俺の空
よろしくお願いします。
漆黒に浮かぶ飛行船団。
目の前の光景に生唾を呑み込んだ。
このとき俺は、おとぎ話の『イカロスの翼』を思い出していた。
そう、これは父と子の物語。
迷宮に閉じ込められたイカロスが父の作った翼で脱出するおとぎ話だ。
大空に羽ばたいたイカロス。
あまり高く飛んではならないと父との約束を忘れ、調子に乗った彼は太陽を目指して飛んでいく。
理由は至極単純なもので。
暗闇生活を余儀なくされたイカロスは、眩い光りを放つ太陽に憧れを抱いたんだ。
父の戒めが現実のものとなり。
太陽に近づくとその熱で翼の糊が溶けてしまい、イカロスの翼は脆くも折れてしまう。そして彼は真っ逆さまに墜落してアボーン、死んでしまう。そんなお話だ。
脱出するだけなら叶ったはずなのにこのバカは、我を通して叶わぬ夢を追いかけてしまった。
イカロスの翼。
これは、人間の作り出した物への過信を戒める言葉として、世の中で広く使われている。人の性や愚かさの象徴としてだ。
……でも、俺は思う。
夢に挑んだ彼の気持ちはどうだろう。
叶わぬ夢を必死に追いかけて、その夢が脆くも崩れさったときの彼の心境とは──
── 今の俺の心境と似ているのかも知れない。
♢
「バリバリ、バリバリ、バリバリ、バリバリ、バリバリッ!」
エンジンが唸りをあげる。
プロペラが高速で回転する。
機体を軋ませ風を切り裂いて、俺達のモーターグライダーは全速力で飛んでいた。
搭乗者は俺とバンビ。
梟になった紋次のもたらしてくれた情報で、作戦変更を余技なくされた俺達。
「老兵はただ猿の実」と。
ハト爺が大人気漫画をもじり、悪魔の実であるサルサルの実を所望したのには、さすがに憤りを感じたが。
尊敬する尾田先生いじりをグッと堪えた俺は
モモから貰った飴ちゃんをハト爺に渡し、グライダーを譲ってもらったのだが。
いかんせん、最初は俺とカイでイエ姉奪還に向かうつもりだった。
ここで、どうしてもついて来るとバンビがゴネやがって。
海峡を渡った時の教訓を踏まえると。
グライダーはMAX二人までと結論づけた俺は、結局押し切られる形でバンビと奪還作戦に向かう事になった。
それも仕方なし。
だってこのバカ、置いて行くと勝手にグライダーに乗り込んでくるから。
なので、瞬間移動ってとても便利な能力だと思う反面、アホが使うと厄介な能力だとも思う。
そして冒頭に戻るんだが……。
「モンジあれ見て……」
抱っこちゃんみたく。
俺にしがみ付くバンビが真っ黒い海上を指さす。
「ああ、わかってる。……あれにイエ姉が乗っている、と思う」
視界に映るのは、曇天の空に浮かぶ楕円形の飛行物体、いわゆる飛行船ってヤツだ。
眼下に広がる緑の草原を置き去りに、海岸線の断崖に沿って飛行中の俺達。
目線の先。
陽も沈み切ったドス黒い海原に、五艘もの巨大な飛行船が浮かんでいた。
「……どうするの?」
「……」
不安げに聞いてくるバンビ。そして俺は。
見た目で圧倒される。
ゴクリと生唾を呑みこんだ。
大海を群れで泳ぐ鯨を想像してしまう。
俺はこの巨大飛行船団を前に、途轍もない恐怖を感じていたんだ。
「……モンジ」
「あ、ごめん。ごめんバンビ」
「……大丈夫?」
「うん、平気、平気。大丈夫だから……」
まずった、顔に出てた。バンビにえらい心配かけてる。慌てて笑顔を取り繕う俺。
「……逃げてもいいんだよ」
「え?」
「モンジはここまで頑張ったんだし。……だから、逃げてもバチなんか当たらないよ。……あたしも着いて行くから」
消え入りそうなバンビの言葉に気持ちが揺らぐ。
だけど……。
「……だな、逃げるって手もあるな。だけど」
「うん、逃げよう! あったかい所、そうだあたし、あったかい所がいい!」
嬉しそうに抱きついてくるバンビに俺は。
「……あれに急襲をかける。いい?」
「……」
ごめん、俺の答えはこれ一択だ。
俯き黙りこむバンビ。
「……お前こそ」
「え……」
「バンビ、お前こそ降りるなら今の内だぞ。無理に俺なんかに付き合わなくても、お前なら……」
射刺すような鋭い目で睨まれ、言葉が切れる。
「い、いま高度を下げるから、お前ならルーラで地面に降りれるだろ」
無理矢理繋げた言葉だった。
バンビ、お前にだけは生きてて欲しい。
もし空中で撃墜されたらと思うと。
パラシュートさえ持ち合わせて無い俺には、お前を守り切る自信がない。
「……バカなの」
「……ぇ」
「さっきも言ったし、あたし何回も言ってるよね」
鋭い目線のまま彼女は、俺の目を見つめてくる。
「ずっとモンジといるって、あたし何回も言ってるよね」
「……はぁ」
「だから生きるのも死ぬのもあたし達は一緒だよ。もし死んだとしても。……あたしは必ずモンジを見つけ出してずっと側にいる。あたしの覚悟を舐めないで」
死んでもって。
未来永劫って意味ですか。
さすがの俺でもそれは、ちょっと重たい。
爆音をかき鳴らすエンジン。
シートに伝わる振動で俺達の体が小刻みに揺れる。
決死行を前に、こう言い切った彼女の蒼い瞳は真っ直ぐで。
へタれでええ格好しいの俺の心を穿つには十分過ぎたんだ。
「……バンビ。お前は俺なんかには勿体無いぐらいの、いい女だよ」
本音が漏れる。
「えっ、今なんて言ったの?」
「よっしゃ、いくぞ。しっかり掴まっていろよ!」
恥ずいから何度も言えるかバカ。
「いま何て言ったの? いま何て── ギャ〜〜ッ!」
俺は上昇し始めた飛行船団を見据え、奴等に目掛けてアクセルを全開に開いた。
♦︎
── あれはなに? ……とり?
イエは、そのエメラルド色の瞳を見開いた。
彼女の乗る飛行船を囲むよう、菱型の陣形で空を飛ぶ飛行船団。
その最後尾にいる飛行船に、横から猛スピードで迫る大きな鳥のような物を見つけてイエは、目を見開いていた。
「イエ様、どうかされました?」
酸味の香る紅茶を片手に杏子は、心配そうな表情を見せている。
「……なんでも、ない、から」
そんな優しい少女にイエは、何とも言えない表情を作り、片言で誤魔化した。
ここは飛行船内の一室。
洋風のテーブルとソファーと毛足の長い絨毯と。
天井からは煌びやかなシャンデリアと壁には西洋の絵画の飾られてる、一見豪華で小洒落た部屋の中。
ソファーに腰掛けるイエは、自分の後ろの壁に設置されている丸窓から、険しい顔で外を眺めていた。
「なんでもない人は、そんな顔しませんよ」
イエの様子に何かを察したのか、杏子の口調はキツめだ。
杏子は優雅な所作で、そっとティーカップをテーブルの受け皿に戻すと、イエを見据え。
「我慢は禁物ですよイエ様。あたし、こう見えて人様の喉奥に指を突っ込むのがとても上手なんですから。現に寝室で横になっている胸骨さんもコレ一発で、スッキリさせてやりましたからね」
何を勘違いしたのか。
自分の顔の前に人差し指を持ち上げ、クイクイ動かす杏子は得意気な顔を見せてくる。
「……あり、がとう。……でも、平気」
見当違いとは言え。
気遣ってくれる杏子にイエは苦笑いを返した。
「ピュルル、ピュルッ、ピュルル……」
「……フク」
先程から膝に乗るフクが羽をバタつかせている。何故か落ち着かない様子を見せている。
小さな胸騒ぎを覚えながら。
イエはフクの頭を撫でつつ、また丸窓に視線を移した。
窓に映るのは最後尾にいる飛行船。
その周りをあの大きな鳥は回っている。
あの鳥、何かを探してるのかな?
そう思った矢先の事だった。
あの鳥が飛行船ギリギリまで近寄り、飛び去ってゆく。次の瞬間──
── 最後尾の飛行船から大量の煙が上がった。
煙を吐く飛行船はズルズルと後退していく、隊列から離れていく。そして。
「敵機襲来ッ、敵機襲来! ウゥウウウウウウ! 敵機襲来ッ、敵機襲来! ウゥウウウウウウ!」
けたたましい警報が船内に響き渡る。
イエの隣りにいた杏子がわちゃわちゃと慌てふためいた。
彼女は次いでとばかりにテーブルを蹴飛ばしてしまい、置いていた紅茶を溢してしまった。
「っイエ様、は、はやく逃げましょう! イエ様、イエ様!」
緊迫した状況と慌てる杏子を他所に。
イエは真剣な顔つきで丸窓に駆け寄っていた。まさかと思ったんだ。
まさか、まさか── モンジッ!
期待と不安が交差する。
気が狂いそうになる。
胸が高鳴り、やるせない気持ちが爆発しそうだ。
「もぉおっ! もぉおおっ!」
歯止めがきかない、喉が勝手に彼を呼ぶ。
「もおっ! もぉおっ!」
イエはガラス戸にこれでもかと額を押し付ける。
彼女の瞳は、あの鳥の行方を必死に追い続けていた。
♢
「ケーケケケッ! ケーケケケッ!」
「……モンジ。その笑い方キモい。やめて」
調子に乗るモンジ。
それを嫌そうな顔のバンビがたしなめる。
「だって、しょうがないじゃないかぁ。ほら、見てみろよ、あいつら。超、慌ててんだぜ!」
もうもうと煙を吐く飛行船。
モンジに煙幕を投げつけられ、もうもうと煙を吐く飛行船。
船に設置されたガラス越しに、パニくる船内の様子が窺えた。よって、大勝利に浮かれる俺を許してちょんまげ。
「だとしても、だとしてもだよ。気を抜かないでよ!」
「分かってるって!」
空中を下降するグライダー。頭上を見上げてターゲットに挑むモンジの目が光る。
初の空中戦だ。
ゲームともVRとも違う、リアル『エースコンバット』の世界に恐怖以上のワクワクが止まらない。
そんな、沸騰する脳味噌で思いついた作戦はこうだ。
飛行船に近づき、沢山ある窓越しから中を覗き見し。
乗組員の中から目をかっ開いてどえらい美人さん(イエ姉)を探して旋回。
いないと確認できた時点で、その飛行船に煙幕を投げつけ嫌がらせをする。
ふふ。どうよ、敵さんにも優しい戦術だろ。
三国志の袁紹の軍師『田豊』にも勝るとも劣らぬ戦術だよな。ふふふ、俺って天才かも。
悦に入るモンジが前に押していた操縦桿を手前に戻す。
「バンビ、次は右のヤツ! また美人探しするぞ!」
「右ってどっち! グルグル回ってて、訳わかんないよ!」
グライダーは水面手前で水平を保つ。
「いくぞ、バンビ!」
「ちょ、ちょっまって、ギャ〜〜ッ!」
モンジは操縦桿を手前に引いてグライダーを一気に上昇させた。
空は曇天。
辺りは真っ暗。
そのお陰で明るい船内が良く見える。
バンビを義手で支えるモンジ。
グライダーはグングンと上昇する。
デカい風船に船をくっつけた飛行船が間近に迫る。
こいつに真下から迫りつつの── あっという間に飛び越えてしまった。
「……ねえバンビ。……見えた?」
「っ見える訳ないじゃん!」
だよねぇ。
高度をあげるグライダーに、ぶ厚い雲が目前に迫りくる。
「じゃあ、もっかいな」
「……マジか?」
「うん。マジ」
俺はアクセルを戻し機首を真下に落として、もう一度飛行船へと挑む。
「ん〜、キャ〜〜ッ!」
ジェットコースターみたく、楽しげなバンビが羨ましい。
「ゲームと違って難いんだよ、これ。わかる?」
そんなバンビに、ついついボヤく俺。
「……あたしが代ろうかぁ!」
「……それは別の意味で怖いっス!」
速度を落として機体を安定させる。
風船周りをグルグルと旋回する俺達。目を凝らして船内の様子を窺っていると。
なにやら船の横のハッチが次々と開き、筒状の黒い物が顔を出して……。
「パンッ!」
撃ってきやがった!
「パン、パンッ、パン! バパンッ、パン!」
ふざけやがって、弾幕を張ってやがる!
「モンジ、モンジ! 当たるっ、当たる!」
バシバシと俺の胸を叩くバンビ。
「あんなもん、そうそう当たるもんじゃ── うおっ!」
パンッと、グライダーの支柱を掠めた砲弾にビビる俺。反射的に、左に操縦桿を切っていた。
「ふう、ヤバかったな。それでどう? 美人さんはいた?」
「……たぶん。いない、と思う」
飛行船から逃げる俺達。無鉄砲な弾幕は未だに続いている。
「……たぶんかよ。だったら、もっかい行くぞ」
「え〜〜!」
あからさまに渋るバンビにダメ元で提案してみた。
「あのさ、お前のエーティーフィールドで鉛の弾が防げると思う?」
数秒悩んでこいつは。
「……やってみる」
「……マジで?」
「マジで、任せて……」
男前な答えでバンビさんは、フンすと無い胸を張った。
闘志を漲らせているプリティでキュアキュアなバンビちゃん。
だが、こんな時こそお約束みたくやらかしそうなので、つい。
「……でも無理すんなよ。イエ姉も大事だけど、お前が鼻血垂らしてぶっ倒れるのも見たくねぇからな」
つい、小言が口から出る。
「ふふ、恋する女に二言は無いよ、どんとこいだ。モンジも泥舟に乗ったつもりであたしに任せなさい! ドンッ、けほ、けほっ」
漫画みたいなヤツだな。胸を叩いてむせるバンビ。
しかも泥舟かよ。
ベタなボケかましやがって……。
ハハ、笑えてくる。いい女だぜ、まったく。
「おし、弾幕は全部お前に任せた。頼んだぜ、ヒュポトトス様」
「その名前で呼ぶなっ! バカもんじ、ギャ〜〜ッ!」
急旋回でグライダーを回す俺。
間断なく発砲してくる飛行船団。
向こうは無限鉄砲、こっちの煙幕は残りがあとふたつ。
まともにやり合ったら敵わない。
そんなの百も承知、脳たりんの俺でも予想がつく。
それでも、それでもだ。
守りは全てバンビに丸投げして俺は、無茶に挑んだドンキホーテの気分で再度、巨大な飛行船に立ち向かっていった。
♦︎
「後方五番艦、田丸様の鑑が敵機の攻撃により後退!」
「右側面、発砲の準備完了、発砲します!」
「右舷四番艦、ギャン様の鑑が敵機の襲撃にあっております!」
「間違っても味方の船に当てんじゃねぞゴラァ! 船尾、発砲準備完了、発砲します!」
「左側面、てめぇらさっさと配置につけ! あー、左側面、発砲準備完了、発砲します」
「ああ! 敵機に攻撃がギャン様の鑑に被弾! 後退していきます! クッソあのチビ飛行機、ふざけん、ッガチャ」
船団の中央にいる飛行船。
機首に設置された操縦室にて、伝声管を通して幾つも声がとどく。
「あんな、ちっこい飛行機があるとはのう、驚きじゃて……」
自分の前に立つ赤毛の男に、ボソりと声を掛けるドム爺。
ごてごてと計器類の並ぶ操縦席に座るこの爺さんは、窓の外を眺めて目を剥いていた。
「は、ははん! よく見てみろ、あの飛行機を。操るヤツの顔を……」
目を細める赤毛の男は、嬉しそうにそう語った。
全面にある大きな窓ガラスの前で腕を組み、薄笑みを湛える赤毛の男は、北の大地の頭目『木場 清光』だ。
「老眼でよう見えんが……。おう、おう、そうじゃった、そうじゃった。望遠鏡があったんじゃ」
ドム爺は座席の下より望遠鏡を取り出すと、分厚い丸眼鏡にくっつける。
「おう、おう、よう見えるわい。どれどれ……茶髪、緑眼、義手……て、子供かい!?」
鳥のように飛び回る飛行機に合わせて、ドム爺の望遠鏡は上下左右にと小刻みに揺れる。
次いで敵の余りにも幼い姿にドム爺は殊更に驚いてみせた。
「……茶髪、緑眼、義手。は、は、ははんっ、ははっ! とうとう来おったな小猿、またくたびれておったぞ! はっ、は、ははっ、ははっ、はははっ!」
待ち人来たる。
しかも予想外の展開でだ。
この事実に、全国にその名を轟かす清光ですら驚嘆させ、彼の獅子面を愉悦に歪ませた。
「血湧き肉躍るとはこのことよのう、のうドム爺!」
「はあ? なにを申しておるんじゃ。この御仁は……。本戦は西の都ですぞ」
血気盛んな大将を冷たくあしらう爺さん。
つんぼの早耳とばかりに、振り向いた清光は紅い目を爛々と輝かせ。
「ははん、ここは戦場じゃあ。ドム爺、ここは任せたぞ。ワシも打って出る」
「ど、どこに行かれます!? それに清光様はこの船の艦長なんじゃぞ。艦長は艦長らしくここにおらねば……」
苦言を呈すドム爺を無視して、清光は操縦室を足早に後にした。
「行ってもうたわい。しかも、打って出るって申しても、ここは空の上じゃろうが……」
ボヤくドム爺の丸眼鏡には、清光によって勢いよく開かれた扉が、ゆらゆらと揺れて映っていた。
♦︎
モンジだ、あれはモンジだ!
確信にも似た思いを胸に抱いた。
パッと窓ガラスを背にしたイエは、部屋の中を隈無く見回し、武器になりそうな物を探した。
「イエ様落ち着いて下さい! 杏子と逃げましょう、ここはガラスもあって外から丸見えです。とにかく、危険なんです、この部屋から出ましょう!」
外から丸見え!
掴んでくる杏子の腕を振り切り、イエはまた窓へと駆け寄ると、どんどんと激しく叩く。
「もうっ! もうっ! もぉうっ!」
「イエ様逃げましょう! ここは危険ですからっ!」
イエに近づき杏子は彼女の袖を強く引っ張る。
激しく抵抗するイエは、それでも窓を叩く動作を止めようとしない。そんなおり。
「何してんの、あんた達。さっさと逃げるわよ」
こんな時に胸骨さん……。
扉を開けて入っくる胸骨に、イエは露骨に嫌な顔をした。
「うっ。なんで私、イエちゃんからこんなに毛嫌いされてるの」
胸骨は訳も分からず。
イエの表情に軽くショックを受けた彼女が、足を止めて固まる。
「へこんでる場合じゃありませんよ胸骨さん! 手を貸して下さい、イエ様が暴れて言う事を聞いてくれません!」
嫌々するイエを必死に押さえつけている杏子が叫ぶ。
「あ、え、ええ。……イエちゃん、とりあえず落ち着こう。えっとぉ、杏子、何か書くものない?」
抵抗するイエを案じて、これならばと筆談用の道具を探す胸骨。
「痛たっ! て、テーブルの下にあります! ……あっ、あれ、あれ見て下さい!」
自分の掴んだ手を引き剥がそうとするイエから、テーブルへと視線を移した杏子は、窓の外の光景に目を止めて驚愕の表情を作った。杏子の異変に気づいた胸骨も慌てて、少女の視線を追う。
「……三番艦が食われた」
驚き吐いた胸骨の言葉だ。
イエは即座に反応する。
呆ける杏子の腕を強引に引き剥がした彼女は、二人の目線の先にあるガラス窓に飛びついた。
「あぁ……」
吐息が漏れる。
見えたのは左を飛んでいた飛行船だった。
大量の煙を吐いてこの飛行船も後退してゆく。
── あの鳥は!?
煙を突き破り現れた大きな鳥は、くるくるとその身を回して墜落していく。
「ああ、ああ、ああぁ……」
喉から漏れる悲痛な声。
イエはガラスに顔を引っ付けてあの鳥の行方を追う。
「ああっ! あぁあっ! あああっ!」
言葉が出ない。
あの鳥が視界から消えてしまった。
「……あ、あ、うぅぅ」
イエはペタンと絨毯に腰を落とした。
「イエ様……」
「ふう、やっと落ち着いてくれたわね」
脱力するイエに杏子と胸骨の二人は、肩を落として安心した素振りをみせた。
“ ケケーケ、ケ、ケ! ケケーッ、ケ、ケ、ケ!”
「ピュルルッ! バサ、バササッ! ピュルッ、ピュルルルッ! バササッ、バサ、バサ!」
フクが真向かいの窓を覗いて騒いでいる。
安堵する彼女らの隙を突いてイエは走りだした。
「イエ様っ!」
「え、まって、待ちなさい!」
捕まえようと手を伸ばした二人を振り切りイエは、窓ガラスに飛びつき身を乗り出して、これでもかと下を覗きこむ。
「ああ、ああ……」
目を見開くイエ。
途端に彼女の口元が緩み、そのエメラルドの瞳が輝きを増す。
「ああ、あああ、ああああ……」
死人のようだった青白い頬に赤みがさして。
彼女の目に映る、海面すれすれを飛ぶあの鳥の姿に体を震わせた。
「イエ様お部屋を出ましょう。性懲りも無く、あの賊が襲ってくるかも知れません!」
「そうよイエちゃん、下の階に行こう! 緊るからっ!」
イエの腰にしがみ付く杏子と、彼女の腕を引っ張る胸骨はが鳴り立てる。
「んん〜。んん〜〜」
窓にしがみ付くイエ。
二人がかりで部屋から連れだそうとする彼女らに、尚も激しく抵抗する。
「胸骨さん、イエ様の足を持って下さい!」
「ええ、分かったわ」
「もう! もぉっ!」
強引な手段で彼女らは連れ出そうとするも。
それでもイエは足をバタつかせ、頑なに動こうとしない。
「……あっ!」
そうして遂に。
彼女の瞳はあの鳥の正体を間近で捉えた。
割れんばかりに窓ガラスを叩いていた。
鳥のように小さな飛行機に乗る少年。
辛子色の着物で包帯まみれで。
茶色い癖毛を風になびかせ、左手が義手で。
顔を煤まみれにした緑色の瞳の男の子。
ほんの一時、ほんの一時だったけど。見紛うはずなんてない、やっぱり彼だ──
「──モンジッ!」
白髪の少女を抱く彼に、見開いた両目は自然と涙を流していた。
「モンジッ、モンジッ、モンジッッ!」
やっと逢えた、やっと、やっと……。
「モンジィイイイイイイッ!」
喉が張り裂けんばかりに絶叫していた。
わたしの、わたしだけの……。わたしは遂に彼と、目が合った──
♢
数えるのが億劫になるぐらいの、いくつもの砲身が俺達を狙っている。
「ヤバいよ、ヤバいよ! ヤバいよ、ヤバいよ!」
「うっさいモンジ。あたしの邪魔しないで!」
「パン、ッカン、パパン、カカンッ! パン、パン、カン、カン! ッパン、ッカン、パン、パン、カンカン!」
弾丸を弾く不可視の壁。
「当たる、当たる! あぎゃああああああああっ!」
「だからっ、うっさい! モンジうっさい! あたしを信じろって!」
操縦桿は固定したまま。
アクセルは常に全開だった。
「死んじゃう、死んじゃう、死んじゃう、死んじゃうぅ〜」
「死なない、死なない、死なない、死なないっ!」
飛び交う弾丸に晒され、それでも俺達は巨大船めがけて特効を仕掛けていた。
両手を前面に突き出して踏ん張るバンビ。
俺は彼女を義手で支えていた。
どんどん巨大船が近寄ってくる。
「モンジ、煙幕、煙幕に火をつけて!」
「あ、うん、ちょっと、ちょっと待って」
「パン、パン、カンカンッ! パパパン、カカカン、パンッ、カンッ! ッパキ」
「いま、バキッて言った、いまパキッて言ったよ!」
「いいからっ、早くして!」
震える手でマッチを擦る俺。
一本二本と頑張って擦るが、マッチが簡単にへし折れて、なかなか火がつかない。
「カンカンッ! パキッ。カカカン! パキキッ!」
「モンジ、早くして! もう、もたない」
「もたない!? おおう、ちよっと、もうちょっと」
異音を鳴らすエーティーフィールド。
気付けば前面の視界が蜘蛛の巣状にひび割れていた。
五本目やっと火がついた。
すぐに導火線にひをつける俺、
船は目前、炎がチリチリと導火線を伝う。
覗かずとも窓越しに見える奴等は、殺気立った顔で俺達を見てくる。
俺にガンくれやがって! シバいたろかっ、このくそハゲ共が!
ムカついたので俺は、奴らを小馬鹿にするような変顔をつくり、煙幕を大きく振りかぶった。
「ダルビッシュ!」
奴らに投げつけてやった。
かのメジャーリーガー並の豪速球で煙幕はクルクルと回りながら飛んでいく。
看板に着地し、転がり、いつしか船の先端付近まで転がる煙幕はやがて、煙をもうもうと撒き散らした。
もう、目と鼻の先に船がいた。
俺は思いっきり左に舵をきる。
船の側面をギリギリに交わした俺達は、煙幕の煙をまともに喰らい、目が猛烈に痛い。
大きく左に傾ぐグライダー。
刹那の時間が遠い。
涙で霞む視界に、朧げな船の船首が映る。
このままじゃあ百パーぶつかる。
煙るなか俺は、危機回避とばかりに当てずっぽうで全体重を更に左にかけていた。
「こな、クソオオオオオオオオッ!」
「ガガガガガッ!」
グライダーの腹が擦れる。
煙を突き抜けたら天地がひっくり返っていた。
「ケホ、ケホ、モンジ!」
「バンビッ!」
俺は落っこちそうなバンビを全力で抱きしめていた。
「ぬおおおおおおおおっ!」
「キャ──ッ!」
キリ揉みしながら落ちてゆく。
地球が回るし目も回る。
今度は海面が間近に迫ってきた。それだけは分かった。
「翼は折れてねぇー! 俺はイカロスじゃねぇっつーんだよ! 神風吹けやぁああああああっ!」
「ギャアアアアアアアアッ!」
足を踏ん張り、右手一本で馬鹿力を搾り出す。
俺は夢中で操縦桿を引いていた。
神風は吹かなかった。
てか、心地良いそよ風しか吹いてない。
ただ単に運が良かったのだろう。
海面すれすれで機首を持ち上げた機体は、やがて安定飛行に入ってくれた。
「はあ〜〜。ヤバかったぁ……。バンビは平気か、怖く無かったか?」
「……うん。かなり怖かったけど……」
「けど?」
「面白かったかも。エヘヘ」
「……」
この野郎、ルンルン気分かよ。
落下中ギューンてなって、未だ迷子になってる俺の金玉、どうしてくれんだよ。
なんて事。
女子まっ盛りのバンビに言える筈もなく。何か言いたげなモンジがギュッと唇を噛んだ。
「もっかいエーティーフィールド張るから。モンジ、あたしをしっかり掴まえててよ。間違っても、落っことさないでね」
「へいへい……」
「返事は一回」
「……へい」
「よろしい。ふう〜……。ん、むむむ〜」
「……」
また腕を伸ばして見えない壁を作るバンビ。
まあ、なんだかんだでこいつの機嫌も良いし、別にいいかと、気持ちを切り替えて。
どんなもんかと空を仰ぐと。
視界を埋めたのは、漆黒の闇に浮かぶ二艘の飛行船。
こいつらは余裕とばかりに前後に並んで、悠々と飛んでいやがる。
「バンビ。……今度は後ろのヤツがターゲットだ。行くぞ」
「ん……」
機首を持ち上げるグライダー。
戻していたアクセルを全開にする。
ものの数秒足らずで飛行船に近寄る俺達に鉛弾の雨あられが降り注ぐ。
曇り空のお陰で辺りは暗く。
人工の明かりが灯る船内は見易くて。そして……。
「モンジ、あれ、あれ!」
バンビが教えてくれたんだ。
「美人さんがいるよ!」
船内で窓ガラスを叩くその人を。
「モンジ、あの人だよね!」
茶髪で癖のあるショートボブの髪型。色白でエメラルド色の瞳の、飛びっきりの美人さん。
「イエ姉ぇええええっ! 見つけたぁああああああああっ!」
「やったね、モンジ!」
勢い余って猛スピードで飛行船を追い越しちまった。
一瞬、一瞬だった。
彼女と目とが合った。間違いようがない。
だって俺のイエ姉だから。
俺の、俺の……俺は、やっと見つけたんだ。
「ウィイイイイイイイイッ!」
テンション爆上がりで、全盛期のスタン・ハンセンの如く俺は、グワしみたいな指で高々と腕を突きあげていた。
「良かったねモンジ! でも驚いたよ。すっごい綺麗な人なんだねぇ、モンジのお姉さんって。まるでお姫様みたいだった」
お姫様か……。
そうだな、イエ姉って綺麗なおべべ着てたしな。
なんだろう、イエ姉が褒められて自分事みたいに嬉しいや。
煙幕の影響か、煤まみれのバンビが黒い歯と満面の笑みで祝福してくれる。
「バンビ、バンビ」
「なに?」
「……ありがとうな」
「……ふふ。モンジ、まだ早いよ」
確かにそうだ。
バンビの言う通りだ。
喜ぶにはまだ早い。俺達は彼女を見つけただけに過ぎないから。
だけど……。
死ぬかと思った。
何度も挫けそうになった。
三発あった煙幕も使い切り、正直途方に暮れていたんだ。
だが、俺はとうとう見つけたんだ、イエ姉をよう!
「うおおおおおおおおおおっ!」
「もう、いいでしょ! いい加減うるさい!」
クールなバンビに叱られました。
本音は、コンテンポラリーな小躍りでもしたい気分なのに。
めげずに俺は、しかめっ面のバンビに最高の笑顔を見せつける。
「バンビ。俺、ちょっと泣きそう。泣いてもいい?」
「うん、いいよ。……それで、これからどうするの?」
感動を共有したいだけなのにこいつ、適当に流しやがった。オギャーオギャーって本気で泣いたろかな。
「ねぇ、作戦とかあるの?」
一旦飛行船から距離をとる俺に、ほんのり笑顔のバンビが聞いてくる。
「……飛び移る」
「……はあ?」
「だから、飛び移るんだよ」
「何言っんの。バカなの、死ぬの? そんなの無理に決まってんじゃん!」
「いや、だから。ここはバンビちゃんのルーラでひとつ──」
キッと瞬間で目を吊り、怖い雰囲気を纏うバンビちゃん。
「あたしは今、いまの今もエーティーフィールド全開で頑張ってるの! モンジは簡単そうに言ってるけど、凄い集中力が必要なんだよこれ。だからあたしには、そんな器用な真似は出来ないよ!」
無茶な要求をしたら、バンビに怒鳴りつけられちゃった。へへ。
「ごめんくさい」
「……分かればよろしい」
だよな。
分かってはいたが。
出した提案をあっさりと却下されて、うなだれてしまう。
それもこれも急ぐ理由があるからなんだけど。
バンビの見えない壁が弾丸を弾いてくれるのはありがたい。
だが、展開できるのが一メートル四方と幅が狭く。身を守る為に座席周りに張るの精一杯だ。
エンジンだけは真面に動いてはいる。
しかし、ご覧の通りグライダーの羽根の部分は惨憺たる有様。穴ボコだらけで、破れ目からお空が見えてるのよ。
内緒にしていたけど。
仕方なしにぶっちゃけると。
先程の無茶が祟ったのか、操縦桿もふわふわして微妙な感じなんだよね。
つまりは、俺達のグライダーは飛んでるのがやっとの状態だということだ。……はてさて、どうすんべかな。
どっちに切ってもほぼほぼ反応しない操縦桿を右に切り、支柱を手で押して右に傾け、力ずくでグライダーを旋回させる俺。
そんな俺にニヤリと笑って見せたバンビは。
「モンジ……あたしに考えがあるの。耳を貸して」
キョロキョロしてるけど、それって意味あんの。
二人っきりだし、カモメすら見当たらないんだが。
だだっ広い空のもと、内緒話に拘るバンビに耳を預けてみた。
「……どんな名案か聞かせて」
「ふふふ、それはねぇ。……こしょ、こしょ、こしょ」
吐息が耳にかかってこそばゆい。
背筋がゾワゾワして体がくねる。
彼女の立てた作戦はかなり強引な作戦だったけど、俺もバンビと同様にニヤけてしまった。
「グーッ! グーググーだよバンビ」
「……エヘヘ」
「ケケケ。清光てめぇ、待ってろよ。お前から秒でイエ姉を奪い取ってやる。ケケケ、ケケーッ、ケケケッ!」
「もう〜、その笑い方やめて! キモ過ぎるって!」
仏頂面のバンビをそっちのけで。
俺はイエ姉の乗る飛行船に向けて、硬く握った拳を突き出していた。
「ケケーッケ、ケ、ケ、バキッ、痛っ!」
「っやめなさい!」
痛たた、バンビにグーでほっぺた殴られました。
ありがとうございました。




