4―4 信長公との謁見 その六
「さらに、お聞きいたしますが・・・。
家康殿は、貴方を送り出す際に何と申されていましたか?」
「殿は、『信長様には何事も包み隠さず申し上げろ。例えそれが信康の汚点になろうともじゃ。』と申されておりました。」
「では、もう一つお聞きしましょうか。
酒井殿から見て信康殿の短所はどのようなところでございますか?」
「中々に申しにくきところなれど、信康殿は徳姫様に頭が上がりませぬ。
9歳で嫁いで来られてより、徳姫様は主家のごとく振舞われておりました故に、信康殿はいつでも徳姫様に遠慮しておりました。
決して気が弱いというのではなく、家のために我慢されている様子でございました。
織田家から預かっている大事なご息女と言う見方が有ったのでございましょう。
信康殿は辛抱強きお方にございます。
その辛抱が溜まって、時に配下の者に粗暴になることもあったかと存じますが、女人に手をかけるなど余程の事が無ければ致しませぬ。」
「わかりました。
ありがとうございまする。」
俺は酒井殿に一礼をして、信長さんに向かって言う。
「殿、夫婦の喧嘩は犬も食わぬと申します。
此度の訴えの発端は、信康殿と徳姫様の不仲にございましょう。
それを心配した築山殿が側室選びなどを始めるものだから、その噂を聞いて余計に夫婦仲が拗れることになった。
酒井殿の話が事実なれば、信康殿は徳姫に多少の文句があっても、それを当人に口にすることは無いでしょう。
そんな場合には、心ならずも徳姫様を遠ざけてしまう。
なれど、そうはしながらも側室を迎えようとはしない。
未だに徳姫を思っている証拠にございます。
ところが徳姫様の傍にいる者達が、あるいは主筋を盾に気位が高い所為で、恐らく岡崎の者達とは気が合わぬのでしょうな。
そんな中では、互いに有ること無いことの悪口が飛び交うのは当たり前にござります。
徳姫様がしっかりと仕切れば良いのですが、生憎と徳姫様は奥向きを仕切った経験などない筈にございます。
殿の娘として蝶よ花よと育てられれば、そのような教育などどうしてもなおざりになるでしょう。
まして、それまで奥を束ねていた築山殿が近くに居れば、女衆の中で派閥ができてしまい反目が生ずるのは当然にございます。
何故に家康殿が、築山殿と別居なされているのかがわかりませぬが・・・。
もしや、家康殿も築山殿には遠慮なされていますかな?」
俺がそう言って、酒井忠次を見ると、ふっと渋い顔をしながら彼が言った。
「ご慧眼の通りにございます。
築山殿は傍系とは申しても、主筋の娘として嫁いで来ております。
いまやその本家筋の今川が絶えてしまいましたが、殿には、何かしらの鬱屈があるのやも知れませぬ。」
「わかりました。
ありがとうござります。
私の正直なところを申し上げるならば、根拠の無いあらぬ噂に踊らされて、信長殿と家康殿という戦国の勇二人が、あたふたとされているのは誠に滑稽な話にございます。
それに家康殿も信長様のご機嫌を損ねてはならぬと大いに遠慮されているご様子。
また殿も、こと盟友との間にひびが入ることを杞憂なされておいででございます。
どちらも相手のことを考えているのに、このままでは最悪の結果になりかねませぬな。
仮に、殿が一言処罰せよと申されれば、信康殿は切腹、築山殿も何らかの形で死を賜るでしょうが、そうなってはどうしても織田と徳川の間にしこりが残ります。
そうなってはいけませぬ故、ここで第三者が何かを為さねばなりませぬ。
殿、差し出がましいことを申し上げるなれば、某が岡崎へ参り、真実が何かを見届けて参りたいと存じまする。
その結果を聞いてから、此度の収拾を図られては如何かと存じます。」
信長さん、すぐに反応したね。
「む、であるか。
なれば、羽柴秀賢に命ずる。
此度の一件、其方が特使となって岡崎へ参り、真実を調べて参れ。
其方の報告を聞いたうえで、儂が判断を為す。」
「かしこまりましてございます。
なお、岡崎に参りますれば、どうしても徳姫様にも色々とお伺いをせねばなりませぬが、それをお許しいただけましょうか?」
「ふむ、・・・。
徳姫だけではすまぬのであろう?
織田家より入った側女などの従者も遠慮なく調べて構わぬ。
こと、この一件に関しては、其方が儂の代理人じゃ。
儂の威が必要であれば勝手次第を許す。
但し、使いどころを間違えるな。
今一つ、徳川殿の家中の者についても事情を聴くならば、家康殿の了解を得てからにいたせ。
儂は、家康殿を盟友と考えており、決して配下とは思っていない。
そこを間違えるなよ。」
「かしこまりて候。
では明日にでも、岡崎へと発ちまする。」
「ふむ、それは良いが、そちの供の者は何人じゃ。」
「此度、安土へ参るには、身軽に参りました故、供の者は4人でございます。
「四人?
少ないな。
仮にも儂の名代ぞ。
それなりの陣容を整えばならぬじゃろう。」
「お言葉ながら、殿の名代とは言いながら、その実、その用務の内容は大勢の者に知られてはなりませぬ。
私が、織田家名代として大勢の供を引き連れて動きますると、それだけ大事と見做され、周囲の者が何事かと不安にもなるかと存じます。
むしろ某が酒井様の新たな用人然とした風体で岡崎に入るが上策と考えます。
岡崎にては、会う人を限定して某が殿の名代であることを告げますが、決して某が聞いた内容を外には漏らさぬようきつく申す所存にございます。
従って、私としては、私の供の者をこの安土へ置いて参ろうと考えておりまする。
酒井殿、それでよろしいでござりましょうか?」
「お若いのに、よくそこまで・・・。
某は、織田様さえ良ければ、一向に差し支えございません。
岡崎まで某がお供をいたしましょう。」
「いえいえ、滅相もござりませぬ。
酒井殿の供の者に余計な気を使わせてはなりませぬ。
私は、酒井殿の古き友人の息子と云う体でお願い申します。」
酒井忠次は、この時、既に五十代である。
従って、その友の子が15や16であっても何らおかしくはない。
「ふん、儂をそっちのけで、おぬしらだけで話を進めるとは・・・。
まぁ、良い。
この一件、其方に任せる。
秀賢、良きに計らえ。」
信長さんの許しも得たことで、その日、陽が落ちてから、俺は酒井殿と一緒に本陣へ戻ったよ。
明朝、早立ちと云うことで酒井殿とは合意している。
早立ちとは、ほぼ夜明け前の出立を意味する。
この時代は街灯が有るわけもないから、通常の場合、旅は夜明けから日没までを原則としており、概ね十里が一日の行程や。
安土から岡崎へ行くには、関ヶ原を通って行くことになる。
山越えの間道もあるが、却って日数がかかるから、普通は関ケ原越えじゃな。
令和の時代では中山道じゃろう。
関ヶ原を通ると概ね足掛け四日ほどで岡崎に着くはずじゃ。
食事?
まぁ、この時代やから途中に食堂なんてものは無いな。
一般的には、宿に頼んで腰弁当をぶら下げて行くしかない。
そもそも昼飯は余り食わない時代やが、長旅の場合や戦の場合は、腹も減るから昼飯は食ったはずや。
俺の場合は異世界商店もあるし、インベントリもあるから、本来であれば何ら問題はないんやが、蒼龍隊では無い者との旅ともなればそんなものをホイホイとは出せないよな。
止むを得ないから皆と同じようにするしかない。
まぁ、四日程度の我慢なら何とでもなるやろ。
そう思って出たが、思いのほか道中は大変やったな。
山や峠のようなところにかかると野伏が多発するようやな。
酒井殿は8人の伴侍と中間二人を連れていたが、これでも野伏が襲撃してくるようだ。
野伏とは、食い詰め郷士や農民が盗賊になって人を襲う集団である。
この野伏、一般には左程に腕が立つわけでもないんやが、偶にはめっぽう強いものが大将格になって出てくる場合もあるようや。
関ヶ原の手前で一度、尾張と三河の境界になる境川近辺で一度の襲撃を受けたな。
関ヶ原の手前で出た野伏は30人ぐらいと数が多かったので、俺も刀を抜いて参戦したよ。
俺は、身体強化の付与術ができるからな。
それを掛けながら戦うと、相手の動きが止まって見えるんや。
殺さないようにもできるが、俺達がここで時間を食っているわけにも行かないし、人殺しを生業にしている連中やから、後々面倒が無いように、始末するに限る。
そのため、一刀のもとに切り捨てたよ。
狙うのは首筋だけやな。
俺一人で、7~8人の野伏の首を撥ねたら、生き残っていた野伏の方が一斉に逃げて行ったな。
多分、俺なら、戦場の中でも無双ができると思うぜ。
訓練では、生木の杭を地面に立てて、そいつを切り倒すことを時々やるんやが、百本の杭を切るのに最速では48秒程度の記録を持っている。
つまりは二本の杭を切るのに一秒以内と云うことや。
因みに、杭と杭の間隔は3mほど離してある。
そやから、概ね30m四方以上の敷地に有る杭百本を連続で切り倒さなイカンと云うことや。
考えてもみいや。
30mのラインが10本あるんやから、概ね300mを48秒で走るのと一緒やで。
そらぁ、オリンピックの選手やったら周回の400mでもこのタイムで簡単に走れるかもしれん。
だが、折り返すのに、タイムロスが出るんやで。
30mのダッシュを、折り返しで連続十回、さて何秒で出来るかや。
ただ走るだけやなくって、刀で生木の杭を切断しながらやで。
やってみたら意外と難しいということが分かる。
杭の太さは、多少不揃いやが、概ね二寸五分(約7.5センチ)前後や。
こいつは乱戦になった時に、自分の動線を敵に悟られんようにするための訓練でもある。
だから、直線では動かないのが原則やな。
そうする事によって敵を幻惑することができる。
もっとも、肉弾戦とでも言うべき切込みは最後の手段や。
その前に敵を倒し、危ないと思ったら即座に撤退するのが蒼龍隊の戦いの基本や。
だから原則として銃砲を使うことになる。
卑怯と言われようが、生きてなんぼの話や。
正々堂々と同じ武器で戦って、もし敗れたら、待ってる家族はどうなる?
蒼龍隊も結成以来四年が過ぎようとしている。
隊員同士の中で結婚する奴もいるんや。
この時代稼げるようになったら一人前や。
なら嫁を貰っても不思議はない。
そう言えば、令和時代の俺の爺さん婆さんに聞いたことが有る。
爺さんの両親も、婆さんの両親も15、16の年で結婚していたらしい。
つまりは高校生の年で夫婦になったというわけやな。
そう言えば、俺も「数え」ながら15歳にはなっているから、嫁を貰っても良い年なのかもしれん。
まるで実感が沸かんけどな。
ところで、あんまり俺が一人で働き過ぎたので、次の時は酒井殿の伴侍が張り切って突っ込んでいったので、俺の出番はなかったな。
まぁ、野伏の人数も十人ほどで少なかったんやけどね。




