3話 サムタイム・ハブ・ティー
気怠い身体を起こし、するりとベッドから降りる。
一糸も纏っていない身体だが、特に寒さは感じない。もともと一年中が夏のような気候なのだし、それにマザーパーチ号の空調は適温を保ってしっかりと管理されている。
ううん、と唸り背を伸ばす。
デスクの上に置いてあるデジタル時計は、午前五時前を示していた。
「ほら、もう朝だよ。いつまで寝てるつもりだい、ロック!」
ベッドで寝息を立てている大男に声をかける。ロックロックは、一瞬だけ顔をぎゅっと顰めると、まだ眠たそうに細く開いた眼を向けた。
「……なんだよ、もう朝なのか。ったく、こんな早くに起こさなくたっていいだろ。緊急招集もなけりゃ、作戦前でもないんだぜ。朝くらい、ゆっくりしてようぜ、レドナ」
「ダメだね。景気のいい一日ってのは、健やかな朝からはじまるっていうもんさ。ほら、さっさと起きな」
寝具を剥いで無理やり起こしてやると、ロックロックは諦めたようにため息を吐く。
ぶつぶつと何か言いながら起き上がる頬に軽く唇をつけてから、昨晩蹴飛ばした下着へと手を伸ばした。
小さめのアイスボックスを開けて、保存された食料品を眺める。マザーパーチ号のパイロットにあてがわれた個室はそこまで広くないが、簡易なキッチン設備もあるから、手間のかからない調理なら問題はない。
ロックロックはとにかく量を食べるから、準備する朝食もボリュームがでるようにしてやらなくてはいけない。
その巨体に見合った食べっぷりは気持ちがいいし、それくらいの方が作り甲斐があるってもんだから面倒だとかは思わない。それに、男はそれくらいじゃなきゃいけないのさ。
塩漬けした野菜と肉を煮込んだスープのリャッカに、香辛料に漬けておいた肉に薄く衣をつけて揚げ焼にしたツッツをどっさりと。ちょっと固くなった黒パンを軽く炙ったものを食卓にあげる頃には、ロックロックは前髪を整え終えていた。
あの盛り上がって少しカールさせた前髪のセットには、少々時間が必要なことはよく知っている。
「さぁ、朝食にしよう! 今日も一日、良い日にできるように」
ロックロックは手を合わせるともりもりと食べ進める。
その様子に安堵と嬉しさを感じながら見ていると、なにか思い出したかのように手を止めた。
「そういえばよ。最近の副官殿、どう思う?」
「クーナのこと? どうって?」
「なんだかこう、妙に張りきってるというか、張りつめてるというか。ここに来たばっかりの頃にすっかり戻ったような感じがしてよ」
ふぅん、と返事をしながら、スプーンにすくったリャッカを啜る。
ロックロックが指摘したことは、アタシとしても感じていたことだ。生真面目な性格をしているあの子のことだから、またなにか背負いこんでいるのかもしれない。
「それで?」
「いやさ。ついこの間、艦長と隊長が許可する形で、特別民間協力者ってかたちで入隊した坊主がいただろ? あの赤髪の」
「ああ、発見されたアーキタイプに搭乗してた子。訓練も受けてないのに、手負いとはいえ中型ビーストを殴り倒したっていうんでしょ? ダリル隊長が腕前を買って、スカウトしたって話を聞いたわね」
「そう、そいつ。スレイってんだけど。なんだってあのグレッサ・イニゲスの息子なんだとよ」
グレッサ・イニゲス……。有名な名前だ。
知らないドールズ乗りはいないだろう。北テレイア出身のロックロックも、東テレイア出身のアタシであっても、海を跨いでその名を知っている。
「へぇ。英雄の息子かい。そりゃ、なんとも運命的な話だね」
「俺様もそうは思ったんだがな。いや待てよ、と喉につっかえるものがあったんだ。それで思い出したんだが、クーナはこの隊に来る前、共和国の軍技研所属だったろ? そこで良くしてもらった恩人てのが、グレッサ・イニゲスなんだよ」
その話はクーナ自身から聞いている。
詳しくは話してもらっていないが、彼女の渾名に関連することだということは想像に容易い。実際、基地に迎えに行った時も、数人の隊員に取り囲まれ、私怨の矛先になっているところだった。
「……恩人と感じていたグレッサ大尉の消息不明。約半年後に発見された搭乗機と、それに乗って戦う彼の息子。そして、その息子が入隊を志願して許可された……。まぁ、あの子が背負いこむには、十分すぎる理由だわね」
スレイの訓練を担当してるのはクーナで、そう決めたのはダリル隊長だったが、そこらへんの事情は勘案してるのだろうか……。まぁ、あの抜け目ない男のことだから、考え得る最良の選択をしたのだろう。
「ちょっと覗いてきたが、訓練への熱の入りようは結構なもんだぜ。シュミレーター訓練、戦術などなどの座学に、副官殿直々の指導。新兵だって、あんなに詰め込みやしない。休みなしだぜ? スレイだって、なんとか追いつこうと必死なわけだ」
「……そりゃ、なかなかハードだね」
ロックロックは、右手に握るスプーンをこちらに向けた。
「だろ? こんなんじゃ、二人とも肉体的にも精神的にも擦り切れちまう。若者がそんなふうになっちまうのを、見過ごせやしないだろ。ここは、俺たちの出番じゃないか?」
◆ ◆ ◆
「……それで、急にどうしたというんです?」
予定していた訓練に向かう直前、突如現れたアタシとカノゥに半ば強引に連れられ、休憩室までやってきたクーナは、不満そうに口をとがらせた。
四角い卓を囲んでいる三人以外に、人影はない。
他の乗組員はそれぞれの持ち場で任にあたっている。通信士官であるカノゥを連れ出せたのは、ちょうど休息時間だったからだ。
「ちょっと力みすぎてる副官殿の、ガス抜きというやつさ。教え子も休みなんだ。先生が休んだってバチはあたんないよ」
今ごろスレイの方も、ロックロックに連れられて同じような目に遭っているだろう。アックス、ジャベリンのTACネームで呼ばれる、アジャンとフランクらも伴って。
「……はぁ。ロックロックね。こんなことを考えるのは。レドナも、こんな企みに手を貸さなくたっていいでしょうに。訓練の積み重ねが、スレイ自身の命を守ることに直結するのだから。彼には少しでも、生き残る確率を上げてほしいのだけれど」
「そんなことは分かってるよ。だけどね、根を詰めすぎるのも良くない。あんたら、訓練と講義、出撃にとぶっつづけだろ。人には限度がある。集中力を保っていられる、限界というものがね。それを過ぎちまえば、どんな学びだって身に入りやしない。逆効果になるだけさ」
両肩を竦めてみせると、クーナは顔を顰める。
言われなくとも分かっている筈なのに、今回ばかりは外側から指摘されるまで気付かなかったらしい。
「……それは、その通りだわ……」
「だろう? 優等生のアンタのことだから、そんなの百も承知かと思ったのにね。かの有名なキサラギ研だって、そこまでやりゃしないだろうに。……それとも、アンタは訓練しかしてこなかったのかい?」
痛いところを突かれたかのように目を見開いたクーナは、よそよそと視線を泳がせる。どうやら図星らしい。
(……こりゃ、孤高の優等生ってヤツだったのかね。同期の連中はなにをやってたんだか)
たしか同時期にドールズパイロットの訓練を受けていた者が数名いたはず。そんな連中とかかわりも持たず、片時も教本を手放さないクーナの姿が思い浮かび、思わず苦い笑いが出た。
「まぁまぁ、いいじゃないですか。マザーパーチ号の女性隊員三名がこうやって顔を会わせたんですから。それで、どんなお話をしますか? 面白い噂話なら、いくつか仕入れてますよ?」
カノゥはにこにこと嬉しそうに笑う。
部隊内外の噂話を聞き集めては、独自の解釈を加え、真相を調査することを趣味にしている彼女にクーナの相手を任せて席を立った。
備え付けられた給湯スペースに行き、予め用意しておいたティーカップに湯を注ぐ。
カップを温めている間に、ポットに茶葉を入れて湯を注ぐと、湯気とともにふわっと香りが立った。何種類かの香辛料を混ぜ合わせた、辛味に爽やかさが織り交ぜった香りが鼻孔を抜けていく。
ポットの蓋を閉めて二人の方向を見る。身振り手振りに話すカノゥの雰囲気に、若干後ろに身を退かせながらも、クーナは耳を傾けている。
その表情はいくぶんか力が抜けたように見えた。
(こういう時、物怖じしないあの子の性格が助かるよ)
カップの湯を捨て、しっかり水分を拭う。
ポットの取っ手を握り、手首だけで揺らすように回してから、カップに紅茶を注いだ。
「……それじゃあ、艦長と大統領は古い顔なじみということ?」
「いえいえ、きっとそれだけじゃないですよぅ。なんせ大統領がまだまだ無名な、新人政治家時代からの付き合いらしいですから……あ、良い香り」
「レイルズ艦長の話? たしかご結婚されてないんでしょ? 気さくな方なのにね」
三人分のティーカップと、お茶請けの焼き菓子を置く。
「アタシお気に入りのスパイスティーと、木の実たっぷりのガレーだよ。さ、冷めないうちに」
椅子に腰を降ろしながら手のひらを向けてそう勧めると、クーナはティーカップを持ち、ふぅふぅ息を吹きかけて口をつけた。
小さな口から、ほぅとため息が漏れた。
「……美味しい」
「そうだろ? ただでさえ、アタシたちの仕事は緊張感がすごいからね。いざという時に踏ん張れるよう、力が抜ける時にはしっかり抜いておかないとね」
「……レドナは、いえ、他の隊員も同じなのかしら」
「そりゃそうさ。ロックロックなんかわかりやすいだろ。ギターを鳴らして、下手な歌を格納庫で披露してんだから」
カノゥが言葉を継いだ。
「しかもいつも同じ曲ばっかりですもんね。そろそろ新曲を、って整備班でも要望がでているそうですよ」
「ふふ、アイツは凝り性だからね。人前でミスなく演奏できるまで、お披露目はしないのさ」
口をへの字に曲げながら、ギターを相手にしている顔が思い出された。
「……私は、こういうことに疎いから、よくわからない。キサラギ研に居た時も、軍に移ってからも、誰かと過ごすことなんて、あまりなかったし。みんなのような時間の過ごし方は、してこなかったから」
視線を落として、クーナは言った。
「やればやるだけ、力になる。そんなこと、適度な休息があってこそなのに。私は、自分がそうしてきたからと、スレイにもそうするべきだと押し付けてしまった……。隊の副官として、不甲斐ないことだわ」
そんなこと、と口を開くカノゥに被せて「そうだね」と頷いた。
「スレイからすれば、アンタは上官だ。従軍経験のない民間人あがりなんだし、命令があれば服従するだろうさ。いくらキツイ命令でもね」
クーナのカップを握る手に、ぐっと力がこもる。俯いて表情までは見えなかったが、おそらく眉を寄せて苦々しい顔をしているのだろう。
「……でもまぁ、スレイが自分の身を守れるようになるには、厳しさが必要なのも事実。アンタの考えも間違ってはいないさ」
別にクーナを責めようと考えたわけじゃない。
伝えなくてはいけないことだからああは言ったが、クーナはスレイを考えて懸命に役割をこなそうとしているのだ。それを否定してはいけない。
「要は、余裕を持たせることだよ。スレイにも、アンタにもね」
クーナの顔が上がる。細められた青い瞳の先には、ティーカップがあった。
「レドナのように……」
「別にアタシを真似することはないよ。カノゥみたいに他人のあれこれを聞き集めて、もしかしたらと想像を膨らませるのだって、趣味といえばそうなんだし」
「レドナさん、そこはかとなく、トゲを感じるんですけど」
カノゥのじとっとした抗議の視線に、眉を上げるだけで返事をする。
「……私に、できるかしら」
「なぁに。そんなに難しく考える必要はないさ。……そうだ、今度スレイとお茶でもしてみなよ。互いに親睦を深めるいい機会じゃないか」
クーナは少し戸惑うような顔をしている。どうしてそんなことを、とでも思っているのだろう。
「コミュニケーションを取ることは、大事だよ。パイロットをやる以上、私たちは命を預け合うことになるんだからね。特に、アンタとスレイは当分コンビを組むんだし、少しでも打ち解けあう時間は必要さ」
我ながらそれらしい言い分にも聞こえるが、狙いは他にある。
年齢の近いスレイという存在が、クーナの冷えて凍ってしまった心を解きほぐしてはくれないだろうか。そのきっかけになるだけでもいいのだが、それこそ余計な気遣いかもしれない。
「生き残る確率を上げるんだろう? そんなに、的外れとも思わないけどね」
「……わかった。善処してみる」
「善処って、随分固い言い方だね。お茶してお菓子でも食べながら、最近どう? って話すだけなんだから。肩肘張らなくていいじゃないか」
不安を残したぎこちない笑みを、クーナは浮かべる。
その数日後。
ろくに淹れ方も知らないまま、クーナが濃く渋い紅茶をスレイに振舞った。
その反省を活かして料理を習いたい、とクーナが自室に訪れた時、可愛い一面があるものだと思わず抱きしめたのだった。




