初めてのデート
――七月。
この魔法学校は貴族の学生も多いため、夏休みと冬休みは一般の学校よりも長い。夏休みは七月中旬から九月中旬までの約二か月間。
また九月には、魔法学校の一大行事である狩猟大会が控えており、その準備のために教師たちも夏休みの期間を利用するらしい。そんなこともあり、七月に入るとあっという間に夏休みを迎えた。
私はリタとは、お互いの家に遊びに行く約束をしている。アルクスは討伐隊の仕事があるらしく、あの日以来会えていない。
ただ、以前約束した演劇を一緒に観に行く予定だけは残っていたので、手紙を送ることにした。
私自身も、夏休みの間は領地を巡ったり、伯爵家の娘として領地管理について学んだりする予定がある。のんびりした夏休みとはいかなさそうだった。
アルクスに手紙を送ると、返事はすぐに返ってきた。週末に行われる人気の演劇のチケットが取れたらしい。夏休みが始まったばかりだったけれど、私たちはさっそく今週末に出かけることになった。
◇◇◇
――アルクスとの約束当日。
アルクスが家まで迎えに来てくれるというので、私は朝から支度をしていた。父にもそのことは話しており、いつもお世話になっているアルクスにぜひ挨拶をしたいと言っていた。
支度を終え、食堂で父とアルクスを待っていると、アンナが扉を開けた。
「ドラート様がお越しになりました」
その言葉と共に姿を現したアルクスは、いつもの学生服とはまったく違う装いをしていた。紺色のジャケットには金色の刺繍が施されており、すらりと長い脚がより一層際立っている。まるで絵画からそのまま抜け出してきたようだった。
……いや、普通にかっこいい。
「アルクス、今日は迎えに来てくれてありがとう」
「うん。スピカ、お待たせ」
私に笑顔を向けると、アルクスは父の方へ向き直った。
「マーチャー殿。本日はスピカさんをお借りします。夕刻には必ず無事に送り届けますので、どうかご心配なさらず」
「ははは。アルクス様でしたら心配には及びませんな。いつもスピカを助けていただいているそうで……話はよく聞いています。どうか娘をよろしくお願いします」
「ええ。任せてください」
……なにやら嫁入り前の挨拶のようになっている気がする。なんだか恥ずかしくなり、私は慌てて口を開いた。
「じゃあ、お父さま! 行ってくるね!」
そういってアルクスの腕を軽く引き、玄関へと向かった。そして私は、そのままドラート家の家紋が刻まれた馬車へ乗り込んだ。
「わあ……」
思わず感嘆の声が漏れる。馬車の座席はふわふわで、驚くほど座り心地が良かった。それに心なしかキャンベル家の馬車よりも揺れが少ない気がする。さすが公爵家だ。
「うふふ。すごく乗り心地がいい!」
「そんなに喜んでもらえるなら、よかったよ」
アルクスは楽しそうに笑った。
「それに」
私の髪を一束、そっと指先で取る。
「ちゃんとお洒落してきてくれたんだね」
「え?」
「黄色いドレス、すごく似合ってるよ」
そういいながら、髪に視線を移す。
「髪型もいつもと違う。今日のドレスによく似合ってる」
「あ……ありがとう」
今日はアルクスと出かけるとアンナに伝えたところ、朝から張り切って準備をしてくれたのだった。正直、こんなに着飾って浮かないかな、と少し心配だった。
けれどアルクスの私服を見ると、むしろちゃんとお洒落をしてきてよかったと思えた。
「アルクスも……かっこいいよ」
「ふっ」
アルクスは満足そうに笑った。
「ありがとう。その言葉だけで、今日迎えに来た甲斐があったかな」
馬車が止まり、劇場に到着した。入口へ向かおうとすると「こっちだよ」といってアルクスに手を引かれる。
案内されたのは一般客の入口とは別の、VIP席専用の入口だった。そのまま席へ案内されると、舞台全体がよく見える、とても良い席だった。
(このチケット、一体いくらしたんだろう……)
急に不安になってしまう。もちろん料金を払おうとした。
しかし「お金はいらないよ。クッキーのお礼」と言われてしまったため、結局お言葉に甘えることにした。
演劇は恋愛を題材にした物語だった。身分や立場の違いによって一度は引き裂かれた恋人たち。けれど二人は数々の困難を乗り越え、最後には再び結ばれる。そんな、王道の恋愛物語だった。
恋というものに密かに憧れている私にとって、その物語はあまりにも眩しかった。気がつけば、物語の終盤では涙が止まらなくなっていた。
「泣きすぎ」
隣から小さな笑い声が聞こえる。アルクスがハンカチを差し出してくれた。
「ありがとう」
受け取ったハンカチを口元に当てる。すると、ふわりとホワイトムスクの香りがした。アルクスの香りだ。それだけで、なぜか少しだけ胸が高鳴ってしまった。
◇◇◇
演劇が終わった後、私たちは近くのカフェに入ることにした。アルクスが選んだのは、個室のある落ち着いた雰囲気のカフェだった。周囲との距離も広く取られているため、他の客の会話もほとんど聞こえない。
入口へ向かう途中、ふとショーウィンドウに映った自分たちの姿が目に入った。今日の私はアンナが選んでくれた黄色いドレスを身に着けている。
そして耳元には、以前アルクスにもらったお揃いのピアスがついている。ちらりと隣を見ると、アルクスの耳元にも同じ意匠のピアスが揺れていた。
(こうして並んでいると……本当にお揃いなんだなあ)
そんなことを考えていると、カフェの扉を開けた瞬間、周囲の視線が一斉にこちらへ向いた。
……いや。正確には、ほとんどの視線はアルクスに向けられている。いつものこととはいえ、その美貌はやはり人目を引くらしい。店内にいた女性客が小さく息を呑む声が聞こえた。
「まあ……」
「見て、あの方……」
「すごく素敵……」
そんな小さな囁き声が聞こえてくる。すると、その中の一人が私たちの耳元に視線を向けた。
「あら……」
その女性は少し驚いたような顔をした後、隣の女性にそっと耳打ちした。
「お揃いのピアス……?」
「本当だわ」
「恋人同士なのかしら」
「まあ、素敵……」
思わず聞こえてしまった言葉に、私はぴたりと足を止めた。
(こ、恋人!?)
慌ててアルクスの方を見る。すると本人はまったく気にしていない様子で、当然のように私の隣を歩いていた。
……いや。よく見ると、ほんの少しだけ口元が緩んでいる気がする。
「アルクス」
「ん?」
「今……なんか恋人同士だって言われてた気がするんだけど」
「そう?」
「そう? じゃないよ!」
思わず小声で抗議する。するとアルクスは、私の耳元に視線を落とした。
「でも、お揃いのピアスをつけて、二人で出かけてるんだから仕方ないんじゃない?」
「そ、それは……」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。けれど。
「でも私たち、恋人じゃないし」
そういうと、アルクスは少しだけ目を細めた。
「そうだね」
なぜか妙に意味深な言い方だった。
「……なに?」
「別に?」
そういって、アルクスは楽しそうに笑う。
その笑顔がなんだか気になったけれど、私はそれ以上追及することができなかった。そのまま店内へ案内される。
けれど受付を担当してくれた店員さんも、私たちのピアスに一瞬視線を向けた後、柔らかく微笑んだ。
「お二人でいらっしゃいますね。お席へご案内いたします」
その笑顔が、なぜか妙に意味ありげに見えた。
(絶対、恋人同士だと思われてる……)
恥ずかしくなりながら隣を見ると、アルクスはそんな私の様子を見て、どこか満足そうに微笑んでいた。
「ご注文はいかがいたしますか?」
少しすると、店員さんが注文を取りに来たので、私は紅茶を注文する。するとアルクスも「じゃあ、俺も同じもので」と言った。
前から思っていた。昼食の時もそうだけれど、アルクスはなぜか私と同じものを頼みたがる。
「アルクスって好きなものないの?」
「なんで?」
「いつも私に合わせようとするから」
するとアルクスは、少しだけ目を細めた。
「スピカと同じものを楽しみたいだけ」
アルクスはにっこりと微笑む。
「それに、好きなものって言われても特に思いつかないな」
「そっか……」
すると突然、アルクスが何かを思い出したような顔をした。
「あ」
「?」
「好きなもので言えば、スピカの手作りのものかも」
「はいはい。また何か作るね」
いつもの冗談だと思い、軽く受け流す。けれどアルクスはそれでも嬉しそうだった。
もしかしてアルクスは、自分では気づいていないだけで、クッキーが相当好きなのだろうか?そんなことを思ってしまった。
その後も、私たちは学校のことや魔法について話をしていた。するとアルクスが、ふと真面目な表情になった。
「でも」
「?」
「スピカの魔法って、かなり強いよね」
「うん……そうなのかな?」
「少なくとも、覚醒したばかりの魔法使いの魔力じゃないと思う」
アルクスは少し考えるように視線を落とした。
「こんなに強い魔法なら、五歳くらいで覚醒していてもおかしくないと思うんだけど」
「え?」
「本当に魔法が使えるようになったのは十四歳からなの?」
私は少し考えてから頷いた。
「うん。覚醒したのはついこの前。間違いなく十四歳の時だよ」
それまで私は、自分が魔法使いになるなんて思ってもいなかった。
「そもそも両親も魔法が使えないし、自分が魔法使いになるなんて思ってもいなかったから……」
するとアルクスは、不思議そうな顔で私を見つめた。
「は?」
「え?」
「お前の親は魔法使いだろ」
一瞬、意味が理解できなかった。
「……え?」
「なにより、魔法は遺伝だし」
「――今、なんて?」
私は両親から魔法の話なんて聞いたことがない。何よりも、魔法が遺伝するなんて初耳だった。
私が以前通っていた一般学校では『魔法は特別な力であり、小さい頃に魔法が覚醒した限られた人間だけが魔法を使える』と教えられていた。
それが私にとっての常識だった。だから遺伝なんて考えたこともなかった。
「ああ、そうか」
アルクスは納得したように頷く。
「スピカは一般学校に通っていたから知らないのか」
「知らないって……どういうこと?」
「魔法は遺伝する」
アルクスは当然のことのように続けた。
「両親ともに魔法使いなら、魔法使いが生まれる確率は百パーセント。片方だけなら五十パーセント」
「え……」
「ただし、遺伝だという事実は魔法使いの間だけの秘密になってる」
「秘密?」
「ああ」
アルクスの表情が少しだけ曇った。
「昔は遺伝するという事実を隠していなかったらしい。でも魔法使いの子供や女性を狙った誘拐や人身売買が横行するようになった」
思わず息を呑む。
「だから今は、魔法使いを守るために遺伝という事実は一般社会には伏せられている」
「そんな……」
胸がざわついた。私と母は顔がよく似ている。血の繋がりがないなんてことはありえない。
だとすれば――。両親のどちらかが魔法使いだということになる。けれど私は、両親が魔法を使っているところを一度も見たことがない。何よりなぜ、私に隠していたのだろう。
そんな私の様子を見ながら、アルクスがぽつりと呟いた。
「それに、スピカの母親は、魔法使いだったはずだ……」
「……なんで?」
思わず聞き返した。
「なんでそんなことがわかるの?」
するとアルクスは、一瞬だけ言葉に詰まった。
「それは……」
彼は視線を逸らす。
「まだ言えない」
「え?」
それ以上、アルクスは何も話そうとしなかった。なぜアルクスは、私の母が魔法使いだと断言したのだろう。それに父からも、母の魔法について聞いたことがない。
私は胸騒ぎが止まらなかった。
その後、私とアルクスの間には少しだけ気まずい時間が流れた。時間になり、その日は帰ることになった。




