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魔法が目覚める日

 ――七年後。


 私は十四歳になった。勉強も頑張っているおかげか、学校生活は順風満帆。友人にも恵まれ、毎日それなりに充実した日々を送っている。


 ――ある休日。


 父が隣国から珍しい生地を手に入れたらしく、その生地を使って私のドレスを仕立ててもらうことになった。


 父は、もともと商人だった。当時はなかなかのやり手だったらしい。街の市場に訪れていた時、伯爵令嬢だった母と出会い、恋に落ちたのだとか。

 そして父は、母の生家であるキャンベル伯爵家へ婿入りする形で伯爵の爵位を得た。


 今でも、父がこうして珍しい品物を手に入れることができるのは、当時の仕事仲間たちとの繋がりがあるからだ。珍しいもの、最先端のもの。そういった品が手に入ると、今でも父のもとへ情報が入ってくるらしい。


 玄関前に停められた馬車へ乗り込み、父と向かい合って座る。馬車が出発する前に窓から少し顔を出すと、見送りに来ていたアンナと目が合った。


「アンナ、行ってくるね!」


 私は窓から身を乗り出す。


「もし、おいしそうなお菓子を見つけたら買ってくるから! あとで内緒で一緒に食べようね!」

「まあ、それは素敵ですね!」


 アンナは嬉しそうに微笑んだ。


「お嬢様のお好きなお茶をご用意して、楽しみにお待ちしておりますね」

「うん!」


 うふふ、と二人で笑い合う。


「いってきます!」

「いってらっしゃいませ」


 手を振るアンナに手を振り返すと、馬車はゆっくりと走り出した。窓の外を見ると、アンナの姿がどんどん小さくなっていく。


「目的地までは、ここから一時間半ほどかかるからね」


 父がそう言った。


「着いたら起こすから、少し寝ていてもいいんだよ」

「えー」


 もう十四歳にもなるというのに、父はいつまで経っても私を子ども扱いする。


「さっき起きたばかりだから、まだ眠くないよ。それに今日は、お父さまとの久しぶりのお出かけだから」


 私は笑顔を浮かべる。


「お話もいっぱいしたいし!」


 すると父は、一瞬目を見開いた。そしてすぐに目尻を下げ、嬉しそうに笑った。


「そうだね。確かに最近は仕事が溜まっていたから、ゆっくり話す機会も少なかったかもしれないね」


 父は少し考えるように窓の外を見る。


「そうだ。スピカは最近、この土地に職を失った人たちが流れてきているのは知っているかい?」


「うん。セバスチャンに聞いたよ」


 セバスチャンというのは、父の仕事を補佐しながら、屋敷の使用人たちをまとめている父の側近だ。もともとは母付きの執事で、今は私の教育係でもある。

 彼がいたからこそ、母を亡くした後もキャンベル伯爵家は変わらず運営できている。そう言っても、決して大袈裟ではない。


「そうか」


 父は満足そうに頷いた。


「スピカは、ちゃんと領地についても学んでいて偉いね」

「えへへ」

「今は南の情勢が悪くてね。職を失った人たちが、キャンベル領の噂を聞いて流れてくるようになったんだ」

「キャンベル領の噂?」

「ああ。仕事がある領地だってね」


 父は苦笑する。


「そういった人たちには、ブドウ畑の収穫や管理を手伝ってもらっているんだよ」

「ブドウ畑!」

「そう。なにせ最近は、私が作ったワインが好調でね」

「お父さまのワインは、どこの酒屋さんでもすごく人気なんだって聞いたよ!」


 私は思わず身を乗り出した。


「『キャンベル印のワインなら間違いない』って言われているとか!」

「ははは! それは嬉しい知らせだね」


 父は楽しそうに笑った。


「もともとはララが持っていた小さなブドウ畑を、少しずつ広げていったんだ」


 母の名前を聞いて、私は静かに耳を傾ける。


「十五年以上経った今では、この領の一番の収入源にもなっている。今後は酒屋も、もっと増やしていきたいと思っているんだ」

「酒場が増えれば、外からもたくさん人が来て……お金も動くから?」

「おお!」


 父が驚いたようにこちらを見る。


「そんなことまで勉強しているんだね」

「セバスチャンに少し教えてもらっただけだよ」

「それでも素晴らしいよ」


 父は嬉しそうに笑った。


「そうだよ。人の流れができれば、自然とお金も動く。その利益を領民たちへ還元することができれば、みんながより豊かに暮らせるようになるからね」


 父はいつも、『領民があってこその領主』という考えを大切にしている。

 もともと平民だったこともあり、領民たちの意見にもきちんと耳を傾ける。職を失った人には仕事を紹介し、困っている人がいれば手を差し伸べる。面倒見が良く、人を放っておけない性格なのだ。

 そんな父だからこそ、領民からの支持も厚い。その噂を聞いて、他の領地から移住してくる人も多いのだという。


 私はそんな父を誇らしく思っている。いつか自分も、父のような領主になりたい。そう思いながら、領地運営についての勉強にも励んでいた。


 ――ガタッ。


 突然、大きな音がした。そして馬車が急停止する。


「え?」


 まだ街までは遠いはずだ。何かあったのだろうか。

 父と私の間に、緊張が走る。じわじわと、不安が胸の中に広がっていった。


「スピカ」


 父が低い声で言った。


「隠れていなさい。外の様子を見てくるよ」

「お父さま……」

「大丈夫だ」


 そう言って、父は馬車の扉を開けた。


 外へ出ていく父。その直後だった。


 ――ザッ、ザッ。


 何かを踏みしめる音。


 ――ドンッ。


 鈍い衝撃音。


「……っ」


 恐怖で身体が震えた。


(大丈夫……大丈夫……)


 震える身体を自分自身で抱きしめる。


(きっと、大丈夫……)


 まるで自分に言い聞かせるように、何度も心の中で繰り返した。


 ――ザクッ。


 ――ザクッ。


 砂利を踏む足音が、こちらへ近づいてくる。私は恐怖のあまり身体を小さくし、顔を伏せた。


 ――ガチャ。


 馬車の扉が開く。


「……っ!」


 恐る恐る顔を上げた。そこには、見たこともない大男が二人立っていた。そのうち一人は、手にナイフを持っている。


 血の気が引いていく。頭の中が真っ白になった。


「嘘……」


 唇が震える。


「お父さま……お父さまは?」


 震える声で問いかける。すると男の一人が口角を上げ、不敵な笑みを浮かべた。


「君のパパなら、睡眠薬で眠っているだけだよ。ほら」

「――っ!」


 男は私の腕を乱暴に掴み、馬車の外へ引きずり出した。


「きゃっ!」


 地面に足をつく。顔を上げると、そこには縄で縛られた父と御者が横たわっていた。大きな怪我はない。目を閉じているが、本当に眠っているだけのようだった。


「お父さま……」

「さあ、来い」


 男が私の腕を掴む。


「お前は人質だ。今からお前を人質にして、身代金を要求する」

「……」

「俺たちは別に、人殺しをしたいわけじゃないんだ」


 男は、にやりと笑った。


「だから君の大好きなパパにも、少し眠ってもらっているだけだよ」


 その笑顔が、恐ろしかった。


「わかるかい? かわいいお嬢さん」

「ちょうどいいところに、金持ちそうな馬車が通ってくれてよかったぜ」


 もう一人の男が笑う。


「今日は久々に、美味い酒が飲めそうだ」

「へへへ」


 二人はだらしなく笑い合った。


 話している間も、私の腕は強く掴まれたままだ。逃げようとしても、身体が思うように動かない。


(怖がるな)


 私は自分に言い聞かせる。


(まずは、状況を把握するんだ)


 男たちは二人。目的は身代金。なら、むやみに人を殺すつもりはないはずだ。ただ、一人はナイフを持っている。あまり刺激を与えたくはない。

 父と御者は、木のそばに縄で縛られている。もしここで私だけが逃げても、二人は助からない。


(……だったら)


 心臓が激しく鳴る。


(私が、何とかするしかない)


 何でもいい。何か武器になるものはないだろうか。そう思い、掴まれていない左手を馬車の方へ伸ばした。しかし右腕を強く掴まれているため、思ったように身体を動かせない。


「おい! 何をしている!」


 男が怒鳴る。


「早く来い!」


 ――その瞬間。

 ぐいっ!強引に腕を引っ張られた。


「……っ!」


 馬車へ伸ばしていた左手。その手に、突然光が集まり始めた。


(なに……これ……?)


 手が熱い。


(熱い……!)


 手のひらに熱が集まっていく。それは次第に腕へ。身体全体へと広がっていった。

 そして私の手から溢れる光は、どんどん大きくなっていく。あまりの眩しさに、目を開けていられない。


(もう……無理……!)


 そう思った瞬間、光が消えた。


「……?」


 恐る恐る目を開ける。


「な、なんだこれ!?」

「う、動けないぞ!」


 二人の男が、馬車に引き寄せられていた。まるで見えない力に引っ張られるように。そして、その身体は馬車にぴたりと張り付いている。

 必死にもがいているが、まったく身動きが取れないようだった。


「くっ……くそっ! 俺たちに何をしやがった!」

「……」


 私は自分の手を見る。


(今の光は……?)


 そして男たちを見る。


(私が……魔法を使ったの?)


 けれど、細かいことを考えている場合ではない。今は、父たちを助けるのが先だ。私はすぐに父のもとへ駆け寄った。


「お父さま!」


 縄を解く。


「起きて! お父さま、起きて!」


 肩を何度も揺らした。


「ん……んぅ……」


 父の瞼がゆっくりと開く。


「スピカ……?」

「お父さま!」


 父は目を見開いた。そして次の瞬間、勢いよく私を抱きしめた。


「スピカ……!」

「……っ」

「スピカ……本当に無事でよかった」


 父の腕が震えている。私はそのことに気づいた。父も、怖かったのだ。お互いの体温を確かめ合うように、私も父を精一杯抱きしめる。


 ――その瞬間

 今まで必死に抑えていたものが、一気に溢れ出した。恐怖、不安、そして……安堵。


「うわぁぁん……!」


 私は声を上げて泣いた。


「怖かった……怖かったよぉ……!」

「大丈夫だ」


 父が背中を優しく撫でる。


「もう大丈夫だから」


 ぽん、ぽん。何度も背中を撫でてくれる。私は泣き止むまで、ずっと父の腕の中にいた。


「それで……この状況は?」


 ようやく落ち着いた頃、父は馬車に張り付いたまま動けなくなっている男たちを、不思議そうに眺めた。

 私は御者の縄も解きながら、これまでの出来事を父へ説明した。


「ま、魔法?」


 父が目を見開く。


「まさか……覚醒したのかい?」

「そうみたい」


 私は自分の手を見る。


「自分でもよくわからないんだけど……突然、手から光が出て」

「うん」

「そしたら、男たちが馬車に張り付いて動けなくなったの」


 父も馬車を見る。


「……一体、何の魔法なんだろう?」

「なんと……」


 父は驚いたように呟いた。そして、すぐに私の肩へ手を置く。


「とりあえず、後のことは私に任せなさい」

「うん」

「帰りの馬車を呼ぶ。今日は家に帰ろう」


 父は少し寂しそうに笑った。


「本当にすまない。助けてくれてありがとう、スピカ」

「お父さま……」


 私は首を横に振った。


「みんな無事でよかった」


 ◇◇◇


 ――屋敷へ帰ると。


「お嬢様!」


 玄関へ入った瞬間、アンナが駆け寄ってきた。そして、そのまま私に飛びつく。


「ご無事で何よりでございます……!」

「アンナ……」


 ぎゅっと抱きしめられる。アンナは、とても心配していたらしい。セバスチャンや他の使用人たちも、安心した表情で私たちを迎えてくれた。


(私、無事に帰ってきたんだ……)


 ――そう思った瞬間、また涙が溢れてきた。


「ただいま……」

「はい」

「ただいま、帰ってきたよぉ……」


 涙が止まらない。


「わあぁん……こ、怖かったぁ……!」


 十四歳にもなって、私はアンナの胸の中で、まるで小さな子どものように泣いた。アンナは何も言わず、優しく相槌を打ちながら私の背中を撫でてくれる。ぽん、ぽん。その優しさが嬉しくて、余計に涙が止まらなかった。


「スピカ」


 父が優しく声をかける。


「今日は危ない目に遭わせてしまってすまなかった」

「お父さま……」

「怖いと思うけれど、今日は少しでも早く休みなさい」


 父は静かに言った。


「今日のことは、また明日。落ち着いてから話そう」

「うん」


 私は頷いた。


「お父さまもゆっくり休んでね」


 そしてアンナを見る。


「アンナも、心配かけてごめんね」

「お嬢様……」

「もう大丈夫だよ」


 そう言ったけれど、本当はまだ、全然大丈夫ではなかった。


 ◇◇◇


 自室へ戻った私は、ベッドの上で今日の出来事を思い返していた。

 初めての誘拐。もし、あの時、魔法が発動していなかったら。


「……っ」


 考えただけで、身体が震える。父はどうなっていただろう。私は……アンナやみんなのもとへ帰れただろうか。


「……でも」


 私は両手を見る。


「私の魔法って……なんだったんだろう?」


 男たちの身体が、馬車へ引き寄せられた。そして、ぴたりと張り付いた。


「引っ張る魔法……?」


 せっかく魔法が使えるようになったのに。


(しょうもない魔法だったら、どうしよう……)


 そんな不安が胸をよぎる。けれど今日は、もう何も考えたくなかった。一分一秒でも早く眠るため、私は目を閉じた。


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