旦那さま
よろしくお願いします。
カラッとした日差しの中、多種多様の花が咲き乱れる広い庭園で美しい女性が佇んでいる。
艶やかな衣装を身に纏い、どこぞの姫君と思われる麗しき女性は瞳を輝かせて花を愛でる。
「……はな、きれい」
この麗しき翡翠色の瞳の女性は、イエだった。
彼女は初めて『飛行船』なる物に乗り、海を渡って、津之領本城『貝庭城』まで来ていた。
一度目の飛行船の乗船は、終始意識の無い状態だった為に、彼女の記憶には残ってはいない。
「いい、かお、り……」
瞳を閉じて鼻をスンスン。
およそ一里(約4Km)はありそうな柴垣に囲まれた平地を、色とりどりの花絨毯が埋め尽くす。
その壮観な光景を前に彼女は、花に負けないくらいの清らかな笑みを咲かせている。
蝶が舞い踊り。
鳳蝶が飛び去るその先には、小ぢんまりとした建物が見つかる。
イエが胸をときめかせている花街道から、少し離れた位置にその茶室は置かれていた。
その中に舞い込む鳳蝶。
複眼が映すのは、無骨な偉丈夫と老齢の男が膝を突き合わせて茶を嗜む姿だ。彼等の会話に驚いて、蝶はまた花畑へと戻っていく。
「ほう、例の『アレ』はあの小娘が持っておるのか」
「……はい。あの娘は襲撃した『光沢村』の生き残りです」
茶室の丸い格子窓からイエを眺めて、老人が問い掛ける。目の前の老人に、畳に両手を着いた赤毛の男が真顔で答えていた。
「なんと、あの時の生き残りがおったとは……」
「……はい。探し出すのに骨が折れました」
目を細めて小窓から庭園を眺める老人は、好々爺の顔を作る。
「……しかし似ておるのう。髪色と目の色は違えど、姿形が当時の『咲』にそっくりじゃな」
「……はい。私も最初は驚きました。よもや彼女の生まれ変わりではと勘違いするほどに……」
茶の湯を前に赤毛の男は、深々と頭を垂れている。
凛とした佇まいの小袖の老人と、武士の礼服である侍烏帽子に直垂の赤毛の男。一見すれば師弟関係にも見える二人である。
「は、は、は。主が戸惑うならよっぽどであろうの。未だ『咲』以外に側室を取らんお主を惑わせるとは、これは愉快、必見じゃ。のちに近くで検分せにゃならんのう。は、は、は」
「これはこれは高満殿、お戯れを。取らんでは無く、『咲』以上の女子がおらんということです」
「これは嬉しい事を言ってくれるわ。あの跳ねっ返りの娘に、これ程まで肩入れしてくれるヤツがおるとはのう。お主がこの津之領を継いでいてくれれば、もちっとワシも楽になったんじゃが……。のう清光よ」
老人に頭を垂れ続けている人物、北之領頭目『木場 清光』は、畳を見つめたままに獅子面を柔らかく解す。
「何を仰いまする。この地には高貞様と高成様がおられます。高満殿の血を受け継ぐ高貞様なら、御立派な後継となりましょう」
清光の前にいる老人、津之領領主『相田 高満』は鼻で笑う。
「高成は数えでまだ五つである。高貞は……あれはダメじゃ、支城にて怪しげな薬で阿呆になっておるわ」
吐き捨てるように嫡子を非難する高満に、清光も表情を険しくする。
「……阿片、ですか」
獅子面を渋くして清光は、高貞の壊れた原因を突きとめる。
「そうじゃ。大陸から渡って来た舶来ものの薬じゃ。元々気の小さな奴の事、初めは気つけ薬として飲んでおったらしいが、それがこのザマじゃ。依存性が高すぎる。言動も次第におかしくなりおったわ」
「流通の大元はやはり、朝廷、ですか」
「ふん、知れた事よ。彼奴等には『咲』を殺され、高貞を壊され、もうこの老骨には何も残されてはおらん。朝廷、現『帝』には怨みしかあらんで」
「………」
「おう、そうじゃ。お前にくれてやった高貞の嫁子。綿姫と言ったか、アレはどうじゃ、息災か?」
「……はい。現在は本国の常之領にお帰りになられております」
「なんじゃ、かなりの器量良し故、お主の嫁子にと贈りつけたものを……」
「申し訳ございません。ですが、綿姫様には一働きはして貰いました」
「……ひと働き。まぁ、良い。お主のやりそうな事は大体想像つきわ。役にたったのなら良かろう。あの嫁子もそうじゃが、そもそも常之領の人間なんぞ、ワシは好かんからのう。あそこは帝の犬が治めている土地でもあるで」
朝廷を毛嫌いする高満が大仰に顔を顰める。
「先実の無血開城の件、深く感謝を致します」
額に畳を擦り付けるほどに、深々とお辞儀する清光。
「ふん、こんな小細工を弄さずとも同盟国としてお主がこの地を治めれば良かろう。ここワシの国じゃ、好きにすればいい」
「勿体無いお言葉恐れ入ります。されど、同盟国となれば津之領は我らが同様の扱いとなり、逆賊なりまする。もし私の計画が破綻した際に、その様な汚名をこの地にだけは残したくありませんので」
「ワシは構わんがの」
即答する高満に清光の口元が綻ぶ。
「嬉しく思いまするが、私は嫌です」
清光も即答。そうハッキリと言い切る。
「は、は、は、面倒な男よのう。だが、そんな義理堅い所もワシは気に入っておるぞ。咲の亡き後も、義理の息子として津之領を守護してくれたりのう。は、は、は」
機嫌よく笑う高満に、清光も釣られて笑みを浮かべる。
「して、お主がワシの城に参ったと言うことは、そろそろ始まるのか?」
「……はい。この国を終わらせます。国取りの準備は整いました。後は時が満のを待つのみです」
「そうか、そうか。……そうじゃ、景気付けにお主、あの娘子を側室に迎え入れれば良かろう。ほれ、縁起を担げば運気も舞い込むと言うではないか。運気も上がれば大業を成し得るも易かろて。のう、いい案じゃと思わんか? それに見ての通りワシも老い先短い身、孫の顔が見とうなったわ。どうじゃ?」
「か、勘弁なされよ。運気はどうか判り兼ねますが。高満殿とは言え、こればかりは娘本人の意向もあることですし。わ、私の一存では何とも言いあぐねてしまいまする」
あからさまに動揺する清光を見つめ、高満は大きく溜息を零す。
「わかり易い男よのう。幼少の頃よりお主はそうじゃ。惚れた女に弱い所なんぞは、咲が生きていた頃と全く変わらん。希代の豪傑と言われた男が、ここだけは成長せんのう。不思議な男じゃなお主は。のう、清光よ」
「はぁ、面目御座いません」
老人に手玉に取られ、頭に手を置く清光が所務ない表情を晒す。
そんな離れの茶室で清光が、余計なお節介を受けてる最中。薄笑みを湛えながらイエは、ある計画を頭の中で反芻していた。
「……ふく」
彼女の呼び掛けで、どこからともなく一羽の梟が舞い降りてくる。
「……ふく。ひと、いっぱい?」
「ピーッ!」
「みち、おぼえた?」
「ッピ、ピピ!」
「……ふく。一緒、かえろ」
言葉を話せないイエが、片言で梟に話しかける。それも小声で。
「ピ、ピッ!」
この梟は『紋次』の憑依した梟だった。
彼女は未だこの事実に気づいていない。
それと道とは、本土と北の大地を繋ぐ経路のこと。
愛らしいフクの鳴き声に、本物の笑みを滲ませるイエ。
イエは顔をしかめてしまう。
花の周りは監視だらけ。
だからここじゃない。
だったら北の本丸に戻ったらと、彼女は独自に練り上げた脱出計画を実行しようとしていた。
挙げた腕に降り立ったフクをそっと抱きしめる。
彼女は唇を噛み締め、吊り上げた翡翠色の瞳を爛々と輝かせていた。
♢
今日も暑いっス。
ここ、陸之領で仲良くなった皆んなと別れて俺達は、当初の予定を変更して遠周りになる海側のルートを北上中。
なんで遠周りをしているのかと言いと……僕ちんの所為なんでつ。
あのまま山側のルートを進めばいずれ、この度の戦で英雄扱いされている、なんとかって言う領主様がいる城下町を通らなければならない訳で。
絹さん曰く。
「あんた達は勝手に逃げ出して来たんだから当然、打首獄門も普通に有りかもよ。カ、カ、カ!」
なんてカカカ笑いでニコやかに脅されてしまい。
おそらくですが、指名手配中の僕ちんの所為で捕まるリスクを避けるべく、ちんたらと海側の街道を進んでおります。
ちんちん出しただけで何で死ななアカンの?
などと理不尽な思いの抱えたまま次なる領地、津之領を目指しています。
そんでお昼も近いと言う事で今現在、何も無い原っぱの真ん中、街道沿いに馬車を停めて、ちょっと早めの休憩中なんだけど。
汗が止まらん、あっついッス。
「モンジさん。食事の用意が出来ましたよ〜」
「あい、あい〜。いま行くよくるよぉ〜」
モモからの声掛けで俺は一旦作業する手を止めて、額から流れる労働の汗をいい顔で拭った。
作業と言っても、幌馬車の破れた幌の部分を補修、繕っているだけなんだけども。
これも絹さんが。
「丸見えは嫌よ! あんたの所為でこうなったんだから、あんたが何とかしなさいよ!」
彼女の仰る通りで……。
なので仕方なく、炎天下のなか一人黙々と頑張っておりました。はい。
「モンジ、早くおいで!」
モモと一緒にお昼ご飯を作っていたバンビが俺の手を引く。
「……お、おう」
どうすればいい。今朝のチュウからバンビの顔をまともに見れない。
「お昼は豚汁なんだよ ♪ モモに教わってあたしが作ったの。凄いでしょ!」
ゴキゲンなバンビちゃん。
こいつに羞恥心って感情は無いんだろうか。
「あっ、お疲れ様ですモンジさん。どうですか、あの穴、塞がりました?」
与一郎がザル一杯の謎の草を抱えて登場する。
モンジ眉がピクリと跳ねあがる。
「お前なぁ、何の手伝いもせずに勝手にふらふら遊びに行きやがって、お疲れ様じゃねえっつーの!」
「えっ、怒ってます? ん〜、おかしいなぁ、遠回りしてるの誰の所為なのかなぁ。それにこう言っちゃ何ですが、僕の旅の目的は最初から『コレ』ですから……」
そう言って、これ見よがしに訳分からん草を見せつけてくる与一郎。なんとも憎たらしい。
「与一郎さぁ、そんなもんいつだって──」
「ど、ど、どい。お、お疲れ。あ、あ、暑いな」
小言でも言ってやろうと思った矢先に、おでんに声をかけられた。
この休憩中に一番の力仕事である水汲みをしてくれたおでんも、俺と同様に汗だくだった。
「おう、おでん、お疲れ。飯の準備も出来てるみたいだし、さっさと食っちまおうぜ。あとさ、今日はバンビが初めて作った昼飯なんだと。味はともかくとして、腹いっぱい食べてやろうぜ、な!」
ちょっとした悪ふざけの物言いに、隣りにいるバンビのほっぺが膨らんでゆく。
「……美味しいもん。味はモモのお墨付きだもん」
「ハハ、ゴメン、ゴメン。バンビが一所懸命作ったんだ。不味い訳が無いよな」
適当に取り繕い、バンビの頭をポンポン撫でてやったらアラ不思議。バンビのほっぺが元通りになりました。
……やっぱ面白ぇなぁ、こいつ。
ここで一考。
こいつと気まずい雰囲気のまんまでいるのは、あんまり良くない。
ち、チュウの事とか変に勘繰られしまう。
それは嫌だ。こっ恥ずかしい。
だったらどうすればいいか……そうだ、無かった事にしよう!
そうだ京都に行こう、的なノリでサラッと流す事にした。
バンビも普段と変わらんし、そうだな、それが一番いい。気を取り直してテーブル席に着く。
「アレ、絹さんは?」
「絹さんは弓の稽古をするって、林の中へ入って行きましたけど。上手くいけば夕飯は鳥三昧よって、言ってました」
俺の問いに、お椀に豚汁も盛りながらモモが答えてくれた。
「暇さえあれば稽古、稽古って。あいつの本職は何だ? 狩人かあいつ! 八時ちょうどのあずさ二号で旅立つんか? まったく!」
軽口を吐いた俺に、何故か周りの目が集中する。
「……巫女だけど、何か?」
冷や汗が流れる。俺の背後に絹さんが立っていました。
「モン吉のくせにっ、わたしに文句なんて百万年早いのよ!」
例の如く、背後から首を絞められるワタクシは白目を剥いて死にかける。
モモが慌てて止めてくれたので一命を取り留めました。
「ゲヘ、ゲホッ。とんでもねぇヤツだな。死にかけたぞ俺はっ! 川のたもとでビキニのババアに服を剥ぎ取られそうになったんだぞ!」
「何言ってんの。訳分かんない。バカじゃないの」
人様を殺しかけて、シレッと答える絹さんが腹立たしい。
「それより見てよコレ! ジャーン、宣言通り今夜は鳥託しよ!」
満面の笑みで、腰にぶら下げていた三羽の鳥を掲げる絹さんに、モモの瞳が輝きだす。
「凄いですよ絹さん。三羽もですか! えーとぉ、えーとぉ、今夜は唐揚げで、明日は親子丼にしようかな。ん〜、迷っちゃうなっ、それとも……」
所帯染みてきたモモは、早速鳥の献立を検討中。
「ふふん。あと、アレを見てよ。大物も捕まえたのよ」
どうよって感じでドヤ顔の絹さんに、多少のイラ立ちを感じるが、彼女の指差す方向に素直な俺は視線を向ける。
「……馬鹿じゃん。てか、ヤックルじゃん」
馬鹿じゃないよ鹿馬だよ! て、バンビの訂正も耳を素通り。
草をはむはむしながら、糞をポロポロ溢す大鹿に目が釘付けになる。
「凄いでしょ。これで一週間は食事に困らない筈よ」
……食う気だよこの人。
「いやっ、ちょっと待て! アレは食っちゃダメなヤツ!」
「そうだよ絹! ヤックルだよ。ヤックルなんだよ!」
訝しむ絹さんに、大活躍したヤックルの経緯を説明する。
「へぇー、そう。……で、いつ捌く?」
分かって無いよ、この人。
「ダメったら、ダメ!」
痺れを切らしたバンビがヤックルに駆け寄り、抱きついた。
「絹のバカ、アホッ! ヤックルを食べたら一生ブスッて言ってやる!」
バンビが凄い剣幕で言い放つ。
「はあー? あんたまたこの私にブスッて言ったわね!……シバくわ、本気でシバく」
拳を握り、指をポキポキ鳴らす絹さん。
女子らしからぬ剣呑な雰囲気で絹さんは、のしのしと歩いてゆく。戦々恐々のバンビが小柄なその身を震わせていた。
「はいはい、そこまでです。せっかくの豚汁が冷めてしまいますよ! それと絹さん、小さい子をイジメる大人は食事抜きになりますけど、どうしますか?」
「ぐぬぬ……。分かった、分かったわよ! 我慢すればいいんでしょっ、ふんっ!」
夜叉の形相で、ドッカと椅子に腰掛ける絹様にワタクシ近寄れません。
「はい、みんなも席に着いて下さい。ご飯にしますよ」
仕切り上手のモモに感謝しながら、絹さんの目を盗んで、こっそりバンビを迎えに行く。
「ほら、お前も来い。ヤックルの事は大丈夫だから。絹さんには後でもっかい説明しとくから……」
青い顔で涙目のバンビちゃん。
「……絹怖い。……オシッコちょっと漏れた」
「……オシッコって、女の子なんだからそう言う事は内緒にしとけ。……後でパンツ洗ってやるから」
プルプル震えるバンビを保護者気分で連れ帰る。そして席に着くと、当たり前のようにバンビが俺の上に座ってきた。
……お前、さっきオシッコ漏らしたって言って無かったか? それで俺の上に座るのか? 解せぬ。
こんな一悶着もありながら、俺達はやっと昼食にありつけた。
なんだかんだでバンビの初料理も美味しくて、皆んなの箸もどんどん進んだ。
この光景を作った本人も嬉しそうに、俺の膝の上で足をパタパタさせながら眺めている。
食事を楽しみながら冗談混じりで旅の日程なんかをみんなで話し合い、徐々に場の雰囲気も和んでゆく。
そんな中、予想外な所から強烈な一撃を喰らった。
「……そう言えば、モンジさんとバンビちゃんて、付き合っているんですか?」
「……は?」
俺の箸が止まる。
和気藹々と皆んなで食事を楽しむ中、モモのこの質問で場の空気が瞬時に凍りつく。だがそれも一瞬のことで……。
「え、え、どう言うこと! モン吉がなにっ、バンビに唾つけちゃったの!?」
「モンジさん不潔です。バンビちゃんはまだ幼女です。考えられません。気持ち悪いです、近寄らないで下さい!」
「……どい。け、け、結婚。お、おめでと。あ、あ、赤ちゃん出来た?」
絹さんは色めき立ち、与一郎からは変態扱いされ、おでんは祝福してくれた。
バンビの様子を窺うと……照れ照れしてやがる。
「ちょっとまて、何かの間違いだ! そもそも付き合っても無いし……あっ!」
バンビが俺に振り返り、悲しそうな顔を見せた。次に顔を隠すようにして走り去ってしまった。
「……追いかけ無いんですか? 彼氏さんのくせに……」
ボソッとしたモモの物言い。
澱んだ栗色の視線が俺に突き刺さる。
豚汁を啜るモモから冷たく言われて、言い訳が口の中で空回る。
「何やってんのよ、早く行きなさいよ!」
「バンビちゃんを連れて来たのはモンジさんですからね、僕は知りませんよ!」
「……ど、どい。ふ、ふ、夫婦喧嘩か? よ、よく無いぞ」
皆さまに煽られ、現実に立ち戻る。
「ゴメン。ちよっくら行ってくる」
そう言い放ち立ち、立ちあがった瞬間だった。
急に目の前が暗くなり、視界が暗転して、俺は膝から倒れてしまった。
「モンジさん!」
「与一郎なんとかして!」
「そのまま、動かさないで下さい!」
「どい、どい!」
「モンジ、モンジ!」
最後にバンビの声を聞いて、俺の意識はぶっ飛んだ。
♢♢
どれぐらいの時間が経ったのだろう。
目線の先には、昼間に自分で直した幌馬車の繋ぎ目が映る。
「……あ、そうだ。バンビを追いかけなきゃ」
起き上がろうとすると、体が左に傾く。
気付けば薄手の布団が掛けられ、義手が外されていた。……尚且つふんどし一丁で寝かされている。
「アレレ、いつのまに?」
ゴソゴソと馬車の中で着替えていると。
「……モンジさん。気がつきましたか!」
謎の草を持った与一郎が馬車を覗いてきたんだ。
「お、おう。……え、俺、なんで?」
与一郎に片言で質問をしていた。
「……過労ですよ」
「は、過労?」
何言ってんの、過労ってリゲ〇ン飲んで二十四時間戦ってるサラリーマンがなるヤツだろ。
「夜、あんまり寝むれて無いのでは?」
「……あぁ、この前、夜の見張りをしてたからか。その後も寝ないで走り回っていたからなぁ」
「……それ以前からです」
「………お前に何がわかる?」
「こう見えても僕は医者の卵ですから」
「お前って、スゲーな……」
指先で丸眼鏡を持ち上げる与一郎に、感心して改心もしてしまった。チョロいな俺。
確かにそうだ。
あの日から。
あれから、イエ姉が連れ去られてから一週間ぐらい経つけど、俺は確かに碌すぽ寝れて無い。夜中に起きちまうんだ。彼女の夢で、攫われる場面を何度も。
「とりあえず、滋養強壮に効く薬草を煎じてますから、後でキチンと飲んで下さいね」
「……はい」
俺の気の無い返事を聞いて、眼鏡を光らせた与一郎は何処かへ行ってしまった。
……臭っ!
すぐに鼻をつく強烈な匂いに悩まされる。
だがこれも、与一郎が俺の為に頑張ってくれてる証だ、致し方ない。
「はあー、過労ねぇ。情け無ぇなぁ俺。……あ、バンビ! おいっ、与一郎! バンビはっ、バンビはどうなった!」
悪臭漂う馬車の中。表にいるだろうと、与一郎に声を掛ける。
「モンジ! モンジッ! て、臭ッ!」
「何だよ、戻ってたんかよ。心配かけやがって。て、ちょ、まっ、ちょ!」
鼻を摘んだバンビが馬車に乗り込み、いきなり抱きついてきた。
「モンジは死んじゃダメだから。いっぱい寝んねして、寝んねして!」
「寝んねって、赤ちゃんじゃあるまいし……」
鼻を摘んでる所為で、ヘンテコな声のバンビが俺に赤ちゃんプレイを要求する。
「だって、与一郎がいっぱい寝ると治るって言ってたもん」
「そうだな。色々あったし、寝不足だったんだろうな。だから、グイグイ押すなって」
「いいから、いいから。ささ、横になって。夕飯もあたしが持って来てあげるから。早く寝んねして」
アレコレ世話を焼きたがるバンビに、心が痛む。
「……あのさ、ちょっといいかな。……さっきはゴメンな。あんな言い方をして……。いきなり付き合ってるって言われて、動揺してしまって。……お前を傷つけたんなら謝りたい。本当にゴメンなさい。すいませんでした」
「……いいよ、別に。……モンジが倒れて分かったから。……モンジが元気ならそれでいいって」
う〜ん。これはこれで嬉しいけど。根本的な解決になって無い。みんなの誤解を解かねばならんのだ。とどのつまり、本人から。
「あのさ、いっこ質問していいかな?」
「うん、いいけど……」
「えっと、俺ってバンビの何なの?」
俺自身、最低の質問だって解ってますとも、えぇ。
「……旦那様」
声がちっちゃくて、良く聞こえんかった。
「え、え、ゴメン。もっかい言って」
俯くバンビに耳を傾ける。
「……旦那さまっ!」
耳元で大声を出されて、目ん玉チカチカさせながら仰反った。
「お、俺、バンビの旦那なの!?」
「そう! あたしに求婚したくせにっ!」
何を言ってんだ、こいつは!
「あ、え、ゴメン、記憶に無い。え、え、いつ、いつ俺、お前にプロポーズした!?」
「酷いよっ忘れるなんて! 出会った日にオデコにチュッてしたじゃん! セルフィス教では結婚して下さいって意味なんだよ!」
……知らんがな。
「あー、えー、俺ってば、セルフィス教徒じゃ無いし、関係無くないって事で、テヘヘ」
努めて可愛く言ってみた。
バンビちゃんの眦がみるみる吊り上がってゆく。白髪が逆立っていく。全身がワナワナ震え出し、そして……。
「ガーッ! いっぱい尽くしたのにっ、兄弟とママも捨ててきたのにっ、好きだって言ったくせにっ、一生一緒に居てくれるって言ったくせにっ、あたしの裸も全部見せたのにっ、ガーッ!!」
噴火したみたいに脳天から煙を出すバンビちゃん。
俺に馬乗りで、腕をグルグル回して襲いかかって来る。
「おい、落ち着け! な、バンビっ、後で飴ちゃんあげるから!」
「ガーッ! ───────────ッ!!!」
訳の分からない事を叫ぶバンビに、全身ボコボコにされる。
「なにっ!? どうしたの!」
異変に気づいた絹さんが駆けつけてくれました。
「バンビ、何やってんのよあんたっ! やめなさいッ!!」
首根っこを掴まれ俺から引き剥がされるバンビ。今度は絹さんに噛み付く。
「ガーッ! うっさいブスッ! 離せっ、離せよブスッ!」
「はあ? 誰がブスだって! ……あんたはやっぱり、本気でシバかないと分かんないみたいねえ」
── ッッゴン!! ぎゃんっ!
瓦割りみたいに。
電光石火で絹さんのカミナリ、もとい強烈なゲンコツがバンビの頭上に落っこちた。
「う、うぅぅ……」
涙目で頭を抱えるバンビがうずくまる。
「モン吉に何をされたのかは解らないけど。ともかく話しを聞くから、二人共表に出なさいっ!」
俺がやらかした前提で話す絹さんが癪に触る。
二人の首根っこを掴む絹さん。
罪人の如く、俺とバンビは半ば強引に引きずられる。それで皆さんのいらっしゃるテーブル席に座らされて、晒し者にされた。
「絹さん、どうしたんですか!? モンジさんとバンビちゃんを引きづって!」
アタマを片手にモモが、オメメくりくりさせて驚いている。
「こいつら、馬車の中でケンカしてたのよ。頭を冷やす意味でも連れ出してきたの」
「……はぁ」
心配そうなモモの溜息。
横を見れば脳天をさするバンビが唇を尖らせている。
「……それでモンジさん、何があったんですか? ゆっくりで構わないので、話して見て下さい」
「……えっとぉ。なんちゅうか、俺とバンビのお付き合い疑惑の話しなんだけど──」
要点だけを掻い摘んで皆さまに説明をしました。恥ずかしいので、お口にチュウの話しは抜きで。
「えー、つまりは、モン吉の家に伝わる幸運のおまじないをバンビが求婚と勘違いした訳ね」
「……なっ!」
バンッ! とテーブルを叩いてバンビが立ち上がる。
すぐさま抗議しようとするも、絹さんが拳に息を吐き掛ける姿を目にして、腰を落としてしゅんとなる。
「そうですねぇ。モンジさんはセルフィス教徒ではありませんからねぇ。知らないのも仕方が無いですよねぇ。この求婚も無効になりますよねぇ」
どこか嬉しそうに、だけど笑みを押し殺したモモが微妙な表情で語る。
「ふぅ。結局これは、モンジさんの日頃の行いが招いた結果じゃないですか? 誰にでもいい顔をする八方美人的なゲスいやり口で。疑いは全て晴れたとは言い切れませんが。一応の決着と言う事で、いいんじゃ無いですか。僕的には、モンジさんはてっきり幼女趣味のド変態かと思いましたよ。やれやれです」
「な、なんだ。どい、ふ、ふ、フラれたのか?」
与一郎の言い草とおでんの天然っぷりに向っ腹をたてながら、気になっていた事をモモに聞いてみた。
「……でもさ、何でモモが知ってたの?」
「えっ、本人に直接聞きましたから。『近々結婚します』って」
手に持つアタマの丸っこい部分でモモは、バンビを指す。自ずと皆んなの視線がバンビに集中する。
バンビのとんがった唇がピクピク動いている。何かぶつぶつ呟いていようだ。なので、バンビに耳を近づけてみた。
「……だって、モモに取られたら嫌だもん。モンジはあたしのだもん。モンジとモモは仲いいもん。モンジはあたしのだもん。モモは何でも出来るからあたしじゃあ敵わないもん。モンジはあたしのだもん……」
もんもんと念仏のように唱えるバンビが痛々しく思えてきた。だからか、俺はバンビの盾となり、皆んなの視線を遮った。
「あー、ゴメン。バンビが悪いんじゃ無いんだ。全部俺が悪いんだ。軽はずみな行動を取った俺の責任だ。バンビは被害者で俺が加害者。この話しはそれでお終い。……ダメ、ですか?」
皆さまに訴えかける。
「……まぁ、あんたが誰とくっつこうがわたしには興味の無い話だし。旅に支障が無ければ文句も無いわ」
「モンジさんの奇行も、今に始まった事では有りませんしね。これに懲りて以後謹んで頂ければいいので」
「どい。お、お、女の子を泣かせちゃ、イ、イケナイ」
最後に厳しい表情のモモが唇を開く。
「……モンジさんがそれでいいのなら、モモは何もいいません」
概ね皆さまの誤解が解けてホッと胸を撫で降ろす。次にバンビの頭を撫でて、彼女に優しく喋りかけた。
「あのさ、バンビの事は好きだよ」
「……えっ」
バンビは一瞬、驚いた様子を見せた。
ややあって、おっかなびっくりで俺の手に自分の手を重ねてくる。
俺は口元をほぐして、重なったバンビの小さな手を見つめて話しを続けた。
「……でもさ、お前はまだちっちゃいじゃん。お前は大人になったら絶対美人になる。俺が保証する。だからさ、俺なんか辞めとけ。多分だけど、俺なんかより凄いイケメンがお前に群がってくるから、そしたらバンビも本気で好きな男を選べばいい。だから、そんなに焦んないで、俺とはこのままの関係でいようよ。……なっ、これでどうかな?」
重なる白い手に力がこもる。
「……大人になったらお嫁さんにしてくれるの?」
「……あー、うん。て、アレッ、バンビちゃん話を聞いてた?」
「大人になったら、あたしをお嫁さんにしてくれるって話でしょ」
アレレ。
…‥やんわり断ったつもりが、回りくど過ぎて通じなかった?
あのぅ、誰かぁー、この子の目を覚まさせおくれぇ。
絹さんに助けを求めるも知らん顔をされ、与一郎に目を向けると呆れられ、おでんは満足気に頷いてモモは不機嫌な顔を晒す。
……アレレレ、俺なんか間違った?
混乱する俺の右腕にバンビが縋りついてくる。
バンビ……。
正直、俺はこの子が好きだ。
兄弟といるみたいに楽しいし、何でも話せる。
ずっと一緒に居れたらと本気で思う。
だけど俺にはもう、心に決めた人がいるんだ。
俺を諦めてもらうには、それが一番いい。
「……あのさ、実はもう俺には──」
「モンジしか居ないの。あたしにはモンジしか……」
そう言ってバンビは、しがみ付く腕に力を込める。
ぴったりと俺にくっつく。
普段は見せた事のない彼女の弱々しい姿に俺は、何も言えなくなった。
「今だけだよな……」
自分いい聞かせるように一人言を呟いて、気持ちをリセットする。
若気のいたり。
時が来れば諦めてくるだろうと。
そんな邪な気持ちで俺は、バンビの気持ちを保留にしてしまった。そして普段の俺を装う。
「なあ、俺なんかの何処がいいんだ。何の取り柄も無いこんなチンチクリンのさ。正気を疑っちまうよ……」
「……全部だし。モンジはチンチクリンじゃないし……」
嬉しい事を言ってくれるぜ。
そんなバンビの顔が見たいけど。
俺の目線からは、バンビのタンコブしか見えんな。
「全部って。自分で言うのもなんだけど、俺なんか欠点だらけの……!?」
……んん、ちょっと待てよ。そんならバンビは俺の婚約者って事になんのか?
それは困る。
非常に困る!
このままじゃ、イエ姉に合わせる顔がねぇー!
モンジの心の叫びは胸の中で何度もバウンドし、
彼自身のチキンなハートを痛めつける。
苦しくなったモンジは、堪らず吐きだしていた。
「オーノーッ、ヨウコはジョンの嫁ええー!」
全く関係ない事を絶叫していた俺は、またまた意識を飛ばしてしまった。
ありがとうございました。




