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「完結済」「記録しか取り柄がない」と婚約破棄されたので、引き継ぎ書類だけ置いて静かに去りました  作者: 夢見叶
第8章 全回収と幸福の刻印

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第49話 功績が「公」に刻まれる

 封蝋の欠片が、机の上で光を拾った。


 グレゴールの目が、そこに張り付いている。わたくしは動かなかった。帳面を閉じたまま、呼吸を整えた。議場の冷えた空気が指先を包む。次の提示で、全部が繋がる。その瞬間まで、まだここで立っていなければならない。


「……証拠の提示を、続けよ」


 裁定長アデルバルトの声が、静かに落ちた。感情がない。それが今は、公正の形をしている。


 わたくしは帳面を開いた。


「受領印の照合を、提示します」


 2枚の書類を机に置いた。1枚は議事録束の末尾に綴じられていた受領確認書。もう1枚は、収受台帳の写し。2枚を並べると、ひとつの欠けが浮かぶ。


「受領確認書には、印があります。しかし収受台帳に対応する記録がない。受け取ったという証明が、書庫の公式記録に残っていません。印が薄いのではなく、台帳への転記が、ない」


 グレゴールが口を開いた。


「受領は済んでおります。——規定上は」


「規定上は」


 レオン様が、静かに繰り返した。


 その一語が、空気に落ちた。規定上は、済んでいる。逆に言えば、規定の外に実態がある。裁定長の手元の帳面に、羽ペンが音を立てた。


「台帳への転記がない場合、手続きは完了とみなされない。——規定の文面だ」


 アデルバルトが続けた。


「グレゴール。反論があれば、証拠を以て示せ」


 グレゴールの指先が動いた。机の縁を拭う仕草。インクなど何もないのに、何度も、何度も。


「……第三者の証言によって補完——」


「証言より先に記録を出せ。書庫の慣例だ」


 裁定長が、また断ち切った。


 わたくしは3枚目の書類を出した。


 ベルトランの証言書。現場が欠落を知りながら、上から止める権限を与えられなかった経緯。管理官の肩書と、震える手で書かれた署名。この証言書が届いた時、彼の手が揺れていたと、ロイドから聞いた。揺れていても、書いた。それだけで、重い。


「書庫管理官ベルトランの証言書を、補足として提示します」


 グレゴールが、証言書の署名欄を見た。唇が、閉じた。


 その沈黙が、答えだった。


 わたくしは最後に、封蝋の欠片を取り上げた。


「封蝋の印を、提示します」


 議場が、動いた。気配として。誰も声を上げていないのに、空気が変わる。


「第43話の夜、書庫保管庫の扉に触れた痕がありました。封が割れかけていた。その扉の封に使われていた蝋は、王都式の封蝋材です。辺境の書庫には配布されていない型。そして——」


 欠片を、光の当たる角度に傾けた。


「焼けても、印は残ります。この欠片の裏側に、起票者の印が浮いています。掻き落とした痕がある。それでも、残っています」


 グレゴールの顔が、変わった。


 磨かれた靴の音が、一度だけ石床を叩いた。立ち上がりかけて、止まった。


「……そんなはずは——署名欄に、穴が——」


「ある、と認めた」


 レオン様の声が、静かに落ちた。


「規定の穴を知って使った。記録を燃やそうとした。それが故意の証明だ」


 グレゴールの口が、開いたまま止まった。指先がようやく机の縁から離れ、膝の上に落ちた。インクが付くのを嫌う手が、今は何も拭わなかった。


 派手な弁明は出てこなかった。体面の言葉も、規定の盾も、今この机の上では使えなかった。使えなくなったのは、欠落と印という、地味な2本の糸のせいだ。


 裁定長が鐘を1度鳴らした。


「証拠の提示を以て、手続き不備および記録の意図的欠落を認定する。グレゴール、審問に移行する。本裁定における主要事実は、確定とみなす」


 その言葉が、石の天井に吸い上げられていくのを聞いた。


 確定、という音の重みが、じわりと体の中に降りてきた。


 ロイドが後ろでかすかに揺れた音がした。多分、また胸に手を当てていた。振り返らなかったが、気配でわかる。


 裁定長が帳面を一度閉じ、別の帳面を開いた。


「付帯として。この裁定に際し、記録の整理・証拠化・提示順の設計を担った書記官候補の功績を、公として記録に残す。名を告げよ」


 息が、止まりかけた。


 公として、という言葉が、胸のどこかを叩いた。ただの手続きの言葉だ。でも手続きの言葉が、こんなにも重い。


「……セレスティーヌ・フォルセット」


「記録に残した」


 アデルバルトの羽ペンが、帳面に名前を刻む音がした。たった1行。地味な、小さな1行。でも、消えない。燃やされても、掻き落とされても、今この議場の公の帳面に残る。


 名前が、残った。


 後ろでロイドの息が、深く震えた。堪えていた。でも今度は、完全には堪えきれなかった。


 レオン様が、わたくしの隣に立っていた。


 視線だけが、横に動いた。わたくしと目が合った。合って、逸れた。


 何かを言いかけた。口が、わずかに動いた。でも、出てこなかった。


 帳面を閉じた音がして、議場の空気が少しだけ緩んだ。書類を片付ける気配。鐘の余韻がまだ天井にある。その中で、彼の口が、もう1度だけ動いた。


 声にはならなかった。


 レオン様の机の端に、例外条項に挟んだ付箋が、まだそこにある。声に出さなかった宣言の続きが、まだ、机の上に残っている。


読んでいただき、ありがとうございます。


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『名前を呼ばれない婚約者を捨てたら、筆跡で見つけた公爵様に溺愛されました』
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