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〔墓守り紋次の物語〕  作者: 猫屋敷 中吉
72/122

見せ物

 よろしくお願いします。


 モンジ達が怪我人を連れて教会の裏手に向かった頃。


「き、絹。こ、こ、声がする」


 地獄耳のおでんが不審な声に反応していた。

 馬車の中で荷物の整理をしていた絹に、仏頂面のおでんが囁く。


 なんのこっちゃと、荷台から顔を覗かせて絹は訝しむ。そしてフンッと、鼻を鳴らして。

 

「……どうせ、あのバカが教会で騒いでるんでしょ。無視よ、無視。地震もそうだけど、山賊だっていつ襲ってくるか分からないんだから。せめて私達だけでも、急いで下山の準備を進めなきゃね」


 保身の為とは言え、珍しく雑用をこなす絹におでんは、口をパクパクと何度か開閉を繰り返し、最終的には口を閉ざした。


 また二人っきりでの作業が再開される。


 荷物を積み込むおでんが、急にビクンッと体を震わせ直立した。

 

「今後は何?」


「や、やっぱり、聞こえるよ。く、く、苦しそうな声」


 ハァーと、大仰に溜息をついて絹がおでんを見つめる。


「……で、どっち? あっち、そっち、どっちよ!」


 腰に手を置き顎で方向を指す絹。

 投げやりな態度ではあるが、彼女の聞く姿勢におでんの仏頂面も少しは明るくなった。


「の、の、登ってきた。と、峠、峠道の下から。こ、声、声がする」


「……あっそう。じゃあ、あんたはこのまま荷積みを続けてて。……私が見てくるから」


 権高に話す彼女の態度に、おでんが戸惑う。


「あ、危ないよ。お、お、女の子ひとり、ひとりで」


「ふんっ、何しみったれた顔してんのよ。まぁ、イザとなったら私の体術をお見舞いしてやるだけよ」


 両手を前に、右半身で構える合気道の基本ポーズをとる。彼女はニンマリ笑って、おきゃんな一面を体現する。


「……で、でも」


「あー、もー、うっさいわね。わたしは作業に飽きたのっ、仕事なんかしたく無いの、わかったっ! 言わせないでよね、ったく」


 割を食うのはあんただけで十分でしょっと、サラリと本音を漏らす絹に、おでんは衝撃を受ける。目をまん丸にして黙りこくった。


「さてと。じゃあ、おでん。後はよろしくね」


 閉口するおでんの尻ッペタをペチンと叩いて、ロングの黒髪をかき上げ絹は峠道を降りてゆく。


 そんな時、教会から歓声が湧いた。 

 子供達の嬉々たる叫び声が、建物から漏れ出てくる。

 計らずも、同じタイミングで教会に振り返った絹とおでん。続いて視線を絡ませた二人は、どちらとも無く静かな笑みを交わした。


「大事に至らなかったようね。……あのヒョロ眼鏡、やるじゃない」


 独り言のように絹は呟くと、また前を向いて歩きだした。





 ── アレは、何? モンジ……どこ?


 バンビは佇んでいた。

 ここは戦場となった日立峠の麓。

 彼女は戻った先での異変に、目を剥き言葉を失っていた。


 瞬間移動で現れてすぐ。

 眼前に、見た事もない巨大な生き物がいたんだ。


「マ〜〜〜〜ンッ!」


 怪物……。

 大口を開ける巨体生物は狼の死体を丸呑みする。

 肌色でヌメヌメの体表は、陽の光を浴びて七色の光りを放つ。

 体長はおよそ五間(10メートル弱)、胴回りは馬一頭分と、まさに怪物と呼ぶに相応しい。


 大蛇(おろち)、では無い。

 現に目も鼻も無い、こいつには口しか無い。

 ミミズ……そう、ミミズだ。

 想像を絶する巨大なミミズ。

 

 巨大ミミズを目の当たりにしてバンビは、その小さな体を硬直させてしまう。


「マァ〜〜〜〜ンッ」


 不気味な鳴き声で怪物は、次々と狼の骸を呑み込んでいく。


 どうしよう。

 逃げたいけど、まだ無理なの。

 モンジ、どこ、何処にいるの?

 ……助けて。


 彼女の瞬間移動には二つの欠点があった。

 一つは、次に使えるまで四半刻(30分)のおよそ半分(15分)の時間を有するのだ。

 それ故に、移動した先が修羅場なら、この時間の縛りが致命的な欠点となり得た。


 そしてもう一つの欠点。

 チャージを経ても瞬間移動を繰り返し連発すれば、モンジと初めて会ったあの日のように、彼女自身が昏倒してしまう。


 欠点を分かったうえで彼女自身、術を発動する際には護身用の武器(仕込み刀)を携えていた。

 彼女なりに細心の注意を払い移動していた。


 しかし、急を要した今回はその部分が欠落、バンビは丸腰で戻って来ていた。つまりは、飛んで火に入る夏の虫状態。


 そ〜と、後退する彼女。

 視界の隅に、モモの撒き散らしたマキビシが映る。

 丸腰よりはマシ、怪物の足止めぐらいに使えるかもと、すり足での移動を敢行中。


 抜き足差し足忍び足。

 バンビは息を殺して慎重に後退する。


 巨大ミミズを仰ぎ見る。

 分かりきっている事だけど……。

 仮にいつもの仕込み刀を携帯していた所で、相手がこんな化け物では愚にも付かない。

 分かりきっている。

 一周回って笑えてくるぐらいの、規格外な相手である。


「パキッ!」


 少女は落ちていた矢を踏んでしまった。

 一遍に血の気が失せる。

 一回、足元に視線を落として、またすぐに上にあげた。


 奴とバッチリ目が合ってしまった。

 奴には目がないので、その体で。


 ズル、ズルと巨体を這わせ、怪物が距離を詰めてくる。


 怖い、怖くてたまんない。

 背中を向けて逃げ去りたい。

 そんな衝動に駆られるも、たぶん後ろを向いた時点で丸呑みされてしまう。直感で分かる。


 なら、どうする。どうすればいいのっ!


 その間にも、這い寄る怪物はどんどん距離を詰めてくる。

 近づくにつれ、誰しもが生理的に嫌悪感を抱かせるグロテスクな姿が際立ってくる。


 気持ちが悪い。

 胃液がせりあがる。

 おそらく怪物の放つ臭気なのか、異常なまでの生臭さが鼻につく。吐きそうだ。


 思い出したように、懐から鶴の折り紙を取りだすバンビ。

 穏やかな表情を作り、また大事そうに懐にしまう。


 ── あなたに会いたい。


 バンビの顔つきが変わる。

 対峙すると覚悟を決める。

 バンビは両手を前に突き出し、攻撃的にガンを飛ばした。

 ともすれは空間に壁を作ったバツと同じ格好で少女は、全身に力を込めて蒼い瞳を吊り上げる。


 バンビの闘志など歯牙にも掛けず。

 彼女より頭三つ分の高い位置で、閉じていた怪物の口が大きく開く。


 粘膜の糸弾く、赤黒い口腔内が視界を覆い尽くす。吸い込まれてしまいそうな感覚を覚える。

 やっとの思いで奮い立たせた闘志が、ひび割れる音が聞こえた。


「マァ、アアアアアアアアアアアアアア」


 怪物の嘶きに戦慄する。

 嵐の夜みたいに、頭からすっぽり布団を被りたい。


「死んじゃえば……」

 不意に誰かが、あたしに囁きかける。 


「なんで生きてるの?」

 生きる理由を問われる。

 頭の隅で楽になれと、誰かが囁いた。


「なんの為に生きてるの?」

 生きる意味を問われる。

 誰かが、投げ出せばいいと囁いてくる。


「なにをしたくて生きてるの?」

 生きる目的を問われる。

 そんなものは有りはし無いと、そいつが決めつける。

 

 ── お前は誰だと、あたしは問う。

 そいつはすぐに答えをくれた。


 ── あたしは、お前なんだとそいつが答えた。


 足元に散らばるのは闘志の欠片。

 走馬灯のように、自身の不幸な生い立ちが脳内を満たす。惨めな自分が幾重にも重なる。


 このまま終わってもいいかな── 惨めで弱い自分が諦めかける。


 あたしは、あたしで答えをだしたから── 生きる価値の無い、人間だからと。


 死んでもいいや──




 ── 緑色の瞳の少年が脳裏をよぎった。


 泣きたくなった。

 苦しくなった。


 彼の声が聴きたい。

 燻んだ蒼い瞳に輝きが戻る。


 彼とまた手を繋ぎたい。

 少女は鼻に皺を刻み、歯を食い縛る。


 彼に思いっきり抱きつきたい。

 小さな願いを燃やして彼女は、再び覚悟を決めた。


 ──あたしは、モンジと生きたいよ!


 怪物と対峙するバンビ。

 掲げた両腕にありったけの力を注ぐ。

 

「マァアアアアアアアアアアアッ!」


 怪物が嘶き、襲いくる。

 利き足を前に、バンビは術を発動させ──。


「ってい!」


 ペンッ! と間抜けな音が鳴った。

 目にも止まらぬ速さで何者かが、バンビと怪物の間に分け入ったんだ。


 一瞬分からなかった。

 小柄な少年の背中が視界を埋める。輝く白銀の着物が、バンビを現実へと引き戻す。


 怪物を倒したの!? この人が!


 理解が追いつく。

 マオン!とひと鳴き。

 叩かれた怪物が巨体を震わせ静止する。次いで首を竦めておちょぼ口に……目も鼻もないけど、しょっぱい顔に見えた。


「もうっ! ちょおっと、目を離した隙にコレなんだからっ! メッ、メだよっ!」


 バンビの目が点になる。

 怪物相手に紫の扇子を掲げる少年がまるで、親が我が子にするみたいに叱り付けていた。


 高めた戦意が霧散していく。

 張り詰めた緊張の糸が切れてしまう。

 呆気に取られたバンビは脱力とともに、持て余した両腕をだらりと垂らす。


 扇子一本で怪物をやっつけたの?


 俄に信じがたい光景を目の当たりにして、言葉を無くした少女が口を半開きで瞬きを繰り返す。


「ビックリさせちゃったね。ゴメンね。怪我、しなかった?」


 少年はバンビに振り返り、心配そうに不安気な顔を作った。……彼がその場に合わせて、顔を造ったように見えた。


 ズイッと近づく美少年。

 彼の整い過ぎたお顔が目の前にきて、バンビは反射的に仰反る。


 曇りもくすみも無い、つるつるの肌。

 二度見をしてしまう程の美少年である。

 彼は造ったような笑みでバンビを吟味していた。


「君、凄く綺麗な顔をしてるね。真っ白白で、まるで雪の精霊みたい……」


 ホエーと、馬鹿みたいに感心する美少年が、あたしを品定めする。


 ── 子供の頃に散々浴びせられた好奇な目つき。吐き気がする。


「君が……バンビ君、だよね?」


 なんで、どうしてあたしの名前を知ってるの!?

 モンジ達しか知り得ないあだ名で呼ばれ、バンビは戸惑いを隠せない。


 少女の蒼い瞳に黒い影が差し込む。

 白色の柳眉を逆立て、睨みを効かす。

 彼女はその美しい瞳に、警戒色を滲ませる。


「ゴメン、ゴメン。別に君を驚かすつもりも、危害を加えるつもりも無いんだよ僕は……。ただ、君と友達になりたいだけなんだ」


「……」


 ── 嘘。男の人は嘘つきばかり。


 第一印象で大体分かる。

 物心ついた頃から奇異な目で見られてきたから。

 あたしは人間観察が得意なんだ。


 緑の瞳に囚われる。


 あの人とおんなじ緑の目だけど……彼とは真逆。

 何も感じない、ただ冷たいだけの目。

 瞳の奥にある光は嘘をつけない。

 この人の笑顔は偽り。

 氷のような目つきと、取ってつけたような笑顔が何よりの証拠。


 ── この人は信用できない。


「もう、困ったなぁ。僕、モンジ君の親友なんだけどなぁ。……モンジ君とは『チュウ』した仲だし」


 警戒を解かないバンビに揺さぶりを掛ける少年。

 チュウがヒットした。ひとつの単語がバンビを崩す。


「ちゅっ、ちゅう!? ちゅうってオデコ?」


 チュウの言葉にバンビが食いつく。


「フフンッ。オデコじゃないよ。チュウって言ったら……」


 自分の口に指を置く美少年に、あらんかぎりに瞳を見開くバンビが全身を過熱させる。


「ゴメンね、そういう事だから……」


 バンビの気持ちを知ってか知らずか。

 照れ臭そうに頬を赤らめる少年。

 バンビが愕然とする。

 彼女はすぐさま怒りの形相で拳を握り締めた。少女の肉体がプルプル震えている。

 

「ありゃ、りゃ。刺激が強すぎたかな? 僕ってば可愛い子を見ると、ついついちょっかい出したくなるんだよねぇ ♪ ……あっ」


 どうでもいい性癖を暴露する少年。

 喋りながら何かに気づき、即座に真顔に戻った。


「……四季様」


 木の影から湿気を帯びたジメジメした声が届く。


「……また、オナゴに色目を使っているだか」


 ドスの効いた声。口調が東北訛り。


「あだしば、どしても都に招待しだいっつーから着いてくれば。はぁー、この有様だべ。スケコマスだな、あんだば」


 俯き加減に木陰から現れた人物が一人。その異様な姿を晒した。

 

 美少年と同等かそれ以下の小粒な体躯。

 捻り鉢巻きに桶をくっ付けたような帽子。

 不思議な文字が全面に書かれた民族衣装。

 一際目立つのが首元まで隠す木彫りのお面。

 大きく彫られた目鼻立ちもさる事ながら、黒、赤、黄色とこれまた原色を独特な感性で配色したカラーリングである。


 その異様なお面にバンビは、怒りを忘れて見入っている。


「ち、違うんだよ紫乃ちゃん。これはね、お友達のお友達に会ったから、僕もお友達になりたいなぁって、それだけだよっ!」


 それまで飄々としていた態度を少年は一変、滑稽なまでに慌てふためく。


「友達、友達っ、友達ッて。訳わかんねぇべっ! はぁー、あんだがあだしば口説いて村から連れ出したんだべさ。それが、こったらメンコい子に色目ば使ってるとこ見せつけられて。はあー、あだまさくんべな。んだべ、なぁ?」


 同意を求められて困惑するバンビ。


「だから、違うんだって。僕は紫乃ちゃんだけなんだって。あのさ、黙ってないで君からも説明して貰えると助かるんだけど。僕が口説いてた訳じゃないってっ。ねっ、頼むよ」


 ジト目のバンビ。

 こんな奴の浮気相手にさせられ、気分を損ねる。

 パンッと両手を合わせて拝んでくる美少年に、段々腹が立ってくる。バンビの瞳が怪しく光った。


「……綺麗だねって、言われた」


 ムッツリ顔のバンビが引導を渡す。


「かあーっ! んだべっ、やっぱなっ、んだべなっ! はあー、やってらんねえ。わだす村さ帰るっ!」


 喚き散らす。クルッと踵を返して、のしのし地面を踏んづけて立ち去るお面の人。


 バンビの答えに、彼我の境地まで意識を飛ばされていた美少年がハッと我に帰る。


 やおら振り返り、お面の人の背中を視界に収めると、途端に慌てて追いかける。

 しかもだ。懲りもせず、安い夫婦漫才を繰り広げた少年が余計な一言を残す。


「またね、バンビ君っ! モンジ君によろしくっ!」


「またねじゃねぇべっ!!」


 ゴメンって、ゴメンなさいってぇー!

 美少年の悲痛な叫びが森に木霊した。

 案の定で、更に怒り肩を足した歩みで森の奥へと立ち去るお面の人。


 間男の雰囲気を纏った少年もまた、続いて森の奥へと消えていく。気付けば、いつのまにか巨大ミミズも姿を消していた。


 ポツンと、ひとり取り残されたバンビ。

 夫婦喧嘩なんて、犬も食は無いとは良く言ったもので。

 些か胸焼けに似た感覚を覚えたバンビは、ンベッとベロを出して顔をしかめる。


「……なんだったの、あの人たち」


 ややあって、落ち着きを取り戻したバンビが呟く。


 頭の中を整理する。

 風変わりで得体の知れない二人。

 声や口調から女性と思しきお面の人。

 方や薄ら笑みが不快な、ペテン師風の美少年。


 今更だけど、ゾッと背筋に怖気が走る。


 少年の方には名前までバレている。

 しかも訳のわかんない、あんな怪物まで引き連れて……。


 バンビは立ち尽くす。

 すべからく、寒気を覚えた彼女は自らを抱きしめていた。


 杳として見えて来ない彼等の素性。バンビは不安に駆られていた。


 目を瞑り、彼らの会話を必死に思い出す。

 少しでも情報が欲しかった。

 近い未來に『脅威となりうる存在』だと確信したから。彼女の五感の全てが、そう囁いている。


「確か……四季さまって呼ばれていたのよね、あの男の子。もう一人はシノちゃん……」


 まるっきり記憶に無い名前と人物像に、バンビの表情が曇りだす。


 だけど男の子の衣装は予測が立つ。

 あの狩衣姿は、貴族か神官か……あるいは、陰陽師。

 もう一人のお面の人。

 ……どっかでみた記憶がぁ、無きにしも非ず。アレは確か──。


「── ンビー! バンビー! おーいっ!」


 バンビが記憶の深淵に潜り始めた矢先に、聴き覚えのある間抜けな声が差し込んでくる。モンジの声に阻まれる。


 ケッ、バカの登場かよ!

 思わず毒を吐く。それも致し方無いこと。だって……。


 彼らの会話を反芻していたバンビである。

 否が応でも、モンジと美少年の『チュウ』の話題を思い出してしまう。


 フと頭の中に映像が流れる。

 それもBL風の映像が……。


 バンビの脳内。

 何故か上半身裸の男の子が二人で、向き合っている映像だった。

 禁断の香りがする。

 白い薔薇を背景に甘い吐息を交わしている。


 瞳をキラキラに、BL漫画風に美化されたモンジがスマートな全体像をこれでもかと見せつける。

 彼にウットリとした表情を見せているのは、四季と呼ばれた美少年。


 美少年が不意に、恥ずかしそうに視線を逸らす。

 

 イケメンモンジは颯爽と彼に近寄り顎をクイ。

 二人はキラキラの瞳で見つめ合い、頬を淡い紅薔薇色に染めてゆく。


 抱きしめ合う二人。

 背景の白い薔薇が一斉に咲き乱れる。

 猛る欲望のままにキラキラモンジは、潤んだ瞳の美少年に薄めの唇を寄せていく。


 そして遂には── チュッチュッ、チュッチュッしている場面である。


 これ以上の展開が想像出来ない。これがバンビの妄想の限界だった。それでも……。


 ボッと赤熱する体。

 白髪の脳天から湯気が立ち昇る。

 彼女の背景では、嫉妬の炎がメラメラと燃え盛り。

 少女のこめかみには特大の青筋が浮き出てくる。


 ──バンビはギュウッと強く、拳を握り締めていた。


「はぁ、はぁ、はぁ、バンビ。バンビ、無事か?」


 モンジの体には無数の擦り傷が増えていた。

 バンビの事が心配で、急いで山肌を駆け下りてきた証拠でもあった。

 

 背中を向けている少女。

 呼び掛けに反応が無い。

 それでも平気そうな彼女の姿に、モンジは満面の笑みで腕を伸ばす。


「バンビ、バンビ? なぁ、バンビ……」


 彼女の肩に手を置いた、その瞬間── 強烈パンチがモンジの顔面に炸裂した。


「ッバキ! ヘブッ!」


 もろ鼻っ面、鼻血ブーッ!


「痛っつ。……な、なっ、何すんの!?」


「触るなっ! スケコマすっ!!」


 スケコマす? 意味分からん!

 バンビからの振り向きざまの右ストレート貰っていた。

 鼻がもげた? って位に、超痛い。

 モンジは殴られた拍子に尻餅をついていた。止まらぬ鼻血を押さえて涙がチョチョぎれている。


「スケコマすって、それを言うならスケコマシだろ!」


「うっさいっ! スケコマすっ、スケコマすっ、スケコマすっ!!」


 牙を剥き出し叫び散らすバンビは、夜叉の形相。

 最後には「イーッ!」って、幼稚園児みたいな怒り方でモンジを拒絶する。

 あまつさえ、ホッペをパンパンに膨らませて腕を組みソッポを向く。


「いやいや、訳わかんねぇって……」


 鼻穴に指を突っ込み、血止めをするモンジがボソッと呟く。

 陰陽師に暴露された『過去の汚点』とは、この時のモンジはつゆほども知れず、彼はただただ途方に暮れていた。



♢♦︎♢



「サマンサ! あなた、どうしたのっ!」


 絹に肩をかりながら教会の扉を潜ったサンカクに、シスターが慌てて駆け寄る。


「……え〜と、ママ。あのね、さっきそこで知らないに襲われちゃって〜〜。へへ、エへへ」


「エヘヘじゃないわよ、もう〜〜!」


 呆れた様子のシスターではあるが、それでも彼女の怪我の具合を心配する。


 現在教会ではシスターの号令の元、幼い子供達も含めて旅支度の真っ最中だった。


 しかし、思わぬ客人の登場で各々の荷づくろいを始めていた子供達もその手を止め、絹とサンカクの元へと集まり出してくる。


「「サーちゃん、お怪我したの? サーちゃん、大丈夫? 痛くない? サーちゃん。サーちゃん……」」


 喧しいぐらいに心配する子供達がわらわらと群がり始める。

 迷惑そうな絹の横で一人一人の頭を撫でていくサンカクは、バツの悪い顔をしていた。


「はい、はいっ。みんな、どいて、どいてっ! 今、ちょうどお医者様がいらっしゃるから、バティンと一緒にサマンサも見て貰いすからね」


「「は〜〜〜〜い!」」


 甲高い子供達の返事が、殺風景になりつつある部屋の中を和やかな雰囲気で包み込む。

 

 そんな雰囲気を、一際黄色い声が場を濁す。


「えっ、ツッたんもいるの!?」


 若干、逃げ腰のシスターが答える。


「え、ええ、あの子も大怪我をしてここに運ばれきたのよ。つい、ちょっと前に……。隣りにいる絹さんのお仲間の人に助けて頂いて、大事には至らなかったけど……本当に大変だったのよ。あと、マリーも帰って来てるわ」


「えっ、えっ、マルたんもいるの!? じゃあ、シーたんも?」


「……いえ、シセルはさっきまでは居たんだけど。今はまた、どこかに──」


 治療室に居るはずのマルを見つけて、シスターの話しが切れた。


 マルさんはマルさんで、外の騒ぎ気になって、丁度治療室から顔を出した所だった。そこで彼女の懸念材料の一つと鉢合わせる。


「サンカク。あんた何? 誰にやられたの!?」


「マルたん〜〜っ」


 サンカクを見るなり驚きの声を上げるマル。

 心配事が絶えぬのも長女の性と、半ば諦めの境地に至る。

 自由人で甘えたがりの三女サンカクもまた。

 マルをみるなり、いつもの甘えんぼチャンに変身していた。


 絹の元からヨロヨロ歩み出るサンカク。

 マルに抱きつくと、愛おしむように彼女の肩に額を擦り付けている。


「あー、鬱陶しいっ! とにかく、あんたも中に入りなさいっ! ホント、あんたが見当たらない無いから、心配したじゃない」


 憎々しげではあるが、最後に嬉しそうな声を残して治療室の扉が閉まった。


「ツッたん!」

「ツッたんって呼ぶな!」

「大人しくしなさいっ、バカ!」


「あのう、バティンさんは大怪我をされてますから。あまり手荒な真似だけは……」


「ツッたん! 会いたかったよぅ〜〜」

「だからっ、ツッたんて呼ぶなっ、バカ!」

「あんた達、ちゃんと先生の話しを聞きなさいっ!」


 扉の奥から騒ぐ声が聞こえてくる。


「ふふ、いつものあの子達ね……」


 小声で呟くシスター。

 これなら心配ないと、彼女の表情も綻ぶ。

 扉の前で佇んでいた彼女は振り返り、すまし顔でパンパンと二回手を鳴らした。


「はい、はい、みなさん。引き続き旅行の準備を始めて下さ〜〜い」


「「は〜〜〜い」」


 いや、旅行じゃないんだけど。

 絹が苦笑いをする。


 楽しそうに鞄に荷物を詰めこむ子供達。

 といっても、使い古しの玩具やボロボロのぬいぐるみを詰め込んでいる。

 そんな楽しげな子供達に目を細める絹は、まぁ、いいかと肩の力を抜いた。


 そんなおり。

 モモが治療室から桶と手拭いを持って出てキョロキョロと。


「あれ、モンジさんは、いますか?」


 絹に歩み寄り、問いかける。


「ああ、あのバカならバンビを探しに行ったわよ」


「バンビちゃんを……。そうですか……」


 落胆するモモ。でも、バンビちゃんが一緒ならと決断する。一瞬で移動出来る彼女と一緒なら、逃げきれると踏んで。


「……与一郎さんが、いつでも出発しても構わないと。但し、怪我を安静に運べればと条件付きで……だそうですけど。どうしますか?」


「良かったわ。最悪二、三日の滞在を覚悟してたから。あと、彼女達の怪我の原因もそう。地震もだけど、この山で『何か』が起こっているのは確実よね」


「はい、麓で怪しい忍者の集団と戦闘になりました」


「なっ、山賊の類じゃないの! 忍者っ!?」


「はい、忍者です。そこでバティンさんは怪我をされました。幸いにもバティンさんに関しては薬も充実していますし、処置も終わって治療は良好だそうです。後から搬送されたサマンサさんは、怪我の原因は分かりませんが、怪我自体はおそらく肋骨にヒビが入っているとかで。安静にしていれば移動も可能とのこと……」


「そう……。でも、忍者って」


「はい。組織的でかなりの手練れの集団でした。モモ達は逃げ帰って来れたのですが、後続にどれだけの数が潜んでいるのかまでは判り兼ねます。……絹さん、どうしましょう」


「どうしましょうって、どうもこうも無いでしょっ! こんなとこ、さっさとトンズラしましょう」


「ですね。モモも賛成です」


 こうしちゃいられない! と、絹が足早にシスターの元へと駆け寄り説明を開始、モモも与一郎と三人娘の部屋へと戻っていった。ほんわかしていた教会の中が俄然、慌ただしくなっていく。





「えいっ! はあーっ!」


 モモは御者台より鞭を振るっていた。

 

 逃げ出す準備を終えて幌馬車は峠を下ってゆく。

 行き先は宿場町とは逆方向。ヤクザ共の返り討ちを懸念しての事だった。


 峠を下りて暫く進むと農村が点在しているとのことで、そこから更に徒歩で二日ほど進むと町があると。

 シスターからの情報を頼りにモモは馬車を走らせていた。


 兎にも角にも子供達の安全が最優先だと、全会一致で。


 まずは、ウサギ(馬)に跨る絹が先頭を走る。

 続いて御者にモモを置いて隣りにシスターと、絹の後を幌馬車が追いかける。

 クッション性の高い幌馬車に怪我人二人と付き添いのマルさん、万が一で与一郎が同乗し、あと幼い子供が五人乗る。


 教会から借りた荷車に残りの子供十人以上を乗せ、おでんが怪力を生かして引いている、縦長の布陣。そこそこの大所帯での移動であった。


 遅れてないかと、後ろのおでんを気にしながらモモは馬車を走らせていた。


「……フフフ」

 

 隣りから聞こえた笑い声に、不思議そうな顔でモモが振り向く。


「ごめんなさい。いやらしいわね、思い出し笑いなんて。ごめんなさいね」


 恥ずかしそうに顔を赤らめるシスターにモモは。


「楽しい思い出ですか?」


 そう尋ねていた。

 なんのことはない。モモには彼女が嬉しそうに見えたからである。楽しい記憶なのだと。


「そうね。思い出というか、シセルのことね」


「……シセル?」


「……あぁ、ごめんなさい。あなた達はシセルの事をバンビって呼んでるんでしょ。バンビね、バンビ。……だけどピッタリね。ふふ……バンビ。あの子らしい可愛いあだ名だわ。うふふ、うふふふ」


 クスクスと楽しそうに笑う老齢のシスターに、なんと言うか、今なら答えてくれそうな気がしてモモは、一つだけ質問してみた。


「あのぅ。差し障りがなければ、孤児院をされてる理由を聞かせて貰えませんか?」


 別に無理に答えてくれなくても構わないと、前置きをしての質問。

 似た境遇の子供達を目の当たりにして、尼寺育ちのモモには気になっていた所だった。


 一瞬、面食ったような表情を見せたシスター。

 次に瞳を薄めて懐かしむように空を見上げた。

 そして、深く椅子に腰掛けると姿勢を正して、モモにしっかり向き直る。


「そうね。あなたは知らないかもしれませんが、もう十年以上も前になるかしら。この地域には嫌な風習が残っていてね。それも『子捨て』の風習。あの日立峠が子捨ての現場になっていたのよ」


 聞いた途端に、モモの心がザワついた。

 咲姫様に出会うまで野生児として育っていた彼女である。他人事とは思えないこの事実に、気が動転しそうになる。

 喉の奥に小さな棘が刺さったような感覚を覚える。言葉が上手く出てこなかった。


 静かにモモを見ていたシスターは、優しく微笑んだ。少女から機微を感じとり、何も聞かずに話しを続けてくれた。


「……そう、安住の地を求めて布教活動の傍らそんな噂を耳にしてしまったの。子供は神からの使いであると教義でもあるけど、子宝に恵まれ無かった私達夫婦は純粋に心を傷めてしまってね。それでこの地に教会を立てたの。そうしたら子捨ての風習もピタッと止まってくれて。私と主人はそれはもう、大喜びをしてね。セルフィス様の御加護だって、益々布教活動に精をだしたのよ」


 だけど……。そう続けたシスターの表情が急に曇り出す。


「だけど……。五年前にこの地域を襲った大洪水で、田畑を流された農家の皆さんが飢饉に瀕して、またあの忌まわしい風習が戻ったの。今度は彼等、私達の教会の前に乳飲み子を捨てて行くようになったわ。予測の域だけど、仏教徒の彼等でも神にも縋る思いだったのかしらね」


 少し疲れた表情で語る彼女が印象に残った。実際のところ、大変だったのだろうと……。


 十年前に宗教弾圧を受けて、お布施もままならない教会での子育てである。

 子供達が飢えないように、必死にもがいて足掻いて、随分苦しい思いもしてきたのだろうと。

 彼女の疲れた様子が全てを物語っているようで、モモは頭が下がる思いで彼女の話しを聞いていた。


「バンビちゃんもその時の……」


「……あの子達はちょと事情が違うの。四年前、あの子は今から向かう町で催された豊穣祭で、曲芸団の見せ物として働いていたの。働いてた……いえ、違うわね。働かされていた『見せ物』にされていた、が正解かしら……」


 『見せ物』にされていた!?

 バンビの辛い過去に触れた気がして、気持ちがまたザワつき始める。モモは、彼女から目を逸らして俯いてしまった。


「そうね。あの子達との出会いは偶然だったのかもしれないわ。だけど、私達夫婦は運命のようなものを感じてしまったの」


 眉間に皺を寄せて、モモは苦しそうな表情を見せていた。

 そんな少女に対してシスターは、あなたはとても優しい人ね、と称賛を送る、照れ隠しが下手なモモは体を縮めるだけだ。


 慈しみに似た視線をモモに向けながら、シスターはシセルの物語を綴っていく。


「あの子、シセルとは、いくつかある天幕のひとつ、珍獣奇人と書かれた天幕の中で出会ったの。あの子、あの見た目でしょ、普通とはちょっと違うから……」


 シスターが辛そうに語る。

 

「……そこにはね、針が生えている鼠とか七色の鳥とか、この国では見たこともないような動物達が入れられた檻が並んでいて。あの子は動物達と同じように檻に入れられていたの」


「檻、ですか」

「そう、檻に……」


「……せまい檻の中でひとりぼっちで鎖に繋がれて、お客から好奇な目で見られながらシセルは、毎日そこで暮らしていたの」


 ここまで話し終えて、フと彼女の表情も柔和なものへと変わる。


「私ね、初めて会ったあの日、あの子に話し掛けてみたの。辛く無いって。そしたらあの子なんて言ったと思う?」


「……助けて、ですか?」


「うううん、違うの。……あの子ったらね『死ねっ!』って言ったのよ私に。ふふふっ、可笑しいでしょっ」


「……はぁ」


 良い思い出のように、笑みまで溢して語るシスターにモモは答えに窮する。


「……でもね。私はすぐにこう、感じたの。あの子の瞳の奥に、乱れた白い髪に、こけた頬と鎖骨の浮き出た首筋、そして枯れ枝のような白い腕に、あなたが答えてくれたように全身で『助けて』って言っているように聞こえて……。私はこの子を救わなきゃって思えたの。ふふ、可笑しいよね、死ねって言われたのに。でも当時の私は天啓のように捉えていたのかも知れないわね」


 代わりに主人を亡くしたんだけどね。

 最後にそう締めくくった彼女に、モモは愕然としてしまう。何も言えなくなった。


 ご主人を亡くしてまで見ず知らずの子を……。


 なんて言えばいいんだろう。


 多分だけど、安っぽい同情なんて彼女は求めて無いはず。それに、こんな経験の浅い小娘の共感なんて以ての外だろう。逆に失礼に値するような気がする。


 なんて応えてあげればいいんだろう。


 モモの思考がグルグル巡る。


 ── こんな時、彼ならなんて答えてあげるのだろう。


 緑目の少年の面影を思い浮かべる。自ずとモモの思考もリセットされる。


 ── いや、違うな。言葉より彼の場合は行動かも。……モンジさんなら、どんな行動を取るだろう。


 モンジの面影を細部まで鮮明に思い浮かべる。

 思い浮かべる……思い浮かべていく。


 鮮明に思い出しすぎて、宝塚風男役にまで美化された。

 背中に変な羽根を背負ってるモンジが、キラリと純白の歯を光らせる。そして指をパチンッと鳴らした。


 ノリの良い音楽が頭に流れてくる。

 軽快なステップを踏むように、足取りの軽い貴公子然としたモンジが、モモに踊るように歩み寄ってくる。


 彼女の前でクルッとターン。

 再度、逆にもターン。

 すぐさま右に左にと、華麗なステップを披露。

 タン、タンと足底を鳴らして立ち止まると。

 綺麗に両腕を掲げて、見惚れてしまう程の麗しいポーズでフィナーレ。


 五割増しに美化されたモンジが、凛々しくも中性的な微笑みをモモに投げかける。

 

 最後に、ウインクをしながらモモに向けての投げキッス。


 ── モンジさん、カッコいいっ!!


 モモの心臓が大鐘を鳴らす。


 あれっ、ダメだ! 胸がドキドキする。

 鮮明に思い出しすぎた、モンジさんがカッコ良すぎる。

 どうしよう、モンジさんがモモに近寄ってくる。どうしよう、どうしよう。動悸が苦しい、頭が真っ白になる。どうしようっ!!


 腕をパタパタ、足をパタパタ。困ったり、笑ったり、ニヤけたり。御者台の上で悶えるモモが奇行を繰り返す。

 モモの異変に、堪らずシスターが声を掛ける。


「ねぇ。モモさん、大丈夫?」

「はいっ! モモは百点満点ですっ!!」


 なにを血迷ったのか、モモは右手をあげて勢いよく直立した。


 時間が止まる。

 ……我に返る。

 不安気にジーと見つめるシスターの視線が痛かった。


 やってしまった!

 極め付けの珍回答と珍行動に、羞恥に悶える。カーッと耳まで赤くしたモモが煙を吐いて崩れ落ちた。


「う、う、う……モンジさんのバカァ」


 結果的にシスターへの答えも見いだせず、恨み事を呟いてモモは、グッタリと項垂れてしまった。



「モモッ、馬車を止めてっ! 前に人が倒れてるっ!!」


 前を走る絹さんから緊急停止の指示が飛ぶ。

 モモは慌てて手綱を引き、馬車を止めた。

 荷台から驚きの悲鳴が聞こえたが、心の中で謝罪をひとつ。

 おでんさんも絹さんの指示が聞こえていたようで、少し後方で荷車を停止させていた。


 ここはまだ、日立峠の登り口。

 山を抜ける一歩手前の位置。

 陽も傾きかけて、森は一層薄暗さを増していた。


 絹は騎乗したまま倒れた人に近づき、様子を窺う。

 モモは御者台から降りて、鼻を鳴らしながら周囲の危険を確かめている。


 見慣れぬ焦げ茶色の忍び装束の男性。

 全身を微かに震わせている。

 まだ生きてる、絹は迷わず声を張った。


「ねえ、与一郎っ、聞こえるぅ! この人、まだ息があるみたいだから、見てやってくれないっ!」


 疲れた表情の与一郎が、馬車の荷台から顔を出す。


「はぁ〜。相変わらず人使いが荒いですねぇ、絹さん。はぁ〜」


 溜息を連発。

 揺れる幌馬車の中で薬の調合をしていた与一郎が、ウンザリした様子を見せていた。


 重症者が二人続き、施術、介抱、薬の準備と今日一日働き詰めのヒョロヒョロ少年が、ヌメるように馬車から降りてくる。もれなく片手で引っ掛けた薬籠も付いてきた。


「待って下さいっ!」


 モモが険しい顔つきで与一郎の腕を掴んだ。


「絹さんも離れて下さいっ! おかしいですっ!!」


 ずり落ちた丸眼鏡を直す与一郎がモモを見やる。モモは薄い眉を吊り上げて、険の籠った視線を倒れている人物に向けていた。


 鼻が効くモモのみが知り得る事実。

 屍臭。

 もう、あの人は死んでいる。

 なのに微かに動いている。

 おかしいでしょ、故にこれは罠。

 

 騎乗したまま倒れている人物の周りをグルグル回る絹が、不思議そうに首を傾げていた。


「早くっ! 絹さんっ、離れてっ!」

「だって──」

「だって、じゃないっ! 早くっ!!」


 モモの剣幕に絹が渋々言う事を聞く。

 彼女が気を抜いた瞬間だった。

 絹が戻ろうとした時、倒れていた男がいきなり刀を振り抜いたんだ。


 ── カッ、カッ!


 一瞬早く、モモの飛ばした棒手裏剣が男の腕に突き刺さる。刀の軌道を逸らした。


「こ、このっ! 騙したのねっ!」


「早く戻ってっ! まだ居ますっ!」


 驚き蹈鞴(たたら)を踏む馬を御しながら、絹は冷や汗を流していた。

 落ち着きを取り戻したウサギ(馬)。絹は手綱を戻して馬車へと急遽戻る。


 モゾモゾと動きだす男。

 皆が注目する中、男は上半身を置き去りに下半身だけで立ちあがった。

 人間の動きではあり得ない不気味な立ち方に、息を飲む面々。

 次いで、バネ仕掛けのように上半身を跳ねあげ、腰に乗せる。人らしさが出来あがる。

 

 ── カッ、カッ、カッ!


 モモがすかさずニ投目を投擲。

 隈なくヒット。

 今度は三本の棒手裏剣を投げ放っていた。

 三本とも縦一列に、右太腿に突き刺さる。


 間を置かず、男の様子に目を見張る一向。

 彼等彼女等の表情が、驚愕の色に彩られる。


 それもそのはず。

 この男、腕に二本、太腿に三本と手裏剣を深々と突き刺さされながらも、悲鳴はおろか痛がりもしないのだ。


「モモさん。あの人、変ですよ」


 与一郎がモモの耳元で囁いてくる。


「はい。もう、既に死んでますから……」


「えっ、どういうこと!?」


 与一郎が殊更に驚いて見せる。


「モモ、あいつトロそうだから突っ切るわよ。馬車に戻って」


 絹からの提案にモモが首を横に振る。


「いえ、もう道は塞がれています。前は無理です」


 モモの視線の先、峠道の両側から焦げ茶色の集団が姿を現わす。

 腕をダラリと垂らした、精気を無くした集団。

 屍人と認定した男と同じく、体を小刻みに震わせた集団だった。その数は九人。


 ── 子供達がいます。どうする。


 モモは最良解を模索しながら忍者刀を構えていた。


「やぁ、やぁ、お嬢様方って。そこの紫のチビはさっきぶりか。まぁ、いい。ワシは緑目のガキを探してるんだが、そこにいるか?」


 モモが瞠目する。

 こいつの声で分かった。


 雰囲気は違えど、こいつ等、峠の麓でやり合った『霧隠れ』と呼ばれていた集団だと。


 ギリッと、モモが奥歯を噛み締める。


「なあ、ワシが直々に質問しているんだ。無視するとは貴様等──」


 ── ッタン!


 絹の放った矢が頭目らしき男を狙って射出され、阻止される。

 目にも止まらぬ速さ、俊敏な動きで、焦げ茶の集団の一人が頭目の盾となり、絹の矢を受け止めていた。しかも顔面で。


 鼻っ面に矢を突き立てながら動じない男に、一向はさらに驚愕する。


「なあ、嬢ちゃん。ワシはまだ話してる途中なんだぞ。全く、どういう教育受けてんだ貴様等!」


 ── ダンッ!


 絹が二射目を射出。

 また別の男が立ち塞がり、この男、頭目を守る。

 盾となった男の胸には、絹の放った矢が半分程ほど貫いている。胸の真ん中、確実に心臓を貫いていた。


「ハハハッ、なぁ、こいつ等ぁ、面白ぇだろ! 死なねぇんだぜ! ハハハッ、ハァ、ハハハッ。あーっ、ヒー、面白ぇ。ハハ、だが分かった。貴様等が教えるつもりがねぇってことは十分にな。……なら、体に聞くしかねぇなぁ」


 殺れ。


 頭目の一言で俄に襲いかかる不死の集団。


「おでんっ、回れ右っ! 速攻、駆け上がれぇぇ!」


 絹が叫ぶ。

 おでんが荷車の片輪を浮かせて反転。

 子供達の悲鳴が彼に浴びせられる。

 お構いなしに、持ち手をガッチリと掴んでおでんは走り出す。

 与一郎は薬籠を両肩に引っ掛け駆け出し、おでんの荷車を全力で後押し。

 モモは馬車に飛び乗り、ハッチに鞭を振るって急旋回、峠道を全速力で駆け上がる。


 逃げの一手をとる一向。


 それを、機械仕掛けの人形さながら奇妙な走り方で追いかける、不死の集団。


 その絵面はまるで、出雲神話に書かれた黄泉の国から命からがら逃げ帰った、国生みの神の話しに通づるものがあった。


「阿呆ぅが、今度は逃がさん」


 そう言葉を漏らして巳波は、異常者の笑みで一向を見据えていた。


 ありがとうございました。

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