繋いだ手のぬくもり
――ある昼休み。
「スピカさん、昨日はありがとうございました……。おかげで助かりました。僕一人だったら……あのまま大変なことになっていました」
食堂へ向かう途中、黒髪でひょろっとした痩せ型の男子生徒が、おっとりとした口調で話しかけてきた。
「ああ、ココットくん! 昨日は大変だったね!」
私は笑顔で答える。
「私も魔法の練習になったし、全然大丈夫だよ! 本当に気にしないで! また困ったことがあったら、いつでも呼んでね!」
昨日の放課後、彼が花壇の整理をしているところを偶然通りかかった私は、そこで大変な光景を目にした。
どうやらココットくんが土魔法を使っていたらしいのだけれど、魔法の制御が上手くいかなかったようで、並べるはずだった植木鉢があちらこちらに吹き飛んでいた。それはもう、ひどい有様だった。
そこで私は引力魔法を使って散らばった植木鉢を集め、二人で土まみれになりながら、なんとか花壇を元の状態に戻したのだった。
「スピカさんは優しいんだね……。あの……もしよかったら、僕と友達になってくれないかな?」
「うん、もちろん!」
私は即答した。
「ふふっ……でも、そんな改めて言わなくても、もうとっくに友達だと思ってるよ! 昨日、一緒に困難を乗り越えたしね!」
私はきりっとした顔で答える。友達は、「なろう」と言ってなるものでもない。昔から私は、『一緒に笑い合えば、もう友達』くらいに思っていた。だから、彼を友達だと思っていたのも嘘ではない。
「うれしいな……」
ココットくんは、心から嬉しそうに微笑んだ。
「もし僕でもできることがあったら、言ってほしいな……」
彼は少しだけ目を伏せる。
「僕、昨日見てもらった通り、魔法なんて上手く扱えないし……僕なんかじゃ、あまりスピカさんの力になれることなんてないかもしれないけど……」
まだ昨日会ったばかりだけれど、ココットくんは自分にあまり自信がないようだった。ここで「大丈夫だよ」とだけ言ってしまったら、きっと彼はまた自分を責めてしまう。それなら、何かお願いした方がいいかもしれない。
「そんなことないよ!」
私は慌てて首を横に振った。
「じゃあ……何かお願いしようかな! うーんと……」
何か簡単なお願いはないかな?私はこめかみに人差し指を当て、少し考え込む。
「そうだ!」
パンッ。両手を胸の前で叩いた。
「じゃあ、私の魔法の練習台になってもらえないかな?」
「魔法の練習台?」
「うん! この前、私の魔法は物を引き寄せるだけじゃなくて、人も引き寄せられるって教えてもらったの!」
私は少しだけ胸を張る。
「魔法使いを相手には、まだちゃんと試せてなくて……。ダメかな?」
「僕なんかでよければ、もちろん付き合うよ! 何をしたらいいのかな?」
「本当に!? ありがとう! すごく助かるよ!」
私は嬉しくなって笑う。
「じゃあ、ここに立っていてくれる? 私が魔法で引っ張るから、その間、もしできたら私の魔法に抵抗してみて!」
「うん、わかったよ。やってみる!」
そういって、ココットくんは少し離れた場所へ移動した。私も反対側へ歩き、歩幅八歩分くらいの距離を取る。
(まずは、このくらいでいいかな……?)
以前アルクスに魔法をかけたときは、思いっきり引っ張っても、その場からびくともしなかった。だから今回は、まず少し距離を取って試してみることにした。
「じゃあココットくん! 準備はいい?」
「うん!」
ココットくんは頷き、両手を前に出した。私の魔法に抵抗するつもりらしい。
人に魔法を使う場合は、物に使うときよりも多くの魔力が必要になる。今回は思い切って、最初から少し強めに魔法を使ってみよう。
「じゃあ、いくよ」
私は両手を前へ伸ばした。
「三……二……一……!」
――引き寄せる。そう強くイメージした瞬間。
「――え?」
ココットくんの身体が、ものすごい勢いでこちらへ引き寄せられた。
「わっ――!」
――次の瞬間、私の手にココットくんの手が重なった。
「…………」
「…………」
あまりにも一瞬の出来事に、二人とも言葉を失う。
傍から見れば、向かい合って手を繋いでいるようにしか見えない。まるで、仲睦まじい恋人同士のような姿だった。
「わ、わわ……!」
途端に恥ずかしくなり、顔が一気に熱くなる。
「ご、ごめん! こんなつもりじゃなかったの!」
私は慌てて弁明する。近くへ引き寄せるだけのつもりだった。まさか、こんな形になるなんて思ってもいなかった。
自分から頼んだこととはいえ、こんな状況ではココットくんに誤解されても仕方がない。
「ほ、本当にごめんね! 嫌な思いをさせるつもりはなかったの!」
申し訳なさでいっぱいになりながら、私はココットくんを見上げた。
しかし、ココットくんは目を見開いたまま、完全に固まっていた。
「……ココットくん?」
まるで魂が抜けてしまったかのように、微動だにしない。
(完全に固まってる……)
やっぱり、嫌なのだろうか。
「ココットくん……?」
「あ……ご、ごめん……」
ようやく我に返ったのか、ココットくんが慌てて瞬きをする。
「びっくりして、固まっちゃった……」
「そうだよね……。びっくりするよね。ごめん……」
私はしゅんと肩を落とす。
「とりあえず離れようか。ちょっと待ってね……今、魔法を解除するから……」
そういったものの――。
(……あれ?)
人と人との引力を解除するなんて、初めてだ。どうすればいいのかわからない。
物のときは、「離れろ」とイメージするだけで解除できた。
でも――。
(なんで離れないの……?)
どうしたらいいのかわからず、私は若干パニックになってしまう。
「本当にごめん。あの……魔法の加減がわからなくて……」
私は必死に言葉を続ける。
「少しずつ引き寄せる感じでイメージしたんだけど……うーんと……もうちょっとで解除できそうだから、待ってね。本当に迷惑かけちゃって……ごめんね」
わざとじゃない、私も本当は離れたい。その意思だけでも伝えようと、必死に言い訳を続ける。
けれど、正直なところ――。
(どうしたらいいの……!?)
完全にお手上げ状態だった。
「……何してんの?」
そのとき、聞き覚えのある声が、背後から聞こえた。
聞き慣れた声のはずなのに――。いつもとは明らかに違う、冷たい声だった。
「え……?」
振り返るとそこには、アルクスが立っていた。鋭い目つきで、私たちを見つめている。
「ア、アルクス……」
まずい。一見すると、仲良しのカップルが手を繋いでいるように見える。この状況を見たら、絶対に誤解される。
「……あの、これには事情がありまして……」
必死に説明しようとすると、アルクスの眉間にさらに深い皺が刻まれた。
「は?」
低い声が返ってくる。
「何? 俺のいないところで何してんの?」
「えっと……」
「これ、どういう状況?」
アルクスの視線が、私たちの繋がれた手へ落ちる。
「っていうか――この男は誰?」
その声に、ココットくんの身体がびくっと震えた。横目でココットくんを見ると、アルクスから放たれる凄まじい圧に怯え、完全に固まっている。
「あのね、この人はココットくんっていって……昨日、友達になったんだけど……」
「昨日?」
「うん。魔法の練習に付き合ってって、私がお願いしたの。それで……失敗しちゃって……」
「……で?」
アルクスが冷たい目を向ける。
「いつまでくっついてんの?」
「うぅ……」
私は困り果てる。
「恥ずかしながら……解除の仕方がわからなくてですね……」
「はぁ……」
アルクスは大きくため息をついた。
「本当に、いい加減にして」
次の瞬間、身体にかかっていた魔法が、嘘のように消えた。
アルクスが私の引力魔法を無効化したのだ。
「……あ」
ようやく解放される。
「ありがとう、アルクス」
そうお礼を伝えた、そのときだった。
「あの……ドラート様……」
ココットくんがおずおずと口を開いた。
「ぼ、僕がいけないんです。僕が彼女にできることはないかってお願いしたんです。それで……えーっと……その……」
「ふーん」
アルクスは興味なさそうに返す。
「まあ、君はもう行っていいよ。詳しいことはスピカに聞くから」
「は、はい……!」
ココットくんは慌てて服の乱れを直すと、ぺこっと頭を下げ、その場から足早に去っていった。その後ろ姿を見送ったアルクスは、ゆっくりとこちらを振り返る。
そして――。綺麗な笑顔を浮かべた。
……笑顔のはずなのに。なぜか、まったく目が笑っていない。明らかに怒っている。
「ねえ」
「……はい」
「なんか俺に言うことあるよね?」
「え?」
アルクスは笑顔のまま、私を見つめる。
「浮気者のスピカさん?」
「ち、違うよ!」
思わず声を上げる。
「浮気とかじゃないんだって! 誤解だよ!」
そもそも私とアルクスは、そんな関係でもない。浮気も何もないはずだ。だから、その言葉にはまったく心当たりがなかった。
「俺さあ、言ったよね?」
アルクスの笑顔が、ほんの少しだけ引きつる。
「俺以外のやつに、その引力の魔法使うなって」
「……はい」
その言葉に私は小さくなった。
「それは……とても心当たりがあります。すみません……」
「昨日の討伐が結構大変だったから、魔力もまだ回復してないし……今日も休もうかと思ったんだよ」
アルクスは呆れたように言う。
「でも、少しでもスピカに会いたいと思って学校まで来た結果が、これ?」
「……」
「俺の知らない奴と手繋いでるし。しかも、抱き合ってるみたいになってるし……」
アルクスの声が、どんどん低くなる。
「ありえないんだけど?」
「本当に抱き合ってたとか、そういうのじゃないんです……!」
私は慌てて説明する。
「練習に付き合ってもらった結果、私の魔法の加減が下手すぎただけで……」
「あー、もう……本当に腹立つ」
アルクスは頭を掻く。
「なんかあいつも彼氏面して、自分のせいとか言ってたし」
「彼氏面……?」
「本当にむかつく。あいつも、お前も」
そういうと、アルクスは両手で私の頬をむぎゅっと挟んだ。
「うぅ……!」
頬を潰され、唇が前に押し出される。
「ほんとにごめんなひゃい……。もうひません。ゆるひてください……」
頬を挟まれているせいで、舌足らずな声になってしまう。
「ふっ……」
アルクスが微かに笑った。
「なに、その顔」
そういって、ようやく手を離してくれた。私は自分の頬をさすりながら、ふと疑問に思う。
「でも、不思議なんだよね」
「何が?」
「アルクスに引力魔法を使ったときは、何も起こらなかったのに……。ココットくんに使ったときは、すごい威力になっちゃったの」
私は首を傾げる。
「アルクスは、なんでかわかる?」
「そんなの、俺の魔力量がお前より多いからだよ」
「魔力量……?」
「魔力の綱引きみたいな状態になるんだよ」
アルクスは簡単に説明する。
「だから、俺がスピカに負けるわけないでしょ?」
「あ……なるほど」
(だから魔力量の少ないココットくんは、簡単に引き寄せられたのか)
「そういうこと」
アルクスは頷いた。
「だ・か・ら」
そして声のトーンが変わる。
「俺以外には、その魔法使わないようにって言ったんだよ」
「……はい」
「それを俺の知らない男に使うとか、本当にありえない」
「……本当にごめんって」
私はしょんぼりと謝る。そのとき、ふとあることに気づいた。
(あれ……?)
双方の合意が必要ということは、解除するときも、双方の意思が関係するのだろうか?
あのとき、私は離れたいと思っていた。でも、魔法はなかなか解除できなかった。
ということは――。
(もしかして、ココットくんは離れたいと思ってなかった……?)
いやいや。そんなはずはない。あの時、ココットくんは固まっていた。きっと頭が真っ白になっていただけだ。
そんなことを考えていると――。
「ねえ」
アルクスが、じっと私を見る。
「今、またあいつのこと考えてるでしょ?」
「えっ!?」
(どうしてわかったの!?)
「とりあえず、今日は俺のそばから片時も離れないで」
アルクスは真っ直ぐ私を見つめる。
「いい?」
その声は、あまりにも不機嫌だった。これ以上怒らせるのは確実にまずい。私はぴしっと両足を揃え、敬意を示すように敬礼のポーズを取った。
「はい、わかりました!」
そして元気よく答える。
「どこまでもついていきます!」
今日は仲直りのためにも、アルクスの言うことをちゃんと聞こう。
「じゃあ、食堂について来て」
アルクスは踵を返す。
「俺、まだ昼食食べてないから」
「うん!」
そのまま歩き出そうとした瞬間――。右手を、ぎゅっと握られた。
「……え?」
あまりにも自然な動作だったせいで、私は一瞬反応できなかった。
「……っ」
遅れて、心臓がどくんと跳ねる。
(な、なんで……こんなにドキドキするんだろう)
そんな私の反応に気づいたのか。アルクスはちらりとこちらを見た。
そして――。
ほんの少しだけ口角を上げる。満足そうな表情。
「……かわいい」
耳元で、そう囁かれた。
「――っ!」
心臓が、さらに大きく跳ねた。私は思わず俯いてしまう。そんな私を見て、アルクスは何も言わずに歩き出した。
――その日。
アルクスの言葉通り、帰りの時間までずっと、私は彼の隣にぴたりとくっついて過ごすことになった。
移動教室のときも、右手は自然と絡め取られたまま。ずっと繋ぎっぱなしで移動した。その光景を見た他の生徒たちは「ひゃっ……!」と短い悲鳴を上げていた。恋人同士だって、こんなに一日中手を繋いでいることはないだろう。
けれど、帰りの頃には、アルクスもすっかり機嫌を直していた。
「今日はあんな光景を見せつけられて、どうしようかと思ったけど……」
満足そうに、繋いだ手を見る。
「手を繋いで恥ずかしそうにするスピカの可愛い顔も見れたし、まあよかったかな」
どうやら、ひとまず安心していいらしい。
アルクスと別れ、馬車へ向かう途中、私はなんとなく、自分の右手を見つめた。そこにはもう、彼の手はない。
なのに――。まだ、手を繋いでいた感触が残っている。不思議だ、ほんの少し前まで、ずっと繋いでいたはずなのに。
どうしてだろう……。私は右手を胸元へ引き寄せる。
「……なんだろう」
なぜか、少しだけ。ほんの少しだけ――。寂しい気がした。




