4―5 岡崎城にて その一
俺達は、無事に岡崎城に到着した。
この当時、家康さんは、遠江国の浜松城を居城としていた筈や。
問題は、俺が遠江の浜松まで行かないとならんかどうかやな。
徳姫さんとその側女だけの話を聞くのやったら、左程、問題は無いかもしれんが、それでも酒井忠次を通して、一応、家康さんにも仁義は切らないかんよな。
それとも、やはり、一度は家康さんに直接会わないといけないかな?
岡崎城から浜松城までやと、凡そ二十里ほどもあるはずや。
往復なら最低でも四日、会うのに時間が必要やと更に余分に時間がかかることになる。
ちと大変やぞと思うておったが、どっこい、家康さんが岡崎に来ておったんや。
どうやら、俺達より先に先触れが来ていて、信長公の代理の者が岡崎に行くとの知らせを聞いて、家康さん、馬を乗り継いで岡崎まで来たようやな。
それまで息子信康の顔を見ると、万が一の場合、処分がしにくくなるので、岡崎には近寄らんかったやが、信長公の代理が来るとなれば捨て置けんかったということやろな。
やはり、家康さんにとっては、信長さんは大事な人なんやね。
岡崎の城は、少し高台にはなっているが、所謂平城だし、土の城なんや。
石垣は無く、土塁と濠を巡らせた昔ながらの城なんや。
本丸にも天守閣は無いし、櫓も戦国後期のような頑丈な城造りとは違って、まぁ、物見櫓の少し大きなもんやろな。
酒井忠次さんに案内されて、本丸御殿を訪れた。
そこの広間に通されたんやが、最初に出遭ったのは、城主の信康やなくって、家康さんや。
酒井忠次さん曰く、信康さんは状況が判明するまで、家康さんに蟄居を命じられているんやそうな。
いずれにせよ、家康さんに挨拶をした。
俺の姿形はでかいながらも若造が来たので、家康さんが驚いているかと思ったら、意外と俺のことは知っているみたいやった。
ふむ、蒼龍隊の頭領であり、織田家で数々の武功をあげていることもここまで伝わっていると見える。
但し、飽くまで俺は単なる代理やから、家康さんを立てないかんわけや。
家康さんは、小太りでおそらくは五尺三寸(約160センチ)足らずやな。
俺の知恵袋の玄海曰く、天正七年には家康さんは38歳だったそうや。
壮年やからまだまだ元気やね。
但し顔色はあまり良くないな。
やはり、かなり精神的に追い詰められておるのじゃろう。
なにせ信長公の不興を買ったなら、嫡男を処罰せねば済まぬことなのじゃ。
玄海曰く、この信康に関わる一件については色々な説が有るのやが、いずれも後世になって記されたものが多く、当時のものは余り残されてはいないらしい。
だから、家康の言うことを聞かない信康を疎んじていたとの説もあるぐらいなのじゃが、どうなのかな?
普通は、いくら守役がいるからと言っても、親子の情愛というものが有ろう。
まして、信康以外の男の子供はまだ幼い。
特に次男の於義丸(後の結城秀康)は、築山殿が認知しなかったために、家康も認知できなかった子で、今は6歳頃のはず。
於義丸は、浜松城の近くの宇布見村で生まれ、守役がついて同村で育てられている状態やから、浜松城には居ないのだ。
そうして三男長松(後の二代将軍秀忠)はこの四月に生まれたばかりなのや。
ある意味で、長男信康を失うことは、徳川の将来が危ぶまれることにもなりかねない。
既に、家康さんも、酒井忠次を弁明のために安土城に差し向けた折から、徳姫の訴状の内容については凡そ知っている筈じゃ。
従って、内容を左程知っているわけでは無い、俺がその件の説明をする必要も無い。
俺と家康さんは、儀礼通りの挨拶を交わした後で、俺が言った。
「此度の一件につきまして、某が、岡崎城内にて種々の方々とお会いしてお話を聞きたいと存じておりますが、徳川殿に置かれましては、そのことをお許し願えますか?
その中には、徳姫様はもちろん、徳姫様付きの側女も入りますが、築山殿、信康殿及びそのお二方の従者の方々にもお聞きせねばならないと存じまする。」
「ふむ、御使者殿の言上承った。
この岡崎にての調べ、只今名を挙げた者のみならず、必要であればどのような人物でもお調べいただいて結構にござる。
徳川に隠し事はござらぬ。
御存分に見分あれ。」
「かしこまりましてございます。
なお、徳川殿には我が殿の御言葉の一つをお伝え申しておきまする。
『我は家康殿を盟友と考えており、決して配下とは思っていない。』と、そう申されております。
徳川殿も、我が殿の心情を良く察して下さりませ。
なお、我が殿と酒井殿がお会い為されし時には、某も殿の命により相席仕りました。
その際の様子などは、酒井殿からお聞きくださいませ。
では早速ながら、某は、徳姫様からいろいろお聞きすることにいたします。
必要な関係者から事情を確認し、最終的にわかったことについては、徳川殿にもまとめてお伝えいたしますが、私の調べを待って、我が殿から徳川殿に何某かの知らせが有るものと存じます。
暫しのお時間を賜りたいと存じます。」
その日夕刻から、調べを始めたよ。
信長さんと家康さんと云う二大巨頭が心を痛めている問題や。
一刻も早く、何とかせにゃならんやろう。
◇◇◇◇
今、俺の前には徳姫さんがいらっしゃる。
一応、奥御殿なので、俺が訪問客でも、姫さんが城主の正妻であり、俺の上司(?)である信長公の娘さんやから、格式上は当然に姫さんが上になる。
従って、俺が下座に居て挨拶を交わした。
なお、二人だけではない。
所謂、側女が二人もついている。
ある意味で警護役なのであろうし、更に障子の外には薙刀を持った女二人が忍んでいるな。
本来ならば、客人に対して失礼極まりないところではあるが、俺もそんなに偉いわけじゃないから、放置だな。
もちろん、徳姫に会うのは初めてであり、彼女も俺に面識は無い筈だ。
或いは、岡崎にも蒼龍隊の噂ぐらいは届いているかもしれないが、往々にして、奥御殿にいる女人というものは、世間を知らぬものが多い。
特に、蝶よ花よと甘やかされて育てられていれば、所謂世間知らずに育ってしまうものやが、この姫さんはどうなのかな?
「某が、信長公の命を受けて参上いたしましたので、御役目としてお聞きします。
先ず、信長公へのお手紙については、某が拝見してはいないということを、まず申し上げておきます。
但し、信長公が申されたのは、要約すると三つの点にございます。
一つは、信康殿が粗暴であること、一つは信康殿が母である築山殿が徳姫様を粗略にしていること、そうして今一つは信康殿と築山殿が武田方に通じているということにございますが、徳姫様の書状の内容に間違いはござりませぬか?」
「うむ、そのような内容を書いた。
但し、妾が書いたは、十二項目にわたっておる筈じゃが?」
「はい、信長公も多々あると申されておりましたが、その中身は重複しておるので、概ね三つになると申されておりました。
さて、その中でも特に大事なのは、三つ目の武田と通じているとの一件にございます。
その件は、後でその詳細をお聞き申しますので、取り敢えず置いておきます。
先ず一つ目にございますが、信康様の粗暴な振舞が書いてあったとのことでございますが、その内容は、姫様ご自身が目にしたものでございますか?」
「妾が?
いや、妾が直接目にしたものは無い。
いずれも伝え聞いたことじゃ。」
「伝聞にございますな?
姫様が直接ご覧になったことではないと・・・。
では、それが事実であると姫様は証明できますか?」
「妾が信用する者から聞いたこと故、間違いは無かろう。」
「失礼ながら、姫様が伝聞を信長様に送ったと同様に、その信用できるものも何処から漏れ聞いたものを姫様にお伝えしたかもしれませぬ。
姫様はその者から、自らが直接見たものと確認なさいましたか?」
「いや、そのような事はしていない。
何故、そこまでする必要があるのじゃ?
信康殿を諫めて頂ければ、それで済む話じゃろう。」
「姫様は、勘違いをされているご様子ですな。
この一件、場合により、信康殿及び築山殿が死を賜るかもしれぬ大事ですぞ。
何らの証も無く、人の死を賜ることをお望みですか?」
「まさか・・・。
そんな話になっておるのか?」
「殿の名代として某が安土へ参ったのは、徳川殿の命により、徳川殿が重臣であり、信康殿が守役であった酒井忠次殿がわざわざ安土へ出向き、信長公に弁明の機会を与えられた結果、その弁明によっても何もわからず、某が調べに参った次第にございます。
某が、事の調べを為した後、信長様が最終的な判断をいたしますが、その折に、信康殿を然るべく処罰せよと徳川殿に書状を送れば、信康殿と築山殿は死を賜ることになりましょう。
従って、心してお答えくださりませ。
徳姫様が信長公に送られた書状、その全てに十分な証がございましょうか?」
そこで側女が割り込んだ。
「ただいまの申し様、姫様に対して無礼であろう。
若造にして、上位者への口利きを知らぬのか。」
「ほう、そこなお女中、随分と鼻息があらいのぉ。
其方、姫を守るためとは言え、仮に信長公が同じことを聞いても同じことを申すのか?
某は、これでも信長公の威を借りておる。
必要とあれば、我が殿に対する不敬と見做すが、それでも差し支えないか?」
そう言って、その女中にほんの少し殺気を向けると、途端に真っ青になって黙り込んだ。
ふむ、やはり織田家の威を借る女中衆が良くないかもしれぬな。
「では改めてお聞きいたしますが、まず信康様が粗暴な振舞、誰が見ていて誰が徳姫様に報告を為されたかを詳しくお聞きいたしましょう。
姫様が申された十か条の中に入っている信康様の粗暴について、一つ一つお聞きしましょうか。
今宵で足りなければ明日も参ります。」
その夜は、結構遅くまでかかったな。
姫さんだけでこの調子では一体何日かかることやら・・・。
ただ、姫様の言う信康殿の粗暴はいずれも伝聞であった。
ただ一つ、信康が側女に為した暴力というのは、たまたま顔を腫らした側女を姫さんが見つけて事情を聞いたら、信康に殴られたと知ったらしい。
ではなぜ、殴られたのか事情を聴いたのかと尋ねると、姫さんはそこまでの話を聞いていないようだ。
ある意味で、非常に曖昧な事実だけを書き送ったことが分かる。
そうして築山殿が粗略に扱うとは、やはり、側室の一件がメインのようだな。
では、その件について信康殿が今でも側室を迎えていないのはなぜかわかりますかと聞いたら、きょとんとしていたな。
築山殿が信康殿との間に男子ができないことで危機感を持っていることを知っているかと聞くと、姫さんは、それも承知しているそうだ。
それゆえ、築山殿の苦言などを信康にもたびたび訴えているのだが、何もしてくれないと言っていたな。
「人は生きて行く上で色々と良かれと思ってしたことが、人から恨まれることもあります。
因みに、徳姫様は家康殿の次男で於義丸という6歳ぐらいの男子がいるのはご存知でしょうか?
彼の御子は、築山殿が側室として承知していない女性との間に生まれた御子ゆえ、家康殿の子としては未だに認知されてはおりませぬ。
斯様に、正妻の力とは、かなり大きなものであることは当然に築山殿もご承知のはずです。
いずれ築山殿にも事情を伺いますが、築山殿はその可能性があるかどうかを尋ねただけで、いずれは、徳姫様にもご相談なされたのではないでしょうか?
仮に、徳姫様が知らぬ女に産ませた子を、祖母が認知するというわけにも参りませぬでしょう。
また、そのような事をなせば、今はとある村に逼塞しております於義丸殿を認知せざるを得なくなります。
そのような事を十分に承知のはずの築山殿がなさるはずもございませんが、そうは思われませぬか?
世間では嫁姑の不仲は当たり前のことにございます。
その中で如何に両者が立ち行くようにするかが、家を預かる嫁の役割と某は考えます。
さて、武田との通牒問題は明日にいたしましょうか?
その上で、先ほどお伺いした側女の方々にも事情をお聞きしますので、明日の午前中は姫様、午後は側女たちに事情をお聞きいたしたいと存じます。
本日は遅くまでありがとうございました。」
そう言って俺は奥御殿を後にした。
ついでに言っておくと、冥性陰陽術を使って、姫さんをかなり意識改革しておいたよ。
本人の被害妄想がかなり強かったからね。




