君のための旋律
――コンクール当日。
私とリタは、王都から少し離れた街にあるコンサートホールへとやってきていた。会場の前には、すでに多くの人が集まっている。
参加者の家族や、音楽関係者、そしてコンクールを楽しみに訪れた観客たち。入口付近は人で溢れかえっていた。
「すごい人だね」
「本当ですね」
リタも周囲を見渡している。
「アルクスはもう来ているのかな?」
そんなことを考えていると、一台の馬車が到着した。
その瞬間――。
「きゃあっ!」
「ドラート様よ!」
「本当に来てくださったのね!」
会場の一角から、黄色い悲鳴が上がった。
(あ、絶対アルクスだ)
なぜだかわかってしまった。視線を向けるとやっぱり……。馬車から降りてきたのはアルクスだった。
今日のアルクスは普段の学生服ではなく、黒を基調とした上品な衣装を身にまとっている。
それだけで、周囲の視線をすべて集めていた。すでにたくさんの女の子に囲まれている。
「アルクスに会うのも久しぶりだけど……」
私は苦笑いを浮かべた。
「今は声をかけるの、難しそうだね」
「そうですね」
リタも周囲の女の子たちを見ながら頷いた。
「アルクス様は学校以外でも、本当に人気者なのですね」
「あとで話せたら、『応援してるよ』って伝えに行こうか」
そう話しながら、私たちは会場の入口へ向かって歩き始めた。
そのとき――。
自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「スピカ!」
「え?」
振り返るとアルクスがいた。しかも、こちらへ向かって走ってきている。
「アルクス?」
アルクスは少し息を切らしていた。どうやら人混みを抜けて、わざわざこちらまで来てくれたらしい。
「なんでいるの!?」
アルクスは驚いたように目を見開いている。
「今日のコンクールのお知らせにアルクスの名前が載ってたの」
私は笑った。
「だから、リタと一緒に応援に来たんだよ」
「……本当に?」
アルクスは一瞬、驚いた顔をした。しかし、みるみるうちに嬉しそうな笑顔になる。
「今日のコンクール、俺は最初は出るつもりなかったんだ」
「そうなの?」
「知り合いに頼まれたから、仕方なく出ることになっただけ」
アルクスが、私の顔を見る。
「でも……」
少しだけ口角を上げた。
「スピカが見に来てくれたなら、本気出しちゃおうかな」
「ふふっ、なにそれ」
「本気」
冗談なのか本気なのかわからない顔で、アルクスは笑った。
そしてリタの方を見る。
「リタちゃんも、遠いところまで来てくれてありがとう」
「いえ。私もアルクス様の演奏を楽しみにしていました」
「ありがとう」
アルクスは再び私を見る。
「俺、スピカのために頑張るから」
まっすぐな瞳に目が逸らせなかった。
「ちゃんと見ててね」
「うん……応援してる」
なんだろう……。胸の奥が、むずむずする。まるでくすぐったいような。でも、少しだけ苦しいような。よくわからない感覚だった。
そんな私たちのやり取りを見ていたリタは、なぜかとても楽しそうだった。
「でもアルクス」
「ん?」
「この人混みの中で、私たちがいることによく気づいたね」
そういうと、アルクスは当然のことのように笑った。
「ああ。俺、スピカはどこにいてもすぐ目に入るから」
「そっか……」
まただ。さっきと同じ、胸の奥がむずむずする感覚。一体、なんなのだろう。
「スピカの席はどこ?」
「えっと、ここだよ」
手に持っていた座席表で自分の席を指差す。アルクスは場所を確認すると、満足そうに頷いた。
「わかった。じゃあ、しっかり俺のこと見ててね」
そう言い残し、控室の方へと去っていった。その横でリタは終始、にこにこしていた。
――コンクールが始まった。
参加者は一人ずつ舞台へ上がる。まず名前を呼ばれ、簡単な自己紹介と、今回のコンクールに向けた意気込みを話す。
そして、演奏が始まる。
「すごい……」
私は思わず息を呑んだ。
どの参加者も、素人の私が聞いてもわかるほど素晴らしい演奏をする。まるで全員がプロの演奏家のようだった。
一人ひとりの演奏には個性があり、音楽のことは詳しくなくても、聴いているだけで胸が高鳴る。
けれど、一発勝負のコンクールだからこそ、全員が完璧に演奏できるわけではない。
緊張のあまり、明らかに音を外してしまう人もいた。演奏を終え、舞台袖へ戻った参加者が涙を流している姿も見えた。
「……」
きっと、この日のために何か月も、何年も練習してきたのだろう。一度きりの舞台……失敗できない場所。だからこそ、そこには一人ひとりの物語がある。その姿を見てなんだか胸が締め付けられた。
「エントリーナンバー二十番」
会場に声が響く。
「アルクス・ドラート様」
「……!」
ついに、アルクスの順番がやってきた。どうやら最後の演奏者らしい。彼の名前が呼ばれるだけで会場の空気が少し変わる。
アルクスがゆっくりと舞台へ歩いていく。その姿だけで、周囲から小さな歓声が上がった。舞台中央に立ったアルクスは、司会者からマイクを受け取った。
そして、今回のコンクールへの思いを尋ねられる。
「……そうですね」
アルクスは少し考えるように笑った。
「今日は」
アルクスの視線が、こちらへ向く。
「大切な一人の女の子のために弾きます」
――ドクン。心臓が跳ねた。
「きゃあっ!」
「素敵!」
会場のあちこちからは黄色い悲鳴が上がる。
その隣で「まあ」とリタが、とても楽しそうな声を漏らした。
「それでは、聴いてください」
……今。目が合ったような気がした。
そして、アルクスの演奏が始まった。――美しい。最初に思ったのは、それだけだった。
繊細でかつ優しくて、力強い。ヴァイオリンから奏でられる音色は、まるで歌っているようだった。
強く感情を訴えかけるような音。そっと寄り添うような優しい音。一つひとつの音が、生きているように感じる。
そして何より、ヴァイオリンを弾くアルクスの姿が、美しかった。長い指が弦の上を滑り、真剣な眼差しで楽器を見つめる。普段、私が知っているアルクスとはまったく違う。
会場にいるすべての人が、彼の演奏に目を奪われていた。最後の音が静かに響き渡ると、一瞬の静寂が訪れた。
そして……会場を埋め尽くす大きな拍手が鳴る。
「すごい……」
私は思わず呟いた。すると舞台の上のアルクスが、またこちらを見た。
まるで――。『ちゃんと見てた?』そういっているような顔だった。私は彼に届くかどうかもわからない。それでも、こくりと頷いた。
アルクスは、ほんの少しだけ笑ったように見えた。
結果は、圧倒的だった。
アルクス・ドラート、最優秀賞。
トロフィーを受け取る彼に、会場中から拍手が送られる。そして司会者が、受賞の感想を尋ねた。
アルクスは司会者からマイクを受け取る。
「ありがとうございます」
いつもの完璧な笑顔でアルクスは言った。
「先ほどの演奏で」
そして少しだけ、こちらへ視線を向けた。
「彼女にも、僕の気持ちが届いていたら嬉しいです」
「きゃあああ!」
その言葉に再び会場が沸いた。
歓声、拍手、黄色い悲鳴。アルクスはそれらを当然のように受け止めている。
(すごいなあ……)
私は感心していた。
きっとアルクスは、自分がどうすれば会場が盛り上がるのかを理解しているのだろう。観客を楽しませ、期待に応える。そして、最高の瞬間を作る。なんて盛り上げ上手なんだろう……そう思っていた。
……まさか。
あの言葉が、本当に私に向けられたものだとは。この時の私は、まったく思っていなかった。
◇◇◇
――コンクール終了後。
私とリタは会場の外で、アルクスが出てくるのを待っていた。しばらくすると、会場の扉が開く。
「わあ……」
そこから現れたアルクスの両手には、抱えきれないほどの花束があった。どうやら多くの人から、お祝いの花を贈られたらしい。
アルクスは周囲を見渡し、私たちを見つけると、すぐにこちらへ歩いてきた。
「スピカ」
「アルクス!」
「俺の演奏、どうだった?」
「うん!」
私は笑った。
「すごくよかったよ! 本当にびっくりした」
「そういってもらえてよかった」
「でも、アルクスがこんなにヴァイオリンが上手なんて知らなかったよ」
「……まあ、元々好きでやっていたわけじゃないからね」
なぜかアルクスの顔はどこか寂しそうなものだった。
「そうなの? でも最優秀賞、おめでとう!」
「でしょ?」
そういって今度は自信満々に笑う。
「俺の気持ち、受け取ってくれた?」
「うーん……」
私は少し考える。
「でも、演出にしてはちょっとやりすぎだったんじゃない?」
「……」
アルクスは、小さくため息をついた。
「はあ……」
そして、どこか寂しそうに呟く。
「俺って、スピカの中では本当にただの友達なんだね」
「ん? 何か言った?」
「いいや」
アルクスはすぐに笑顔に戻った。
「なんでもない」
すると、隣にいたリタが一歩前へ出る。
「アルクス様」
「ん?」
「演奏、とても素敵でした」
リタは本当に感動したような表情で言った。
「私、胸が打たれました」
「ありがとう、リタちゃん」
「アルクス様のことは、これからも応援しておりますので」
そして、リタはにっこりと笑う。
「気長に頑張ってください」
「……ありがとう」
アルクスは少しだけ苦笑いを浮かべた。
『気長に頑張る』とは一体、何のことだろう? 私は少し疑問に思ったけれど、リタとアルクスが通じ合っているような空気に、なんとなく口を挟めずにいた。
まあ、きっと何かあるのだろう。そう思うことにした。
アルクスと別れ、リタとともに馬車へ戻ろうとした、その時だった。
「お嬢様」
使用人が、どこか緊張した面持ちで私を呼び止める。
「旦那様から、急ぎの知らせが届いております」
「お父さまから?」
思わず足を止めた。
父は今日、隣町の視察に出ているはずだ。わざわざ急ぎの知らせを寄越すなんて、何かあったのだろうか。
「……わかりました」
そう答えながらも、胸の奥がざわついていた。
先ほどまでアルクスの演奏に胸を躍らせていたはずなのに、その余韻は一瞬で消えてしまう。理由の分からない胸騒ぎがした。




