第45話 索引の穴から黒い意図
参照欠落の穴が、同じ部署を指していた。
夜明けまで1時間を切った机の上に、赤い索引札が4枚、並んでいた。そのうちの2枚が、完全に同じ章番号の欠けを持っている。偶然の確率を計算するのに1秒もかからなかった。条約の参照番号と議事録の参照番号——バラバラに見えていた欠落が、2束とも、同じ場所から取り除かれている。意図だ。意図のある手が、意図のある方向へ向けて消している。
「……方向が揃っています」
声に出してしまったのは、確かめたかったからだ。自分の頭の中だけで決めると、後で「見たかったものを見た」と疑い始める。紙に出して、声に出して、それが初めて証拠になる。
レオン様が机の端に寄ってきた。
「欠落の章番号——財務系の書庫参照か」
「はい。どちらも財務監査に関わる部署の書庫区分を経由する形になっています。別々に見えた欠けが、全部、同じ場所から抜かれています」
沈黙が1秒、伸びた。
「財務系と書庫管理が、同じ手にある」
「……可能性が、高いです」
彼がカップを3度、かすかに直した。それだけで、十分だった。
議事録の束を引き寄せた。受領印の確認は昨夜からずっと後回しにしていた。今やる。3件、印影が本来の濃さの半分しかない受領があった。1枚目を手に取って、縁を見た。
「……嫌な感じがします、この受領印」
声に出てしまっていた。ロイドが傍に来た。
「嫌な感じ、とは」
「薄すぎます。受け取った証拠にするには、この印影は脆い。本人が実際に受け取ったかどうかを問われた時、この薄さでは答えられない」
ロイドが白手袋を二重にして束を覗き込んだ。それから、机の上の議事録束をそっと動かした瞬間、傍に置いていた蜂蜜の小瓶が傾いて、束の角に触れかけた。わたくしは無言で帳面を差し込み、瓶の落下を止めた。ロイドが真顔のまま瓶を机の端に押しやり、何も言わずに受領束の脇に「要提示」と書いた付箋を置いた。
空気が少しだけ、緩んだ。
来客控室で、レオン様が紙を広げていた。「受領が確認されない場合、誰が損害を負うか」「書庫区分の変更を誰が承認したか」「参照番号の欠けは、いつ気づかれたか」——1問ずつ、短く、角がある。答えに詰まればそれ自体が答えになる問い方だ。
「この質問の順番、1つ変えてもいいですか」
彼が顔を上げた。
「どこを」
「受領を先に聞くより、参照欠落を先に突いた方がいいです。受領の欠けを先に知られると、相手が記録ミスという逃げ道を準備できてしまいます。欠落方向の一致を先に出せば、方向の問いが来る。そこから受領に繋いだ方が、逃げ道が塞がります」
レオン様が1度だけ頷き、紙に新しい順番を書き込んだ。言葉は少なかった。でも書く手が速かった。
回廊へ出た時、ふと脚が止まった。
窓の外は、まだ夜明け前の暗い空だ。書庫の方角が見える。昨夜の焦げた匂いは消えていた。でも鼻の奥に、まだかすかに残っている気がした。
「……怖いんです、と言うと語弊があるんですが」
声が出た。向こうを向いたまま出た。左隣にレオン様の気配が止まった。
「人が怖いんじゃないんです。わたくしが機能として見られていることが、怖いんです。記録を燃やしに来たのも、記録そのものが邪魔だからじゃなくて、わたくしという機能を無力化したいからです。機能なら消せる。機能なら替えがきく。……人じゃない扱いを受けることが、5年間、いちばん応えました」
沈黙が続いた。長い沈黙だった。
そこへ、低い声が来た。
「派手な魔法はいりません、と君は言った」
「……はい」
「地味な穴で、人は落ちる。——落ちるのは敵だけでいい。君は、俺が引き上げる」
胸の奥で、何かが揺れた。今度は止まらなかった。凪の奥で積み重ねてきた5年分が、1行の言葉で輪郭を持った気がした。揺れながら、揺れていることに気づいて、それでもわたくしは帳面を胸に抱えたまま立っていた。
落ちるのは敵だけでいい。
その言葉がまだ、胸の中に留まっていた。
ロイドが来た。
「小火の痕の確認が取れました。灰の出所ですが——外の裏口からではありませんでした。火種の残骸の位置と灰の散らばり方から見ると、建物の内側寄りに痕があります。外から来た人間より、内部に慣れた者の動き方です」
内側寄り。
「書庫の内部事情を知っている者が、関わっています。手口が近い」
机に戻った。
欠落の並びを広げて、もう1度見た。参照番号を抜いた方向。受領印の薄さ。小火の手口の近さ。全部を1列に並べると、輪郭が出てくる。国庫の不正を隠蔽するために記録を操作した。操作の痕が欠落として残った。欠落を消すために書庫を燃やそうとした。燃やしに来た人間は内部を知っている。
「目的が見えました」
レオン様が顔を上げた。
「金と期限です。国庫の不正処理を隠すために参照を消して、受領を通過させた。裁定の前に証拠を焼けば、欠けは元から欠けていたになります。でも——」
机の上の欠落束を手のひらで押さえた。
「消せないんです。記録は。……欠けの並びが、すでに指紋になっています」
彼がカップを1度だけ、静かに直した。今夜初めて、1度だけだった。
「欠けを整理して、穴の方向を証拠にする。——それが、明日の刃になる」
「はい」
窓の外に、夜明けの最初の明かりが滲み始めていた。裁定まで6日。
その時、ロイドが声を落とした。
「念のため申し上げておきます。今夜の手口から見ると——来るとすれば明日の夜です。裁定まで5日を切る前に、もう1度焼きに来る可能性があります」
沈黙が、机の上に落ちた。
帳面を開いた。今夜初めて、手が震えた。震えながら、書いた。「次の夜、もう1度来る」。文字が小さく揺れたが、消さなかった。揺れた字のままでも、記録は記録だ。
裁きの朝まで、あと1夜——今夜、もう1度焼く手が来る。
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