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〔墓守り紋次の物語〕  作者: 猫屋敷 中吉
92/122

万能薬

 よろしくお願いします。


 甲板に座り込み、なにやら作業に勤しむ少年が目に映る。


「おう、与一郎。……何それ。また薬草ゴリッてんの?」


 少年は与一郎。

 彼は疲れた顔で声の主に振り向いた。


「……モンジさんですか。モンジさんは楽しそうですね、釣竿なんか持って」


 振り向き様に嫌味を言われ、モンジは口を尖らす。


「遊びじゃねぇよ。暇なら夕飯の足しに魚でも釣ってこいって、絹さんに言われたんだよ」


 そう。これも海戦の最中、こいつ等が倉庫にあった全ての荷物を海に捨ててしまったのが原因だ。


「お前等の所為だからな。調子に乗って食いもんまで捨てやがって……」


 ぶつぶつ文句を言うモンジ。

 実際、食べ物は調理場に水と調味料しか残っていない。


「はいはい、すみません。おでんさんが僕の静止も聞かず、目に着く物を手当たり海に放り投げたのが原因ですけど、僕達が悪いですね」


 開き直る与一郎は不機嫌な様子でまた前を向き、黙々と作業を再開させた。


「お待たせ。……モンジ、与一郎とケンカしたの?」


 俺達の不穏な空気に、遅れて甲板に上がってきたバンビが不安がる。


「……こういう時は、一番にごめんなさいを言って方が勝ちなんだぞ」

「なんで俺が悪い風になってんだよ!」


 バンビの顔が怖い顔に変貌していく。

 たじろく俺。

 こいつにキレられるのも面倒なので、声のトーンを落として。


「……ケンカってほどじゃ無いけど。……なんかあいつ、あれから機嫌が悪いんだよ」

「……あれから?」


「うん。……ほらさっき海賊共をぶっちぎっただろ。皆んなが喜んでいたのに、あいつだけ怖い顔しててさ。なんか、ちょっと気になったんだよね」

「ふ〜ん」


 頬に指を置いて考える素振りのバンビ。すぐに明るい表情にもどり。


「モンジが気になるなら、与一郎から後で聞いておいてあげるよ」


 どこか自信あり気に答えた。


「モンジさんっ!」


 突然肩に手を置かれ、ビクンと体が跳ねた。


「クスクス、ビックリしました?」

「おおうっ、モモ! 足音が聞こえ無かったからビックリしたよ」


 目をパチクリさせてる俺に楽しげなモモは。


「驚ろかすつもりでしたから……。んん、どうかしました?」


 モモは不穏な空気を察してか、俺とバンビを交互に見やる。


「……べ、別に、な!」

「……そう、別に」


 ややこしく成りそうなので誤魔化した。


「へえー、怪しいなぁ〜。あ、そうだ! ねぇ、与一郎さんもどうですか、釣りでも……」

「僕は結構です。いま忙しいので……」


 俺達に背中を向けている与一郎を誘うモモ。けれど、食い気味に断られ意気消沈。


「そうですか……。では、与一郎さんの分もモモが頑張りますから、期待してて下さいね」


「……」


 どこか重たい空気を払うように、明るく振る舞うモモに与一郎は塩対応。

 黙々と作業に没頭する与一郎に、顔を見合わせる俺達三人。


 そうなんだ。

 予定では夕方前に目的地でもある白磯村に着く筈だった。それが海賊に襲撃を受け、当初の予定の大きく変更、到着が大幅に遅れる事となった。

 波平さんが言うには、白磯村到着は夜になるだろうとの事で、夕飯ゲットは急務。


「……では、モモ達で頑張って釣りますか」


 空元気で腕まくりをするモモ。


「だな。なっ、バンビ」

「……だな」


 与一郎から離れ、船の縁まで歩く俺達。

 甲板上を見れば、波平さんがカツオとワカメを連れて船の修繕作業に走り回っていた。


「……事前に断られたけど、いいのかなぁ。俺達、釣りなんかしてて……」

 

 忙しそうな波平さん一家の姿をみて。

 麦わら帽子を被り、釣り竿にバケツとレジャー感覚の自分の姿を見比べ、どこか引け目を感じてしまう。


「釣りなんかじゃありませんよ。真剣勝負です。お腹が空いたら何とかって、よく言いいますから」

「そうだぞ。与一郎も腹が膨れたら超ゴキゲンになるかもだぞ」


 何故か、やる気を見せる女子二人。


「そう言えば。無理して動いたおでんは、またベッドに逆戻りだよな」

「はい、熱がありましたから」


「……で、絹さんは?」

「絹さんは下でお茶を啜ってましたよ」


「……あの、アマ」

「ささ、そんな事より、釣りを始めましょう。モモは初体験なのでワクワクしちゃいます」


 モモの初体験……。

 このワードに俄然やる気が出てきた。


「……モンジ。鼻の下が伸びてるぞ」


 バンビにケツをペチペチ叩かれる俺。

 邪魔してくるこいつに抵抗しながら、釣りの準備を始めた。


 一人残された与一郎は。


「……天国薬。天国薬より安全で凄い薬を、僕は作るんだ」


 いつになく険しい顔だ。

 与一郎は傍ら置いた愛用の背負い箱から、その幾つもある引き出しのひとつを開けて、粉末状の薬草を取り出す。


「沈静作用のあるムラサキツメクサと、胃に優しい月桂樹の果実と……」


 ぶつぶつと。

 数種類の薬草の投じられたすり鉢を凝視していた彼は、何かを思い出したようにふと顔をあげた。そして、遠い目をしながら。


「……僕はサトと約束したんだ」


 小さく呟くと、静かに目を閉じる与一郎。

 どこか悲し気な表情の彼は、瞼の裏に映したサトの面影を追って、遠い記憶を(さかのぼ)っていった。





 記憶は三年程前に遡る。

 実りの季節も過ぎたありし日の出来事。


 ここは、雄大な山々に囲まれた信之領北部の小さな村はずれ。

 紅葉の色づく山々を背にした小ぢんまりした武家屋敷から、剣戟の音が響いた。


「与一郎、しゃんと立て! お前は名瀬家の跡取りなんだぞ!」


 木刀を片手に与一郎は膝を落としていた。

 眼前には、上半身はだかで筋骨隆々の男が鬼の形相で吠えている。


「は、はい。すみません、父上」


 与一郎の斑点模様の小袖は既に泥まみれ。

 彼は震える膝に手をおき立ち上がると、痺れた両手で木刀を握り締めた。


「お願いします!」


 気勢を張って木刀を青眼に構え、己の父親と対峙する。


「よし、いい構えだ。いいか与一郎、剣とは力でも速さでも無い。己に打ち勝つ魂こそが、武士たる者の最も必要不可欠なものだぞ。……己を超えて見せよ、与一郎」


 同じく青眼に構える父親に、与一郎は真正面から向き合い、息を整える。


「……では参ります。やあああああっ!」


 与一郎は突きの構えで突進する。

 踏み出した利き足に力を込め、一気に間合いを詰めた。


「まだ、足りん」

「っかは!」


 瞬殺だった。

 半身に切った父親に躱され、木刀を打ち払われた与一郎はバランスを崩し無防備な背中に、強烈な一撃をくらった。


「っは、は、かはぁ、はぁ……」


 強打、痛撃に、堪らず地に手をつく与一郎。詰まった息を吐き出して、背中の痛みに悶える。


「……それで己に打ち勝ったつもりか、与一郎」

「……い、いえ、まだ、これから、です」


 息も絶え絶えに、言葉が千切れる。

 日々の鍛錬とはいえ拷問に近い仕打ちに、まだ十歳にも満たない与一郎は、歯を食い縛り耐えていた。そんなおり。


「……あなた。そろそろ夕飯の支度が整いますが、いかが致します」


 点滅する視界の中、優しい声音が耳朶を打つ。

 いつもの鍛錬終了の合図だった。

 母親の助け船に与一郎は安堵の息を吐いた。


「……ああ。では、ここまでにしておくか。与一郎、先に風呂に入って来い」

「は、い。ありがとう、ございました」


 やわら立ち上がり、頭を下げる与一郎。

 傷だらけの息子を一瞥すると父親は、腰から下げた手ぬぐいで汗を拭う。


「……母様も」


 もう一度、今度は母親に深々と会釈をした与一郎は、庭先から屋敷の裏手にある風呂場へと歩を進めた。


「あ、兄さま。お風呂の準備が整っておりますよ」


 竈焚き風呂の前で幼い妹が、待ってましたとばかりに駆け寄ってきた。

 火吹き竹を手に煤けた顔の妹、淡い桃色の小袖姿のサトがにこやかに微笑む。


「……お前、いいのか寝てなくて」

「はい。今日は体調もいいので、母さまのお手伝いです。それに、たまにはお布団から出ないと太ってしまいますから」


 照れた様子のサトは、愛くるしい表情でペロリと舌を出す。


「……太るって。サトは病気なんだから、そんな事……」


 困り顔の兄にムーとむくれて見せる妹。


「兄さまは女の子にとって太ることが、どれ程恐ろしいことか分かっておりません。外国からの文化も入り、女性の美意識も高まり出した時世ですよ。兄さまは些細な事とお思いの様ですが……」


 妹の地雷を踏んだらしい。

 くどくどと小一時間ほど説教を受ける与一郎は、ウンザリとした表情で耐える。


「兄さま。聞いてますか!」

「聞いてるよ。女は大変なんだろ」


 開いた口を半開きにしたままサトは、キッと目を吊り上げ。


「もう! 一言で終わるような、簡単な話しではありませんよ!」

「ごめん、ごめん、今度ちゃんと聞くから。それでそろそろお風呂入りたいんだけど、頂いてもいいかな?」


 頬を膨らませるサトと逃げ出したい与一郎。


「……ダメです。今度は有りません。いま、聞いてください」


「はあー。はいはい、分かった、分かった。サトには敵わないよ。……それで、どこまで話したっけ?」


「ほら、やっぱり聞いてない!」


 鬼の首を取ったよう得意気に叱りつけてくる妹の姿。

 普段より元気そうな彼女の様子に、与一郎は笑みを滲ませる。


「自立した女性における服飾の変化について語っていた所です」

「そんな難しい話しだっけ?」


「難しく無いですよ! 女性の美について、兄さまは興味が無さ過ぎです!」

「……サトが興味のある話しなら、僕も少しは勉強しようかな」


 そう言うと与一郎は、側にある薪割り用の台に腰を据え、しっかりと聞く体制を整える。


「そう(かしこ)まられると、逆に緊張します」

「サトは大きくなったら美人になるよ」


 不意に出た本心だった。

 口籠る妹に目を細めて与一郎は、暖かい眼差しを向けていた。


「な、なんですか急に! そんな、美人だなんて、そんな。それに、大きくなったら私は……。私は……」


 火照った顔を隠すように、サトは両手で頬を覆う。

 

「……私は? その続きは何だい?」


 目元を緩めて与一郎が聞き返す。

 恨めしそうな目で兄を見る妹。スススと与一郎に近寄りサトは囁いた。


「……兄さまだけに言いますが。大きくなったら私、医者になりたいのです」

「い、医者かい!? それはまた……」


 一瞬、驚く様子を見せた与一郎だっだ。それも束の間。


「いや、違うな。サトだからだね。病人の気持ちが分かるサトだから出て来た発想なんだね」


「……はい。私は大人になったら、外国へ渡って医学を学びたいんです」

「外国って、国内じゃないの?」


「……母様から聞きました。医学もそうですが、全ての分野において、外国の方がこの国よりも数段先を行っていると」


 夕暮れの空に遠い目を向けるサトは。


「……ですから私は広い世界に飛び出して、たくさん勉強して、私のような病弱な子供を一人でも多く救いたい。……私自身が万能薬になりたい」


 そう、言い切った。

 瞳を輝かせ、とても強い口調で夢を語る妹に感服してしまう。


「……凄いなサトは。……医者か。うん、成れると思うよ、サトなら」

「……兄さまのその言い方、ちょっと軽くないでないですか? もしかして、信じてませんね」


 ジト目のサトに戸惑う僕。

 本気で言ったつもりなんだけど。

 そして僕はこう呟いていた。


「……万能薬か。あったらいいな……」


 ありきたりの日常。

 幸せだった風景。

 そんな些細な記憶に耽る与一郎は現実に戻る。


 潮風に吹かれる甲板の上で、目の前に置かれた薬草塗れのすり鉢を見つめていた。


「……あの日の夢。僕はあの日の出来事を忘れない」


 そう自分に言い聞かせる与一郎は、静かに目を閉じ、また記憶の回廊を降りてゆく。





 そう。

 あれは、その年の冬の出来事だった。


 しんしんと雪の降るとても寒い日の朝だった。

 サトが大量に吐血したんだ。

 長いこと肺病を患っていた妹が、僕の目の前で血を吐いて倒れた。


 常備薬で誤魔化す両親。

 もう分かっている。そんな薬は気休めにしかならないと。だから、僕は。


「……常之領に高名なお医者様がいらっしゃると聞きました、そのお方は加合様と仰る方だと」


 僕は土下座をしていた。


「……父上、僕は常之領に行きます。妹の薬を買いに行きます。今までの薬ではサトには効きません、無理なんです」


 囲炉裏の前で、朝から神妙な面持ちの父様に僕は、誠心誠意訴えかけていた。


「……あなた」


 母様、泣いていたのだろう。

 目を赤く腫らした母様が父様に対し、縋るような眼差しを向けていた。そして父は、その重い口を開いて。


「……与一郎。お前も分かっているだろうが、ここニ年ほど続く飢饉の所為でワシは着いては行けんぞ」


「分かっております。父様の仕事は領主様をお守りする仕事です。この地を離れることなど出来ぬ事も充分存じ上げております。大丈夫です、僕は一人で行って参ります」


 眉根に皺を寄せていた父様が微笑んだ。


「お前も立派な男になったな。……サトのことを頼むぞ」


 この時初めて父様に認められた気がして、とても嬉しかったのを覚えている。


「では、行って参ります」


 昼前には支度を終え屋敷を後にした。

 この時、今生の別れのように寂しげな表情をした母様の顔が、今も忘れられない。


 僕は雪深い街道を黙々と歩く。

 信之領から常之領までは、子供の足で三日はかかる道のりだった。


 そんなの関係ない。


 寒さに震える自分に鞭を打ち、雪を踏み潰し、街道をひたすらに歩いた。

 途中何度も挫けそうになったが、その都度サトの笑顔を思い出して、かじかむ足で雪を踏みつけた。


 そして僕は辿り着いた。


「き、君は一人で信之領から来たのかい」

「……は、は、はい。ふぇっくしょん!」


 凍えた体で何とか常之領に辿り付き、加合様の診療所に訪れた際に先生はとても驚いていた。

 

「とにかく、そのかんじきを脱ぎなさい」


 先生に言われるままかんじきを脱いだ僕の足先は、紫色に変色していた。

 驚く先生の診断では、どうやら凍傷になりかけていたらしい。


「どうして、こんなになるまで放って置いたんだ!」

「……実は僕、ずっと歩き通しで来ましたから。それで──」


 三日かかる道のりを、寝ずに二日で歩き通した事をさも自慢気に話したら、加合様にこっ酷く叱られてしまった。


 このあと丸一日先生の診療所に入院して、無事に肺病に効く薬を貰った僕は、また実家へと急いだ。それもこれも、妹に早く薬を届けたい一心でのことで。


「……な、なんで」


 だけど現実は残酷で。

 家に帰り僕は、実家の惨状に言葉を失ってしまった。

 先生の診療所を後にした僕は、行きと同様に二日で我が家へと辿りつき、そこで絶句してしまったんだ。


「なんで、こんな事に……」


 雪の上にへたり込む僕。

 このとき僕の家は全て燃えていた。燃え滓になっていた。


「と、父様! 母様っ、サトッ!」


 理由なんかどうでもいい。

 僕は震える足で朽ちた柱の残る玄関から中へと入った。


 おりからの雪で倒壊仕掛ける家の中も雪まみれで。

 僕は土足のまま家にあがると居間で、まだ燻る大人二人の焼死体を発見した。


 小柄な遺体を守るように、大柄な焼死体は覆いかぶさる形で焼けていて、その手に焦げて黒ずんだ刀を握り締めていた。


 背格好からして、紛れもなく父様と母様。


「あ、あ、あー、あーっ、ああーッ!」


 頭がおかしくなりそうだ。

 僕は遺体から後退り、逃げるようにして奥へと進んだ。妹、サトの部屋を目指したんだ。


「ああ、ああっ! サト、サトッ!」


 頭の中は混乱していて、真っ白だった。

 今思えば、狂いそうになる僕が正気を保てたのも、懐にしまった妹の薬の存在が大きかったと思う。


「サト、サト、サトッ!」


 妹の名前を叫びながら、半壊した家の中を駆けずり回った。


 けれどサトがいない。どこだ、どこにいる!


 吹き荒ぶ雪が落ちた天井より入り込む。

 僕は半狂乱になりながら庭先に飛び出ていた。


「サトッ、サトッ、サトッ!」


 庭の隅にある井戸が目に入った。

 雪に埋もれた井戸の手前で、人型の雪の膨らみに気がついた。


「── サトッ!!」


 雪の隙間からサトの愛用していた縞模様の赤い半纏(はんてん)が見えたんだ。


「──────ッ!!」


 声にならない叫びで、転げるように駆け寄る。

 積もった雪を払うと。

 変わり果てた姿のサトが、そこにあった。


「あぁ、ああ、ああっ、ああああああああああああッ!!」


 喉が張り裂けんばかりに叫んでいた。

 思考が弾けて狂いそうだ。


「……サト、サト。こんな、こんな酷い仕打ちを受けて……」


 井戸まで逃げたサト。

 さぞ熱かったのだろう、辛かったのだろう。

 うつ伏せに倒れていたサトは、背中から下半身にかけて酷い火傷をおっており。

 その火傷を負った背中には、斜めに切り裂かれた刀傷が残っていた。


「ああ、ああ、サト、サト。ああ、あああ、ああああああああああっ!」


 抱きしめたサトの体は軽くて氷のように冷たい。

 素人の僕でも、既に事切れている姿だと分かった。

 唯一の救に思えたのは、サトの顔が綺麗なままの状態だったこと。


 涙で視界が滲んでゆく。

 血の気も失せたサトの顔は青白く。

 吐血した後の口元は赤く汚れていて、彼女の口元を袖でソッと優しく拭った僕は、武家の跡取りである僕は、愛する妹に誓いを立てたんだ。


「……必ず、仇は取ってやる」


 と。


 どれくらいの時間が経ったのだろう。

 散々泣き喚き、呆然としていた僕は、いつしか雪に覆われていて。


 冷たいサトを見やり。

 このままじゃあ寒かろうとサトを屋敷の中へ、両親の元へと運んでやった。


「……サト、父様、母様。安らかにお眠り下さい」


 三人に手を合わせ丁重に葬ると僕は、父親の手にした煤けた刀を片手にこの家を後にした。


 目的は勿論、復讐の為に。


 夜も更け、月明かりが深雪を照らす。

 いつのまにか、降り募る雪も止んでいて。

 空を仰げは、丸い月と煌めく星空が広がっていた。

 

 感慨に耽る気持ちにもなれず。

 僕は重い足を引きずり、ある場所へと向かっていた。


 犯人の目星は付いていた。

 父様が言っていた、この地を離れられない理由、それは。


 百姓一揆の気配だ。


 領主から託された父の仕事は、納める年貢の徴収役。

 信之領の領主様は、この地にニ年ほど続いた飢饉にも関わらず、強欲に例年通りの徴収量を父親に課していたんだ。


 それでも父様は、領主様に忠義を尽くし。

 自らの心を鬼にして仕事を全うし、自らが百姓共の恨みを一手に引き受けた。


 しかし忠節を重んじた結果がこの有様。


 今年に入って元より。

 僕等一家は村を歩けば、度重なる嫌がらせや誹謗中傷は当たり前で。だから……。


 分かっていたんだ僕も。

 いつかこんな日が来る事を。

 

 敵の数は多数。

 そう、門から玄関口へと続く足跡は多く、庭先、勝手口へと枝分かれしていた。襲撃者はおよそ、数十人にも及ぶだろう。


「……だからなんだ。もう限界なんだよ。……あの腐れ百姓共、一人残らず殺してやる」


 燃え盛る炎を飲み込んだが如く。

 僕の腹の中は灼熱の怒りで煮えたぎっていた。脳が沸騰していたんだ。


「はぁ、はぁ、ここか……」


 殺意に燃え、正常な思考がままならない状態の僕は、とある場所に来ていた。


「……殺ってやる」


 僕の視界は雪で閉ざされた山の入り口を映す。

 峠道へと続く本街道、その脇に設置された簡素な門を潜り抜けた。

 暫く進んだ僕。

 目の前には雪に埋もれた古寺と、奥に墓場が見えてきた。


 そうだ、僕はこの村にある唯一の寺に来ていたんだ。

 

 村民が集まる場所は決まっていた。

 降り積もる雪で多少は隠れているが、案の定。

 門から続くこの山道に、大勢の人間が雪を踏み固めた跡が残っていた。紛れもなく、この古寺が拠点だと確信した。


 奴等の行動はおよそ予想がついた。

 まずは障害となる武家屋敷を個々に次々と襲い、警護者を殺害。

 手薄になった米倉から奴等は、蓄えた物資を強奪するはずと。


「……だったら、この古寺で待ち伏せだ。のこのこ戻ってきた全員を僕が殺してやる」


 そんな物騒な思いに囚われていた時だった。


「おや、誰じゃ。こんな夜更けに……」


 間抜けな声のヤツに見つかった。

 暗がりの中、サクサクと雪を踏む音と共に、提灯の灯りが近づいてくる。


 僕は無言で煤けた刀を構えた。


 だけどこの人は、殺気立つ僕を見てあろうことか、こう言ったんだ。


「そんな所にいたら寒いじゃろう。こっちへおいで。いま囲炉裏に火を焚べてあるから、それで暖を取りなさい」


 気の抜けた声と、この人物の見た目も高齢者と見受けられ。

 すっかり気勢を削がれた僕は、この老人の後を着いて行くことにした。


「ささ、あがりなさい」

「……」


 俯いたままの僕が通されたのは、古寺の裏手にある粗末な家だった。


 敵のアジト。殺意が首をもたげる。


「手まで真っ赤にして、寒かっただろうに……」

「……」


 僕の家族を殺したクセに。なにを今更──ドス黒い怒りが僕を塗りつぶす。


 それでも家の中は暖かく。

 老人から進められるままに居間へと上がると、囲炉裏に吊るされた鉄鍋には水の煮えたぎる音が聞こえていて。


「……お湯しかないが、どうじゃ一杯。あったまるぞ」


 そう言って渡されたのは、湯気の立ち昇る飲み口の欠けた湯呑み。

 僕は借りてきた猫のように、大人しくその場に腰を下ろした。刀は脇に置いてある、いつでも襲いかかる準備は怠らずに。


「……それで、おヌシはどこの(わらし)じゃ?」


 囲炉裏を挟んで座る老人は問いかける。

 俯いていた顔をあげると、パチパチと爆ぜる炎に照らされたこの老人はおそらく、この古寺の住職と思しき姿をしていて。

 継ぎ接ぎだらけのドテラの下に、裾の破れた袈裟を着ていて、囲炉裏の明かりは酷く痩せこけた老人を照らしていた。


「僕は……」


 言いかけて言葉に詰まる。

 僕はあなた達を殺しに来ましたと、言える筈も無い。


「……まあ、よい。そうじゃ、隣り部屋に食べる物があった気がするから、少し待っておれ」


 そう言い残して住職は腰を上げた。

 静かな足取りで居間より続く隣り部屋、締め切っていた襖をおもむろに開けたんだ。


「……え、え、こんなに! な、なんですか!?」


 何の気なしに住職を目で追っていた僕は、開かれた襖の奥の光景に目を疑った。


 奥の部屋には、老若男女十数人もの人が寝ていたんだ。


「……ご遺体じゃ、飢饉じゃよ。……飢えと疫病で亡くなった者達じゃ」


「こ、こんなに……」

「これでも、ここ数日の間に運ばれてきたご遺体ばかりじゃ。……今年は子供の遺体が多くて、本当に可哀想でのう。子供だけでも百人以上は亡くなっておるはずじゃよ」


 落胆する住職の説明に、僕は唖然とするばかりだった。


「……ひとつの村で百人」


 聞いた事がある。

 飢饉になると疫病が流行りだすと。

 理由が分からない。誰も教えてくれないから。

 ただ、そういうモノだと聞かされただけで、僕自身も深くは考てもなかった。


 けれど、この現実を目の当たりにして、酷く衝撃を受けたのも事実で。


「……人に天気を統べる事など出来んもので、仕方がない事ではあるが。せめて、人の力で疫病だけでも鎮められたら、こんなに死なんでも済んだものを……」


 嘆くように語った住職の言葉が胸に突き刺さる。


「……万能薬さえあれば」


 ポロリと出た言葉に身震いした。

 僕はサトの言葉を思い出したんだ。

 照れくさそうに語っていたサトの夢。


『私が万能薬になるの』


 彼女のその言葉が、血の巡りを欠いた僕の脳に一気に浸透してゆく。


 この悲惨な元凶とは何か、僕が出来る事とは何かと、自らに問いかけた。


「そろそろ時間じゃな」


 ゆっくりと腰をあげる住職。


「今日は大晦日での。ワシは除夜の鐘を突きに行かねばならんから、出掛けてくるが。夜も、もう遅いで、おヌシは今晩ここに泊まって行きなさい」


 言いながら住職はお盆を僕に差し出す。

 お盆にはカビた乾し餅が数個乗っていた。そのまま身を縮めた住職は、寒風吹き荒ぶ外へと出ていった。


 暫くすると。

 ゴーン、ゴーンと重厚な鐘の音が僕の鼓膜に響いてきた。


 鐘の音を聴く度に、腹の中が浄化されるような感覚を覚えた。悲しくもないのに、不思議と涙が溢れてきたんだ。


 人間の内なる煩悩は百八つ。

 全て煩悩を除くことを願って、除夜の鐘は百八回鳴らされるもの。


 これは母様の言葉だ。

 僕は母様の言葉を噛み締め。

 己に勝てと教えてくれた父様の言葉を胸に抱き。

 万能薬になりたいと願った妹、サトの夢を叶えるべく、僕は──


 ──煤けた刀を置いて、走り出していた。そして……。


 二日後の僕は、ここに居た。


「あれ、君はあの時の……」


 森山村診療所。

 玄関前で雪かきをしていた加合様の前に、僕は居たんだ。


「はあ、はあ、はあ、はあ、あのっ! 僕を、僕を弟子にして下さい!」


 凍りついた地面に額を擦りつけ、僕は先生に懇願する。


「弟子って……」

「お願いします! お願いします! ご高名な加合様の元で勉強したいのです。僕は医者に成りたいのです!」


「ご高名って……」

「お願いします! 何でもしますから、どうかお側に置いて下さい! お願いします!」


 もう僕には何もない。


「……医者になるとは、人様の命を預かることだよ」

「重々承知しているつもりです! お願いします! お願いします!」


 夢も借り物の夢だ。でも僕は。


「お願いします! お願いします! お願いします!」


 誠心誠意、頭を下げていた。


「ふぅ、分かったよ。……寒かっただろう。とりあえず中に入りなさい」

「ありがとうございます! ありがとうございます! ありがとぅ、ぐじゅ、ごじゃりまず」


 それでも先生が受け入れてくれた事が嬉しくて、涙と鼻水をごちゃ混ぜにして泣いてしまった。


 あの日から僕は刀を握ってない。

 握り気も無い。

 だって、僕が握っているのは人様の命なのだから……。



「だああ! また逃げられたぁー!」

「モンジ、下手!」

「大丈夫ですよモンジさん。モモがモンジさんの分まで頑張りますからって、あ、見て下さいモンジさん! また釣れました!」


「何でモモばっか釣れんだよ。ズルいぞ!」

「モンジはうるさいから魚が逃げるんだよ。あたしもほら、見て! 二匹も釣ったんだよ」


「ちっさ! バンビのちっさ!」

「小っさて言うな! モンジなんて、一匹も釣れて無いでしょ!」

「にゃ、にゃにおう! はい、リリース。ポチャン!」

「あ、勝手に捨てた! もう、頭にきた!」

「モンジさん見て下さい! また釣れました!」


 騒がしい声に落としていた視線をあげる少年。

 彼の丸い眼鏡に映るのは。

 釣り竿を放り投げ、掴み合いのケンカを始めるモンジとバンビ。

 それを他所に我関せずと、ひとり釣りに勤しむモモの姿だ。

 いつもの仲良し三人組を眺めて与一郎は、険しかった表情に笑みを浮かべる。そして……。


「……万能薬かぁ。知れば知るほど遠いよなぁ」


 おバカなトリオの遥か後方。

 水平線に沈む太陽を眺めて与一郎は、ポツリと愚痴を零していた。


 時間とはほとほとせっかちなもので、あと数時間で今年も終わりとなります。


 皆さまの今年一年はどうでしたか?


 私は夢のある小説やアニメ、お気に入りの音楽やお笑い番組にと、好きな物に囲まれた一年で。

 いま思い起こせば、そこそこ幸せだったと思います。


 そんな私ではありますが、読んでくださった皆様が来年良い年をお迎え出来ますよう、微力ながらお祈りさせて頂きます。


 ありがとうございました。

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