3ー13 大阪本願寺攻め その三
この時代は、日没とほぼ同じ頃に就寝し、翌朝夜明け前に起きるのが普通なのじゃが、翌朝トト様は寝坊しておったな。
艦内は空調設備が効いており、外の気温に比べると随分と暖かいのじゃ。
毛布一枚被っておれば暖かく寝られる。
一方で陣所は、仮の小屋が有ったりはするが、暑かったり、寒かったりするのが当たり前なのだ。
まして、今は年末で本来であれば当然に寒いのじゃから、晩春か初夏のような室内温度であれば、寝過ごすのも致し方ない。
既に今日の手はずは済んでいる。
季節風の影響で大阪本願寺沖合にも多少の波はあるが、20~30センチ程度の波なので艦砲射撃には影響がないと判断した。
夜明けとともに俺とトト様の乗る艇が、ゆっくりと沿岸部に近づく。
そうして城塞の西側堡塁から400mほど離れた海域で踟蹰(Heave to)しつつ、拡声器で呼びかけた。
流石にこの距離では中々声が届かないから、仙術を使って音声を城塞まで届けるようにしているんだ。
「大阪御坊の城塞内に籠る本願寺の僧侶及びその門徒の方々に物申す。
我らは、織田家中の者にて、羽柴秀長が家臣。
我らに恭順せず、これ以上手向かい致すならば、我らが大阪御坊そのものを破壊することとなる。
而して、我らに恭順の意あらば、ただいまより一刻以内に白旗を掲げよ。
さもなくば、警告と威嚇のために大阪御坊の西側にある堡塁石垣の一部を攻撃する。
その上で更に一刻の猶予を与えるが、それでも時間内に恭順の意を示さない場合には、大阪御坊そのものを順次破壊して行くことになる。
この攻撃は、四度にわたり、本日の日中に行われる。
また、この攻撃は、僧侶であるか、武人であるか、あるいは女子供であるかに関わらず、大阪御坊内若しくは周辺の堡塁にいるすべての者に対して無差別に行われるものと知れ。
一旦攻撃が始まったならば、大阪御坊内若しくは堡塁にいる全員の全面降伏の意思表示が無ければ、攻撃は止めない。
先ほども申した通り、恭順及び降伏の意志あらば、白旗を掲げよ。
恭順及び降伏は御坊内若しくは堡塁内にいる全員の意思表示でなければならないことを改めて通告する。
堡塁ごとの恭順又は降伏はその都度認めることにする。
大阪御坊の本丸の恭順又は降伏は、本丸のある敷地全てに存在する者全員の総意でなければならない。
更に、今一つ、今日一日の我らの攻撃を大阪御坊が耐えたならば、明日は、更なる強大な攻撃をもって大阪御坊そのものを粉砕する。
明日の夜明けとともに攻撃が開始されたならば、降伏もあり得ず、大阪御坊の殲滅のみとなる。
大阪御坊に居られる方々、余程に覚悟めされて返答するようにお願い申す。」
俺はトト様の名を出したが、俺の名は出さなかった。
攻撃は個人ではなく織田軍勢の攻撃だからであり、俺が名乗っても仕方がないからや。
それでも俺の名や蒼龍隊の名は、友軍から噂となって広がるのやろうな。
それは仕方がないことや。
蒼龍隊を造った時から覚悟していたことである。
これで、世の中がどのように変わってゆくのかをしっかりと見極めねばならないな。
おそらくは敵味方を問わず、俺に対する刺客が増えるような気がするな。
それなりの対策は立てているから、俺が倒れることはまずないやろうと思っている。
だが、俺の家族が狙われたら、正直なところその全てを防ぐのは難しいやろうな。
無論、相応の防護スーツなんかも与えることはできるんだが、流石に頭部までヘルメットで固めるわけには行かんやろう。
いずれにせよ、賽は投げられた。
後は大阪本願寺に籠る連中がどう動くかだが、一度目の期限は向こうも何も動かないだろう。
そうでなければこれまで皆で籠城してきた甲斐が無いからな。
こちらの出方を見て相談するということになるだろうが・・・・。
その次の一刻の猶予もおそらくは無視されるのやろう
多少の外側外壁の石垣の破壊が有っても、その奥深いところにある本堂までは攻撃できないと踏んでいるからや。
大阪本願寺の本堂のある城塞の西側に比較的大きな堡塁があり、その外側に小さな島や砂州があるのだが、ミサイル艇四隻は、その沖合に位置しており、警告射撃は、西側堡塁の石垣をめがけて行うからである。
大阪本願寺の北側野田方面には織田軍が陣取っており、南側の比較的大きな島の半分を残して織田軍の手勢が入っている状況だ。
東側は川に面しており堡塁を隔てて陸側に織田軍が居る。
いずれの地に行くにしても、橋梁を通らねばならないが、たびたびの戦で橋はそのほとんどが機能を失っている。
大阪本願寺側は、西側堡塁に有ったいくつかの荷上場からの補給を頼みの綱としていたのだが、それを蒼龍隊水軍に破壊され、簡単には補給をしてもらえない状況に陥っていた。
尤も、これまでに蓄えていた物資が有るので三月やそこらは籠城も可能であり、その籠城の間に毛利水軍なり雑賀水軍が支援をしてくれると思い込んでいた。
しかしながら、一方の雑賀水軍はかなり分裂状態なのだ。
天正5年からの紀州攻めで、雑賀五家のうち三家が分裂、天正6年には織田軍に押し込まれて雑賀の水軍は思うように動けなくなっていたのである。
おまけに、蒼龍隊水軍が大阪湾北部を完全に抑えていることから、小舟での補給さえも不可能となっていた。
毛利水軍はと言えば、姫路に置かれた蒼龍隊水軍の哨戒範囲が播磨灘全域に及んでいることから、明石海峡と鳴門海峡を超えることができなかったのである。
俺は、鳴門海峡に式神を張り付け、通行船に目を光らせていたので、仮に何とか鳴門を通過しても、俺の指令により待ち構えていたミサイル艇により捕捉されていたのである。
抵抗する者は殺され、抵抗しない者は捕縛されて、姫路の秀吉軍に引き渡された。
そのために姫路城の牢獄を増設しなければならないことになっていたのは別の話である。
秀吉叔父貴としても、これらの捕虜を解き放てば毛利水軍の手先となって、再び歯向かってくるだろうから牢獄に押し込めたままであり、機会があれば人夫としてこき使うつもりであった。
取り敢えずは、姫路城の修復なのだが、内部には入らせず、外側の改修工事の労働力として使っているようやな。
因みに、別途、俺から提供された軽量強固な鎖付きの手枷、足枷がこの捕虜たちの労役に非常に役立っていた。
大阪本願寺の話に戻すと、ミサイル艇が遊弋している西側海域から見ると、手前の堡塁の背後にさらに掘割があり、そのさらに奥に本堂のある大きな敷地の石垣がある。
この手前の堡塁の北側には野田の島があって、従来はここが籠城側で確保していたので野田の島で補給がなされていた経緯があるのだが、現在は織田軍の手により野田から南側の堡塁に至る島が制圧されているために、野田で荷揚げしてもさらに海上輸送をしなければならなくなっている。
そうして、野田への補給も経たれているために、野田は孤立している状況にあり、早晩南側の堡塁、若しくは本堂のある本陣に引き上げねばならないのだ。
彼らは補給路が立たれたことを明確には知らされていない。
それゆえ我を張る者が多数存在するだろうし、これまでの一向宗の動きを見る限り、彼らは徹底抗戦するだろうと思われる。
但し、その傍らで、無差別に住人たちが殺戮されるのを見て、なお抵抗するかである。
如何に死ねば極楽とは言っても、家族を巻き込んでの戦いは本来彼らの望むことではないはずなのや。
仮にそれを振り切ってまで交戦するならば、残るは死への道しか残っていない。
警告から二時間後、大阪本願寺及び関連の堡塁にいずれも動きが無かった。
俺の式神でその辺は確認しているし、大阪本願寺の本丸とでもいうべき本堂での動きも知っている。
非戦派は極々少数であった。
彼らのこれまでの戦歴が後押しをしたのやろう。
大阪本願寺側に恭順の意思なしと判明したので、トト様に了解を得て、警告射撃の通告を為したうえで、四隻のミサイル艇から同時射撃を行った。
堡塁の石垣の上部を50センチずつずらして狙わせており、3インチ砲弾を各一発ずつ発射した。
狙い違わず目標に命中し、炸裂した砲弾は石垣を10mほどにわたって崩落させることになった。
76ミリ砲の初速は約900m/sであり、最大到達距離は18㎞に及ぶ。
これは第二次大戦中の対戦車砲(初速は約700m/s、千mの距離で厚さ20ミリの鋼板をぶち抜く)に比べてもかなり高い能力を持っており、同口径の対空砲の射程12㎞の五割増しである。
おまけに第一弾は普通の炸薬なんやが、二発目以降は俺が錬金術師と薬師のスキル、それに仙術創造と火属性仙術を駆使して造った特殊炸薬を用いた砲弾やから、第二次大戦中の250ポンド爆弾相当の破壊力があるんや。
因みに陸用250ポンド爆弾の場合、落下地点からの安全距離は少なくと45m前後になるんだが、この砲弾は爆砕した際の砲弾破片が小さいので、破片の爆散に依る周辺被害は少ないかもしれないが、爆圧による被害は半径30m前後には及ぶだろうと思われるし、飛翔速度が速いので貫通力はかなり強い。
400㎜程度のコンクリート壁は貫通するだろう。
そのため、石垣を狙えば、命中箇所から半径5mぐらいの範囲の石垣が破壊されるんじゃないかと思うんだが、こればかりは、実際に使用してみないとわからない。
一応、亜空間内の地下訓練場では、ミサイル艇ごと持ち込んで実射試験しているけれどね。
その際に、縦・横・長さが各5mほどの岩塊が粉々になったのは確認しているよ。
元々の砲弾重量は7キログラム程度だから、多分火薬重量は砲弾重量の3割~4割で2㎏~3㎏だろうから、それほど強力な破壊力は持たないはずなんだけれど、俺の仙術で破壊力が大きくアップした代物や。
別に嘘をついたつもりじゃないけれど、最初の一発目は少し弱い砲弾を使っただけの話だ。
で、時間切れにより警告射撃の一刻後(午前9時6分)、最初に『これより砲撃を開始する』と通告してからミサイル艇四隻による砲撃を開始した。




