風邪よりも厄介なもの
「木山、なんだよ。その微妙な表情は。」
「いやぁ……。それって、つまり、恋じゃねぇかなって。」
昼休み、木山の口から出た言葉に、俺は持っていたパンを地面に落としてしまう。
木山とは小学校からの長い付き合いで、お互いのことは割と分かっているとは思う。
しかし、いまの発言は、俺にとって予想もしていないものだった。
「いや、なんでそうなるんだよ。」
「だって、お前。いままで、他人には興味はないとか、そんなスタンスだっただろ。なのに、その根川ってやつと話すようになってから、なんか楽しいって思うときが増えたんだろ。」
「……楽しいまでは、言ってないだろ。」
「気になってる、だっけか。お前が気になるって言う人物いなかっただろ。あと、見れば楽しそうだってことは俺にも分かるよ。何十年の付き合いだっての。」
木山はため息をつき、手に持っていた野菜ジュースのストローを口に含み、吸い上げる。
もう中身は少なかったのか、すぐにズゴゴゴと鳴る。
その音が気にならないぐらいに、考えが巡る。
俺が、根川を好き……。好きってなんだよ。
そんなことあるはずがない。
そもそも、恋なんて経験したことはない。
同級生や後輩、年上の女に告白されたことはある。
その度に、何の感情も湧かなかった俺は告白を断ってきた。
目の前で泣かれたこともあれば、頬をビンタされたこともあった。
いままでもこれからも、恋なんて知らずに生きていくものだと思っていた。
だから、これが恋なんて思わなかった。
本当にこれが恋なのか。
根川とはちょっと話して親しくなっただけで、木山の発言は大げさすぎるのではないのかと思う。
考え込んでいると、木山が話を続けた。
「まぁまぁ。小島はさ、もっと自分の気持ちに敏感になった方がいいぜ。……いいなぁ、俺も恋してぇ。出会い探しに行くかぁ。」
「お前、彼女いただろ。」
「あ、言ってなかったっけ。……振られた。」
木山が肩を落とした後、俺に抱き付く。
「俺、良い男なのにぃ。」と泣きながら、俺の制服をハンカチのように使う。
俺は、そんな木山を投げ飛ばしていた。
次の日、俺は珍しく風邪をひいた。
昨日は、木山に言われたことが頭の中を巡ってしまい、変に夜更かしをしてしまったせいだ。
しかも、少し肌寒くなってきたのにもかかわらず、寝る前に窓を閉め忘れており、冷たい風が部屋の中で充満していた。
朝起きると、体がだるく、関節がしくしくと痛んだ。
熱を測ると、高熱というほどではないが、学校を休めるくらいの熱はあった。
俺はため息をつきながら、母親に連絡を取る。
「熱出た。学校休む。連絡しておいてくれ。」
簡潔に、なおかつ業務連絡のような内容。
送るとすぐに既読になり、母親からは「分かった。ゆっくり休んでね。」とこれまた簡潔な内容だった。
その返事を見た俺は、最低限の栄養と薬を飲み、布団に潜り込む。
熱のおかげなのか、昨日寝れなかったせいなのか、すんなりと寝ることができた。
かすかに玄関のチャイムが鳴っている音がする。
俺はゆっくり目を開ける。
思った以上によく睡眠をとれていたらしい。外は夕暮れで、少し暗くなっていた。
もう一度、チャイムが鳴る。
俺は重い体を起こし、玄関のほうへ向かった。
「……勧誘とかだったら、いらねぇよ。」
扉を開けながら目の前の人物に言うと、目が合った。
根川が突っ立ていたのだ。
「小島君、こんにちは。体調どうかな。」
「あ、あぁ。」
これは、夢なのかと一瞬考え込む。
俺は咄嗟に腕を捻り、痛みを確認した。
痛みはある。
これは夢ではないらしい。
そんな変な行動をしている俺をあまり気にしていないのか、根川は紙の束を差し出す。
「先生に頼まれて、プリント持ってきたんだ。期限が早いらしいから、次来た時に提出期限過ぎてるかもしれないからって。」
根川はプリントを鞄から取り出しながら、答える。
それを受け取りながらも、俺の頭の中はプチパニックになっていた。
「お前、なんで家の場所知ってんだよ。」
「え、なんでって。えっと、木山君と途中まで来たんだよ。僕は小島君の家、知らなかったし。木山君、幼馴染なんだってね。」
「……幼馴染じゃねぇよ。腐れ縁みたいなやつだよ。んで、その木山は。」
「木山君は、なんか用事があるからって、先に帰っちゃった。」
根川は「木山君って、良い人だね。」と言いながら笑う。
俺は「木山は優しい奴じゃない。」と返答しようとして、根川のことを見る。
笑顔で根川がこちらを見ており、なぜか眩しさを感じた。
この眩しさはなんだと目をこする。
「まぁ、プリントは渡した訳なんだけど……。もう一つ、渡したいものがあって。……これ、あげるよ。」
根川が差し出したのは、スポーツドリンクとゼリー。
目の前に差し出されたが、俺は受け取らなかった。
「……いい。借りは作らないたちなんだ。」
「……前さ、助けてくれただろう。体育祭の準備の時。お礼もちゃんとできてなかったから。その借りのお返しってことでさ。受け取ってよ。」
根川は言葉を選びながら、俺が受け取りやすくなるように言ってくれたんだろう。
ここまで配慮されると、受け取らないのもよくないと感じ、受け取ろうとする。
一歩踏み出した瞬間、体がふらつき、根川に抱き着くような形で倒れ込んでしまった。
「わ、わるい。」
俺はすぐに体を立て直そうとしたが、うまく力が入らない。
しかも、かなり体が密着している。
そんな時に木山の言葉を思い出してしまった。
「恋じゃねぇかなって。」
途端に、俺は体温が上がる感じがした。
熱のせいなのか、それとも別の理由なのか、もう分からなかった。
根川も驚いたのか、一瞬言葉を失っていた。
だが、少し間をおいて、体勢を整えて俺の腕を自分の肩に回し、玄関先に座らせる。
根川も隣に座り、そのまま俺の額に手を当て、熱を確かめた。
「うわぁ……。小島君、熱上がってきてるのかも。急な訪問で無理させちゃったよね。」
根川は、無意識なのか、額に当てていた手をそのまま頭のほうに移動させ、小さい子を撫でるように撫でた。
俺はこの瞬間、気が付いてしまった。
木山の言っていた通り、俺はこの目の前の男に恋をしてしまったのだと。
認めてしまえば、心のおさまりは良く、もやもやとしていた気持ちがなくなった。
根川は、座っている俺に先ほどのスポーツドリンクとゼリーを隣に置いた。
「長居するのは、小島君に負担がかかっちゃうよね。元気出たら、また学校で会おうね。」
根川は自分の荷物を持ち、「じゃあね。」と言いながら玄関の扉を閉めた。
俺は玄関に置かれたスポーツドリンクとゼリーを見つめながら、深いため息をついた。
これが、はじめての恋だと認めたくなかった。
読んでいただき、ありがとうございました。
今回は、小島が自分の気持ちに気付き、それを認めたくない――そんな回となりました。
恋は落ちるものだと、個人的には思っています。
だからこそ、その瞬間を言葉で表現するのは難しく、それでも読んでくださる皆さんに少しでも伝わっていたら嬉しいです。
では、また次回お会いしましょう。




