2ー16 蒼龍隊 その五
天正三年皐月(5月)21日(1575年6月29日)、長篠の合戦で武田家は惨敗し、甲斐の武田は天正十年には滅びることになるはず。
この長篠の戦には、当然のようにトト様も出陣した。
多数の鉄砲(千丁から三千丁まで諸説あるが、因みに滋岳宅麻が造り置いた式神の残滓である『玄海』曰く、正確な数字ではないとしつつも、千五百丁ほどだったとしているな。)を使った戦だが、どのように使ったのか数々の逸話は有れど、詳細は不明なんよね。
長篠の合戦では、武田側も馬鹿みたいに騎馬で猪突猛進をしなければ、もう少し勝ち目はあったかもしれないのに、まぁ、鉄砲を大量に使う野戦そのものが理解できなかったのかもしれないな。
武田勝頼とそれを支える臣下筋の者には、ここで何とかせねばという意地と焦りが大いにあったのかもしれないね。
玄海の話はともかく、何れにしろ、鉄砲という南蛮渡来の武器が戦場で大いに活躍できることが周囲に知れ渡った戦でもある。
それから二年余りも過ぎた天正五年長月(9月)の蒼龍隊だけれど、創設(天正三年文月(7月)発足)から2年余りの間に長浜周辺から集まったガキどもで隊員数が5百名を超えるまでに膨れ上がっていたよ。
蒼龍隊では、隊員個々に教育をし、兵隊や文人としての育成を始めているんだけれど、隊員には、大人に対して蒼龍隊の情報を漏らすことを厳禁している。
この指示は、俺の陰陽術の一つ冥性術で、ある意味呪術に近い契約なんだ。
こいつで縛られると、否応なしに従わざるを得ず、例外は無い。
この時期、隊員の9割以上は、基地に住み込みだな。
蒼龍隊の隊員のほとんどが、家では満足に食わせてもらえない子供達が多いので、蒼龍隊の基地に居た方が余程豊かな生活が送れるんだ。
子供の受け入れについては、一応の基準として、入隊時に数えで10歳以上、14歳未満としているが、隊員となってから14歳を超えた者で、在留希望があればそのまま隊員として留め置くことにしている。
今後の状況によっては、それより年下や年上の子も収容することはあり得るんだぜ。
何れにしろ、大人には内緒と言う口コミで周辺の孤児達などに噂が拡がり、入隊希望者が激増したわけやな。
何せ入隊すればきれいな(?)着物が貰え、美味い飯を食わせてくれるし、温かい寝床も用意してくれる。
おまけに、なにやら勉強まで教えてくれて、銭までもらえるとなれば、それなりの知恵がある者なら寄ってくるわけだ。
最初は、もしかして人さらいの詐欺ではないかと疑いもしつつ、間近でじっくりと見ていると、そうではないことがわかって、すぐに入隊を希望する者が多いな。
田村山から概ね半日程度の距離に居た食えない子供たちの大半が集まっている様で、この傾向はさらに遠い周辺部にまで広がってまだまだ続くだろうな。
俺の親衛隊だから、俺も一日に一度は基地に顔を出すが、原則として俺は基地に寝泊まりはしない。
最初の12名の隊員の内の二人、伊助(14歳)と大五郎(14歳)が、俺の不在の際は隊長代理で相談しながら取りまとめているし、女衆のミワ(13歳)が女たちの取りまとめをしているんや。
今のところは、それでうまく回っているんだが、教育の方が子供達だけではなかなか回らないんだよな。
できるだけ俺が対応して教えるようにはしているんやけれど、俺も他にやることがあるし、流石に一日中は付き合ってはいられない。
天正四年からは、仕方がないので近隣の坊主を一人巻き込んだよ。
老齢と病気で死にかけていた天台宗玉泉寺住職宋賢和尚を治療して、その代わりに子供たちの教育を依頼したんや。
仏の悟りに近い御仁であり、寿命を悟って既に後継者の選定も終わっていたもんやから簡単に請け負ってくれた。
御歳67歳になっていたが、俺の治癒仙術で快癒して以来、すこぶる元気だぜ。
子供達には老師として慕われている。
もう一人、浪人で富田流剣術の流れをくむ羽嶋左近43歳が北国街道沿いで行倒れているのを、俺が偶々助けた縁から、この初老の男に、子供達への剣術指南をお願いした。
詳細な事情は聞いていないが、駿河の国のとある町で尋常な果し合いを行って相手を討ち果たしのところ、たまたまその者が剣術道場主であったことから、その門弟どもに命を付け狙われて、西へ逃げてきたようやな。
生憎と甲賀を抜けたあたりで路銀が潰え、四日も食わずに長浜近辺で餓死しかけていた男である。
路傍に転がっていた男を見つけて、拾ってきたのが俺やったわけ。
埃にまみれ、垢で地肌が黒くなっているちょっとばっちい男を、木下家に運び込むのもできないので、蒼龍隊の隊員を呼んで基地の離れに荷車で運び込んだわけや。
まぁ、この行倒れは体力もそこそこ落ちてはいたが、単純に飢えているだけやったから食わせれば治るだけの話やった。
根っからまじめな男であり、恩返しに何かできることは無いかと言うので、子供たちに剣術を教えてもらうことにしたのや。
子供たちに教えてもらう報酬として、衣食住は保証し、一日につき二十文の報酬を約束した。
一応この二人の師匠にも制服は渡しているが、着るかどうかは本人次第だった。
宋賢和尚も羽島師匠も、蒼龍隊の制服が気に入ったようで隊員と同じような服装で、講師なり師匠なりをやってくれているぜ。
和服は、夏場には涼しいかもしれんが、冬場は寒いからな。
その点、制服の方は布地の織り方や厚さに工夫してあるから、夏は涼しく冬は暖かい。
なおかつ活動的に動けるのが利点だ。
羽島左近師匠に支給する一日につき二十文と言う報酬は、座学を教える宋賢和上も同じなのである。
こうして、二人の大人が子供たちの師匠として蒼龍隊の基地に住み込むことになったんや。
◇◇◇◇
田村山にある蒼龍隊基地の敷地は、一万坪ほどもあるが、隊員の人数が増えるに従って、隊舎と言うか新規の寮の建設用地に余裕がなくなり、次第に窮屈になってきた。
止むを得ず基地舎屋の大規模改築をすることにしたぜ。
外側は、これまでの木製の柵と違い、高い土塀をめぐらした形状にし、内部の上屋も地上三階建てとした上で、地階構造を大幅に増やした。
まぁ、元から地下設備はそれなりに在って、俺の亜空間倉庫とつないであり、各種訓練場にも使っていたんやがな。
単純に言えば、隊舎の地下に入る際には、本人確認による入場制限を掛けた部屋があり、二重の扉は資格無き者がその室内に一緒にいると二枚目の扉が開かない構造になっている。
従って、たとえ忍びの者であっても内部への侵入はできない筈だ。
この第一関門を過ぎると地下の各施設につながる扉があって、第一関門と同様に資格により入室制限をされているんだ。
因みに基地の地下に据え付けられているのは、これまでは隊員の訓練施設と倉庫群だけやったのだが、今回の大改装で別の施設も増設することにした。
こっちも俺の亜空間倉庫内に設置したものやが、長さ1キロ、幅1キロ、高さ500mの空間に多段階層を設け、そこで温度、湿度、光の照度の制御をしつつ、作物を育てる屋内農場を造ったのや。
ここでは、隊員が食べる食材を栽培することにしている。
異世界商店で金さえ用意できれば食糧は入手はできるんだが、生産性が無い部隊は、将来的にお荷物になりかねない。
やはり理想は、自分たちの飯は自分たちで作りあるいは稼ぐのが一番望ましいやろう。
地下の農場での稲作は、年間で三回半の収穫ができる。
三回半というのは季節に一切関わりなく、二年で概ね7回の収穫ができるからである。
ここでの収穫は、気候に左右されず理想的な環境で生育できるから、非常に効率が良いんだ。
ついでに俺の仙術の樹性と小スキルの農師が、品種改良と土壌改良をも容易にしてくれた。
江戸時代で一反あたり一石(2俵半)の収穫があれば御の字だったものが、俺の地下農場では一反あたり年間で30俵(≒12石)の収穫が可能になっている。
因みに稲作領域は、16万平米の広さで50階層分あるので、総計で800万平米の作付面積があり、月産で言うと平均八千石程度の収穫が得られることになっている。
この収穫に要する人員は、1日あたり50人程度の人手が必要やが、教育を受けた子供達なら十分に対応できるので、日替わりの交代制で延べ百人を当てている。
単純計算で言えば、年間で9万6千石、優に9万人を超える人口を養える石高なんだ。
この地下農場では、他にも、麦や野菜、果実なども栽培しており、植物性食品の確保については何の心配もない。
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俺の時空間仙術による亜空間倉庫もレベルアップのお陰で、時間遅延の付与が可能になったことから、食糧庫に関しては二十分の一の遅延時間にして、なおかつ温度管理も徹底しているから、米なんぞは10年経っても新米状態を保っていられるはずや。
実際に隊員に供する量は、月に50石もあれば十分なので、残りは備蓄食料にしている。
万が一、長浜領内で飢饉なんぞが起きれば、備蓄分を相応量放出するつもりでもいる。
一方で、住居となる上屋の方はプレハブ工法の建造物なので、しっかりとした基礎さえできていれば、俺が造った特別な組み立て装置を使って、子供でも比較的簡単に組み立てられる造りである。
師匠である大人二人が住む離れも同じくプレハブで改築し、屋根付きの廊下で母屋とつなげた。
この大改築により、より多くの子供たちの収容が可能となった。
丘の頂に鎮座するコの字型の建物は、四人部屋の寝室を各階に60室造っており、700人以上もの子供たちを収容できるほか、敷地中央に共用部分の建造物を設けて渡り廊下でつないでいる。




