憧れの人
討伐隊本部から出ようと歩いていると、後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた。
「あれ? スピカさん?」
聞き覚えのある柔らかな声が耳に届く。振り返ると、そこには見慣れた姿があった。
「グレヴァードさん!」
「珍しいですね。スピカさんがこんなところにいるなんて」
グレヴァードさんは少し不思議そうに首を傾げた。
「今日はエイダン隊長に、母の話を聞こうと思って来ていたんです」
そう答えた瞬間だった。グレヴァードさんの表情が、一瞬だけ曇ったように見えた。
「……そうですか」
「でも、なぜララ様が討伐隊にいたことを知ったのですか?」
「父とエイダン隊長に聞いたんです」
「そうですか」
どこか考え込むように、グレヴァードさんは小さく呟いた。
「もしよろしければ、キャンベル家まで馬車でお送りします。その間、少しお話ししませんか?」
「もちろんです。よろしくお願いします」
そういって私はグレヴァードさんの馬車に乗り込んだ。馬車の中で向かい合って座る。少し気になっていたことを、私は尋ねてみることにした。
「グレヴァードさんは、母と仲が良かったんですか?」
「そうですね」
グレヴァードさんは窓の外を眺めながら、ゆっくりと答えた。
「私も十六歳の頃から討伐隊の仕事をしていましてね。そこで出会ったのがララ様なのです」
「未熟だった私の魔法の練習に付き合ってくれたり、時には一緒に街へ遊びに行ったりもしました……。私にとってララ様は……師匠のような存在でした」
「ふふ」
私は思わず笑ってしまった。
「なんだか、それって私とアルクスみたいですね」
その言葉に、グレヴァードさんがわずかに目を見開いた。ほんの一瞬、けれど、確かに驚いたような表情だった。
「……そうかもしれませんね」
少し間を置いてから、彼は穏やかに微笑んだ。
「魔法の才能に長けていたのはもちろんですが、人当たりもとても良くて。ララ様は本当に太陽のような明るい方でした。彼女がいるだけで、その場の空気が柔らかくなるのです。ララ様がいる現場は、いつもどこか穏やかでしたよ」
なんだか母を褒められると、自分のことのように誇らしい気持ちになる。
「そんなに素敵な人だったんですね」
「ええ」
グレヴァードさんは、静かに頷いた。
「彼女は……私の憧れでした」
その言葉を口にした時。グレヴァードさんは、ひどく寂しそうな顔をしていた。私はその表情の意味を、この時はまだ理解できなかった。
あっという間に馬車はキャンベル家へと到着する。
「送っていただき、ありがとうございました」
「いえ。こちらこそ、久しぶりにララ様の話ができてよかったです」
屋敷の前で馬車を降りると、ちょうど父がこちらへやって来た。グレヴァードさんは父にも丁寧に挨拶をし、しばらく二人で言葉を交わしていた。それからグレヴァードさんは、再び馬車へと乗り込む。
「では、失礼します」
そう言って、彼は来た道を帰っていった。遠ざかっていく馬車を見送りながら、私は考える。
エイダン隊長。そして、グレヴァードさん。二人とも母のことを、とても大切に思っていた。私が知らなかった母の姿が、少しずつ見えてくる。
だけど同時に――。十年前の出来事については、誰も詳しく話そうとしない。
まるで、何かを隠しているかのように。その違和感だけが、胸の奥に残り続けていた。
◇◇◇
朝、学校に着くと、廊下ですれ違った名前も知らない生徒たちの声が私の耳に届いた。
「あの子でしょ? ほら……引力魔法とかいう」
「最近はアルクス様だけじゃなくて、フランシスにも媚びを売っているとか」
「引力っていうくらいだから、人の心まで魔法で操っているんじゃない?」
こそこそと聞こえてきたのは、あまりにも突拍子のない噂だった。私は聞こえないふりをして、そのまま教室へ向かった。
教室を見渡すと、今日もアルクスの姿はない。
……なんだろう。嫌なことがあったとき、真っ先に話したいと思う相手がアルクスだということに、私は少しだけ寂しくなった。
最近、ずっとまともに話せていない気がする。私は小さく肩を落とした。
しばらくするとリタが登校してきて、いつものように一緒に過ごした。フランシスくんも私たちの会話に混ざるようになり、彼とも随分打ち解けてきたと思う。
一緒にいる時間は楽しい。だけど――。それが恋心とは違うことも、私はなんとなく感じ始めていた。
――放課後。
私は気になっていた『十年前の魔物』について調べようと思い、図書館へ向かった。
十年前……。十年前……。年代ごとに並べられた文献を片っ端から探していく。けれど、それらしい記録はひとつも見つからなかった。
「うーん……」
本探しに夢中になっていた私は、前をよく見ていなかった。
トンッ。
「あっ、すみません!」
誰かにぶつかってしまい、とっさに頭を下げる。
「本に夢中で、前を見ていなくて……」
そういいながら顔を上げると、そこにいたのは――。
「コーネリア様……」
アルクスと一緒にいた、あの女性だった。
「あら、気にしないで」
「ありがとうございます」
それだけいって、その場を離れようとした。正直に言えば、私の中でコーネリア様は今、会いたくない人ランキング一位だった。
アルクスと親しい女性。そして、おそらくデビュタントのパートナー。胸のもやもやの原因そのものだ。
「それじゃあ……」
そう言いかけた時だった。
「あなた、スピカ・キャンベルさんでしょ?」
「え?」
思わず振り返る。
「よくアルクスと一緒にいるわよね」
まさかここでアルクスの名前が出てくるとは思わず、心臓が跳ねた。
「アルクスとは仲が良いの?」
「え? あ……はい。魔法を教えてもらったり、仲良くさせてもらっています」
「そう」
コーネリア様はそれだけ言うと、私の顔をじっと見つめた。まるで何かを確かめるような視線だった。
「そう……」
もう一度だけ呟くと、そのまま去っていった。
「……」
なんだったんだろう。彼女との突然の出会いに戸惑ってしまい、その日は調べ物をする気力も失ってしまった。結局、図書館を後にして家へ帰ることにした。




