僕の一番星
廊下を抜け、ふと中庭へ視線を向けた。
そこには――。同じ年頃だろうか。栗色の髪を揺らした小さな女の子が、必死に蝶を追いかけ回していた。
彼女もここにいるということは、貴族の娘なのだろう。
それにしても、こんな場所で何をしているのだろうか。普通の貴族令嬢なら、ほかの令嬢たちのように上位貴族へ挨拶をして回っている頃だ。
不思議に思い、俺は思わず声をかけていた。
「ねえ、ここで何しているの?」
「わっ!?」
少女は驚いたように振り返った。
大きく見開かれた青色の瞳が太陽の光を受け、その瞳が宝石のように輝いて見えた。
「こんにちは!」
少女はすぐに笑顔になった。
「あなたもガーデンパーティーから抜け出してきたの?」
「……え?」
「私はね、いつもお父さまが『悪い虫がくっつくから向こうで遊んでろ!』ってうるさいから、ここで隠れて遊んでるんだ!」
そういって、彼女は楽しそうに笑う。
「ほかの人には内緒よ!」
そして、にっこりと微笑みながら俺の方へ近づいてきた。
――その瞬間。目を奪われた。今まで見たこともないくらい、純粋無垢な笑顔だった。
俺に媚びることもない。俺の家名を聞くこともない。
ただ、目の前にいる俺という存在に興味を持ってくれている。そんな少女を見るのは、初めてだった。
何も言えないまま彼女を見つめていると、少女は急にぐっと顔を近づけてきた。
「それにしても、あなた。綺麗な金色の瞳をしているわね!」
至近距離から俺の瞳を覗き込む。
「ねえ、名前はなんていうの?」
「……僕はアルクス」
「アルクス!」
彼女は嬉しそうに俺の名前を繰り返した。
「君は?」
「私はスピカっていうの!」
彼女は胸を張って答えた。
「アルクスね! すごくかっこいい名前!」
……ただ名前を言っただけなのに。胸の奥が、少しだけ温かくなった。
「ねえ、おさぼりなら一緒に遊ぼう!」
満面の笑みで、彼女は言った。これが、スピカとの最初の出会いだった。
今まで会ったどこかの令嬢たちとは、まるで違う。スピカの瞳には一切の曇りがなく、口にする言葉も、浮かべる笑顔も、すべてが本心なのだと感じた。
そんな明るいスピカに、俺は一瞬で、恋に落ちた。
一応、今日の招待客のリストには目を通している。スピカという名前にも心当たりがあった。
おそらく、彼女はキャンベル伯爵家の娘だろう。キャンベル家は娘を溺愛している。そんな噂を聞いたことがあった。
ただ、娘を社交の場に連れてくることは少なかったため、彼女に会うのは今日が初めてだった。
「ねえ、アルクス」
スピカが、再び蝶の方へ視線を向ける。
「この蝶々、捕まえられない?」
よく見ると、スピカが追いかけていた蝶は羽に傷を負っているようだった。時折浮かんでは落ち、うまく飛ぶことができないでいる。
「羽にケガをしているみたいなの。早く治してあげたいんだけど、うまく捕まえられなくて」
「僕に任せて」
俺はすぐに魔法を使った。無属性魔法で、蝶を傷つけないよう虫かごのような箱を作り出す。その中へ蝶を閉じ込めると、スピカは目を丸くした。
「ええ!? びっくり!」
そして、ぱっと顔を輝かせる。
「あなた、魔法が使えるのね!」
「うん」
「同じくらいの年なのにすごいわ! ねえ、なんていう魔法なの?」
キラキラとした瞳で俺を見つめる。
「僕が使えるのは、無属性魔法なんだ」
「無属性……?」
スピカは少し首を傾げた。
「あんまり聞いたことのない魔法ね!」
そういいながらも、嫌そうな顔をするどころか、さらに興味を持ったようだった。
「でも、この年で覚醒したってことは、すごい魔法使いになれるんじゃない?」
「……」
「うらやましいなあ」
スピカは、まっすぐな瞳で俺を見つめていた。そこには嫉妬も、打算もない。ただ純粋に、俺のことをすごいと思ってくれている。そんな目で見られたのは、初めてだった。
「あ!」
突然、スピカが声を上げた。
「捕まえた蝶々、早く治してもらわないと!」
そういって蝶の入った箱を抱える。
「じゃあ私は、グレヴァードさんのところに蝶々を連れて行くね!」
「グレヴァード?」
「うん! すっごく優しい魔法使いで憧れの人なの!」
そういって、彼女は笑った。
「また今度ね!」
「え?」
「王城でガーデンパーティーがある時は、大体ここにいるから!」
俺を指差して、スピカは言う。
「また会いに来てね!」
そして少し考えるような仕草をすると、嬉しそうに笑った。
「アルクスに会える楽しみができたから、次のガーデンパーティーも楽しみになってきちゃった!」
「……」
「アルクス! またね!」
スピカは笑顔のまま去っていった。
スピカとの出会いは、幼い俺にとって衝撃的だった。こんなにも淀んだ、汚い世界の中に、あんなにも光り輝くものが存在していたのだと。
憂鬱だったガーデンパーティーが楽しみになったのは、きっと俺の方だった。
それからというもの、ガーデンパーティーが開かれるたびに、俺は中庭にいるスピカへ会いに行った。スピカも俺を見つけると、すぐに笑顔になる。そして、まっすぐ俺の方へ走ってくる。
「アルクス!」
俺の名前を呼んでくれる、それだけで、胸が満たされた。この時間が、とても幸せだった。
そして、ある時――。俺はスピカを見ていて、ふと気づいた。
「……あれ?」
その日も、いつものように中庭で二人並んで座っていた。スピカは地面に咲いている花を摘み、一生懸命に花冠を作っている。
何気なく彼女へ視線を向けた時だった。俺の目に、淡い銀色の光が映った。
「……魔力?」
思わず、そう呟く。魔力の色は、その人間が持つ属性を表している。火なら赤。水なら水色。風なら緑。土なら茶色。そして、光や闇にもそれぞれ固有の色がある。
けれど、俺は今まで、銀色の魔力なんて見たことがなかった。
(スピカも、間違いなく魔法使いだ)
そう確信した。しかも、その魔力は普通とは違う。綺麗な銀色。夜空に浮かぶ星の光のように、淡く輝いている。きっと珍しい魔法なのだろう。
もしかすると、覚醒が近いのかもしれない。
ただ、俺の目のことは誰にも話していない。魔力が見えるなんて話したところで、信じてもらえるとも思えなかった。だから今は、心の中に秘めておくことにした。
彼女の魔法が覚醒したら、どんな顔をするのだろう。きっと飛び跳ねて喜ぶに違いない。そう想像すると、弾む気持ちを抑えられなかった。
そんなことを考えていると、思わず「ふふっ」と声に出して笑ってしまった。
すると、隣で一生懸命に花冠を作っていた彼女が、俺の笑い声を聞いて不思議そうにこちらを見る。
「アルクス? どうしたの?」
「……なんでもないよ」
「もしかして、面白いいたずらでも思いついた?」
「違うよ」
「えー、なによ! 教えてったら!」
そういって、ぐいっと顔を近づけてくる。
「へへ……。いたずらだったら、私も手伝うよ!?」
「今はまだ内緒」
「えー?」
スピカはぷくっと頬を膨らませた。
「アルクスのケチ!」
その姿が、どうしようもなく可愛かった。だから俺は、また笑ってしまう。彼女は不満そうに頬を膨らませたままだったけれど。
そんな何気ない時間が、当時の俺にとっては、何よりも大切な宝物だった。




