3ー1 元服と初陣の予令
天正五年(1577年)師走の11日、俺は急遽元服をすることになった。
トト様たちが何故にこの日を選んだのかはわからんが、戦の合間でたまたまトト様も秀吉叔父貴も長浜に戻っていたからじゃないかと思うんや。
この時期、秀吉叔父は信長公から中国攻めを命じられており、トト様は山陰道及び但馬国平定の軍勢の指揮を委ねられている筈。
但し、この8月には石山本願寺攻めの最中に松永久秀が持ち場を離れて信貴山城に籠って信長に対して反旗を翻したんや。
当時上杉謙信も南下していたので、秀吉叔父貴なんかは一時期加賀方面に配備されていたんやが、上杉勢が本格的に南下をしてこないと見切りをつけた信長は、加賀に配備した軍勢も加えて4万の大軍で信貴山城攻めを行ったのが10月上旬、結局松永久秀は自害し、信貴山城も陥落した。
これが10月半ばのことであり、久方ぶりに正月くらいは長浜に帰って祝うことになっていたのかも知れんが、そのついでに俺の元服もと言うことになったのじゃないかな。
これから始める中国攻めは、結構長引きそうやからなぁ。
大阪本願寺の動きも怪しいし、上杉謙信もこの年不穏な動きがあったから、織田軍は北へ、東へ、南へ、西へと大忙しや。
因みに元服の際の烏帽子親には、トト様と同じ時期に戻っていた秀吉叔父貴がなってくれた。
天正五年12月、数えで14歳、満年齢なら13歳と7か月での元服になるわけで、年が開ければ俺も数えで15歳になるんやで。
俺も与一郎改め、羽柴何某と名を与えられ、髷を結う(?)ことになるわけや。
あ、元亀三年に秀吉叔父貴が『羽柴』の姓を与えられて木下から改名し、トト様も羽柴小一郎長秀になっていたからね。
但し、トト様が「長秀」から「秀長」になるにはもう少し時間がかかるのかな?
あとは・・・、そうそう、天正四年にはトト様の部下に藤堂与右ヱ門高虎が、加わったなぁ。
一応、玄米300石取りの武将だよ。
高虎は、上司と合わずに主家をころころと変える男だけれど、トト様にはものすごく忠義を尽くした男の筈で、トト様が亡くなった後は家康についたはずやな。
ところで、俺も食生活の充実と異世界商店で入手したプロテインの適宜利用、適度の運動と成長期が合わさって、体重も増え、身長も伸びたんやで。
身長は五尺六寸(約170センチ)、体重は十七貫(約64キロ)なので、ちょっとしたこの時代の大兵並みだな。
トト様は、俺よりも背が低いし、ちょっとだけ体重も軽い。
それにしても成長期とは言え、戦国の世で良く育ったもんやな。
我ながら感心するよ。
浩一郎の18歳の時の身長にも迫るかなと思っていたんやけど、ここにきて少し成長が鈍化してきたみたい。
この分だと五尺九寸(約180センチ)までは行かないかもしれないな。
それでも、この時代にしては大男の部類やで。
もう少し体重があった方が貫禄がつくけどな。
見た目は、ちょっと、スマートすぎるかもしれん。
それでも俺の腹筋は、日頃の訓練の成果もあって、シックスパックになってるぜ。
俺の親衛隊の連中も食生活と適度な運動の所為か、俺と同様に良く育っている。
一番デカい大五郎は、六尺の大台に届いている。
もうひとりの巨漢である作治は、身長は5尺6寸5分ながら、体重は26貫を超え、筋肉の化け物に近いぞ。
こいつら二人が相手なら、並みの大人は肉弾戦でも剣術でも歯が立たないはずやで。
無論、スコープ付きのライフル射撃では、二町(約200m)先の枝に留まっている雀を落とせる腕がある。
射撃の腕に関しては、それでも隊員の中では中クラスやろうな。
トップクラスの連中は、対物ライフルで20町先の西瓜に命中させることができるからな。
◇◇◇◇
元服したなら、俺の初陣も間もなくかもしれないのや。
その時は、状況によりやけど、蒼龍隊も連れて行く機会があるかもしれん。
元服の儀式は、私的行事やから長浜城を使うことは避けて、長浜城下にある我が家で厳かに行われたよ。
俺の名は与一郎改め、羽柴藤十郎秀賢と名付けられた。
元服の儀式が終わり、俺は正座の上、型通り烏帽子親の秀吉叔父貴に挨拶を成した。
秀吉叔父は満足そうに頷いてから言った。
「まぁ、膝を崩してそこに座れ。」
秀吉叔父貴は、これまで俺に親しく話しかけてきたことが無いから極めて珍しいことじゃ。
言われた通り、胡坐を組んで座りなおすと秀吉叔父貴が言った。
「ぬしゃぁ、長浜界隈の童ども多数を集めておる様じゃが・・・。
何が目的じゃ?」
おう、これは、叔父貴殿の手の者が何か蒼龍隊についての情報を仕入れたかな?
叔父貴殿は、追及の構え満々の顔じゃぞ。
さてさて、どうとぼけるかじゃが・・・。
「はい、長浜界隈の満足に食わせてもらえぬ童を集めて、食い物を与え、雨露をしのぐ場を与えております。」
「確かに食わせておる様じゃが・・・。
寝る場もあるようじゃの。
だが、それだけではあるまい。
童どもに少額なれど銭を配り、学問を教え、剣術の真似事もさせていると聞いた。
そは、いかなる者が教え、また、何のためにそのようなことをしておるのじゃ?」
「ハイ、確かに、天台宗玉泉寺の元住職であった宋賢和尚に学問を教えていただき、富田流の使い手である武州浪人羽島左近なる者に、剣術を教えていただいております。
こは、将来において、我が父若しくは私のために働いてもらう有為の人物を育てるためにございます。
ただいま集まっておる者は、いずれも学が無くて書も読めぬ有様。
元々農民の子が多く武術も知りませぬ。
それらを育てることにより、百人の中に一人でも二人でも有為の士を育て上げることができれば重畳と存じております。」
「童と言えども、百を超える数になれば食い扶持とてタダでは済まぬ。
その銭はどうした?
また、和尚にしろ、浪人にしろ、タダでは師匠を引き受けてはもらえぬじゃろう。
その銭はいかがしておる?
少なくとも、小一郎からは、ぬしに与えている金子は無いと聞いておるが?」
「銭については、田村山の敷地内で宋銭又は明銭の両替をしております。
宋銭にしろ、明銭にしろ、年数がたてば朽ちてまいります。
仮に刻印が薄れるほどにちびてしまったならば、通貨としての価値は著しく減りましょう。
私のところではそうしてチビた銅銭を商人などから搔き集めて、比較的程度の良い銅銭に替えております。
そのために比較的程度の良くない銅銭が手元にたくさん残りますので、これに銅を補充して程度の良い宋銭若しくは明銭に鋳込み替えをしております。
全く新造の宋銭又は明銭も造ろうと思えば作れますが、それは幕府や朝廷の意向に必ずしも沿うものでは無いと考え、ある程度使用感のある半端なものを鋳造し、通貨量全体をあまり増やさないようにしております。」
「うん?
それでは持ち出しになってヌシが損をするのではないのか?」
「損得だけで申し上げれば、こちらが銅を足している分だけ損をしているかもしれません。
但し、鐚銭と呼ばれるものは程度が悪く、そもそも一文としての価値で取引ができるものではありません。
私のところで両替するものは、商人たちが通貨として認める程度のものを扱っており、例えば全体の三割以上も摩耗しているような品は、そのまま両替は致しません。
そのような程度の悪い鐚銭の場合は、銅の重量に換算して、適正な通貨分と手数料を引いて両替しております。
そうした鐚銭に銅を加えて通用する通貨に戻すことで、利が出てまいりますのでその分を、子供たちの食費にし、また、師匠たちの労賃にしております。」
「ふむ、・・・。
銅を継ぎ足していると言ったが、ぬしゃぁ、鉱山でも持っておるのか?」
「いいえ、銅は、地中にあるものを採取して使っておりますが、それは銅の鉱山ではありません。」
「土の中から?
如何様にすれば土の中から銅が取り出せるのじゃ?」
「恐れながら、そのご下問にはお答えできませぬ。
事は私が知る秘術に関するもの。
迂闊に漏らせば、私が疎まれて闇夜に刺されるかもしれませぬ。」
「むっ、命がかかるほどの秘密か・・・・。
なれば詳しくは聞かぬが、その鉱山ではない土の中から銅が取れるというなら、銀や金も同様のことができるのか?」
「そのご下問にもお答えいたしかねます。」
「答えぬのは、それができるものと勝手に解釈するぞ。」
「どうあっても、お答えできませぬ。」
俺と叔父貴殿は、暫し睨み合った。
そうしてやがて叔父貴殿の顔がくしゃっと崩れ、笑顔を見せた。
「ふむ、我が甥は中々の胆力を持っておるわ。
儂の脅しにも屈せぬとはのぉ。
まぁ、よい。
ぬしゃぁ、元服したのじゃから、次の戦に小一郎と共に出陣して初陣とするがええ。
その際にぬしの率いる者どもの中に、勲し優る者あれば供として連れて参れ。」
「叔父貴殿の仰せ、畏まって承り候。」
俺は、そう言ってお辞儀をなした。
こうして俺の初陣がなし崩し的にほぼ決まった。
現下の状況から言えば、トト様は但馬の攻略を委ねられるはず。
となれば、攻城戦がメインとなるはずなので、主力部隊とは別に輜重部隊を編成して連れて行くことになりそうやな。
戦に出るのに、流石に身一つという訳には行かぬじゃろう。




