一番星の夢
――ねえ、じゃあ約束だよ。
――になったら、一緒に――行こう。
これは、君と僕だけの秘密だよ。
「……っ!」
私は、はっと目を覚ました。勢いよく身体を起こした瞬間、ズキッと頭の奥が痛む。
「いたた……」
思わず頭を押さえながら辺りを見渡すと、そこは見慣れた自室だった。どうやら読書の途中で、ソファーの上で眠ってしまっていたらしい。
(今のは……夢?)
夢にしては、やけにリアルだったような気がする。誰かと話していた。知らない男の子――だったような気がする。けれど、どんな声だったのか。どんな顔をしていたのか。まったく思い出せない。
「……変なの」
思い出そうとすればするほど、頭の中が真っ白になっていく。まるで最初から、そこには何もなかったかのように。不思議な感覚に首を傾げていると、自室の扉が叩かれた。
コンコン――。
「スピカお嬢様、よろしいですか?」
「どうぞ」
そう返事をすると、侍女のアンナが部屋へ入ってきた。しかし、私の顔を見るなり、アンナは目を大きく見開いた。
「まあ、お嬢様……そのお顔。どうなさったのですか?」
「え?」
何のことだろうと思い、自分の頬に触れる。そこで初めて気がついた。頬が濡れている。どうやら私は、泣いていたらしい。まだ乾いていない涙が、頬を伝っていた。
――もしかすると、さっきの夢のせいだろうか。けれど、この時の私はなぜだか、あの夢のことを誰にも話したくなかった。だから咄嗟に、嘘をついた。
「ちょっと、こわい夢を見ちゃって……」
「まあ、お可哀想に」
アンナは心配そうに眉を下げる。
「何かあれば、すぐに私を呼んでくださいね。今、ホットミルクを用意しますので、少しお待ちください。飲むと落ち着きますよ」
「ありがとう、アンナ」
アンナは慣れた手つきでホットミルクを用意してくれた。両手でカップを包み込むように持つと、じんわりと手のひらに温かさが広がっていく。一口飲めば、優しい甘さが口の中に広がった。
少しだけ、心が落ち着いた気がする。そんな私の様子を見て、アンナは柔らかな笑顔を浮かべた。
「そうしましたら、お支度をさせていただきますね。すでに皆さま、お嬢様をお待ちしておりますよ」
「皆さま?」
「なんといっても、今日はお嬢様の七歳のお誕生日ですから!」
「あっ!」
そうだった。今日は私の誕生日なのだ。
私はキャンベル伯爵家の一人娘。
毎年、私の誕生日になると父がお世話になっている方々や親族を自宅へ招き、盛大なパーティーを開いてくれる。
アンナは私より九歳年上の侍女で、私が六歳の頃から身の回りの世話をしてくれている。私はアンナのことが大好きだった。本当のお姉さんがいたら、きっとこんな感じなのだろうと思うくらい、姉のように慕っている。
アンナは陽気に鼻歌を歌いながら、いつもより気合を入れて私の髪を整えてくれた。
「はい、できました! 今日の髪型はいかがでしょうか?」
「わあ!」
鏡を向けられた瞬間、思わず声が漏れる。癖のある栗色の長い髪は、器用に大きなリボンのようにまとめられていた。横から垂らされた髪は、くるくると巻かれていて、まるで羊の毛のようにふわふわしている。
鏡の中の青い瞳の自分と目が合う。見慣れているはずなのに、いつもよりずっと可愛らしくなった自分がいた。
「すごくかわいい! アンナ、ありがとう!」
嬉しくなって、そのままアンナに抱きつく。アンナもぎゅっと抱きしめ返してくれた。温かい体温に包まれると、自然と安心する。
「うぅ……私は、こんなに可愛いスピカお嬢様にお仕えできて幸せです。七歳のお誕生日、おめでとうございます!」
「ありがとう!」
「これからも、ずっと一緒にいてくださいね」
「うん! アンナがおばあちゃんになったら、今度はわたしがアンナのお世話をする番だね!」
「そんなことを言っていただけるなんて……私は本当に幸せ者です……うぅ……」
「アンナ、また泣いてる!」
「泣いていません」
「泣いてるよ!」
そんなやり取りをしながら、たくさんの花があしらわれた黄色のドレスに着替える。身支度を整え終えると、パーティー会場となっている自宅のホールへ向かった。
そこは大きなホールで、中央にはグランドピアノが置かれ、五十人から六十人ほどが集まっても、余裕でダンスパーティーができるほど広い。
大きな扉を開けると、そこにはすでに煌びやかな衣装をまとったたくさんの人々が集まっていた。あちこちから楽しげな談笑が聞こえてくる。いつも見慣れているはずの場所なのに、今日はまるで違う世界のようだった。
壁には色とりどりの花が飾られ、煌びやかな装飾が施されている。テーブルには見たこともないほど豪華な料理が並んでいた。
ここは本当に、私の家なのだろうか。そう錯覚してしまうほどだった。
「おお、スピカ! やっと来たかい?」
聞き慣れた声が響く。
「みんな、お前を待っていたんだぞ!」
ダークブロンドの髪に、顎にはうっすらと髭を生やした父――マーチャーが、にこやかにこちらへ歩いてきた。
そして私を見るなり、ひょいっと軽々抱き上げる。
「わっ!」
「今日もとっても可愛いね! まるでお姫様のようだ!」
そのまま頬ずりをされ、思わず笑ってしまう。
「お父さま、くすぐったい!」
「ははは! さあ、今日の主役の登場だ! みんなにご挨拶をしよう!」
父は、私をとても可愛がってくれている。母は一昨年、私が五歳の時に事故で亡くなった。私はまだ幼かったこともあり、その時のことは覚えていない。
今は亡くなった母の分まで、父がたくさんの愛情を注いでくれている。もちろん、母のことを思い出して寂しくなることもある。
けれど、アンナや父のおかげで、私は毎日を健やかに過ごせていた。本当に、二人には感謝している。
パーティーが始まると、親族や父の友人たちが次々と挨拶に訪れた。
「キャンベル伯爵、ご無沙汰しております。スピカ様も見ないうちに、ずいぶん美しくなられましたね」
「ぜひ今度、我が家のパーティーにもいらしてください」
「マーチャー殿の作ったワインが好調だそうじゃないか。ぜひ今度、うちにも持ってきてくれないか」
ゲストの中には、公爵家の方から商人まで、さまざまな人がいた。まったく、父の顔の広さには驚かされる。
中には私と同じくらいの年齢の子もたくさんいて、その子たちと話すのがとても楽しかった。今読んでいる本のこと。好きな食べ物のこと。どんな魔法が使えるようになりたいかということ。
「僕は昨日、水を出せるようになったんだ!」
「すごい!」
そう笑いながら拍手をした。
――私も早く、魔法が使えるようになるといいな。
彼らと話しているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。気がつけば、もうお開きの時間だった。
ゲストの方々を見送っている時だった。ふと、扉の方を見る。
そこで、一人の男の子と目が合った。彼はまっすぐに、こちらを見つめている。同じ年くらいだろうか。初めて見る顔だったが、目を奪われるほど整った顔をしている。
私は軽く会釈をした。
――けれど、その瞳に浮かんでいたのは、初対面の相手に向けるにはあまりにも冷たい感情だった。
「……?」
何か、悪いことをしただろうか。そう思う間もなく、男の子はすっと視線を逸らしてしまった。そして、そのまま人混みの中へと消えていく。
(あの子は、一体誰だったのだろう)
妙に気になったものの、その時の私は深く考えることはなかった。見送りが終わると、父が私にプレゼントがあると言った。
「プレゼント?」
「そうだよ。スピカへのプレゼントだ」
「わあ!」
私は軽やかな足取りで父と一緒に自室へ向かった。扉を開けた瞬間、思わず目を丸くする。
「ええっ!?」
部屋の中には、三十個はあるだろうか。綺麗に包装された箱が山のように積まれていた。
「これ、ぜんぶ?」
「ああ。全部、スピカへのプレゼントだよ」
「すごい!」
嬉しさのあまり、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。さっそく端の方から箱を開けていくと、可愛らしいドレス、大きなくまのぬいぐるみ、たくさんの本、綺麗な髪飾り。私が好きそうなものばかりだった。
「お父さま、ありがとう!」
私は満面の笑みを浮かべる。
「私、すごくうれしい! とっても幸せだよ!」
そう言って父に抱きつくと、父は私を優しく抱き上げた。そして、とても愛おしそうに微笑む。
「ああ……スピカは、本当に私の宝物だよ」
父は私の額に優しく口づけた。
「七歳のお誕生日、おめでとう。ララもきっと、お空からスピカのことをお祝いしているはずだよ」
「ふふ」
私は窓の外を見上げた。
「お母さまにも、私が幸せそうなの、伝わったかな?」
母との記憶は曖昧だ。覚えていること、あまり覚えていないことがある。それでも、私を大切にしてくれていた人なのだと、父から話を聞いて知っている。
「わたしはすごく元気だから、大丈夫だよって伝えたいなあ」
「うん。きっと伝わっているよ」
父は優しく笑った。
「ララは、いつもお空からスピカのことを見守ってくれているはずだから」
「うん!」
「さあ、今日は疲れただろう? ゆっくりお休み」
私はこくりと頷き、ベッドへ潜り込んだ。
「うん。おやすみなさい……お父さま」
「おやすみ」
父は優しく私の頭を撫でる。
「愛しの一番星」
その日は、とても幸せな夢を見た。
第一話を読んでくださり、ありがとうございます。
これからスピカたちの物語を楽しんでいただけたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。




