、今まで俺に見せたことのないような、とびきり嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「私はね、グレヴァードさんに会いに来たの!」
「……グレヴァード?」
また、その名前だ。俺は一度しか聞いたことがないはずなのに、なぜかすぐに思い出した。
以前、怪我をした蝶を連れて行くと言っていた相手。グレヴァード。一体、誰なんだろう。
「でも、今日はお仕事でいないみたい」
スピカは目に見えて肩を落とした。そんなに残念そうな顔をするほど、会いたかった相手なのだろうか。……悔しい。俺には、そんな顔を向けたことがない。
「じゃあ」
気づけば、言葉が口から出ていた。
「僕と話そうよ」
スピカは驚いたように俺を見る。けれどすぐに笑顔になった。
「うん!」
その笑顔を見た瞬間、少しだけ胸の中が軽くなった。すると、少し離れた場所で別の隊員と話していた父が、こちらに気づいた。
「君たちは……」
父の視線を感じると、ララはすぐに一歩前へ出た。先ほどまでの柔らかな雰囲気とは違う。背筋を伸ばし、美しい所作で頭を下げる。
「失礼いたしました。ドラート公爵」
その姿は、まるで別人のようだった。
「アルクス様とは、以前から仲良くさせていただいております。ララ・キャンベルと、娘のスピカでございます」
やはり、彼女も貴族なのだ。普段の姿からは想像できないほど、完璧な立ち振る舞いだった。
「よろしければ、このままアルクス様をお預かりしてもよろしいでしょうか?」
ララは父をまっすぐに見つめる。
「責任を持って、キャンベル家からお送りいたします」
「ああ。では頼む」
父はそれだけ言うと、すぐにその場を離れていった。一度も俺の方を見ることなく。……たぶん、俺が誰と過ごそうと興味なんてないのだろう。
「アルクス」
ララが俺の名前を呼び、俺は顔を上げる。
「おいで」
そういって、ララは俺の小さな身体を、そっと抱きしめた。一瞬、何が起きたのかわからなかった。
「……?」
「よく頑張ってるわね」
優しい声だった。まるで、俺の心の中を全部見透かしているような。
「ここでは、無理に笑わなくてもいいのよ」
その言葉を聞いた瞬間。胸の奥に押し込めていた何かが、一気に溢れ出した。俺はララの服をぎゅっと握った。
そして、声を出さないように必死に堪えながら。少しだけ、泣いた。誰かの前で泣いたのは、いつぶりだっただろう。
「アルクスだけずるーい!」
すると突然、スピカの声が響いた。
「私も!」
そういってスピカがララに抱きつく。
「ふふ。はいはい」
ララは笑いながら、俺とスピカを一緒に抱きしめた。暖かかった。母の体温を知らない俺は、誰かの体温が、こんなにも安心するものだなんて知らなかった。




