第33話 神の番犬フェンリル①
「で、獣人王様の頼みって何かしら?」
レイシェルが尋ねると、ガイラは腕を組み、ゆっくりと語り始めた。
「ああ。おめえらも知っての通り、この大陸は獣人たちが暮らしている土地だ。この町以外にも、いくつか集落や町はある。だが海とつながっているのはここだけだ」
ガイラは一度言葉を区切り、続ける。
「俺たち獣人族は、昔と違って、もう人間と争う気はねえ」
「そ、そうなのか」
「……あらあら。数百年前には、人間を滅ぼそうとまでしていた獣人さんたちが、ずいぶん丸くなったものね」
レイシェルが軽くからかうように言う。
「結局な、争ったところで何も残りゃしねえ。仲間を失うだけだ。中には家族を持っているやつもいる。そんな連中が戦死なんてしたら……残された家族に顔向けできねえだろう」
「なるほどな……」
「とはいえ、まだまだ人間嫌いの獣人も多い。そいつらのためってわけじゃねえが、俺たちから積極的に歩み寄る気もねえ。だが、人間と獣人。お互いがうまく生きていく手段はいくらでもあるはずだ」
ガイラは静かに続ける。
「だから俺は、この大陸を獣人だけの土地として守りながら、外部からの航路はこの町だけに限定し、人間や他の大陸からの渡航を厳しく取り締まっているってわけだ」
「なるほど。何でも許可していては、悪さを企む者が入り込む可能性もありますからね」
エピステーメーが納得したようにうなずく。
「ああ。その代わり、外の世界で何が起きているのか、俺たちには知る術がねえ。だが今、こうしてセラフドラゴンが現れた。それは世界に異変が起きている証でもある」
ガイラは真っ直ぐこちらを見据えた。
「俺がおめえたちに頼みたいことも、その一つだ」
「……ということは、この大陸でも何か異変が起きているということか?」
アリシアが真剣な表情で尋ねた。
「この大陸はな、半分が巨大な山岳地帯で占められている。その中でも一番高い場所、『天獣の座』と呼ばれる場所があるんだ」
「天獣の座……そこに、何があるっていうんだ?」
カエラがガイラを見据えながら問い返した。
「そこには、“神の番犬”と呼ばれるフェンリルがいるんだ」
「フェンリル? 神の番犬……?フェンリルは“神殺し”の神獣として伝承に残っている存在のはずですが……」
エピステーメーは、自身の知識を思い起こしながらガイラにそう伝えた。
「ああ……おめえたち人間の間では、そんなふうに語り継がれているのか。だが、実際は違う」
ガイラは静かに首を振りながら言った。
「フェンリルはな、神に最も従順な神獣の一つだ。自分が仕える神に対して絶対の忠誠を誓っている。だから、もしその神に危害を加えようとすれば、ためらうことなく攻撃する。たとえそれが他の神であってもな」
ガイラは腕を組んだまま続ける。
「おめえたち人間の間で“神殺し”と呼ばれているのは、そのあたりが理由なのかもしれねえな」
「なるほど……。そう言われると、解釈の余地はありますが、納得できますね」
エピステーメーはそう言いながら、クイッと眼鏡を押し上げた。
「それで、貴殿が先ほど言っていた“異変”というのは、その天獣の座で起きているのか?」
アリシアがガイラを見据えながら問いかける。
「ああ。フェンリルはな、毎朝決まった時間に吠え始めるんだ。まあ、それは仕えている神への報告のようなものなんだろうが……」
「へえ……かわいらしいですね。まさにワンちゃんですね!もふもふしてみたいです☆」
「お前……それ、本人の前で言ったら噛み殺されるぞ」
俺は思わず真顔でツッコミを入れた。
「だが先日、山岳地帯を警備している兵から報告があった。フェンリルが吠えなかったらしい」
「あらあら。ワンちゃん、寝坊しちゃったんですかね?」
「お前は一度、本当に噛み殺されてこい」
「気にはなっているんだが、あそこは神聖な場所だ。何人たりとも――この獣人王である俺ですら、立ち入ることは許されていねえ」
「そこでサバオくんの出番、ということかしら?」
レイシェルがそう問い返す。
「ああ。セラフドラゴンはフェンリルと同じく、神に仕える存在だ。こいつがいれば、フェンリルのもとへたどり着けるはずだ」
ガイラの言葉に、サバオは事情をよく分かっていない様子ながらも、
「イクー!」
と楽しそうに声を上げた。どうやらピクニックか何かと勘違いしているらしい。
「はは、そうか!来てくれるかい。それは助かるぜ」
ガイラは豪快に笑う。
「えーと……俺たちはまだ何も言ってないんだけどな」
「ソウジ、イコウ!」
サバオは目を輝かせながら、ぎゅっと俺にしがみついてくる。
「うーん……分かった、分かったよ。まあ、話を聞く限り放っておけるような内容でもなさそうだしな」
「悪いな。助かるぜ」
ガイラは満足そうにうなずいた。
「それじゃあ、さっそく明朝ここを発つとしよう。もちろん俺も同行する」
「分かった。じゃあ、明日の朝な」
ガイラと約束を交わし、俺たちは魔装船へと戻る。
来たるべき明日に備えるためだった。
――深夜。とある場所にて。
「……クク、セラフドラゴンか。明日が楽しみですねぇ…」
「天獣の座でまとめてその力、頂くしましょう…」
低くくぐもった笑い声が闇に響く。
不穏な影はゆっくりと、確実に俺たちに迫っていた。
翌朝。
俺たちはガイラとともに天獣の座へ向かうため、再び彼のもとを訪れていた。
マリーナは船の修繕作業に専念し、ガリは船の警護、ミレアも修繕の手伝いに回ることになり、この三人は船に残ることになった。
「おう!おめえら、全員そろったか」
砦の前では、ガイラとダリ、それに三人ほどの兵士が待ち構えていた。
「ああ、こっちは全員そろってるぜ。そっちはそれだけでいいのか?」
「誰が出張ると思ってんだ?別に俺一人でも構わねえんだがな」
ガイラが肩をすくめる。
「ですがガイラ様、何が起こるか分かりません。万一の際には、我々が盾となり――」
ダリがそう言いかけた瞬間、
「バカなこと言ってんじゃねえ!」
ガイラが低く言い放つ。
「立場なんか関係ねえ。戦場に出りゃ、おめえらはみんな大事な仲間だ。真っ先に死ぬなんて考えんじゃねえぞ」
「……承知いたしました」
ダリは深く頭を下げた。
「豪快なお方ですが……昨日のお話からも分かる通り、心優しい方のようですね」
エピステーメーはそう言いながら、クイッと眼鏡を押し上げて微笑む。
「ああ。やはり王となる者だ。器が違うようだな」
アリシアも感心したように続けた。
「よし、それじゃあ行くぞ、おめえら。天獣の座までは、ここから歩いて三、四時間ってところだ」
「うげ……結構歩くんだな」
道中、ガイラは興味津々といった様子でサバオにいろいろと話しかけていた。
「おう、サバオ。おめえ、まだそんなに小せえのに、やたら強えらしいじゃねえか」
「ムフフー!ボク、ツヨイ!」
サバオは誇らしげに胸を張る。
「いいねえ!まあ、この先どうなるか分からねえが、この限られた時間で俺のとっておきの体術、伝授してやるぜ!」
「ワーイ!」
無邪気に喜ぶサバオ。
「……サバオ、こいつ本当に意味が分かってるのかな」
俺が小声でつぶやく。
「さあな」
アリシアはくすりと微笑んだ。
「まあ、サバオは今のところ、殴るか蹴るかしかしていませんからね」
エピステーメーが淡々と言う。
「それがまた、でたらめに強いんですけどね☆」
「おいおい……そんなところに獣人王サマの体術まで叩き込まれたら、どうなっちまうんだよ」
「うーん……大陸が消し飛ぶかもしれませんね☆」
しばらく山道を歩いていくと、小さな村にたどり着いた。
「おう、おめえら。元気でやってるか?」
ガイラが大きな声で村人たちに呼びかける。
「ガイラ様、お久しぶりです。ようこそお越しくださいました」
村人たちはほっとした様子で頭を下げた。
「やはり……フェンリルの様子が気になって来てくださったのですか?」
「ああ、そうだ。今朝はどうだった?」
「いえ……やはり今朝もフェンリルの声は聞こえませんでした」
「そうか……」
村人の一人が不安そうに続ける。
「ガイラ様、大丈夫なのでしょうか?もしかして何か大変なことが起きているのでは……」
「さあな。それはまだ分からねえ。だからこそ、こうして俺が出向いてるんだ。心配するな」
ガイラは力強く言い切った。
「お前たちの日常は、必ず俺が守る」
「ガイラ様……ありがとうございます」
村人たちは安心したように頭を下げる。
「すごいな……ガイラ殿は。こんな小さな村の人々にまで、あれほど気さくに声をかけるとは」
俺たちは、王としてのガイラのカリスマ性に、ただただ感嘆するばかりだった。
しばらく山道を進んでいくと、ガイラが前方を指さした。
「天獣の座の入口までは、もう少しだ。ここからは道も険しくなってくるが……」
その言葉の途中だった。
「――っ、お?」
低く唸るような声が聞こえた次の瞬間、茂みの中から魔物が飛び出してくる。
「魔物だ!」
アリシアは即座に剣を抜き、ガイラへ襲いかかろうとしていた魔物を一刀のもとに切り捨てた。
「……さっきまで、魔物なんて一体もいなかったのに」
俺が周囲を見回す。
「やはり天獣の座が近いから、魔物が出るのか……?」
アリシアがそうつぶやくと、
「ば、バカな……」
ガイラはただ驚愕した表情でその場に立ち尽くしていた。
「どうしたんだ、ガイラ?」
「魔物だと……?この大陸には、魔物なんて存在しねえはずだ」
低い声で言い切る。
「噂では聞いたことはある。マブロス帝国とかいう連中が、世界中に魔物を解き放っているってな。だが、おめえたちも知っての通り、この大陸にはあいつらは一切入り込んでいない。だから、この土地で魔物が現れるなんて、あり得ねえんだ」
「た、確かに……」
俺たちは顔を見合わせる。
「そうなると……理由はわかりませんが、フェンリルに何かあったと見て間違いないでしょう」
「ああ、間違いねえ。おめえら、急ぐぞ!フェンリルが危ねえ」
その言葉を合図に、俺たちは険しい山道を一気に駆け上がり始めた。
天獣の座へ近づくにつれ、周囲に現れる魔物の数はどんどん増えていく。
「くそ……きりがねえな。こんなところで足止め食ってる暇はねえってのによ」
ガイラが苛立ちをあらわにする。
その時だった。
「……よし。解析は終わりました」
エピステーメーがそう言いながら、クイッと眼鏡を押し上げる。
「皆さん、少々激しい魔法を使います。気をつけてください」
次の瞬間、彼の周囲に強烈な光が集まり始めた。
轟音とともに放たれた光は、やがて巨大な竜巻となって周囲を包み込む。
光の奔流は、群がっていた魔物たちを一瞬で薙ぎ払い、跡形もなく消し去った。
「……これで道は拓けました。フェンリルのもとへ急ぎましょう」
「こいつは驚いた……。こんな強力な魔法、見たことがねえ」
ガイラが目を見開く。
「この魔物に最も有効な術式を組み立て、短時間で殲滅できるよう調整していたのです。しばらくは安全でしょう」
「おう、助かるぜ。それじゃあ行くぞ」
俺たちは再び、険しい山道を急いで進み始めた。
しばらく進むと、細く険しかった山道が、急に大きく開けた場所へと続いていた。
「ここから先が天獣の座だ」
そう言ってガイラが前へ手を伸ばした瞬間……
ピキン、と乾いた音が響き、その手は弾き返される。
「これは……結界ですか?」
エピステーメーが目を細める。
「ああ。昨日も言ったが、ここは神聖な場所だ。誰であろうと、簡単には入れねえように結界が張られている。俺が力づくで壊そうとしても、びくともしねえ代物だ」
「なるほど……」
その時だった。
結界が、まるで呼応するかのように淡く輝き始める。
サバオが不思議そうな顔でそれを見つめ、ゆっくりと近づいていく。
そして――
ブン、と低い音を立てながら、サバオの身体は何の抵抗もなく結界の内側へと吸い込まれていった。
「ワーイ!ミンナ、オイデー!」
楽しそうに手を振るサバオ。
「え……入れるのか?」
半信半疑のまま俺たちも近づくと、同じように低い振動音が響き、気づけば全員が結界の内側へと足を踏み入れていた。
「なるほど……神に仕える存在であるサバオは、この結界を問題なく通過できる。そして、サバオに仲間と認められた私たちも、共に通ることができた……ということでしょうね」
エピステーメーが冷静に分析する。
「そういうことだろうな。何にせよ、俺もここから先へ進むのは初めてだ」
ガイラは周囲を見渡しながら言った。
「フェンリルは、もうすぐ近くにいるはずだ」
「それでは、天獣の座へ急ぎましょう」
俺たちは気を引き締めながら、さらに奥へと進み始めた。
しばらく進むと、俺の背中に差していた星守、クサレマグロがふいに声を上げた。
「相棒よ。ここは神聖な場所のはずだが……何やら不穏な気配を感じるぞ」
「え?」
思わず足を止める。
「ん?おいおい、なんだおめえ。聖剣の持ち主だったのか」
ガイラが驚いたようにこちらを見る。
「ああ……別に隠していたわけじゃないんだが」
「しかも剣がしゃべってやがるぜ」
ガイラは豪快に笑う。
「我はクザレ・マクロイヤー。こやつらには“クサレマグロ”と呼ばれているがな」
剣が誇らしげに名乗った。
「クザレ・マクロイヤーだと? 伝説の魔剣士じゃねえか!くう……一度でいいから手合わせしてみてえもんだ」
「いや、今そんなこと言ってる場合じゃねえだろ」
俺が呆れてツッコミを入れる。
「っと、そうだったな。……よし、急ぐぞ」
ガイラが気を取り直すように前を向いた。
さらに奥へと進むと、やがて視界が大きく開けた。
そこはこの山の最も高い場所、天獣の座だった。
そして、その中央には。
白い毛並みを持つ巨大な狼――神獣フェンリルが、苦しそうに横たわっていた。
「フェンリル!」
思わず声が漏れる。
その瞬間だった。
「おやおや……ようやく来ましたか。待ちくたびれてしまいましたよ」
どこか粘つくような、不気味な声が響く。
次の瞬間、地面を這うように黒い風が巻き上がり、その中から“何か”が姿を現した。
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ーーおまけ小話ーー
【獣人王奥義?】
「いいか?大地に向かって思いっきり拳を立てるんだ!
地〇割りって言ってな……?」
「チ〇〇〇ワリー?」
「色々怒られるからやめてくれ……」




