忘れられた記憶
スピカと別れた帰りの馬車の中――。
俺は、今日の出来事を何度も思い返していた。
今までも、おかしいと思ったことは何度もあった。
そして――今日、スピカに魔法がかからなかった。
ただそれだけの出来事だった。けれど、俺にとっては十分すぎるほどの答えだった。
俺の中にあった疑念が、確信へと変わった瞬間だった。
「……スピカにかけられているのは、記憶消去の魔法だ」
小さく呟く。
俺と出会った時、スピカは俺を知らなかった。だけど、俺はずっと信じられなかった。本当に忘れているのか。それとも、忘れたふりをしているだけなのか。
俺との過去は、スピカにとって忘れたいほどのものだったのではないか。だから俺のことを知らないふりをしているのだと。最初は、そう思っていた。
……でも違った。今日、スピカはひどく怯えていた。自分に魔法がかけられているかもしれないと知っても、何も知らなかった。
あれは演技なんかじゃない。あの反応は、本当に何も知らない人間のものだった。
スピカは俺との記憶を失っている。いや、俺との記憶だけじゃない。スピカは、母親であるララとの記憶も、ところどころ失っているようだった。
「十年前の事件……」
スピカは確かに、そう言っていた。
十年前、彼女の母親、失われた記憶……。そして、スピカにかけられている記憶消去の魔法。
きっと、何かが繋がっている。誰が何のために、スピカの記憶を消したのか。考えれば考えるほど、わからないことばかりだった。
ただ、一つだけ気になっていることがある。
もし、スピカの記憶が戻ったら。あの頃の記憶を取り戻したら、彼女は――俺のことを思い出してくれるのだろうか。
俺と過ごした時間を、俺たちが一緒にいた日々を。ちゃんと、思い出してくれるのだろうか。
「……」
でも……もしもまた、彼女が俺を忘れることがあったら――。そう考えただけで、胸が締めつけられる。
あの日の光景が脳裏をよぎる。何度も、何百回も夢に見た、あの瞬間。
『きみ、だあれ?』
俺を見て、そう言ったスピカ。あの恐怖だけは、もう二度と味わいたくない。
それなのに俺はずっと、自分の気持ちを彼女に隠している。
スピカは、俺に好きだと言ってくれた。返事を待っているわけじゃないことも知っている。今すぐ答えを求めているわけではないことも。
それでも――。これ以上、何も知らないままの彼女の隣にいることはできない。
スピカに話そう。俺の記憶を。俺たちが出会った日のことを――。




