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第9話

 朝起きてまず最初に触れたのは、布団ではなくスマートフォンだった。


 それはもう、日課でも惰性でもなく、反射だった。目覚ましを止めた指が、画面をスワイプする。アプリの通知欄をチェックする。いつも通り、Xのタイムラインを一瞥し、売れ筋情報を探る。評価や売上、仕入れ情報。昨日と同じ。いや、数ヶ月前までと比べれば明らかに落ちている。だが、現実として、今日も世界は変わってなどいないと思っていた。


 その「変わっていない」と思っていた平穏が、静かに、しかし確実に崩れていたことに、最初はまったく気づかなかった。


 午前10時17分。

 最初に違和感を覚えたのは、見慣れないリプライの通知だった。


「お前これ、自分で投稿してて恥ずかしくならんの?」


 それは一見して“クソリプ”にも思えた。知らないアカウント。プロフィールも怪しいし、どうせ暇なやつが過去ポストを掘り返しただけだろう。そう思ってスルーしようとした瞬間だった。目に飛び込んできたのは、自分の過去の投稿だった。引用RTで晒されていた。


「月収30万突破。大学なんて時間のムダだって確信した。」


 …間違いなく、俺が書いた文章だった。

 まぎれもなく、自分の言葉。

 ハンドルネーム、投稿時刻、いいね数、すべてがそのまま残っている。

 そしてその下には、何十、何百という引用リツイートと、罵倒混じりのリプライが波のように押し寄せていた。


「こういうやつが文化を壊す」

「転売を努力って言い換えてそう」

「大学に行かず転売で成功!ってテンプレのバカだよな」


 頭が真っ白になった。

 通知を閉じようとしても、また新しい通知が飛び込んでくる。

 画面を下にスワイプすればするほど、目にしたくない言葉が次々と表示されていく。

 まるで地面から無数の手が伸びてきて、自分の足首を掴み、引きずり込もうとしてくるようだった。


 投稿日時は、約1年前。

 まさしく自分の快進撃に酔いしれていた時期だった。スニーカーの仕入れが一番うまく回っていた頃で、どんな人気モデルも先回りして確保できた。その頃は、数字が、稼ぎが、そして誰かよりも早く動ける俺という感覚が、麻薬のように脳を痺れさせていた。それが、今になって、逆刃になって胸に刺さるとは。


 誰かが、意図的に掘り起こした。たまたまではない。自分のアカウント名、ポストのタイミング、文言までが例として使いやすかったのだろう。


 炎上の発端は、スニーカー転売批判の投稿だった。


「Nike公式よりスニダンのが高いの意味わかんねぇ」

「転売屋が買い占めたせいで定価で買えない」


 といったツイートがトリガーとなり、次々と戦犯が晒される空気が出来上がっていた。そして、その中で最もわかりやすい成功者として、俺の過去ポストが利用された。


 それだけだった。

 たったそれだけのことで、世界が反転する。


 スマホを持つ手が汗で滑る。シャツの襟元に指を入れて風を通すが、胸の中の圧迫感は取れなかった。酸素が薄い。喉が渇く。でも、身体はなぜか熱かった。火の中に投げ込まれたような感覚。だけど、痛みはない。現実感がなかった。


 スマホの画面を何度もロックしようとする。通知を切ろうとする。でも、指が止まる。


「どこまで燃えてるんだ……」


 確認せずにはいられなかった。現実から目を背けたくて仕方がないのに、目を離すこともできない。


 引用RT:1.2万

 いいね:9,846

 リプライ:853


 冷や汗が背中を伝う。数字が、かつては快感だった。売上、いいね、フォロワー数、すべてが自分の価値だった。


 でも今、数字は単なる破壊の証明だった。知らない人間が、好き勝手に自分を語る。

 あの手のやつ、転売ヤーのテンプレ、哀れな奴、アイコンの向こうで指を動かす誰かが、匿名のまま、自分の人生に傷を刻んでいく。


 昼、コンビニに行こうとして外に出た。街の空気が、どこか異様に感じた。普段と変わらないはずなのに、誰かがこっちを見ているような気がしてならなかった。風も、人も、看板も、全部が敵のように見える。信号待ちをしていた高校生のグループが笑っていただけで、胸の奥がギュッと縮む。


 そして、何度も深呼吸をしながら、ようやく帰宅した。ドアを閉める瞬間、無意識に鍵を二度かけた。部屋の中は無音だったが、外よりも冷え冷えとしていた。


 Xを閉じた。通知も切った。アプリもいったんログアウトした。


 ……それでも、心臓の音は止まらなかった。


 まぶたの裏に浮かぶのは、あの投稿だった。


「月収30万突破」――自分ではご褒美のように感じていた言葉。


 いま、それは首を絞めるロープのように感じた。


「自分で書いたのに、なんでこんなに息苦しいんだよ……」


 呟いた声は、自分の耳にも届かないほど小さかった。それでも、どこかで自分に言い訳しようとしていた。


 本当は悪いことなんてしてない

 欲しい人が買ってるだけ

 競争なんだから、誰よりも早く動いただけ


 でも、それらすべてが今、指一本で叩き潰されている。

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