作戦開始
よろしくお願いします。
わたしは今、とても緊張しています。
と、言うのも。
軟禁状態の私の部屋に私を攫った張本人、『木場 清光』が居るからです。
この人なんと言いますか、見れば見るほど怖い顔なんです。
「あー、それで、どうなんだ?」
話し掛けられました。
嫌いだから無視してやります。
本当に汚い声。
臭い! このひとの口臭、何かが腐ったような匂いがします!
「………」
彼のお口が臭いのは嘘です。
取り乱してしまいました。
……落ち着かねば。
ふう……。
まずは観察ですね。
モンジもよく『彼を知り己を知れば百銭危うからず』と、得意気に言ってましたから。
だけど百銭って。
コソ泥に気をつけろって意味かしら……。
まあいいでしょう。とりあえず観察です。
……見た目は容貌魁偉。
お顔は獅子のような凶暴な面立ち。
髪は赤く、まるで燃え盛る炎のよう。
体も大きく……え、なにこれ。
筋肉が編み込まれてるみたいにぎちぎちしてる。
腕だけでも私の腰周りぐらいの太さはありそう、不気味なだわ。
着ている服も、ちんどん屋で太鼓叩く人みたいな派手な衣装。
……何と言いますか。
いい歳して、馬鹿っぽくて気持ち悪いオジさんです。
心が折れそう。
でも、負けたくない。
私を攫った理由は何となく分かっている。
おそらくモンジの持っていたアレの事でしょう。
イエはカチコチに固めた体で清光を見据えていた。
いよいよ拷問が始まる。
話すつもりはありません。
けれど、この私に辛い拷問が耐えられるのかが心配です。
…‥痛いの苦手ですし。
指のささくれを毟る程度の痛みなら耐えうる自信はあるのですが、それ以上になると未知の領境。不安ばかりが募ります。
「ビュ〜、ピュッピュ!」
「……フク。し、静かに、して」
膝を折る私の横で、フクが興奮気味にキモ親父を威嚇しています。
「ピュッ、ピュッ! バサバサッ、バサッ、バササッ!」
「フク、フク。お、お願い……」
この子を黙らせないと。
彼の機嫌を損ねたらきっと、この子食べられちゃう。
「……あ〜、なんだ」
イエの心情を知ったか知らずか。
腑抜けた声を発し、表情を和らげる清光に、全身を更に硬直させるイエは青い顔で俯く。
「……え〜、もっと楽にしてくれ。……そんな顔をされちゃあ、話し辛い」
梟を抱いて俯いたままのイエに、清光はたゆたう。
自分の言葉は届いていないと気づくと清光は、彼女の肩をそっと叩いた。
「あ〜、そんな緊張せんでもいい。おヌシが病気だと聞て、ワシは見舞いに来ただけだ」
口元を緩める清光に、彼を見上げてイエは呆然とする。
「……これだけは言っておくが、ヌシに危害を与えるつもりは無い。それ故、安心せい」
にべもなくそう語ると。
彼はイエの前から立ち去り、柔い光りの差し込む窓際まで歩んでゆき。
「……本当に瓜二つだな。全く、調子が狂って仕方がないわ」
毒を吐き出すように。
彼は外の景色を眺めて、そう呟いた。
あたら口を読むイエには、後ろ姿の清光の言葉は届かない。
「……のう」
振り向いた清光と目が合うイエ。
眩しい日差しに目を細める彼の面差しは、どこか笑っているようにも見える。
イエは、凝り固まった自分の気持ちが若干和らいでいくのを感じた。
「どうだ、この暮らしも慣れたか?」
「……は、い」
窓から入る生暖かい風に、清光の逆巻く赤髪が揺れる。
気遣う言葉をくれた彼は、その紅い瞳の中に暗い影を落としていた。
なんだろう。この時のわたしには、悲しみを湛えているようにも思えた。
「……そうか。もし、不便な事があれば遠慮なく杏子に言ってくれ」
「……はい。……っあの」
「……なんだ?」
「どう、して。……どうして、わたしを。か、悲しい目で、みるの?」
意を決したように。
拙い喋り方でイエは、以前から抱いていた疑問をぶつけていた。
つい先日、飛行船なる物で外遊に連れて行かれた際も、清光から感じ取れた思いだ── この人は私を、他の誰かと重ねて見ている、と。
「は、はっ、ははっ、なにを申すのかと思えば、はっ、ははっ、はっ! この娘、ワシに戯言をほざくか、ははっは!」
誤魔化すように笑う彼。
強圧的な態度で独特な笑い方をする清光に、恐縮してイエはその身を縮め。
「わ、わたしっ。ゴ、ゴメンな、さい」
精一杯、額ずく。
「謝らんでも良い。ヌシがそう思うなら、そうなのだろう」
「あ、あ。っな、なにも、何も知らない、です」
額を畳に擦り付けているイエを見下ろし清光は、彼女の前に座り込み。イエのその細い肩に触れたながら。
「…‥何も知らんか。質問する前の態度としては、最低じゃな。ヌシの今の言動事態が何かを知ってる事に当たると、本気で気付かぬか?」
度し難いと口さがない清光に、あわあわと慌てるイエは色褪せた表情を見せた。
「……ふん、噴飯物よ。ワシもヌシも……」
「……えっ?」
ややしどけない姿のイエが、意味が分からず素っ頓狂な声をあげる。
「は、ははっ! 些事も些事。ヌシの隠し持っている物など、茶坊主の玩具にすぎん」
吹っ切れたように。
その場で立ち上がった清光はイエを見つめ。
「そんなもん、もうどうでもいいわ。……ただ」
「た、だ?」
言葉を切る清光に、青ざめた表情のイエは首を傾げる。無音の間が流れ、数秒。
「いや、何でもない。……邪魔したな」
逃げるように退室した清光に、いがらっぽい思いを胸に抱いたイエ。
「ピュルル、ピュル」
ふわふわの羽毛でイエに擦り寄る梟。
わたしを気遣うように、フクはいつも寄り添ってくれる。
「ゴメン、ね。フク。……今夜、一緒に、がんばろ、ね」
見つめてくる愛らしい姿のフクに私は、今宵決行するであろう作戦の決意を告げていた。
本殿への回廊を歩む清光。
「……よろしいのですか?」
人払いにて。
イエの自室より少し離れた位置で膝を折る背骨は、目の前を通る清光に問い掛けた。
「……ふん。なんのことだ」
トボケて立ち去ろうとする主に、背骨も後を追い。
「お館様の代わりに、私が問いただし……」
「ああ?」
言葉を遮られるも、背骨は頭を下げたまま食い下がる。
「……十年もの間、我らが探し続けていた物です。あの娘が隠しているのも既に確実だと思われ、お館様が苦手と申されるのなら、私が代わりに尋問を──」
ダンッ! と床を踏み鳴らし、歩みを止める清光。
「おい、背骨。お前はいつからワシに意見など出来る身分になったんだ? ああ"!」
清光に、背中越しに凄まれ萎縮する背骨。しかし彼は負けじと眦を吊り上げ。
「……お館様を官軍と知らしめる為の大事な印でございます。すべからく民衆の指示を得るには、必要不可欠な代物と思われまする」
「ふんっ! もう、どうでもいいわ。……巨壁の威を借るなんぞ、やはり性に合わん!」
背骨に振り向いた清光は、遥か遠くを見据えたような目をして。
「……道火となるのじゃワシは」
「……は?」
「そうだ、は、ははっ。形骸化した過去の偶像に縋るのはヤメだ。ワシが時代の寵児となって次世代に繋がる布石を打つ、そうだ、それがワシの役割だと思えてきたわ!」
思い立ったように、施策の転換を告げてきた清光に、戸惑う背骨は抜け殻のような表情を晒す。
「ワシが世の中を壊し尽くし、そして新たな発想でお前らが新しく国を作り変える。は、ははっ、はっ! 面白いっ、ははっ! 楽しみじゃのう、のう背骨よ! はっ、はは、はっ!」
「……また、異なことを」
ウンザリした表情で呟く背骨に。
「ん? 何か言ったか?」
「……はあ。いえ、何も……」
トボける清光に頭を抱える背骨。
吐き出したい小言を呑み込み、疲れた様子で溜息を吐いた背骨は、清々しい顔で前を歩く清光の背中を、ただ追いかけるのみであった。
♢
宿屋にて夕飯を囲みながら。
「ほう、イエを連れ戻しにのう」
箸を片手にハト爺は表情を濁らす。
どうやらこの爺さん、俺達の事情は初耳らしい。
「すみません。モモの説明不足で、すみません」
食事処のお座敷にて平謝りするモモちん。
なんて事ない。
ハト爺が森山村を旅立つ前に、最後にあったのがモモちん。
おでんの義足を用立てして貰った際に、既に急いでいたこの爺さんにモモは、木下砦の結果、事の顛末をザックリとしか、この爺さんに伝えて無かったと。
「……船も沈められたのかい?」
「ハハ、面目ない」
小難しい顔のハト爺に、苦笑いをする波平さん。
「ふむふむ。お前たちの事情は概ね把握したよ」
夕飯を取りつつ。
先にハト爺から四季から受けた仕事の内容や、ここに滞在していた理由を話して貰い。
今度は白磯村に居る俺達の事情を話しを終えた所だった。
「北への足が無くて、ちょうど困っていた所なのよ」
「ほほう、そうかい」
暗い表情の絹さんに、ニヤリと笑う歯抜けの爺さん。
「……ワシが、どうやって北に渡ったか知りたいか?」
他の客も集う喧騒とした食事処でこの爺さんは、こんな誘惑にも似た質問をしてきたんだ。
そして夕飯を済ませた俺達は早速。
ハト爺に連れられ、街道を津之領に向けて爆進中だ。
宿屋で借りたお馬ちゃんに跨がりるハト爺は、手綱を絹さんに任せて悦に入っている。
その後ろを何故かバンビと一緒に俺は、ヤックルに二人乗りで追走していた。
「なあ、ハト爺! どこまで行くんだよ!」
この時点で、白磯村を出てからおよそ三十分は馬を走らせている。
周りを見れば、まだ丈の短い青々とした稲の広がる田園地帯。
「着いてくれば分かるぞい!」
またそれかよ。
相変わらず秘密主義の爺さんだな。
「モンジ見て、お月様が眉毛みたい」
後ろで俺にしがみ付くバンビが空を指差し、クスクスと笑ってる。
見上げると、確かにな。
どうりで、普段より夜道が暗いはずだ。
薄暗い街道は田んぼ特有の生水臭い匂いが漂っていて。
空を仰げば、薄っぺらい雲の合間に細い月が弱々しく光っていた。
「……なあバンビ。別にお前は、宿屋でまったりしててよかったのに」
「……や」
「やって。……面倒くさいだろ、こんなこと」
「面倒じゃないもん。昼もそう言ってあたしを置いて行ったもん。……モンジが居ないとつまんないもん」
つまんないもんって。遊びに行く訳じゃないんだけど。
返答に困っていたら。
「絹、モンジ、止まれ! ここいら辺じゃ」
ヤックルの手綱を引いて止まり、辺りを見回す俺。
「田んぼしかないじゃん」
「そこにお地蔵様が居るだけで、何も無い所だけど……。もしかしてハト爺、始まってるのかしら……ボケてない? あのね、お爺ちゃん。さっきご飯食べたの覚えてる?」
文句を言う俺と、爺さんを心底心配そうな目で見つめる絹さん。
「失礼な奴らじゃなっ、こっからは田んぼの畦道を進むんじゃよ! それと絹、ワシはボケとらんぞ!」
唾を飛ばして抗議する爺さんに、へこへこと頭を下げる俺。絹さんはまだ、この爺に疑いの眼差しを向けている。
「はいはい、お爺ちゃん。右、左? どっちに行けばいいの、ちゃんと覚えてる?」
「……絹よ。覚えておけよ。お前さんには、鳩の良さについて夜通し付き合って貰うからな。ボケて無いと証明する為にものう」
「……それはちょっと。オホホホ、ハト爺ったらもう! 冗談よっ、冗談に決まってるでしょっ、オホホ、オホホホ」
ハト爺からの最強の脅し文句に、素直に屈する絹さん。
「分かれば良い。よし絹、こっから右の畦道に入るんじゃ」
「右って、田んぼの先は八角山の麓じゃない」
「いいんじゃよ。ほら、早よう!」
「とに、もう。分かったわよ!」
「.……」
ぶつぶつと文句を垂れ流す絹さん。俺達は彼女の後に続く。
そこから三十分ほど進んだ辺りだろうか。
蛇行する畦道を進み、田んぼを抜けて道とは呼べぬ獣道の前に来た俺達。
「ほれ、まだまだ先じゃて。絹よ、止まるで無い」
「ホント、ボケてるんじゃ無いかしら」
草木の鬱蒼としげる林の前で、絹さんがボヤいている。
「おい、絹。聞こえておるぞ」
「はいはい、うっさいわね!」
ハト爺に急かされるまま、目の前に広がる林の中へと突入した俺達。暫く暗い林の中を進むと。
「アレ、アレレッ! モンジあれ、鳥居じゃない?」
「……だよな。神社も無いのに、なんでこんな所に……」
林の中に突然現れたのは古びた鳥居だった。
よく見ると、色褪せて黒ずんでいるこの鳥居は、根元にツタが大量に絡まり、苔むしていて。
パッと見で、かなりの年季物だと分かる。
ポツンと暗い木々の合間に、とても似つかわしく無い場所に立っているこの鳥居に、俺とバンビは息を呑んでしまっていた。
「……到着じゃな」
「まったりと到着じゃな、っじゃないわよ、ハト爺! いい加減、キチンと説明しなさい!」
八角山の麓に広がるこの場所。
木と木の間にゴツゴツとした、大人ぐらいの大きさの岩が転がっている場所だった。
「この先を約半日ほど進めば、八角山の麓に着く」
「知ってるわ、それが何よ」
難色を示す絹さんに、馬から飛び降りたハト爺は鳥居を潜り。
「ほれほれ、早よう。来れば分かるでの」
ニヤけ面で俺達に手招きをしてくる。
なんの事やらと顔を見合わせる俺達三人は、それでも誘われるままに馬を降りて、ハト爺の元へと歩いた。
「……ほれ、ここじゃよ」
しゃがんでいるハト爺の先の地面には、お盆サイズの木の蓋が置いてある。
「何よこれ」
「まあまあ、そう目くじらを立てるでない。落ち着くんじゃ絹。……いま説明するからの」
暗がりで眼鏡を光らす爺さんに、言葉を選んでいると。
「のう、モンジよ。阿闍梨って知っておるか?」
「阿闍梨? ああ、確か、修行で山ん中を一日何十里も歩いて、霊場を何百ヶ所も回るんだっけ? そのあと一週間以上断食してお経を唱えて得を積むんだよな」
「ほほう。よく知っておるの」
「これでも寺で働いているからな。……それで、その阿闍梨がなに?」
俺の問いかけにハト爺は、嬉々として木の蓋を指差し。
「ワシも四季のヤツに教えて貰ったんじゃが。……これは阿闍梨どもの抜け穴での」
そう言うと、蓋を剥がすハト爺。
「……穴?」
蓋の下には人が一人通れるぐらいの天然の穴がポッカリと空いており。
「洞窟の入り口じゃ。ここを下りると天然の洞窟が広がっていてな、この洞窟を進むと八角山を地下から抜けられるんじゃよ」
「へぇー、そうなの。……で、それがなにか?」
「お主も鈍いのう」
不満顔のハト爺に、困惑する俺。
絹さんが横からしゃしゃり出てきて。
「って事は。嘘でしょう、これって出之領まで通じているの?」
「おっ、絹は察しがいいようじゃのう」
二人して盛り上がっているが、俺にはサッパリだ。
「バンビは分かる?」
勿体ぶる爺さんを諦め、隣りにいるバンビに振ってみる。
……首を横にプルプル振るバンビ。俺も、もうお手上げ状態だ。
「おバカね、あんた達は。出之領の港も貿易が盛んで、水深が深いから外国の大きな船でも接岸できるのよ」
「……ふ〜ん。……で?」
「ダメだこりゃあ」
アホ丸出しで聞き返した俺に、絹さんは頭を抱えてしまった。
「モンジ、モンジ。港に大きな船があるなら、北まで船で行けるんじゃない?」
隣でソワソワしていたバンビが、こっそり耳打ちしてきた。
「……ふ〜ん。って、凄えじゃん! 一気に問題解決じゃん!」
喜ぶ俺を他所に絹さんは渋い顔だ。
「それで。ここを通った所で、海峡を渡るのに何日かかるの?」
腕組みで横柄な態度の絹さん。それに対し、臆面も無く、スッと目を逸らすハト爺。
「……ハト爺」
往生際の悪いこの爺さんを、絹さんはジト目で睨む。
「……洞窟を抜けるのに二日で、港町まで一日。船を借りて一日と、そこから海を渡るのに更に一日かかるわい」
やっと白状した内容では、ハト爺の足で五日はかかる道程だった。
ちょっと待てよ。
俺の療養で三日、ここまでの移動で一週間。あいつ、清光が言っていた期限は二週間だよな。
間に合わねぇだろ。
「なんだよ! なんだよ、期待させてよぉ! ダメじゃんかよぉ!」
あからさまに不貞腐れる俺に、ハト爺はまた不遜な笑みを浮かべ。
「ワシが使った道筋に従うなら、お前さん方は間に合わんな」
「なんだよそれ。なに、匂わせてんだよ……あっ」
鼻を鳴らし空に人差し指を立てるハト爺に、ピンときた。
「……飛行機か」
「そうじゃ。全員は無理じゃが、二人なら連れていけるぞ」
口元がプルプルと震えだす。もちろん嬉しいからに決まってる。
「……いいのか? アレは四季に頼まれた物だろ」
「構わんよ。なんと言ってもワシの可愛いイエの一大事なんじゃ。そんなケツの穴の小ちゃい事なんて、言ってる場合じゃなかろう」
食わせものの爺さんに、今だけは感謝だ。
「ぶふっ。ケツの穴が小ちゃいって、モンジみたいだね」
「いや、いまそれ関係ないから」
引くつくモンジの肛門を思い出して吹き出してしまったバンビに、変なことを思い出すなとふくれっ面のモンジがツッコむ。
ハト爺様様だぜ。
そして朗報を持って俺達は、急いで宿屋へと引き返したんだ。
♢
食事処にて、モモの淹れてくれたお茶を啜りながらの会議を開く。
「でも、二人か……」
「お前さんは当然いくんじゃろ、イエの弟だしの。清光からご指名もされておるんだし。……それで、あと一人なんじゃが……」
「モンジ、あたしも行く!」
ハト爺のご指名で俺は確定らしい。そしてバンビが早々に名乗りを挙げて。
「お、おでも……」
「何言ってんのよ、チンチクリンにブタ男! 私に決まってるじゃ無い!」
「あ〜、ブスがあたしの事チンチクリンって言った!」
「……ぶ、ぶた男は、ひ、酷い」
「バンビ、また私をブス呼ばわりしたよね、いま。ブス一回につきゲンコツ三発って、前に言ったよね」
「……あのぅ、モモも乗りたいです。飛行機……」
「僕は、ちょっと遠慮します。……人が空を飛ぶなんて、考えられません」
「はっ、もともとアンタなんてお呼びじゃないのよっ、ヒョロ眼鏡!」
「聞き捨てなりませんね絹さん。前言撤回します、僕が行きます」
「ハハ、空かい。船もいいけど、空から大海原を眺めるなんて、オツなような気もするね」
「オイラも乗りたい! 絶対乗りたい! なっ、ワカメ!」
「……お兄ちゃん。あたしは……怖いかな」
うるせぇなぁ、こいつら。
もう一人の枠に森山村の一行は途端に騒ぎ出し、波平一家もワカメを除いて前のめりだ。
「あのぅ、モンジさんから教えて貰ったジャンケンで決めませんか?」
ここでモモからの提案を受けてジャンケン大会が始まった。
二人一組みに別れて其処彼処で繰り広げられるジャンケンバトル。
「モンジ負けちゃった〜。む〜」
あっという間に絹さんに負けたバンビが泣き付いてきて、おでんとカツオが膝を折る。
そして白熱したバトルを経て、最終的に残ったのは絹さんとモモだ。
「モモ、悪いけど容赦なく叩き潰すわよ」
「モモだって、絹さん相手でもけっして手を抜きませんよ」
手を組んでグルンと回し、その回した手の隙間を覗く絹さん。モモは左手の手の甲を右手の人差し指で押して皺を作り、出来た皺の数をかぞえる。
「いくわよ、モモ」
「はい……」
二人の表情に緊急が走る。
「「最初はグー、ジャンケンッ、ポン──」」
「やったー! 私の勝ち〜!」
「してやられました……」
結局、絹さんが勝ち残りやがった。
ガックリと項垂れるモモに、得意満面で浮かれる絹さん。
俺的にはモモとキャッキャッしながらお空のランデブーと洒落こみたかったのだが、真剣勝負の結果がコレだから致し方ない。
「……やっと決まっようじゃな」
モモから出されたお茶受けをモリモリと頬張るカイの横で、ハト爺はやれやれといった表情だ。
「わたしとモンジだから。よろしくねっ、ハト爺」
「はいはい、分かっておるわい」
ハイテンションで肩を組んでくる絹に、迷惑そうな顔のモンジ。
「……明日には出発したいんじゃろ?」
「……出来れば」
「よし、今日は早めに寝て、明日は日の出前に出発じゃな」
「うん、分かった」
話しが早くて助かる。
もうかなり遅い時間ではあったが、このあと居残り組みは海路での北への上陸を目指して波平さんを中心に話し合いを始めて、俺と絹さんは明日に備えてさっさと風呂を済ませ早めの就寝。
「……イエ姉。いよいよ迎えに行けるよ」
間近に感じる北の大地に、どうしても想いを馳せてしまう。やっとだ、やっとここまで辿りつけたんだ。
しみじみと一人で浸っていたら。
スススと、襖が開き、抜き足差し足で俺の布団に近寄る誰かの気配。
何を思ったのか、モゾモゾと布団の横から侵入してくるこいつは……。
「おい、バンビ」
布団の中でビクンと体を震わせた。
「あれれ、ここどこ? あたしの布団にモンジがいるよ」
大根臭い演技ですっとボケるバンビだ。
「ここどこって、男部屋だろここ」
「へえー、そうなんだー、へえー、間違えたー」
棒読みの台詞に目を泳がすこいつ、確信犯だろ。
「さっさと女部屋に戻れ。俺は明日早いんだよ。もう寝るんだよ」
「まあ、いいじゃん。折角だし、邪魔しないから、ねっ」
こいつ、開き直りやがった。
風呂上がりだろうか。
ニコニコしながら俺にくっつくバンビの白髪は湿っていて、ほんのりと女の子特有の甘い香りがしてくる。
「モンジ、今日は臭くないね」
容赦ねぇよな、こいつ。
「俺も風呂上がりだからな。それと今日はって、いつも臭いって意味か?」
俺だって臭いって言われれば、それなりに傷付くお年頃なもんで。
「う〜ん、臭いって言うか〜。青臭いって感じかな」
「なんだよ青臭いってなんだよ。ガキ臭いって意味か?」
「ガキって言うより、野原を駆け回った野良犬の匂いかな」
結局臭いのかよ。
真面目に答えんでもいいのに。
もっとオブラートに包んだ表現をして欲しいもんだよ、まったく。野良犬の匂いって、それはそれで傷つくだろ。
軽くショックを受けて黙っていたら。
「ねぇ。……あたしと別行動になるけど、モンジは寂しい?」
「まあ、多少は……」
「多少だけ!」
「ゴメン、結構寂しいかも……」
言わされてる感が半端ない。
「そっか。すんごく寂しいのか。……そっか」
すんごくとは言って無いが、面倒いからいいか。
どこかご満悦な様子のバンビに押し切られる形で、そのまま俺は朝までこいつと寝てしまっていた。
♦︎
夜も更けた頃。
(……フク、いる?)
(ピュル)
真っ暗な部屋の中で、囁くほどの微細な声に呼ばれたフク。彼女の呼び掛けに合わせ、フクも小声で鳴く。
豪華な布団から抜け出し。
いつもの寝巻きから小袖に着替えたイエは、足音を殺して襖を開け、本殿へと続く廊下をそっと覗いた。
……誰も、いない
無人を確認して、襖をそっと閉めるイエ。
(……さくせん、かいし。いい?)
(ピュルル)
小声は継続中。
一人と一羽は大きく頷き、襖とは逆にある窓へと向かった。
音を立てぬよう、障子窓をそっと開けるイエ。
突然吹き込んだ風に彼女は目を細め、癖のある髪を手で押さえる。
土地柄の所為か、真夏とはいえやや冷えた風に驚いた彼女。気持ちを鎮めるよう、肩まである錆色の髪を手櫛で解く。
(ピュル?)
大丈夫って意味かしら?
(ふふ、だいじょうぶよ)
フクの気遣いに気持ちを引き締め直すイエ。
目の前には縁側へと続く廊下が横に伸びていて、彼女は四つん這いで滑るようにして渡る。
(……ふぅ)
無事に縁側にたどり着いたイエはホッと一息。
事前に軒下に隠していた草履を取り出し、そっと懐にしまった。
部屋からの脱出、成功
(ピュルルル)
親指を立てるイエに、羽をバタつかせようとしたフクは、すぐにグッと堪えて大人しくする。
フクの滑稽な仕草に吹き出しそうにならながらイエは、袖口から一枚の紙を取り出し、月明かりの下で広げた。
胸骨さんは暫く屋敷を離れていると、杏子さんから聞きましたから、脱出するなら今夜しか無い。
金魚のフンの如く、常に付き纏う胸骨の存在がイエにとっては懸念材料のひとつだった。
でも今夜、彼女は不在。
己に喝をいれて瞳を吊る彼女。
広げた紙には大まかな清光邸の地図と、フクに調べて貰った警備の薄い箇所が記されていた。
待っててね、モンジ。いまから帰るから。
(ピュルッ、ピュルルッ)
彼への想いを胸に秘め柳眉を逆立てたイエは、心強い相棒フクを伴い、屋敷脱出の最初の関門へと挑んでいった。
♢
明くる日の早期。
田んぼに囲まれた街道の真ん中で、二機の飛行機を物珍しく眺める集団がいた。
森山村一向と波平一家なんだけどね。
ここにいる皆さまの手を借りて、林の中からえっちらおっちらとモーターグライダーを引っ張り出してきた俺達。
津之領へと続く直線の街道を滑走路に見立て、グライダーを前に雑談を交わしていた。
「なあ、ハト爺。よくコイツの動かし方が分かったな」
エンジンをいじくるハト爺に質問する。
見た目は野性味溢れるワイルドなグライダーだ。
天辺の三角羽なんかコウモリの羽みたいな形状だし。
「……動かし方じゃと? そんなの簡単じゃ。だってワシ、天才だもん」
あ、そ。
真顔で冗談を飛ばす爺さんを放っとき、近くにいらっしゃるお地蔵様に手を合わせる俺。
「……落ちませんように」
「縁起でもない事を言うで無い!」
怒られながらもしっかりとお祈りを捧げる。
談笑している皆さまを横目に、再度モーターグライダーに近づく。
「へえ〜、単気筒でちっこいのな」
エンジン部分に触れてみる。
モーター自体、剥き出しの原チャリのエンジンっぽい。
スタータは農機具なんかによく有る紐タイプのスタータ。
紐を引っ張るとエンジンがかかり、連動して後部のプロペラが回る仕組みだ。
「なにしてるの?」
「ああ、ちょっとな。どんなもんか見てるんだけど……」
バンビが手を繋いできた。
ニッコリ笑ってる。
……なんか変。
だって、いつものこいつなら俺と別行動をする時かなりグズるのに。……あやしい。
「これで空を飛べるって凄いね。それと、あとで感想聞かせてね」
「う、うん。分かった……」
ムム、気の所為か?
まあ、そろそろ出発の時間だし、今更危ぶんでもしゃーないか。
バンビの事は置いといて、今度は座席周りを確認だ。
三角羽の下に座席は一つだけ。
おそらく爺に掴まって乗るハメになる訳だな。爺にしがみ付く自分の姿を想像するだけで、少し気分が滅入るがここは我慢だろう。
次に座席周りもチェック。
座席の横にあるのは多分アクセルレバーと、前には操作レバーがある。
操作レバーの前に取って付けたようなインパネが付いていて。
つーかこれ、タコメーターしか付いてないじゃん。
素人ながらに思うけど、飛行機なんだから、高度計とか昇降計とか無いの? なんて無い物ねだりをするのは贅沢ってもんか。
でもなんか、俺でも操縦できそう。
遊園地にあるゴーカートより簡単に思えてしまう。
このグライダー自体、思いの外簡単な作りのような気がする。大丈夫なのか?
「おし、周りに人はおらんようじゃな。では、エンジンを回すぞ。カイ、そっちも回せ!」
「……ウス」
「ブルンッ、バリバリバリバリ、バリバリバリバリ、バリバリバリバリ、バリバリバリバリ!」
スタータを回し、アクセルレバーを調節するハト爺。
カイもハト爺を真似てエンジンをふかす。ここまで影が薄かったアラジン擬きも、今だけは頼もしく見えた。
「忘れ物無い? ハンカチ持った?」
「お前は俺のオカンか? 大丈夫、朝確認したから!」
「オカンってなに? ひゃっ!」
旅装姿のバンビ。
プロペラが勢いよく回り、彼女の着物の裾が強風に煽られて捲れそうだ。
「バンビ、危ないから離れてろ!」
「うん! 気をつけてね!」
手を振りながら着物の裾を押さえてバンビは離れていく。
轟音を奏でるグライダーの周りには、居残り組みの全員が俺達を見守っていた。
「おし、乗り込むぞ!」
自ずと大声になる。
バリバリと街道にエンジン音を轟かすモーターグライダー。
俺とハト爺は腰を屈めて乗り込み、後ろを見ればカイと絹さんも、もう一機のグライダーの席に着いていた。よし、準備万端だ。
真後ろにいた皆んなもプロペラの風に煽られ、いつしか左右に別れ、思い思いに何かを叫んでいた。
「ゴメン! なんも聞こえない!」
やかましいモーター音に掻き消される皆んなの声。
「みんな、先に行ってるから! またな!」
それでも叫んで、全員に手を振っていた。
少しづつ前に進むモーターグライダー。
徐々にアクセルを解放するハト爺に合わせ、スピードもどんどん増してゆく。
「じゃあなっ、バンビ! じゃあな!」
バンビに手を振る俺。
いじらしい笑顔のバンビが気になっていた。
だから、どうしても彼女に目を奪われて。
そしたらあいつ、ニヤけてやがる。
車輪が宙に浮き、俺達を乗せたグライダーが飛び立った後だった。
「……ルーラ」
「え、あ、ええっ! バンビちゃん!?」
側にいたはずのバンビが忽然と消えて、モモが慌ててバンビを探す。
「モモさん、あれ、あれを見て下さい!」
与一郎の指差す方向には、墜落しそうなほどにグラつくモーターグライダーの姿が。
「アレはモンジさんとハト爺さんの飛行機ですよ。……まさか」
「はい、あの中にバンビが居ますよ。ほら」
呆れた口調の与一郎に、信じられないと言った顔で飛行機に目を凝らすモモ。
「嘘でしょ。あ、ああっ、墜落しそうです!」
ふらふらと空中を下降するグライダーに、モモは肝を冷やす。
すぐに機体を安定させ、上昇していくグライダーを見て、モモはホッと安堵の息を零した。
「ハハ、バンビちゃんの能力は聞いていたけど……。彼女は凄いね、色んな意味で」
「お父ちゃん。色んな意味って、どんな意味なの?」
良いものが見れたと感心する波平に、ワカメから無垢な質問をされる。
「あぁ、そうだな。ワカメにはまだ早いから、やんわりとだけ教えるとだな。バンビちゃんも一端の女だったって事かな」
「……よく分かんない」
「ハハ、分かんないか。でもワカメにもその内わかる時がくるさ、その内にね」
ふ〜ん、と。
曖昧な表情のワカメは、バンビの乗り込んだ飛行機を見上げている。
彼女の瞳には、狭い座席内で仲良く戯れ合う癖毛の少年と白髪の少女の姿を映していた。
「分かんないけど、楽しそうで羨ましいな」
無垢な少女ワカメは、ほんの少しだけ女の子の顔で呟いていた。
「前途多難だな、ありゃあ。……本当に色んな意味でさ」
しみじみと語る波平に居残り組も頷く。
「モンジさんに遅れを取る訳には参りません。皆さん、急ぎましょう」
モモに促されて歩き出す一行。
おぼつかない飛び方のグライダーから視線を剥がした居残り組の面々は、一路八角山の麓へと足を向けて歩き出していた。
ありがとうございました。




