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「完結済」「記録しか取り柄がない」と婚約破棄されたので、引き継ぎ書類だけ置いて静かに去りました  作者: 夢見叶
第6章 盟約書、そして「隣に」

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第30話 期限前倒しの来訪者

 窓の外が白みはじめた頃、ロイドの声が廊下から来た。


「王都からです。――本日付、王家印でございます」


 わたくしは机から顔を上げた。手の下には盟約書がある。開封したのは3時間前だ。条文の「除く」以降に並んでいた4項目が、まだ視界の端に貼りついている。書庫。記録。人事。通商。


 猶予は5日のはずだった。


「……城門には、いつ着きましたか」


「夜明けより前に確認しております」


 背筋が、一本に整った。恐怖ではない。なんと呼ぶべきかわからない感覚だ。ただ、胸の中で何かが急いで計算を始めた。


 台帳写しはある、と言っていた。だが受領印がなければ引き渡せない。印章責任者は日没前には出勤しない。盟約書はある。しかし照合なしで公の場に出せば、順番が違う。証拠の順番が、まだ整っていない。


 その状態で、王家の封蝋を持った人間が城の外に立っている。




 城門へ下りると、レオンハルトがすでにそこにいた。外套の前を閉め、正面を向いている。いつもと変わらない立ち方に見えたが、わたくしには少し違いがわかった。肩が、ほんの1段だけ落ちている。何かを受け止める前の構えだ。


 随行は4名。全員が王家の紋の外套を着ていた。先頭の男が封書の入った筒を差し出した。王家の封蝋が、朝の斜光でくっきりと浮いた。


「城内への立ち入りを申請します。オーギュスト第二王子殿下、御到着の件」


「受領いたします」


 ロイドが筒を取り、封蝋の縁を指先で1度だけなぞった。危険を測る、いつもの癖だ。


 レオンハルトが随行を一度だけ眺め、こちらへ振り返った。声は静かで、でも城門の前で全員に届く大きさだった。


「――ここでは、君の立つ場所は決まっている。俺の後ろじゃない、隣だ」


 突然だった。


 とっさに言葉が出なかった。随行の4名が一斉に視線をこちらへ向けた。レオンハルトは彼らを振り返らず、わたくしにだけ目を向けていた。


 胸の中で何かが揺れた。「守られる」という言葉を聞くたびに身構えてきた。でも今ここで彼が言ったのは、後ろにいろ、ではなかった。


 1拍おいて、わたくしは口を開いた。


「……承知いたしました」


 それだけ答えて、彼の横に立った。半歩後ろでも前でもなく、並んで。その位置が、落ち着いた。怖いくらい、落ち着いてしまった。




 回廊を戻りながら、ロイドが小声で言った。


「台帳写しは随行のマルセル殿がお持ちのようです。ただし受領印がなければ引き渡せないと」


「印章責任者の出勤は」


「本日は日没後でございます」


「……では今日中の照合は無理ですね」


「左様でございます」


 目の前の壁が、一段厚くなった気がした。王子側は今日中に「照合できない」状況を作ったうえで来ている。5日の猶予を自分で潰したのは、圧力というより戦術だ。証拠が揃わない間に「撤回に応じるか」を迫ってくる。


 そこまで考えた時、何かが静かにひっくり返った。


「……前倒しは、あちらが焦っている証拠です」


 思わず声に出ていた。ロイドが振り返った。


「5日の猶予を自分で潰した。待っていられない事情がある。追い詰められているのがこちらだと思っていましたが――向こうも、同じです。いや、向こうの方が先に追い詰められている」


 ロイドが一拍おいて、静かに言った。


「……ご慧眼でございます」


 レオンハルトが前を歩いたまま、1度だけ足を止めた。止まって、また歩き始めた。それだけだった。でも、わたくしには、何か言いかけて飲み込んだように見えた。




 書庫に戻ると、ロイドが「落ち着きの茶をお持ちします」と言いながら、盆の上に蜂蜜の壺もあわせて置いた。


「……今は甘さではなく、時間です」


「かしこまりました」


 でも蜂蜜の壺は、そこにあった。


 レオンハルトがそれを一度見て、何も言わなかった。わたくしも言わなかった。


 机の隅に、小さな封蝋の欠片がある。いつだったか落ちたもので、ずっとそこにある。レオンハルトが手の甲で机の縁を軽く払った。欠片が、わたくしの方へ2センチだけ滑った。彼は視線を上げなかった。意図があったのかなかったのか、わたくしには判断できなかった。欠片は、そこに留まっている。


 盟約書の照合は、まだ終わっていない。


「棚の確認に戻ります。書誌番号の連番と、封の周囲をもう1度」


 机を離れながら、右の棚に指先をあてた。背表紙の感触を確かめるように。自分の癖だとわかっていた。なのにまた、やっていた。


 後ろで気配がわずかに動いた。


 8番棚と12番棚の間。昨夜と同じ場所に立った。今日は朝の光が差している。燭台の炎ではなく、窓からの自然光が斜めに入って、棚の奥まで届いた。


 埃の厚い一段。麻張りの台帳が積まれた奥の区間に、何かが光った。


 封蝋だった。


 外側の公爵印ではない。その下。もう1枚、古い印章が重なっていた。昨夜の炎の光では気づかなかった。でも今、白い朝光の中で、2重に重なった印影がくっきりと浮いていた。


「――二重の印が、見えます」


 声が、細くなった。


読んでいただき、ありがとうございます。


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『名前を呼ばれない婚約者を捨てたら、筆跡で見つけた公爵様に溺愛されました』
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