3ー19 周辺の情勢 その二
1578年(天正六年)当時のスペインは、国王フェリペ2世 の統治下でヨーロッパ随一の陸軍国・海軍国として君臨、世界中に植民地を持ち、後の英国と同じように「太陽の沈まない国」と称される時代やった。
スペインは、フィリピンのマニラを拠点として東南アジアへの影響力を拡大、1578年にはボルネオ島への遠征(カスティーリャ戦争)も行っていた。
一方で、中南米の植民地から大量の銀がスペイン本国にもたらされており、巨額の富が軍事力や政治工作の資金源となったようや。
スペインは、1571年にレパントの海戦でオスマン帝国を破り、地中海の制海権を奪還した。
ネーデルラント(前世のオランダ、ネーデルランドやないんやで)で反乱が起き、スペインは軍を派遣し、1578年にはジャンブルーの戦いで勝利するも、泥沼化する反乱勢力との戦いを繰り広げているんや。
先にも紹介した通り、ポルトガル王のモロッコでの戦死に伴い、フェリペ二世は、母方の血筋(ハプスブルグ家)を根拠に王位継承権を主張し、ポルトガルを併合したことにより、イベリア半島全域と世界中の植民地を統合する巨大帝国を完成させたんや。
1578年当時のスペイン領フィリピン(総督?)は、日本(特に貿易やキリスト教布教)に対しても強い関心を抱いており、後にサン=フェリペ号事件などの交流と対立の端緒となって行くんや。
スペインにも関連するが、1578年当時のオランダは、スペイン(ハプスブルク家)からの独立戦争の只中にあったんや。
オランダの場合、宗教的にはプロテスタント(カルヴァン派)が台頭し、アムステルダムがカトリック勢力からプロテスタント都市へと宣言を変えた時期やった。
1568年に始まった独立戦争(80年戦争)が引き続いており、スペインの圧政とカトリックの強制に対する反乱が本格化していた時期やな。
当時はまだ「オランダ」という独立国ではなく、「ネーデルラント」と呼ばれる17州の地域の一部が反乱の巣窟やな。
翌年の1579年には、北部7州が結束して「ユトレヒト同盟」を結び、これが後のオランダ共和国の誕生へと繋がることになるんや。
視点を変えて、アメリカ大陸の情勢を見てみよう。
1578年当時の南北アメリカ大陸では、スペインとポルトガルが圧倒的な支配力を持ち、中南米に植民地帝国を確立していたんや。
スペインは、現在のメキシコ、中央アメリカ、カリブ海域を統括し、中でもアカプルコはアジアのフィリピンとの交易(ガレオン貿易:太平洋横断貿易)の拠点でもあったんや。
また、中南米の植民地では、カトリック布教とともに銀などの鉱物資源採掘が大いに進められていた。
スペインは、ブラジルを除く南米大陸のほぼ全域を支配していた。
1570年代、スペイン政府は、先住民の強制労働を本格化させ、世界最大の銀山であるボトシ銀山から大量の銀を本国へ輸送していた。
ポルトガルは、トルデシージャス条約に基づき、南米大陸の東端部(前世のブラジル)を植民地化して領有していた。
この時代は中南米におけるサトウキビのプランテーション農業が拡大し、アフリカから多くの奴隷が強制的に連行され始めていた時期でもある。
一方で、北米大陸の大半は、先住民族の領域のままやった
この時期、ヨーロッパ人による本格的な入植はまだ行われておらず、スペインがフロリダのセントオーガスティンなどに小規模な拠点を築いている程度やったらしい。
1578年、イギリスの海賊で探検家とされるフランシス・ドレークが世界一周の航海中に南米のマゼラン海峡を通過し、太平洋に到達した。
ドレークは、太平洋側にあるスペインの植民地を襲撃しつつ、北米西海岸(現在のカリフォルニア周辺)に達して、これを探検し、イギリスの領有を主張したようやな。
この当時のアメリカ大陸は、スペインによる搾取と先住民の激減(主としてヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病による病死)という過酷な時代やった。
そう言えば、日ノ本に近い、朝鮮半島と中国大陸も忘れとったらあかんよな。
天正6年当時の中国は明朝で、朝鮮半島は李氏朝鮮やった。
そうして沿海州は、女真族が治めておったようや。
明は、第14代皇帝の万暦帝が10歳で即位しており、万暦帝の親政と優秀な宰相である張居正の改革明であり、張居正が摂政として実権を握っていた。
張居正は、汚職の追放、厳格な官僚の評価、税制改革などを断行し,国家財政の立て直しに成功して「万暦の中興」と呼ばれる安定期を産んだんや。
この時代の明は、万里の長城の外側にいるモンゴルや女真族といった遊牧・狩猟民族を、軍事力と朝貢貿易で管理し、国境の安定を保っていたんや。
お隣の朝鮮半島の利李氏朝鮮では、第14代国王・宣祖の治世やな。
この時代は学者政治が開花する傍ら、朝廷内では士林と呼ばれる官僚たちが「東人派」と「西人派」に分裂し、激しい派閥抗争が常態化していたんや。
いわゆる朝鮮王朝を腐敗させた両班の始まりやな。
この内部対立が、後の文禄・慶長の役で日本軍の侵略に対する対応の遅れにつながることになるようや。
李氏朝鮮においても、沿海州や満洲方面に居住する女真族がしばしば朝鮮の北辺(咸鏡道など)に侵入して略奪を働いており、朝鮮はこれを防衛するために防備を固めていたのや。
沿海州及びその南方の満洲には、ツングース系の女真族(建州女真・海西女真など)が数多くの部族に分かれて暮らしていたようや。
明は「北虜南倭」の脅威に対抗するため、ずる賢く、女真の有力者たち同士を争わせる「分断統治」を行っていたんやで。
清の基礎を築いた世代の躍動についても言わなあかんやろな。
建州女真の有力者であった王杲が、明の遼東の辺境を荒らして討伐されたのがこの少し前(1574年)や。
この王杲の孫(あるいは娘婿)であり、後に女真を統一して「清」の基礎を築くことになるアイシンギョロ・ヌルハチは、この1578年当時、19~20歳前後の若者やったはず。
沿海州から満洲にかけての地域では、次世代の統一国家の胎動が水面下で始まっているということやな。
ところで、蒼龍隊の活躍は当然のことながら、欧州のスパイでもある宣教師にもいずれ知れることになる。
三木城攻略の際の秘密兵器、そうして大阪本願寺攻略の際の秘密兵器について何としても探ろうとするやろうな。
織田軍から積極的に情報を漏らすとは思わないが、敵方に生存者や間近で見た者が居るのやから、そこから情報を得ようとするやろな。
無論宣教師が一人でそんなことをやっていたら身体がいくつあっても間に合いはせんよな。
やから、所謂信者と言う手足になって一生懸命働いてくれる現地人を使うのや。
そうして集めた情報を取りまとめて、ポルトガルであればティモールを、スペインであればマニラを通じて、インドのゴアに情報を収束させていたはずなんや。
間もなくスペインに併合されるポルトガルやけど、王家はともかく、商人たちや宣教師は独自の判断で動いておるやろな。
当然のことながら、マニラにいるスペインの総督は、この武器について非常な関心を示すはずや。
何しろ、陽の沈まない帝国になったスペインにさえ存在しない新型の兵器の出現じゃ。
但し、噂話ばかりで一向に情報が集まらないとなれば、絶対に蒼龍隊に接触して来るやろな。
蒼龍隊の基地は支部を含めて、一応いくつかあるんやけれど、堺や京に近いのは長浜やろうし、目的が海上兵器に関する情報取集であれば姫路に来るのやろな。
あるいは、トト様の本拠となる朝来に来るかもしれん。
まぁ、情報を与えずに、適当に追い返すだけの話なんやが、覚悟はしているとは言うても、ある意味で鬱陶しい話やで。
別に、キリスト教に恨みはない。
が、中世におけるキリスト教会が黒人の奴隷化を認め、欧州列強による世界の分割を推進したのはマジで問題だよな。
まぁ、自分たちの歴史の中でも戦争に負けたら奴隷になるという文化の中で育ったのやから、やむを得ないのかも知れないが、実は日本からもかなりの数の奴隷が輸出されているんやで。
古くは卑弥呼の時代の話やが、この戦国時代では主として西国大名が金儲けのために日本人を売ったんや。
そんな制度が海外にあるからこそ乗っかったんやろうけれど、もしかして、宣教師も奴隷になる覚悟はあるのかな。
まぁ、機会が有れば、彼らの信ずる神様が、奴隷制度や白人優先主義をどのように見ているのかを聞いてみようじゃないか。
彼らの理屈は、『邪教にまみれた未開人を救うためだ』と主張するに決まっているけどな。
黒人やアメリカ・インディアンは、人では無いらしい。
人種差別の原点が、この時代にあるんやで。
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「周辺の情勢」が少し長くなったので、二回に分けています。
By サクラ近衛将監




