表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国タイムトンネル  作者: サクラ近衛将監
第三章 出陣

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/29

3ー9 蒼龍隊水軍の創設

 大阪本願寺(後世においては石山本願寺と呼ばれる)は、一向宗(浄土真宗)の本拠地であり、現在の大阪城近辺にあったと推測されている。

 秀吉叔父貴が大阪城を建造する以前のこの一帯は、大阪上町台地の北端に当たる場所であり、東側、西側及び北側に湿地帯若しくは河川に面しており、水上交通に便利な土地であったことから、大阪本願寺は交易によって大いに栄えたようや。


 大阪本願寺が織田軍の大軍の包囲に遭っても、長らく立てこもり続け、抗戦できたのは、毛利や雑賀等の水軍から支援を受けていた所為である。

 このため、大阪本願寺の城郭の一部若しくは極々近傍に舟寄場(ふなよせば)が存在し、最後までここを守り切ったということやろな。


 当時の海岸線は、21世紀の大阪と比べて非常に内陸部まで及んでおり、徐々に河川が土砂を上流から運んで海岸線を沖へと広げていたはずや。

 しかしながら、少なくとも百年単位で見ないとその変化が分からないほどの小さな変遷(へんせん)で有った筈でやけど、大阪城の周辺に城下町ができ始めると急激に埋立地が増えたのや。


 従って、織田軍が大阪本願寺を攻略するに際しては、陸路の閉鎖と同様に海路の閉鎖も行わなければならなかったんや。

 蒼龍隊の装備から言うと南方向の正面からの攻撃でも攻略は可能と思われるんやが、間に掘割が有ってその橋を落とされるとちと厄介やし、大阪本願寺の周辺の地形を見る限り、海からの砲撃が一番効果が高いのや。


 大阪本願寺攻めを予期したわけやないけど、上月城の作戦が終えてから、俺は中国攻めでの海上戦闘を(にら)んで播磨の海岸部に新たな蒼龍隊の基地を設けることにしたんや。

 この頃、秀吉叔父貴は、中国攻めの拠点として姫路を選び、播磨の豪族の懐柔に取り掛かっていた。


 そのために、俺としても、姫路近くに基地を置いた方がなにかと便利やった。

 式神を飛ばし、ドローンを飛ばして候補地を探していたところ、姫路の海岸線付近にある小島(現姫路市白浜町の西部域に存在する丘陵:後世には御旅山若しくは妙見山と呼ばれる場所の南側に位置する丘陵)に蒼龍隊の基地を設け、新たに水軍を編成することにしたんや。


 ここも飽くまで仮基地であり、一応、仮工廠等の設備は設置するものの、ここに永続的な基地を置くつもりはない。

 本格的な海軍工廠を建造するなら、日本海側の敦賀湾若しくは若狭湾辺りが望ましいやろうと考えているところなんや。


 太平洋側の海岸部はどうしても人目につきやすい上に、地震や台風などの自然災害が多すぎる。

 日本海側でも大地震や災害は稀に起きるが、越前国、若狭国(現福井県)と丹後国(現京都府)の若狭湾地域は比較的に災害が少ない所なんや。


 瀬戸内海もその意味では自然災害は割合少ない方やが、東南海地震等の巨大地震が起きた時に本当に安全そうな場所が余り見当たらなかったんや。

 日本中どこでも地震は起こりうるんやが、瀬戸内海であっても、大地震が発生すれば、少なくとも海岸線には相応の津波は来るものと考えねばならないやろ。


 俺が与一郎、いや、藤十郎秀賢(ひでかた)として生きているこの時代で注意すべきは、天正13年11月29日(1586年1月18日)に起きた天正地震と、文禄5年(うるう)7月13日(1596年9月5日)()の刻に起きた慶長伏見地震かな?

 特に被害の大きかった天正地震の場合は、最初に越中・飛騨(現在の富山・岐阜)で地震が起き、次いで美濃・尾張・伊勢(現在の岐阜・愛知・三重)が起き、さらに誘発地震が起きている。


 大地震の三連発と学者さんは見ているようやが、何せ正確な記録はないので詳細は分からない。

 玄海も地震があったことは覚えているものの、長浜近辺のことしかわからないようや。


 いずれにしろ、越中から三河湾に及ぶ広範囲の領域に被害が及んでおり、複数の断層による地震が連続して起きたとする説が主流なんやが、美濃・尾張・伊勢の断層が一応の震源と見ている学者が多いようや。

 近江の長浜でも震度6程度の揺れとかなりの数の余震があったようやから要注意ではあるよな。


 田村山の蒼龍隊基地(現状では朝来の和田基地に移転するからいずれは支部に降格やな)は、地盤のしっかりとした丘陵地にあって、プレハブながら十分な耐震設計がなされているし、俺が建設後に部材等の強度付与を為しているから大丈夫やろとは思うが、長浜にある実家等の屋敷の一部は破損するかもしれん。

 ただ、史実では天正13年の頃にはトト様も秀吉叔父貴も長浜には居ない筈やから、余り心配をする必要もないと思うとる。


 この地震では、長浜の下坂浜村が地滑りで琵琶湖に飲まれてしまっている。

 21世紀には、下坂浜千軒遺跡となって琵琶湖の湖底に残っているんやが、俺が生きている16世紀には、長浜城から蒼龍隊基地への道筋の途中にもなっていたから、同地域の湖畔に集落があるのを俺の目で確認している。


 尤も、湖底の遺跡とは言うても、水深が2m~8m程度の浅瀬にある遺跡や。

 確かとある学者さんは、長浜では建物倒壊、火災のみならず液状化が起きたのではないかと言っていたはず。


 長浜の歴史に詳しい人が教えてくれたのは、フロイス伝で『長浜にて地震により、大地が割れ、家屋の半ばと多数の人が飲み込まれた』とあり、さらに、『残りの半分は火災に見舞われ灰燼に帰した』やった。

 この記述からは関東大震災のように食事を作っている最中に大地震が発生し、その結果として液状化による土砂崩れが起きて、ある地域は湖に押し流され、またそうでないところは火災に陥ったのではないかと推測される。


 少なくとも玄海に残る知識では現場近くにはいても直接見たわけではないらしいから、この推測を裏付ける程度のものしかない。

 また別に残された文書では、長浜城内でも倒壊があり、寝殿が壊れて6歳女児が乳母ともども亡くなったとある。


 但し、長浜城自体は残っているから、この被害はかなり限定的なものではないかとは思うんやが、後世に『長浜大地震』と称されるほどやから、まだ先のことではあるけれど、一応留意しておかねばならんやろな。

 因みに、天正地震の際の長浜城主は山内一豊やったが、山内氏の記録(一豊公記)では他の記録のような壊滅的な被害が有ったようには記載されていないらしい。


 まぁ、いずれにしろ天正13年の地震発生までには長浜の田村山から基地を移転しておくのが無難だろうなとは思っていたんよ。

 特に領主が替われば、妙な武装組織が領内に居たりすることが嫌がられるやろし、地震による被害を避ける意味合いでも、日本海側に基地を造って、将来的に日本を離れる際の根拠地にした方がよさそうな気がするな。


 尤も、諸事情でそれができない場合は、別のところにするつもりではいる。

 俺が候補地としてどうかなと考えている若狭湾内での津波の記録は8世紀に10mから20mの津波襲来という記録はあるんやが、天正地震における津波被害の記録は残っていないようや。


 従って、仮に天正地震による津波はあっても、1m前後の小さなものだったのではないかと推測されるんや。

 その意味でも、俺としては若狭湾に海軍工廠を持つ蒼龍隊の基地を建設したいと考えているよ。


 現状の姫路城近傍の名もなき小島に設置した第二基地は、運用はするけれど、支援若しくは休憩港としての役割で存続させることになるやろな。


 ◇◇◇◇


 中国攻めの布石として水軍の基地を造り、訓練を始めているわけやが、現在も将来も船を造るならば、当然に銃砲を備えた軍船タイプにしなければならんやろう。

 特に瀬戸内海は海賊の巣みたいなところやからな。


 取り敢えず、姫路を中心とする近海で使う船は、ペガサス級ミサイル艇(長さ40.5m、最大幅14.5mの水中翼船タイプ)を萬屋(得)通販で購入し、配置した。

 俺の能力で、購入したミサイル艇の船体外板や外装装備、それにガラス等には強化付与をして防弾構造にしているから、この時代の火力では絶対に防御が破られることはない。


 この軍船自体が秘密兵器の塊やから、当然のことながら運用は蒼龍隊のみが運用し、織田水軍(九鬼水軍?)には任せないし、軍船を譲渡することもしないつもりや。

 四隻を一つの一班として、4班編成で常時三交代制の警戒態勢がとれるようにするつもりや。


 ペガサス級ミサイル艇の乗員は、本来21名なんやが、蒼龍隊では三名三交代制の9名で運航できる体制を整えており、さらに兵器運用要員として3名を乗船させるので、一応12名が定員やな。

 16隻の乗員だけで総勢192名なんやが、この軍船部隊の支援部隊として約300名を第二基地に常駐させるつもりでいる。


 まぁ、最初の半年で毛利水軍と雑賀水軍の主力を片付ければ、周辺で抵抗する奴はいなくなるやろと思ってはいるんやがね。

 もう一つ攻城戦用に、多弾頭精密誘導弾発射装置MLRS(本体20億円、弾頭M30A1で40万ドル)を二両搭載した千トンタイプの自走船(鋼船(はしけ)の改造船)を造り、こいつで海岸(べり)の陸域城塞を潰すつもりでいる。


 この攻撃特化型自走船には、自衛のためにファランクス二基を備えているんやが、欠点は速力が遅いことやろな。

 まぁ、そうは言いながらもこの時代の船では、結構早い8ノットは出るんやけどね。


 但し、この速力では、明石海峡や来島海峡を越えるのに、潮待ちをしないといけないようや。

 船尾方向からの潮流があると舵が効きにくいので、潮流ゼロ若しくは船首方向からの弱い潮流を受けながら海峡を乗り切るのがベストなんや。


 回航時には安全のために簡易武装したタグボート一隻又は二隻をつけてやる予定なんやで。

 因みに播磨の水軍基地から、8ノットの速力で、大阪本願寺沖まで約80キロ。


 同じく、水軍基地から玉野の沖まで約76キロ。

 回航時間は、風と潮にもよるが、概ね6時間から7時間あれば大丈夫やから、作戦での必要性を確認してからMLRS搭載の自走船を出動させるかどうかを決める予定でいる。


 場合により、タグボートとは別に予備のミサイル艇を護衛として二隻若しくは四隻をつけることが有るやもしれないな。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ