感謝の気持ち
試験も無事に終わり、結果は学年十八位。思っていた以上の好成績に、私は胸を撫で下ろしていた。
これも、放課後の時間を使って勉強を教えてくれたリタと、魔法の練習に付き合ってくれたアルクスのおかげだ。
二人に何かお礼をしたい。そう思っていたところ、ちょうど調理実習で好きなものを作る授業があった。
そこで私は、二人にクッキーを焼いてプレゼントすることにした。
調理実習の時間になると、私はリタとペアを組んでお菓子作りを始めた。リタが作っているのは、可愛らしくデコレーションされたカップケーキ。
一方、私はというと――。
「うん、うまくできたかも!」
オーブンから焼き上がったクッキーを取り出す。バターと甘い香りが、ふわりと鼻をかすめた。
「とても上手にできていますよ」
隣で作業していたリタも、にこにこと褒めてくれる。改めてリタのカップケーキを見ると、色とりどりにデコレーションされていて、とても可愛らしい。
「す……すごい。リタって料理もうまいんだね」
私のクッキーと比べると、その差は歴然だった。私も、もう少しお菓子を可愛く見せる技術があればよかったのに……。
そう思っていると、リタが少し照れたように笑った。
「私の家は酒屋なので、母が忙しいときは、私が弟のために料理をすることが多いんです」
「そうなんだ。リタは偉いね!」
「そんなことないですよ」
そんな話をしながら、私は焼き上がったクッキーを二個ずつラッピングしていく。最後にリボンを結び、ひとつをリタへ差し出した。
「ねえ、リタ。本当にいつも助けてくれてありがとう」
「え?」
「試験も、リタと一緒に勉強したから頑張れたの。だから、感謝の気持ちを込めてプレゼント!」
リタは驚いたように目を見開いた。けれど、すぐに優しい笑顔を浮かべる。
「スピカ、ありがとうございます。実は私も、スピカにプレゼントしようと思っていたんです」
「えっ?」
「こちらこそ、いつもありがとうございます」
「ふふっ」
「ふふっ」
顔を見合わせ、二人で笑う。こうして私たちは、お互いに作ったお菓子を交換した。
その時、リタが、私の机の上に残っているもう一つのラッピングに気づいた。
「もしかして……もう一つはアルクス様へのプレゼントですか?」
「う……うん」
私は少しだけ視線を逸らす。
「もらってくれるかは、わかんないけど……」
「きっと、スピカの作ったものなら喜ばれると思いますよ」
「そうだといいなあ……」
私はもう一度、きれいに包んだクッキーを見つめた。アルクス、喜んでくれるかな。
◇◇◇
――放課後。
待ち合わせをしている中庭へ向かっていると、廊下の先に女子生徒と男子生徒の姿が見えた。よく見ると、男子生徒はアルクスだった。どうやら女の子から呼び出されているらしい。
「あの……今日の調理実習でお菓子を焼いたんです。もしよかったら、受け取ってくれませんか?」
女の子は緊張で手を震わせながら、綺麗にラッピングされたお菓子を差し出している。しかし、アルクスは少し困ったように笑った。
「ごめんね。俺、人からの食べ物はもらわないようにしてるんだ」
「そ、そうですか……」
「気持ちだけ受け取っておくね。ありがとう」
そういって、アルクスは女の子と別れた。そして、そのままこちらへ向かってくる。私はとっさに手に持っていたクッキーの袋を鞄の中へ隠した。
「あれ? スピカ」
アルクスが私に気づいて笑う。
「ちょうど俺も今、向かってたところ。一緒に行こうか」
「うん……」
中庭へ続く道は、この時間になるとほとんど人が通らない。私たちは並んで歩きながら、中庭へ向かった。
アルクスは外を眺めながら、最近流行っている演劇の話をしてくれている。
でも、私の頭の中は、さっきのクッキーのことでいっぱいだった。
アルクスは、「人からの食べ物は、もらわない」そう言っていた。だったら、私が作ったクッキーも……。
「ねえ?」
「……?」
「スピカ、さっきから上の空じゃない?」
「え?」
「俺の話、ちゃんと聞いてる?」
「う、うん。演劇が流行ってるんでしょ?」
「……」
アルクスが私をじっと見る。
「そう。で、夏休みに一緒に演劇でも見に行かない? って話」
「ええっ!?」
思わず大きな声が出た。まさか、アルクスから遊びに誘われるなんて。
「……本当に何も聞いてなかったんだね」
「ご、ごめん……」
「それに、遊びのお誘いじゃないよ」
「え?」
アルクスが楽しそうに笑う。
「デートのお誘い。約束ね」
「そ、それにデートって……」
私は慌てて首を振る。
「私たちは、そんな間柄でもない気が……」
「まあ、デートだと思っておいてよ」
アルクスはそういうと、私を見下ろして微笑んだ。
「ちゃんとお洒落してきてね」
「うん……」
こうして、次の夏休みはアルクスと演劇を見に行くことになった。
その後も、アルクスはいつものように魔法の練習に付き合ってくれた。最近では、魔法の扱いにもかなり慣れてきている。
物を回転させたり、引き寄せたものを元の場所へ戻したり。以前ならできなかったことも、今では少しずつできるようになっていた。
「うん。問題ないね」
アルクスが満足そうに頷く。
「次からは、また違う魔法を練習しようか」
「違う魔法?」
「スピカの引力魔法は、一点に引き寄せることもできるはずなんだ」
アルクスが地面の一点を指差す。
「それができれば、魔物と対峙したときにも対応できると思うよ」
「うん! お願いします!」
「ふぅ……」
アルクスが大きく伸びをした。
「なんか、こういうゆっくりした時間を過ごすの、俺は久しぶりかも」
そういって、アルクスは芝生に寝転がった。私も隣に座ろうとすると――。
「スピカ、こっち」
「?」
アルクスは自分の上着を芝生に敷いた。
「この上にどうぞ」
「ありがとう」
こういうところがきっとアルクスがモテる理由の一つなんだろう。そう思いながら鞄を横に置いた、その時だった。
「あれ?」
アルクスが、鞄から少しだけはみ出していたものに気づいた。
「スピカ、これ何?」
「――!」
まずい。
アルクスがラッピングされたクッキーを取り出した。
「え、あ……」
私は慌てて手を伸ばす。
「そんなに慌てると怪しいんだけど」
アルクスが楽しそうに笑う。
「綺麗にラッピングしてあるし……もしかして、誰かへのプレゼント?」
「いや……その……」
私は言葉に詰まった。
「プレゼントだったんだけど……いらなくなったというか……」
「ふーん?」
アルクスがじっと私を見る。
「で? 誰に渡そうとしてたの?」
「……」
「濁すってことは、俺には言いにくい相手ってことだよね?」
アルクスは少し不服そうな顔をしている。私はアルクスの視線を逸らした。
――だって。
さっき、あんな話を聞いたばかりなんだもの。人からの食べ物はもらわない。そんなことを言われたあとで、渡せるわけがない。
「ねえ、答えてよ」
アルクスは身体を起こすと、私との距離を詰めてくる。そして、逃げ場を塞ぐように顔を覗き込んだ。
「実は……」
私は観念して口を開く。
「アルクスに、日頃のお礼で作ったの」
「……え?」
「でも、アルクスは人の手作りのものなんて食べないでしょ?」
私はできるだけ明るく笑った。
「だから、これはお父さまにあげるから大丈夫! 気にしないで!」
恐る恐るアルクスの顔を見る。
すると、彼は口元を手で覆っていた。そして、ほんのりと顔が赤くなっている。
「……え?俺に?」
「うん」
「本当に?」
「うん。魔法の練習でも、いつも助けてもらってるし……お礼にと思ったの」
アルクスはしばらく黙ってクッキーを見つめていた。やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「……いやだ」
「え?」
「これは、もらうよ」
アルクスは私の手からクッキーの袋を受け取った。
「でも、アルクスは人からの食べ物は――」
「もらわないよ」
「じゃあ……」
「普通ならね」
その言葉に、思わず顔を上げる。アルクスはラッピングを眺めながら、少しだけ目を細めた。
「でも、スピカが俺のために作ってくれたものなら話は別」
「……本当に?」
「うん」
アルクスは袋を開けると、中からクッキーを一枚取り出した。
「今、食べてもいい?」
「もちろん!」
そう答えると、アルクスがクッキーを口に入れる。私は少し緊張しながら、その様子を見つめていた。
「……どう?」
「うん」
アルクスはゆっくりと咀嚼する。
「すごくおいしい」
その瞬間、彼の表情がふっと緩んだ。
目尻が下がり、いつもの余裕のある笑顔とは少し違う。心から嬉しいと思っているような、そんな顔だった。
「スピカは料理上手だね」
「本当?よかったぁ……」
私は思わず胸を撫で下ろす。
「でも、本当に無理しなくてよかったのに」
「無理なんてしてないよ」
アルクスはもう一枚クッキーを手に取った。
「むしろ、嬉しい」
「そんなに?」
「うん」
アルクスは私を見つめ、柔らかく笑う。
「俺のために作ってくれたんでしょ?」
「それは……まあ、そうだけど」
「じゃあ、嬉しくないわけないじゃん」
あまりにも真っ直ぐ言われて、少しだけ恥ずかしくなり、私は視線を逸らした。
「……また作ろうかな」
「ん?」
「アルクスがそんなに喜んでくれるなら、また何か作ってもいいかなって」
そういうと、アルクスの動きが止まった。
「……本当に?」
「うん」
「じゃあ、次も俺に作って。楽しみにしてる」
その笑顔があまりにも嬉しそうで、私は、ただお礼のつもりで作っただけなのに、なんだかこちらまで嬉しくなってしまった。
「じゃあ、次に会うときはデートかな?」
「はいはい……」
「楽しみにしてるね」
デートではないと言っても、デートだと言い張るアルクス。もう私は適当に聞き流すしかなかった。
「そういえば……私の魔法って人にも使えるのかな?」
ふと気になったことを口にした。アルクスの表情が、わずかに変わる。
「使えるよ。ただし――」
彼は少しだけ表情を曇らせた。
「人に使うのは、物に使うのとはわけが違う」
「……」
「相手の魔力との勝負になるし、下手をすれば相手を転ばせたり、怪我をさせたりすることもある」
「そっか……」
確かに、物と違って人には意思がある。無理やり引っ張れば、バランスを崩してしまうかもしれない。
「だから、人に使う時は必ず相手の許可を取ること」
「うん、わかった!」
私は素直に頷く。するとアルクスは、少し考えるように目を細めた。
「それと――」
「?」
「俺以外のやつに、その引力の魔法使わないでね」
「え?」
思わず聞き返す。
「なんで?」
「……危ないから」
アルクスは少しだけ目を逸らした。
「でも、さっき許可を取ればいいって……」
「人に使うなら、俺を相手に練習すればいいでしょ」
「でも、アルクスには全然効かなかったよ?」
以前、試しにアルクスへ引力魔法を使ったことがある。けれど、どれだけ魔力を込めても、彼はその場から一歩も動かなかった。
「あれは本当にびっくりしたよ」
「だからいいんだよ」
「?」
意味が分からず首を傾げる。するとアルクスは、いつものように口元に小さな笑みを浮かべた。
「俺なら、スピカがどれだけ失敗しても止められるから」
「ああ……」
確かに。アルクスほど魔力が強ければ、私の魔法で怪我をさせる心配もないのかもしれない。そう考えると納得できた。
「とにかく」
アルクスは私の目をじっと見つめる。
「約束」
「う、うん……わかった」
私は素直に頷いた。
「うん、よろしく」
満足そうに笑うアルクス。
けれど、この時の私は、それがただの心配から出た言葉だと思っていた。
まさかその言葉が――。後になって、あんなに怒られる原因になるなんて。この時の私は、まだ知らなかった。




