灰色の世界
よろしくお願いします。
その日村は騒然としていた。
西方、彼方にそびえる雲上岳が遂に噴火したからだ。
火山の様子を眺める村民達。
この村に建つ十数軒ある荒屋からは村人のほぼ全員が通りに出て、恐怖に顔を歪めている。
そんな中。
村の入り口手前にお地蔵様が置かれている。
そのお地蔵様の横に突如として現れた二人組にいた。白い少女と、牛ほどの体躯の巨漢が何もない空間に現れたんだ。
「っひい!」
たまたま近くにいた老夫婦が驚愕する。右手を伸ばして切ない表情を浮かべる彼女の気持ちなんか、誰も知らない。
「── ンジッ、モンジッ、モンジッ!」
モンジが行ってしまった。
あたしは隣りの村に飛んでいた。
彼をひとり残してきた。
なんで、どうして……。
空の右手を突き出す少女は、その端正な面差しを悲痛に歪める。まだ温もりの残るその右手を強く握りしめて、彼女は西の空を見上げた。
「……あたしの所為、なの」
自らの行い攻める彼女。
自分の発言が彼を死地へと駆り立てた。
解っていたクセに、解り切ったことなのに。
彼はそういう人なんだって。
気付けば視線は地に落ちていた。
視界の隅に腰を抜かした老夫婦を見つけて彼女は、慌てて駆け寄る。
「ビックリさせてゴメンなさい。大丈夫ですか──」
「ひいっ! ば、化け物!?」
「痛っ!」差し伸べた手を振り払われてしまった。彼女の右手に引っ掻き傷がつく。
「こいつだっ、この白い化け物の所為だっ! こいつがお山を怒らせたんじゃっ、ひいーっ! 悪い御告げじゃあーっ! ひぃーっ!」
散々叫んだ挙句。
気が動転している老夫婦は、四つん這いになりながらも逃げてゆく。
騒ぎを聞きつけザワめく聴衆。
村人達の畏怖を湛えた白い目が、残された少女ひとりに突き刺さる。
「……化け物、白い化け物。……あたしの所為」
何度も聞いた台詞だった。
何度聞いても、嫌な台詞だった。
色濃く影を落として少女は、村の入り口で立ち尽くす。
伸ばした腕を垂らして俯き、前髪で顔を隠してしまう。
「……バ、バ、バンビ。き、気にすんな」
彼女を思いやり優しく微笑み掛けるおでん。
少女のか細い肩にその大き過ぎる手を置いた。ゴツゴツした彼の手は強くて暖かい。
「……お、お前は、化け物、化け物じゃ無い。む、む、むしろ。おで、おでが、おでの方が化け物だ」
否定してくれる彼に、バンビは顔を晒す。
彼女は円な蒼い瞳に、溢れんばかりの大粒の涙を溜めていた。
「……あたし、慣れっこだったのに。小ちゃい頃から、いっつも言われて、慣れてた筈なのに。……あたし、なんで涙が出てくるの?」
スーと、彼女の白い頬に涙の跡が伝う。
彼女自身、感情のコントロールが効かない様子だった。
おでんは頷き、細めた目は優しく弧を描く。そして静かに語り掛けてきた。
「バ、バンビも、わ、解ってる筈だべ」
おでんの問いに一瞬、躊躇う仕草の彼女。
「……モンジ、なの?」
おずおずとしながら出した答え。
「バ、バンビが、そう、そう思うんなら、そうなんだべ。お、おでも、おでもどいに、どいに会って変わったべ」
「モンジに会って、変わった……」
嬉しそうに、ともすれば満足そうに頷くおでん。
「お、おで、兄貴以外、兄貴以外どうでも、どうでも良かった。だ、だけど、だけど人が、人が好きになった。誰か、誰かを好き、好きになると。こ、こう、胸の真ん中、真ん中らへんが熱くなる。き、気持ち、気持ち良くなる。ど、どいが、どいが教えてくれた」
ニコッと前歯の欠けた愛嬌のある笑みで、彼は自らの想いを語る。最後にバンビも同じだろって、おまけを付けて。
そうかも、いや、そうなんだ。
あたしもモンジと出会って変わったんだ。
乾いた大地に雨が降るみたいに、空っぽだったあたしの心が何かで満たされていく感じ。
あるいは本来の自分を取り戻したこの感覚。
別に嫌じゃない、というより嬉しい。
ただ、泣いたり怒ったり、笑ったりやきもちを妬いたり、悔しがったりイジ悪したりと色んな感情が湧いてきて、あたし自身かなり戸惑っていたんだ。
── モンジがあたしを変えたんだ。
あたしはあたしが嫌い。
だから、変わりたかった。
あの人と一緒に居れたらあたしは……自分を好きになれる気がする。
旅装姿のバンビ。
連戦、連闘ですっかり薄汚れてしまった縦縞の袖で涙を拭う。
そうすると……暗い彼女もあら不思議、映画の大魔神のように表情を一変させた。
もうそこには、無感情な少女の面影はひと欠片も残ってはい無い。逆に、愛らしい野に咲く花のような美しい少女が、そこにいた。
そんな彼女が鋭く瞳を吊り上げる。迷いなど微塵も感じさせずに。
「あたしっ、モンジを迎えに行ってくるっ!」
「うん。そ、そうだな」
「あたしの所為だから。あたしがモンジにあんな事を言ったから。あの人は優しい人だから、だからモンジは残ったの。……あたしが連れ戻す。あの人は誰でも救いたがるおバカちゃんだから、あたしが側に居ないと死んじゃうの。……あたしは勇者だからねっ、あたしがモンジを救う、でしょっ、ふふふ。……あとぉ、おでんはこの村でいい子にしててねっ」
少女は楽しそうに言うと、踵を返し走り出す。
心無し浮かれた様子で駆け出す少女におでんは、眩しそうに彼女の華奢な背中を見送るだけ。
「お、おでの、こ、この足だと。あ、あ、足でまといだから……」
若干、悔しさを滲ませておでんは呟く。
「お、おで、不甲斐ない。だ、だども。バ、バンビなら、あの子なら。ど、どいも安心、安心だべ」
バンビに信頼を置くおでん。
そう言い残すとおでんは、受け身も取らずに前のめりで倒れ込んでしまう。
長時間にも及ぶ不死人との戦闘で、流石の彼も体力の限界を超えていた。
地面を陥没させる程オデコを強打した彼。にも関わらず、彼は大いびきをかいてそのまま熟睡してしまった。よっぽど疲れていたらしい。
周りで遠巻きに見ていた村民も、呆気に取られていた。
♢♦︎♢
噴火は続いてはいるものの、幾らか勢いを弱めた火山に多少の希望を抱く俺。……でも。
「う、う、きぼち悪いのだ……」
安堵に胸を撫で下ろすも、海よりも青い顔で込み上げてくるキラキラに耐えておりますです。はい。
ヤックルに跨がり、勇気りんりんで火山に向かった訳だけど。
いかんせん。こいつのハッチャケ走りっぶりに、翻弄されている次第で御座います。
例えるなら、エンドレスでロデオマシーンに強制的に乗せられている気分。
もしくはシェイカーに注がれ、カリスマバーテンダーにノリノリでシェイクされてるカクテルの気持ちってヤツ?
要は縦揺れが酷すぎて最悪だったって話さね。
もう俺、ヤックルには二度と乗らない。そう心に決めた一四才の夏でした。
だが急いでる現状、今だけは我慢して乗ってやる。俺は次男だからな、きっちり弱音を吐くんだぜ。
首をガックンガックンさせながら、先を急ぐモンジとヤックル。
噴石が降る中、前方にぶつかり合うむさ苦しい集団を発見する。
「……何だありゃあ。……忍者か?」
たぶんだが、あの忍者集団が村から避難して来た人等を襲ってるっぽい。
クソ野郎共だなあいつら。だだでさえ俺等に迷惑かけて、ここでも好き勝手暴れてやがる。碌でもねぇ奴等だな。
モンジの勘違いは継続中。
助太刀したいところだが……。
ためらっちまう。数百人規模の戦闘に俺ひとりではと、諦め掛ける。
どうする。
ヤックルは真っ直ぐとその戦場へと向かっている。
どうする俺。
迂回してやり過ごすか?
ヤックルごと突っ込んで、めちゃくちゃ暴れて避難民を逃す手もある。
どうすんだよっ、俺っ!
腰には小刀、帯には煙幕と黒の式神とパチンコ、右手にはモモのお守りつき。
いつものお助けアイテム、閃光弾は使えん。避難民まで巻き込んじまう可能性がある。パチンコも然り、騎乗中に敵だけを狙う自信が無い。煙幕も着火タイプで、まず火が無い。
そうなると使えるのは小刀と、あとは黒の式神。
心許ないのはいつものこと。……答えなんか決まってる。何の為に此処にいるんだって話しっ!
── 迷わず突っ込むしかねぇだろっ!
俺は目尻を尖らせ覚悟を決めた。
「ヤックルさんっ。このまま真っ直ぐで、おねしゃすっ!」
巨鹿の首をポンポンしながら頼んだ。
この何気ない行動が、ヤックルにとって何かしらの合図とも知らずに。
俺を一瞥したヤックルは「エェー!」とひと鳴き。
すぐに前を向き、首を真っ直ぐ伸ばす。
グングンと加速していく巨鹿。
ヤックルの異変に気づくも、それも後の祭りで。
巨鹿は体制を低くし、跳ね走りを更に加速する。もはや地面スレスレを飛んでいるような感覚を覚える。
「ちょ、ちょ、ちょっ!」
人蹴りごとに内臓を突き上げる振動。
ヤックルは大地を蹴りつけ、周りの景色を置き去りにほぼミサイル状態。
俺はケツを浮かせながら、首にしがみ付くのがやっとの有様。
集団が眼前に迫るっ、ぶつかるっ! その刹那。
トーンと、天高く跳躍したヤックルさん。
ついでにちんまい尻尾を持ち上げ、フンの弾丸を放出する。巨鹿は夜空に放物線を描いて、文字通り飛んだんだ。
「ヤックルさん……。う、う、うぇ」
散々シェイクされた俺の内臓。
巨鹿の強烈な踏切の衝撃が、俺の胃袋に追い討ちをかける。ストッパーは破壊された。もう、後戻りできない。
「── お、おぇ。おええええええっぶ!」
マグマの噴出で赤く染まる夜空を、黄金色の鹿と俺の吐瀉物と涙が煌めいていた。
もう限界でした。すんません。
だけど、戦場をひとっ飛びして分かったぜ。こいつ等の正体がさ。
「ん、なんか酸っぱいぞ。酸性雨か? 酸性雨が降って来たぞっ!」
集団の誰かが騒ぎ出す。
一時、膠着状態の暴れん坊達。
すんません。それってば、俺のゲロリンッす。すんません。
吐いてスッキリしたワタクシは苦笑い。
華麗に着地をして見せた巨鹿は、そのまま火山へとまっしぐら。
止まらない。
止まる気なんてさらさら無い。
何故なら、空跳んで、キラキラしてた時に確認したからな。
こいつら武士同士でやり合っているだけだから。間違っても避難民ですら無い。
普通に戦の最中、ただの小競り合いだった。なんら俺には関係ないし、関わりたくも無い。死ぬなら勝手に死に晒せ。
俺は戦争なんて嫌いなんだっ!
でも何で。何で、ここで戦なの?
疑問が湧いてくるが、今は無視する。
目的である人命救助を最優先とする。
こういう時は時間との勝負だって聞くし、もとより戦なんぞにクソ興味も無え。
「勝手にやってろ!」
俺はヤックルの横腹を蹴って、先を急いだ。
一方、戦の真っ只中では。
「っらぁ! ……あの餓鬼、生きてやがったのか!?」
戦場にて鎌で敵兵を斬りつけ、そう言葉を吐き捨てたのは巳波だった。
「チッ! 再度、女もろとも全員殺せと指示してきたんだが……。まあ、いい。あのクソ餓鬼はワシがこの手で引導を渡してやる」
倒れゆく敵兵を蹴たぐり、苦渋に満ちた表情を見せていた巳波は、次に愉悦に顔を歪める。
「おいっ! 貴様等、あの餓鬼を追うぞっ! 着いてまいれっ!!」
「「は!」」
巳波の号令に二十数名の『霧隠れ』の面子が応答、戦場を後にする巳波について行く。
「クッ! 巳波めが、勝手な真似を!」
「ワシ相手に余所見はご法度ぞっ! ムンッ!!」
苦言を呈す百地に、緒方の直槍からの高速突きが炸裂する。
瞬時に身を翻す百地。
蝶のように舞ながら、両手に装備した鉤爪で緒方の突きを制する。
侍と乱破衆の戦である。両軍一進一退の攻防を繰り広げていた。
だがしかし、公寛直下の部隊も精鋭揃い。
徐々にだが百地率いる乱破衆に綻びが生じてきた。百地軍は苦戦を強いられてゆく。
「クソが! 思いの外やりおるわい」
苦悶する百地が渋面を晒す。
抜けた二十数名の穴は予想よりも大きい。戦況は侍軍団、公寛側に傾きだしていた。
「一気に押し切るぞっ! 乱破衆なんぞ恐るるに足らんっ! 武士の底力を見せてやれっ!」
「「オオオオオオオオオオオオッ!!」」
ここぞとばかりの公寛の檄に、陸之領精鋭騎馬隊が呼応する。その勢いは一気呵成で乱破衆を呑み込まんとした。
息を吹きかえした公寛軍は怒涛の猛攻をかける。
勢いを増す精鋭部隊にバタバタと倒れゆく乱破衆。この現況を目の当たりにして百地は、怒髪天を衝く思いで決断を下す。
「クソッ、クソッ! 散開しろっ! 撤退っ、撤退じゃっ!!」
敗戦必須の旗色に辛抱堪らず、撤退命令を下した。
百地の合図に、瞬く間に蜘蛛の子を散らすよう忍び集団は四方八方へと飛び散る。豪将緒方と対峙していた百地もまた、地面に煙玉を投げつけその姿を消し去る。
「ムム、ぬかったわ。ワシとしたことが、大将首を取り損なったワイ! ガァッハハハハッ!」
ケムに撒かれた緒方は豪快に笑い、ついぞ馬上にて戦況を見つめる主君公寛の元へと駆け寄る。
「殿っ! 大手柄ですな、初陣は大勝利ですぞっ!!」
声を張り上げ壮快に笑う緒方に対して、やわら下馬した公寛は浮か無い表情だ。
「ふんっ、ワシの力では無いわ」
苦々しく語る公寛に、髭を弄りながら緒方はズイッと近づき胸当てをワザと当てる。
コツンッと音を鳴らす濃紺と銅色の甲冑。
端正な公寛の願前に、鼻先が触れ合う程に虎髭面をくっつける。
「な、なんだ。文句でもあるのか?」
「……殿。己を知り敵を知り、冷静に状況と戦況を見極める者こそが、真の大将ですぞ。ならば我が主君は、真に秀逸な主君である。違いますかな?」
ギョロリと目を剥いて睨みをきかす緒方に、公寛も負けてはいない。鼻っ柱を当てて鋭く睨み返す。
「ふん、ほざけ。優れた将など、この国に五万とおるわ。……だが、我が国最強のお前が言うなら、まぁ間違い無かろう」
照れ臭そうにこう漏らした。
「如何にも、我が国最強のワシが太鼓判を押しておるのだ、我が主君は最高の主君ですぞっ! ……ブフッ、ガッハハハッ!」
緒方の豪胆な笑いに毒気を抜かれる。
公寛は年相応の好青年らしい爽やかな笑みを浮かべていた。そして再度愛馬に跨がり、気品を纏い直して、こう宣言した。
「この戦、我が軍の勝利ぞっ! 我が軍は五万の軍勢を蹴散らしてやったぞっ! 我が国は神に守られておる最強の国ぞっ!!」
「「オオオオオオオオオオオオッ!!」」
愛刀を夜空に突き刺し勝鬨をあげる公寛。
彼らしい気高い高潔なその姿に、共に戦った家臣達も刀を振り上げ共鳴する。
「よしっ。これより我が軍は速やかに帰城するっ! 我が国の戦死者は全て連れ帰るぞっ、よいな、全員連れ帰るからなっ! 緒方っ、ヌシは近くの村に数名を引き連れ残留しろ、して火山の状況を逐一ワシに報告しろっ! では、急ぎ作業にかかれっ!」
「「オオオオオッ!」」
急ピッチに遺体の回収を進める家臣達。
公寛は馬を駆り、側近であった田上の遺体へと近寄る。
憂いを帯びた目で彼を見下ろすと、静かに下馬。
慈しむように彼の遺体を抱き上げる公寛は、物言わぬ彼に思わずこんな言葉を漏らしていた。
「……父上の言う戦の無い世界なんぞあるものか。田上、ワシは貴様に誓うぞ、我が国は富国強兵を目指す。父上の理想とは真逆に梶を切ってやる。……田上よ、貴様の死はワシにとって、いい教訓となったわ。なぁ、ワシをあの世から見守っていてくれよ」
顔を潰され誰とも解らぬ旧知に向けて、公寛は本心を覗かせる。馬上に彼の遺体を乗せてフと、上空を仰いだ。
その目には、未だドス黒い煙を延々と吐き出す火山、継続していた噴火噴流を続ける雲上岳が映る。
「……力には、力のみなんじゃ」
厳しい表情でそう吐き捨てる公寛は奥歯を鳴らす。
やわら騎乗し、帰還準備の整う短い時間さえ惜しんで、強固な国造りの為に新たな政策を練り始めるのであった。
♢
ここは灰色の世界だった。
三十分以上かけて、歩いて辿りついた先がこの有様。
言葉を失う。
にわか知識で俺は、雲上岳の麓まで来ていた。(決して良い子はマネしないで下さい。マジで死ぬから)
ヤックルは来る途中に置いてきた。
川っぺりのお地蔵さんがいたところに。
仕方なかったんだ。
腐卵臭というか、温泉臭というか、そんな匂いが濃くなっていたから、火山ガスも危険だからね。
早めにバイバイしてやったよ。
高濃度の二酸化炭素や硫化水素を警戒したからに他ならない。仕方がない。まとも食らうと人なんて、すぐに死んじまうから、鹿にも悪いだろ。
改めて見上げると、粉雪のように舞い散る火山灰に、東北の豪雪地帯を連想してしまう。
足元も深雪のようにふかふかしている。
後ろを振り向けば、俺の足跡だけが続いている。
なれど、これは雪じゃない、灰なんだ。
マスク必須は当たり前、なければ俺はデッド、ゲームオーバー。無ければ作ればいいやん。
と、そんなところで、マスク代わりにフンドシのびろ〜んを活用しているのは、言わずもがなで。
マスクは当然湿らせてある。
多少でも不純物を防いでくれればと、単なる浅知恵だ。もちろんマスクを湿らせた水も、巾着袋に突っ込んでいた水筒の水を使用。
川の水なんて何が混ざっているか分からんから使う気にもならんかった。
下手に使って腹を下した日にゃあ、バンビに下の世話をされかねんからな。
それだけは嫌だからな。
そんなん喜ぶのは、酸いも甘いも超越したオッサンだけだろ。しかも高い金払ってプレイとしてな。
俺はあの子に証明せねばならんのだ。俺の尻穴はダイヤモンドよりも硬いって事をな。男のプライドに賭けて。
俺は歩く。
……やけに蒸し暑い。
汗で灰が体に引っ付く。
肌がピリピリする感覚を覚えるが、ガン無視する。
元河原だった道をてくてく進む。
もとより川はもう無い。
ヤックルとお別れしたら辺から、水の流れは止まっていた。灰が積もる以前に、とっくに川は何処かで堰き止められ干上がっていたと推測する。
息苦しい。
目がゴロゴロする、痛い。
頭がボーとしてきた、酸欠? ガスの影響? 分からん。
それでも幸いな事に噴火も幾らか収まり、雲上岳は小康状態を保っている。
こんな状態で生き残りなんて、果たして居るんだろうか。
捜索活動が辛すぎて。
山鳴りを聴きながら、俺はそんな事を思っていた。
足元がほんのり明るい。
不思議な事に、厚い雲に月も隠れているのに積もった灰がぼんやりと光りを放っていた。
ほんのりピンク色。
灰にガラスの粒子でも混ざっているんだろうかと、憶測する。マグマの色が反射してる、みたいな。
ここいら一帯だけピンクの照明が当たっているようにも見える。
ピンクの照明と言えば、ハゲヅラのカトちゃんを思い出す。
ムーディーな音楽と共に「ちょっと、だけよ」の鉄板ギャグ。腹が捩れるほど笑ったっけ、ハハ。
……頭がいたい。
記憶が曖昧になってゆく。
カトちゃんとデッカちゃんの区別がつかなくなってきた。
赤髪のおかっぱって、カトちゃんだっけ、デッカちゃんだっけ。
正直、どうでもいい事にこだわり出す。
カトちゃんとデッカちゃんが頭の中で攻めぎ合う。
最終的にデッカちゃんがカトちゃんを追い出した。脳内デッカちゃんだらけだ、ハゲヅラと赤髪のデッカちゃんが所狭しと俺の脳内に蔓延る。
最高に気分が悪くなってきた、もう一丁ゲロリンパでもしとこうかな?
そんなボヤけた思考を巡らせながら俺は歩を進めた。
暫く進むと。
コツッと、足先に硬い物がぶつかる。
視線を落とすと……岩?
目の痛みに薄目だった俺には気付けなかった。
正味、一メートル先も見えていないんだ。
目を凝らすように更に目を細め、岩を下から舐めるように見上げてゆく。
「は、は、はあ? 何だこれ!?」
岩だらけ。
そう、そこには川を堰き止めた原因、岩なだれの跡が確認出来た。
山間を繋ぐように大岩が幾つも重なり合い、高い壁を出来ていた。重く威圧するような感じで、巨大な天然のダムがそこにそびえていたんだ。
「……なんそれ」
気の抜けた言葉を吐いて。
俺は腰砕けで、座り込んでしまった。
苦労して辿り着いた先に絶望してしまった。
「……こんなもんが邪魔してたら、逃げれる訳がねえだろ」
心も折れ、意気消沈している俺に更なる仕打ちが見舞う。
天然のダムを伝うように、ドロドロの溶岩流が流れてきたんだ。されど流れは決して速くは無い、小走りで逃げれば問題ない。そう思った矢先の事だった。
「……すけて。……助けてくれ。……頼む、たすけ……」
か細い声が俺を引き止める。
生存者がいたんだ。
耳を澄ませば、川の流れていた辺りから聞こえていた。
レスキュー発動!
俺はかぶりを振って、ボケた頭を覚醒させる。すぐさま救助に向かった。
「おいっ、しっかりしろっ! 助けに来たぞっ!」
要救助者は裸で太ったオッサンである。
ダルダルの尻を丸出しでオッサンは右足を岩に挟まれいる。うつ伏せのまま動けないでいた。
「おい、オッサン。ジッとしてろよ。今、岩を退かしてやるからっ!」
俺はオッサンの足元を見て驚愕する。
そこには直径一メートル以上もある大岩に挟まれたオッサンの右足を確認したから。
地面と岩に挟まれたオッサン。
上を見上げれば同じような大岩が幾つも重なり、天井すら見えない。
岩を蹴ってもびくともしない。
小刀で削ろうにも、大岩相手では刃が欠けるか折れて終わるかが関の山。背後からはじわじわと溶岩が迫る。焦る俺、どうする。
「……小僧。ゲホッ、ゲホッ、はぁ、はぁ、はぁ、その刀でワシの足を切断してくれ。ッゲホ、ゲホッ、それしか無い」
は? 何言ってんのこのオッサン。
「そんな事、出来る訳ねえだろっ!」
「……ッゲホ、ゲヘッ、はぁ、はぁ、それしか方法は──」
「うるせえっ! 黙ってろっ!!」
考えろ、考えろっ、考えろッ、考えろぉッ!
ピーン、閃いたっ!
押してもダメなら引いてみろだ。
岩がダメなら──ッ!
俺はがむしゃらにオッサンの足元の土を掘った。土と言っても元々川だ、ほぼ砂利だ。爪が割れようが、血が飛び散ろうが関係無い、俺は砂利を掘りまくった。
掘っても掘っても大岩はオッサンの右足潰してくるだけ。
「んがぁああああああああああああっ!」
少しだけだか、隙間が空いたような気がした。
「オッサンッ、死にたくなきゃあ、自力で飛び出せっ!」
「ンゴォオオオオオオオオオオオオッ!」
俺は掘って掘って掘りまくる。
オッサンも両肘をついて抜け出そうと必死だ。
上等だぜ、俺の最速の犬カキを見せてやるっ!
「グオオオオオオオオオオオオオッ! モヒイイイイイイイイイイッ!!」
顔中、体中、灰と泥だらけにしながら俺は、超高速犬カキをお見舞いした。
「ぐはっ!」
勢い余って転がるオッサン。
踏ん張るオッサンの甲斐もあって、なんとかスポンと見事に右足は抜けてくれた。
「やったな、オッサンッ!」
泥だらけで人相も分からない俺は、黒い歯を見せて笑った。マスクはどっかいっちゃったんだよねぇ、もう最悪。
「……小僧、助かった。ワシは田上坂寅という者じゃ。……して、お主の名前を聞かせて貰えんか?」
田上坂寅? 知らんな、誰だテメェ。それより金玉晒して何言ってんだ。こいつ、頭おかしいんか?
「………」
言い淀む俺。
「是非ともお礼がしたいのじゃ。褒美を取らせたい。……頼む、教えてくれ」
ハゲ散らかった頭に、クマだか何だか分からんが目の周りが黒い悪人顔。でっぷりした腹に、両足を投げだした格好で座る擬人化したタヌキみたいなオッサン。
俺の視線は自然と、腹の下、足の間のお股の部分を注視していた。
だってねぇー。
玉袋超デケーもん。
信楽焼のタヌキみたいだもん。
しかも何が褒美を取らせたいだよっ、偉そうにっ!
三歳の頃からチンコ弄りが趣味ですって顔しやがって。益々怪しいぜ、この金玉オヤジ。
だけど、名前、名前って五月蝿いので、一応名乗りましたよ。
「ワレハ、劉備玄徳トモウス。ヨロシク、タモレ」
平気な顔して偽名使ったぜ。ハァッハァー!
ワレワレハ宇宙人ダっぽく言ったしな。
これでいつ何時、俺だってバレないだろう。
ダブルセキュリティってヤツだな。
ちなみにこの名前は俺の好きな三国時代の蜀漢、初代皇帝の名前なんだけど。
この名前なら使ってもいいかなって、劉備様は義の人だから許してくれんだろって、俺なりのチョイス。
燭縛りでいくと、趙雲子龍でも良かったんだけど、名前が格好良すぎてな。
しっかし、誰が怪しさ満点の金玉オヤジなんかに、素直に個人情報なんか渡せるかってえのっ。舐めんなよ、このバカチンコのデカちんこ。
たくっ、みんなも変なヤツには気をつけろよ、個人情報は大事だからなっ。困ったら、迷わず他人を名乗るようにっ、いいね!(いや、アカンやろ)
ありがとうございました。




