第8話
悠也はいつものようにスマホを手に取った。画面にはフリマアプリの通知が表示されている。これまでも何度も売上報告や評価の確認をしてきたが、今日は違った。彼の胸はいつになく重く、心臓の鼓動が少し早まっているのを感じていた。画面を覗き込むと、そこに表示されていたのは、
「あなたのアカウントは規約違反の疑いがあり、一定期間の利用制限を課されました」
という冷たく短いメッセージだった。これまで何度も成功してきた自分が、まるで一瞬にして否定されたような気がした。
悠也は指が震えるのを感じながらも、通知を何度も見返した。どうして自分のアカウントが制限されたのか、その理由は明確に示されていない。詳細な説明はなく、「疑いがある」という言葉だけが不安を膨らませた。これまで築いてきた信用や評価が、一気に崩れ去る予感に胸が締めつけられた。成功体験の中で積み重ねてきた自信が、いままさに音を立てて崩れていく。
彼はスマホの画面をスクロールし、過去の取引履歴や評価コメントを何度も見返した。どこに問題があるのか、自分ではまったく分からない。もしかしたら仕入れ先のルートが怪しいのか、あるいは商品説明に嘘があったのか。そうした疑念が次々に浮かんでくるが、どれも確信を持てないままに心をかき乱すばかりだった。
「なんで……俺は何も悪くないのに……」
つぶやきながら、彼は問い合わせフォームを開いた。冷静に、丁寧に状況を説明しようと努力したが、文字がまとまらない。言葉が詰まり、文章を何度も書き直す。焦りと不安が入り混じり、頭の中はぐちゃぐちゃになっていった。送信ボタンを押す手が微かに震えた。
その晩、悠也は部屋の明かりを落としてベッドに横たわったが、眠れなかった。スマホの画面に映る規約違反の通知が何度も脳裏に浮かんでは消え、心の中に鈍い痛みを残した。無敵だと信じて疑わなかった自分の居場所が、一瞬で崩れ去るかもしれないという現実が重くのしかかる。何度も寝返りを打ち、冷や汗をかきながらも、彼は必死に自分に言い聞かせていた。「まだ終わってない。これくらいで終わるはずがない」と。
翌日、バイト先での空気も重たかった。村井がいつもと違う目で悠也を見ている気がした。スマホを見てばかりいる姿が不自然に映ったのだろう。昼休み、村井がぽつりと呟いた。
「お前、やっぱりなんかあったんじゃねえの?」
悠也は咄嗟に笑いながらも、その視線を避けることしかできなかった。胸の奥に小さな棘が刺さったような違和感が残った。
仕事が終わって帰宅する道すがら、彼は人通りの少ない街角で立ち止まった。冷たい夜風が頬をかすめ、寒さと不安が体を包み込む。彼の頭には「このまま続けて大丈夫か」という言葉が何度も反響した。転売の世界は魅力的で刺激的だった。成功した時の快感は確かにあった。でも、いま彼の足元は揺らぎはじめている。いつ崩れてもおかしくない、不安定な土台の上に立っている感覚。だが、それでも彼はやめられなかった。
数日後、再び通知が届いた。今度は利用制限の期間が延長されるという内容だった。売上の減少は顕著で、取引のキャンセルや評価の低下も目立ちはじめた。信用は目に見えて剥がれていく。悠也は焦燥に駆られ、これまで以上に無理をして仕入れを増やそうとした。
そんなある夜、ふと部屋の窓の外を眺めた。街の灯りはいつもと変わらず輝いているのに、自分だけがその光から取り残されているような孤独を感じた。スマホを手に取っては、また通知を確認する。そこで目にしたのは、転売仲間たちの成功談や次々と売れた商品の報告だった。彼らは変わらず進み続けている。自分だけが停滞し、取り残されている。
悠也は自嘲気味に笑った。「まだ戦える。まだ終わりじゃない」そう自分に言い聞かせる。しかしその声はどこか弱々しく、震えていた。胸の奥の焦燥と孤独は消えることなく、日々の生活にじわじわと染み込んでいった。
バイト先では村井の視線がますます冷たくなっていくのを感じていた。仲間との会話にも参加できず、心の中に小さな亀裂が広がる。誰にも相談できないまま、悠也は次第に孤立していった。転売という甘い蜜の罠に捕らわれた彼の生活は、もはやそこなしでは成り立たない。稼ぎがなければ、生きていけない。快感がなければ、虚無に飲まれる。
そんな中でも、悠也はスマホの画面を何度も見つめた。まだ何か策はあるのかもしれない、まだ復活のチャンスは残っていると信じていた。しかし、どこかで「これが最後の足掻きかもしれない」という予感が、彼の心の隅で燻っていた。ゆっくりと、だが確実に、転売という世界の裏側に隠された暗い現実が、彼の足元を蝕みはじめていた。
静かな夜の部屋で、悠也は一人つぶやいた。「まだ、終わらせたくない……」その言葉には、焦りと恐怖、孤独と執着が混ざり合い、重く沈んでいく暗い響きがあった。まるで、自分自身への呪文のように繰り返した。




