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〔墓守り紋次の物語〕  作者: 猫屋敷 中吉
64/122

冷たい瞳

 よろしくお願いします。


 斜陽とかまびすしい夏虫。

 村へと続く街道脇には草原が広がっていた。


「ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ、ふぅ………」


 夕日に照らされたこの草むらを、音も無く移動する人影があった。

 紫の忍び装束を纏う人影は、獣のような走り方で、草むらを駆け抜ける。


「ふうぅ、ふうぅ、ふうぅ、ふぅう……」


 勢いを殺し、身をひそめ、警戒しながら前進する。

 塀に囲まれた朽ちかけた門を視界に捉え、忍び足で近寄った。

 門柱側で停止し、茂みの中から辺りを確認。

 街道、門の周辺には人影は無し。往来皆無の現状に右腕で額の汗を拭って一息つく。


「リィィイッ! バササッ」


 不意に目の前の虫が飛び去る。

 僅かに目を寄せ驚くも、すぐに薄い眉を吊り上げ、栗色の瞳に開けっぱなしの門を映す。


「……では行って参ります。モンジさんも、どうかご無事で」


 願掛けひとつ。

 紫の忍者は疾風の如く観音開きの門を通過し、最初に目に入った古びた建屋の裏へと身を隠した。


 目標は門から三軒目。

 壁に背中をつけ表通りを覗く。


「……誰もいない」


 気配を殺し壁沿を移動。


「裏通りも問題無し……」


 それならと。

 安全策を取り裏通りを移動。

 慎重にドブ板の上を歩き、辿りついた先は二階建て建屋に挟まれた一際年季の入った平家の裏手。

 釜戸用の薪や農機具が無造作置かれた裏庭を進み、扉の閉じられた平家の勝手口へと近づく。


「……汗で息苦しいです」


 忍者は呟くと、汗染みで変色した覆面に手を掛け外した。


「ふう……」


 吐息とともに現れたのは、愛らしい少女の顔、モモだ。

 モモは栗色の瞳を閉じて一呼吸つくと、またすぐに形のいいその瓜実顔に真剣な表情を浮かべ。


「急ぎましょう」


 己に発破をかけるべく呟き、背中を壁に合わせ、勝手口の横にある格子窓から家の中を覗いた。


「……子供達はどこに」


 家の中には西日が差し込み、橙色の光が満ちている。視界は良好、問題無し。


「あ、あれですね」


 お勝手の奥は囲炉裏のある板間。

 ここで男が二人、囲炉裏を挟んで何やら談笑中。

 その奥には襖で仕切られた畳の部屋が続いており、彼女の位置より一番奥にあたる部屋で、子供達は身を寄せ合い座っていた。


「……ひぃ、ふぅ、みぃ……全員いますね」


 目標も視認。

 モンジの説明通り、子供達は四人いる。

 まだ年端もゆかぬ少年少女達である。

 膝を抱えて座る彼等彼女等は、やつれた体に皆が皆ボロキレのような布を身に纏い、虚な目で畳を見つめていた。


「……酷い扱いですね。ほんとゲスの所業です」


 眉間に皺を寄せる彼女。

 精気を感じさせない子供達は全員、手枷を嵌められ畜生の如く壁に繋がれていた。

 子供達に対する非道な扱いに、彼女は憤りを隠しきれない。


「待ってて下さい、いま助けますから……」


 怒りを押さえて彼女は勝手口から移動。

 建物の隙間に身を潜め、そのまま溶けるように闇に紛れた。


 一方、平家の中では囲炉裏を挟んで男二人は下品に笑う。


「ガッハハハ! 馬鹿もいるもんだなっ! こんな子汚いガキ共に、五両もの大金落とすなんてなっ! ガッハハハハ!」


 ポテッとした腹を叩きながら男は、大口を開けて笑う。


「へいっ、梶の旦那。うどん屋から出たら、通りのすぐそこで隻腕のガキに因縁つけられてましてねぇ、それがすばしっこいガキでして」


「ハハッ。てめぇのそのツラは、ガキにやられたってことか? そいつは面白ぇな!」


「……面目ねぇ。そのガキがまた、あっしの連れてるガキ共を売れって利かなくて。それで半殺しにして出荷前のガキ共を売っぱらっちまいやした。へへ」


 鼻の傷を触りながら龍は、グイッと体を傾け、奥座敷にいる商品(子供達)にニヤケた顔を向ける。


「半殺しねぇ。まあ、まだガキの変えなんているし、先客にゃあ明日にでも適当に見繕って連れていきゃあ、バレねぇだろ」

「へい、そのつもりでさぁ。へへ」


 酒の入ったお猪口を右手に、左手でちょいちょいする梶。


「で、金は?」


 藤色縞柄で地味目な着流し姿の梶は、座った目で催促する。


「……へい」


 龍柄は腕を袖に突っ込み、おもむろに袖の中をまさぐり。


「その緑目のガキから巻き上げた金がこれでして」


 袖から腕を取り出すと梶の目の前、板間に小判を五枚を差し出した。


「ほほぅ、本物んかこりゃあ」


 梶は小判を一枚手に取ると、床板にコンコン打ちつけ確認。本物と分かり口角を歪に吊り上げる。


「ハハ、しっかし、どこの間抜けなお坊ちゃんだよ。あんなガキ共に、こんなに大金だすなんてよぉ。そんな価値はねぇってな。ガハハハッ!」


「馬鹿ですぜ、ありゃあ。しかもですぜ、変な乗り物に乗った女とガキばっかの旅風情、こりぁあ鴨がネギしょったみたいなご馳走でしょう」


「ハハ、だな」


「でしょう。いま下っ端共に襲わせてやすが、まあ一人だけデカイのが居やしたけど、それも義足で隻眼のデブでして、さほどの問題もありゃしやせん。元から半殺しじゃあ生ぬるいってんで、いつも通りに身包み剥いで、山にでも埋めちまおうかと、思いやしてね」

 

 見るからに悪党らしい笑みで龍はニヤケる。


「やるねぇ。一旦泳がして置いて、仲間諸共バラしちまおうって魂胆か」

「へい、その通りでさぁ」


「売ったガキも手元に戻れば一石二鳥だよな。クククッ、笑いがとまんねぇ」


 床に出された小判を一枚づつ丁寧に裏表と検分する梶は、濁った目を龍に向けて下衆な笑みを浮かべる。

 この男の着崩した着物の胸元からは、吹雪いた花弁の入れ墨が覗いていた。


「ハハ、梶の旦那。前祝いにあっし、上等な酒を持ってきやした。ササッどうぞ」


 へつらうよう龍は真新しい(ます)を梶に手渡すと、一升瓶の蓋を開けてなみなみと注ぐ。


「おっとっとっと。ハハ、龍、おヌシも悪よのうってか! ガッハハハハッ!」


 上機嫌で梶は枡酒を一気に飲み干した。と、そこに……。


「トン、トン」


 玄関の戸板を叩く音が鳴った。


「ッ誰だ!」


「………」


 梶の吠声に無反応が返る。

 緩みきっていた梶の表情が一瞬で強張る。

 横に置いていた刀を握り二人は片膝を立てる。目くぱせをし、刀の柄に手を添えて男達は、いつでも斬りかかれる体制をとった。


「……龍」


 梶は顎先で玄関刺し、確かめろと命令する。仮にも梶はこの一党の頭である。


 不穏な空気の中、生唾を呑んで龍は裸足でそうっと土間へと足を降ろす。そろそろと入り口まで辿り着くと、もう一度喉仏を鳴らした。


「誰かいるのか?」

「………」


 顔を強張らせる龍。

 気配はすれど無言を貫く相手である、敵である事は確実だ。


 息を殺し龍は、閉め切った入り口へ更にもう一歩近づく。

 鞘から刀を抜き去り、戸板に耳を寄せ。

 一旦身を引いた龍は、刀を両手で握り締めて。


「っぬん!」


 一息で戸板に突き立てた。


「ットス! えっ!?」


 軽い手応えに戸惑う。

 龍は相手の気配を感じていた、なれど。


「っおらぁ!」吠声とともに龍は、即座に戸板を蹴破った。


 白刃を置き去りにパタンと倒れる戸板。

 視界にあるのは、夕日で赤く染まった町並みだけだ。


「……聞き間違い、かぁ?」


 訝しむ彼は念には念をと、玄関からその身を乗り出した、その瞬間──。


「ッシュン!」


 ゴトっと刀を取り落とし、硬直する龍。


「はが、はが、はが……」


 奇声をあげながら玄関から一歩、二歩とゆっくり後ずさる。


「ど、どうしたっ、龍!」


 梶の声に龍の体がピクリと反応し、錆びた歯車のように重そうに体を回す。


「なっ!……龍、なんだそのっ、そのツラは!?」


「あー、あー、あー」


 龍の顔面は血まみれだった。


 顎先からボタボタと地面に血が滴る。

 血走る眼、その下の全部、鼻から下唇までの全部が削ぎ落とされていた。


「……が、が、が、……た、す、け、……はが」


 顔の下半分を無くした龍は、血濡れた剥き出しの前歯をガチガチと鳴らして助けを求めてくる。


「龍……。クッソ、ふざけたマネしやがってっ!」


 梶の顔がみるみる赤く染まる。

 無毛の眉尻を吊り上げて、唾を散らしながら怒りを露わにする。


 眼前にゆらゆらと立ち尽くす龍の背後に、すぅと人影がよぎった。


「邪魔だっ、どけやぁあああ! ッドン!」


 弾かれたよう駆け出した梶は、龍を蹴倒し、勢いそのままに表通りに飛び出した。


「……か、じ、……だん、な──」

「「ギャ──ッ! イヤッ──! わ──ッ!」」


 家の中では血塗れの龍に驚き子供等が騒ぎだす。黄色い悲鳴が瀕死の龍のか細い声をかき消した。


「どこ、行きやがった!」


 首を左右に振る梶、されど人影は見えない。


「チッ、クソがッ!」


 視認を走らす梶。

 血走る目に映すのは風景のみ。

 赤い町並みに西日が影が伸ばし、人通りの無い閑散とした表通りを、建物の斜影が色濃く覆う。

 

「!?」視線を感じて梶は飛び退いた。

 咄嗟に、後ろにある家屋の壁に背中を貼り付ける。


 見えない敵に嫌が追うにも緊張感を高めて梶は、全身から汗を噴き出した。


『……あなたも残党ですか?』


 不意に投げられた声に上下、左右、斜めにと梶は視線を彷徨わせ。


「な、なに言ってやがんだっ、テメェッ!」


 震えを抑えてやっと声を絞り出す。

 未だ目線だけを泳がせる梶は、刀を青眼に構え警戒を強める。


『……龍柄の人から『木下砦』の匂いを感じました。あなたも同類なのかを、あなた自身の言葉で確認しているだけです』


「し、知るか! ふざけんなっ!!」


『……そうですか、残念です。あなたも彼と同じく残党と認識しました。ならば、容赦は致しません』


 冷めた静かな口ぶりに、梶の背筋に悪寒が走る。


「ハハ、クソが。返り討ちにしてやるっ! どっかからでも、かかって来やがれっ!!」


 壁に背を預けて梶は、虚勢を張りグッと刀を握り締めた。

 視線を四方八方に飛ばし、刃を正面に向けて前方からの死角を無くす。


「……ん?」


 背後を預けていた家の壁、縦に入った壁板の隙間から白刃が知らぬ間に突き出ていた。足と足の間、股下である──間を置かず。


「ふんッ、ドスッ!」


 刀を回して梶は、背後の壁に剣先を突き刺さす。

 しかし手ごたえと関係無く、股下より突き出た白刃が勢いよく昇りくる。


「ッシュ───」


「ン──────ッ!」


 青ざめる梶。

 瞬間で間延びする時。

 刹那の刻が彼我の刻と足り得た。


 壁を後ろ足で蹴り付け背中を剥がそうとするも── 鼓膜が一秒にも満たない終わりの音を拾う。


「ザンッ!」


「─── ンゴッ!」


 梶の踵が宙に浮く。

 逃げることすら敵わず、梶の股間から鳩尾までパックリ白刃が斬り裂く。開いた股下から赤黒い内臓が溢れ落ち、足元に真っ赤な大輪の彼岸の花を咲かせた。


「……ゴボッ」


 梶は口から大量の血を吐き出す。

 ズルズルと壁伝いに背中が滑り落ち、臓腑の池へとペチャリと座り込んだ。

 見開いた眼球と歪みに歪んだ顔面を梶は晒す。


「ゴフッ……クソが」


 首を折り臓腑に塗れた凄惨な梶の姿はまるで、忌み子を産み落とした鬼女のそのもの。


 壁裏。


「ふぅ……。危なかったです。気配の拡散は難しいですね。まだまだ修行が足りません」


 モモの首筋から血が滴る。

 彼女の顔のすぐ脇には、梶の放った刃がかくも突き抜けていた。


 首に手を置き、忍者刀を引き抜く彼女。

 刃は紅く染まり、血糊がべっとりと付いている。

 淡々と血振りをひとつ、彼女は土間にうつ伏せに転がる龍柄の男に近寄った。


 ピクピクと麻痺を繰り返す龍に、冷え切った瞳で躊躇なく。


「……んっ! ットス」


「ッぐえ!」


 小さなかけ声とともに彼女は、龍の心臓目掛けて刃先を突き立てた。龍の体を中心にじわじわと赤い水溜まりが広がってゆく。


「片付きましたね。……モンジさんの手前、殺しは極力控えていましたけど、今は不在、問題無いでしょう。なにせ、綿姫様にあんな手酷い仕打ちをしたのですから、この報いは当然です」


 喋り方こそ普段通りではあるが、その栗色の瞳は冷たい光りを放っている。


 現、綿姫様専属侍女兼護衛役のモモである。

 平時では絶対に見せることの無い姿、彼女の本性を垣間見せた戦い方だった。


「……子供達を連れて合流ですね」


 忍者刀を抜き去り、死体で血を拭き取った彼女は腰裏の鞘へと刀を戻す。

 多少なりとも綿姫絡みの怨みを晴らして彼女は、幾らかスッキリとした表情を浮かべていた。


 次いでモモは、ササッと呉座で死体を隠す。

 大量に土間の隅に大量に積まれていた物だ。

 血塗れの遺体なんて子供達には見せられないと、彼女なりの配慮である。


「いけませんねぇ。こんな顔では子供達を怖がらせてしまいます」


 遺体を隠蔽し終えたモモが呟く。

 小さな両手で顔面を覆い彼女は、手早くモミモミ、モミモミ。表情筋をこれでもかと揉みしだく。

 両手を離したころには、いつもの可愛いらしい、ただの少女へと戻っていた。


「血糊も拭かなきゃ……」


 モモは手拭いで顔や手についた赤い染みを拭い去り、髪を結い直し、身支度を整え身なりは完成。

 雰囲気から殺意を消し去り、全身を姫の護衛役から、ただのモモへとチェンジさせる。

 フンスッと気合いを入れ直し、再度両手で頬を持ち上げ笑顔作り前髪直して完璧、準備完了。


「これでよしっ!」


 モモは優しい笑顔と雰囲気を纏って、子供達の待つ奥座敷へと急いだ。



♢♦︎♢



「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、……」


 俺は走る。

 ただひたすらに走る。

 息が弾み、鼓動が高鳴る。流れる汗が夕日に照らされ煌めいていた。


「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、……」


 不意に向かい風が吹いて前髪をさらう。

 山から吹き下ろす風は冷たく、火照った体には丁度いい。いつ以来だろう、こんな爽快な気分になれたのは……。


「俺は自由だああああああああ!」


 なんて、言ってる場合じゃない。


「「ゴラァ! まてやぁー! ガキテメェー! ぶち殺したらぁー! ハゲブタァ! ふざけんなぁ、猿ぅ! ブタァ、丸焼きにすんぞぉー! とっ捕まえたらぁー! ……」」   


「あひょおおおおおおおおおおおっ!」

「ぶほぉおおおおおおおおおおおっ!」


 強面のおっさん等に追い回されていた。


 絶叫をあげるワタクシとおでん。

 残念ながら現実逃避は不発に終わった。

 現状を見れば怖いオッサン等に追われる絵面だ。

 鼓膜を殴りつけて来るのは奴等の汚い罵声ばかり、これじゃあ爽快の『そ』の字もあるわきゃあ無い。


「「まてやああっ! 止まりやがれぇー! クソがあー! ぶっ殺したらぁー! 頭かち割ったる! 逃げんなー!」」


「おでん、走れぇええっ!」

「ぶひぃいいいいっ!」


 背中に怒声、狂声を浴びながら、俺とおでんは必死に逃げ回っていた。


「ってぇ! はあ、はあ、あっ、痛っえ! はあ、はあ、はあ、はあ、痛っ! だからっ、痛ぇって!……」


 凸凹で足場の悪い草原だ。

 ひたすら走って、走って、走りまくる。

 ときおり、奴等が投げつけてくる小石が背中や後頭部に当たって、地味に痛くてムカつく。


「「とまれやぁー、ボケェ! 吊るしたんぞ、ハゲェ! 猿、猿、猿ぅ! いい加減にしろやぁー! どっさらぁ! ゴミカス、ゴラァ! 目ぇ、くり抜いたるぅ! ケツ、ブッ刺すぞっ、おらぁ!……」」


 うるせぇなコイツらッ! それにしても……。


「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、……」

「ぶひ、ぶほ、ぶふぉっ! ぶひ、ぶひ、ふぼぉっふぉ! ぶへ、ぶほ、ぶべ、ぶべ、……」


 並走するおでんがヤバい。

 尋常じゃない汗のかき方をしている。

 たまに足がもつれて、アップアップしている。顔も変だし、これはいつもか……。でも、こいつもう限界かも。


 ここで走りながらの一考。


 こいつ、ヒキこもりだったからなぁ。

 瞬間の爆発力は有っても持久力がないんだろうなぁ。

 こいつ無駄にデブだしハゲだし、金玉馬鹿デカいし、キモいぐらい背な毛と腹毛はモジャモジャだし息臭ぇしと、俺なりにおでんを分析する。


「はあ、はあ、はあ、……おでん。はあ、はあ、お前、もう無理だろ。はあ、はあ、はあ、どうするよ、はあ、はあ、ここらで足ぃ、止めて。はあ、はあ、はあ、乱痴気バトルでもするか? はあ、はあ、はあ、はあ、……」


 提案しつつも、恐怖で引きつる俺の笑みは不細工だ。


 おでんと視線が絡む。

 見るからにヘロヘロ、腕を横にフリフリ女っ走りで隻眼を白黒させてる。


 無理もねぇ、もう三十分は走り通してる。

 この太っちょ、限界間近なのか明らかにスピードダウンしてる。もはや、早歩きと変わらんし。


「ぱふぅ、ばふぅ、ぶひぃ、ぶふぅ、ど、ど、どい。ぶふぅ、ぶふぅ、ふしゅ、ご、ごめん。ぶしゅ、ふしゅ、ふひぃ、ぶふぅ、お、おで、おで。ふひぃ、ふひぃ、ご、ごめん、ごめんさい。ふしゅ、ふしゅ、ふじゅ……」


 機関車みたいな声で遅れだすおでん。

 草むらをドスドスと走りながら巨体を縮める。

 振り向けば、おでんの後ろから追いかけてくるヤクザもヘロヘロだ。一定の距離で、いい塩梅に俺達に追いつけないでいた。


 ……今だな。

 おでんの事もそうだけど。ここらで一発、ガツンとかましとくのも悪くない。俺はそう腹を決めて。


「はあ、はあ、はあ、謝んなおでん。はあ、はあ、俺は嬉しかったんだぞっ。はあ、はあ、はあ、お前が助けに。はあ、はあ、来てくれたことっ。はあ、はあ、はあ、マジでなっ!」


 一つしか無い目をクリクリさせて、赤い顔を更に朱に染めるおでん。うん、ちょいブスだな。


「ひふぅ、ふしゅ、ふしゅ、お、おで、おで、ひしゅ、ひしゅ、どいに、どいに、ひじゅ、ひしゅ、会えて、よっ、よかった。ひしゅ、ふしゅ、ふしゅ、……」


 今生の別れっぽい言葉を吐いておでんは、酸欠の金魚みたいに喘ぐ。


「……はあ、はあ、馬鹿言ってんなよ」

「はっ、はっ、はっ、そう、そうだよね。はっ、はっ……」


 会えて良かったなんて、照れるやん。

 バンビも相槌を打ってくれて、照れるやん── ん、って、えっ! バンビ!? 


「なんでバンビがいんの!?」


 ビックリしてコケそうになった。

 おでんの影からひょこり顔を出すバンビに驚いた。


「エヘヘ……」


 エヘヘ、じゃねぇよ。

 走るバンビ、走る、走るっ、が……バンビがグングン後退していく。ってか、バンビ、チョウ足遅え、なんなんこいつ!


「……モンジっ! おんぶっ!」

「はあ? お前何言ってんだよ! しかも何しに来たんだっ!」


 敢えての塩対応。

 つーか、お前とはまだ知り合って半日だろっ、おんぶって、馴れ馴れしいだろ!


 ……でもこいつ、いつのまに!?

 正直、驚いた。突然現れたように見えたから。


「はっ、はっ、はっ。もう、疲れたから、おんぶしてっ!」

「だぁー、面倒くせぇなっ、お前っ!」


 ただこのままじゃあ、ヤクザに囲まれるのは目に見えている。


「こなクソ!」

 ヒョコヒョコ走るバンビ目掛けて方向転換、俺はバンビを背負って走り出した。


「はあ、はあ、はあ、お前、何しに来たんだよっ!」


 ちょいイラついたから、つい怒鳴っちまった。

 背中で小柄な体をバウンドさせながらバンビは口を尖らせ。


「モンジの言い方。……なんか、腹立つ」


 ぐあああああっ! 超メンドくせぇ、こいつ。

 ……だが今は我慢だ、こいつに速やかにお引き取り願う為にも。


「はあ、ふう、はあ、ふう、メンゴ、メンゴ。っで、どうしてバンビちゃんはここにいるのかなぁ? はあ、ふう、はあ、ふう、お兄ちゃんに教えてくれないかなぁ?」


 気持ちをグッと堪えて、優しく問いただす。


「……その言い方気持ち悪い。なんかイヤ」


 笑顔がひくつく。こいつ、どうしたろ。

 悪い思考に囚われ始めた。

 そんな時、バンビが俺の耳元に囁いてきて。


「……助けに来た」こう言ったんだ。

「っえ!」


「……もう、言わない」


 聞き返しただけで、こいつまた拗ねた。


「ハハ」助けに来たって。

「ハハハッ」空笑いが出ちまう。

 実際は足手まといでしか無いけど……普通に嬉しいかも。

 

 俺も単純だな。

 バンビのその一言だけで元気が出てきたぜ。分かった、作戦変更だ。


「はあ、はあ、はあ、おい、おでん」


 おでんは虫の息。無理してるのが一目で分かる。虚な目で今にも倒れそうだ。


「はあ、はあ、今からお前。はあ、はあ、はあ、バンビを連れて逃げろ!」


 おでんはヘロヘロになりながらも、えって顔をしている。


「はあ、はあ、はあ、街道沿いの山の麓にたぶん。はあ、はあ、はあ、みんなが待ってるはずだ。はあ、はあ、はあ、俺が時間を稼ぐ。はあ、はあ、はあ、絹さんに、はあ、はあ、俺を置いて出発してくれって伝えてくれっ!」


 必ず追いつくからと、俺はおでんにお願いをした。


 呆けていたおでんの顔が、みるみる険しくなっていく。背中のバンビも、俺の頭をパシパシパシ叩きながら訴えてきた。

 

「……あたし、言ったよね。助けに来たって」

「……あぁ、言ってたな」


「じゃあ、いま自分がなんて言ったか覚えてる?」

「ああ、覚えてる」


「じゃあ、なんで、そんな事言うの?」

「……あぁ、そうだな。……今夜、ぐっすり寝る為かな」


「……それってどう言う意味? 全然分かんない」

「……分かんなくても、いい」


 これは俺の我儘が発端だ。俺なんかの為に命を掛けんなよ。


「……モンジ。……お前、ブスだな。頭も変だぞ」


 ブスって……まぁ、いいや、この際なんでも。

 こいつは強制送還だかんな。ここであんま、くっ喋っべってても埒があかんし。


 早速、おでんと目配せして緊急停止。俺はバンビをおでんに渡した。

 おでんも察してくれたみたいで、渋い顔をしているが受け入れてくれた。

 バンビはバンビでなにやら思案中で、心ここに在らずの(てい)。スンナリおでんの背中に収まってくれた。これで憂いは無くなる。


 おでんが口をモゴモゴと何か言いたげだったけど。


「おでん、それ寄越せ」

「あ、う、うん」


 元より聞く気の無い俺はおでんに渡していた青龍偃月刀(ただの物干し竿)を奪いとり、こいつを安心させるべく虚勢を張って見せた。


「ヒュン、ヒュン、ヒュンッ、おでん。こいつを頼んだぞっ。ヒュン、ヒュン、ヒュンッ、あとは、俺に任せろ。ヒュン、ヒュン、俺、無双ッシュビ!」決まったぜ。キラリン!


 少林寺三十六房よろしく。

 青龍偃月刀(ただの物干し竿)を華麗にぶん回し、最後にビシッとキメたった。もちろんイケメン風に歯も光らしてな。


 モンジなりのちょいダサ『格好つけさせろ』アピールらしいが、ここでおでんがポツリと言い辛そうに。


「……ど、どい。よ、横チン出てる」

「ひゃうっ!」


 おでんに言われて見たら、マジ出てた。

 モンジは背中を向けてコソコソと収納。


 ちょっと締まらんかった。

 素知らぬ顔で振り返り、バツが悪そうに苦笑いのおでんに了解と受け取った俺は、拳を伸ばして。


「……またな」

「う、うん。か、必ず、また……」


 男同士の挨拶、グー同士をコツンと合わせた。


「はあ、があ、ぜえ、はあ、はあ、ぜえ、ぜえ、はあ、があ、やっと。ぜえ、ぜえ、がっは、追いついたぜ、ごほっ、げほっ」


 敵襲、ヤクザ一人目登場。


「じゃあ、頼んだ!」そう言って、おでんの背中をバンビごと押した。

 何度も振り返りながら走り去るおでん。

 小さくなってくおでんの背中を見送り、また必ずと胸の中で再会を誓う。


「ぜえ、はあ、がねっ、がねっ、ぜえ、ぜえ、ぜえ、げへっ、ごふぉっ! がね、かねっ、よこせっ! ぶっふぉ、べふぇっ!」


 ヤクザ二人目登場。


 汗まみれのヤクザ共は俺を様子見。

 肩で息をしながら、左手は膝に右手は抜き身の刀と、あきらかに俺を牽制しながら息を整えている。


 既に三人目も到着しそうだった。

 しかも後ろに、マラソンの先頭から離された第二グループみたいな感じでゾロゾロと。……第二グループは十人ぐらいか。


「では、始めますか」

 ヒュン、ヒュン、ビシッ! キラリンッ!


「かかって来なさい、ザコ共」

 親指で鼻の下を弾いて、手の平でコイコイと、余裕ぶって挑発する。


「ふざけやがってクソ餓鬼があ!」

「おぉらぁあああああああっ!」


 回復したヤクザが激昂、二人は刀を手にして同時に仕掛けて来た。

 ダッシュで迫りくるガリのおっさんは上段、振り下ろし。もう一人のぽっちゃりは、斜め上からの袈裟斬りで。


 俺の得物は長物。間合いは俺の方が有利のはず。


「三国志の英傑、関羽雲長の愛刀。青龍偃月刀だってばよぉおおお!」


 青龍偃月刀(ただの物干し竿)を脇に俺も走りだす。


 まずは一人目。

 グンッと間合いを詰める俺。

 俊敏なモンジに意表を突かれ、ガリは数秒遅れる──もらった。


 俺の突きの連打が炸裂── 関元(腹)、天空(喉元)!

「ッドス、ッドス!」

「ッごふ、ッぐえ!」


 吹っ飛ぶヤクザを横目に、軸足を地面に突き刺してぽっちゃりと対峙、青龍偃月刀をぶん回した。


「ニャロメェェェェッ!」


 萎縮するこいつに。

 俺は豪快な横薙ぎで腕馴(上腕)を打ち、勢いのまま体ごと偃月刀を回して、こめかみをぶっ叩いた。

「ッバシ、パァン!」

「っいぃ、ッか!」


 真横にギュンッと首を半回転したぽっちゃりヤクザは、千鳥足でよろめき倒れた。


「……ふう〜。こいつらの動きは視えてる。……気分は最高、俺最強」


 振り抜いた青龍偃月刀を脇に挟んで、決めポーズだけは達人っぽいポーズをとる。決まったぜ、キラリン!


 妙な自信はあった。

 不思議と戦闘開始直後から敵の動きがスローモーションに見えていたから。


「……いけるかも、レベルアップしたのかもな」


 調子に乗るモンジ。

 自分の熟練度が上がったと勘違いしている。

 なにぶん槍術棒術自体、中国映画でしか見たことがないクセに、実戦すら皆無のクセに。

 いきなりプロ顔負けの棒術を披露出来る訳が無い。モンジは勘違いも甚だしい、ただのアホだった。


 これは彼の権能『定着と同化』の兆しだ。


「ゴラァッ! がねっ、がね寄越せぇええええ!!」


 おおっと三人目、ハゲ親父が来やがった。

 こいつ、金、金うるせぇから……こいつは金の玉を潰しちゃる。

 

 悪い顔で笑うモンジ。

 刺突で猛突進してくるハゲ親父の股間目掛けて、地面に刺していた偃月刀の石突を蹴り上げた。真下からの攻撃は想定外なのか。


「ッバシ! ぷちゅ」

「ッあう!」


 モンジの手を軸に半円を描く石突が、おっさんのお股にヒットする。


 股間を押さえて内股になるおっさん。

 ガラ空きのハゲた脳天に、くるりと回した青龍偃月刀を思いっきり叩き落とした。


「どおりぁッ! パァンッ、ッバッキ!」


 おっさんの頭をかち割る。

 あろう事か、ついでに物干し竿も折れて先っちょが飛んでいく。


「NO──────────ッ!!」


 叫ぶ俺。

 物干し竿の半分がクルクルと宙を飛び、手に残ったのは布団叩きには程よいサイズの棒っ切れのみ。

 遅れ馳せながらに、げふっとハゲ頭から血を流したおっさんは地に沈む。


 目を回すおっさんを他所に、俺は頭を抱えてしまった。

 最悪だ。これじゃあ、ただのヒノキの棒じゃねぇかっ! 感情が先走り。


「うんちょ────────ッ!!」


 思わず関羽を下の名前で叫んでいた。失礼すぎだ。

 例えば。

 美人女優の柴〇コウさんが、中国人の(ちん)さんと結婚したら、どんな名前になるんだろうと。

 そんなゲスい想像をするくらい、失礼な話だ。


 棒っ切れ片手に佇むモンジは固まり、今度はプルプル震えだして。


「なんて日だっ!」


 棒っ切れをペシッと地面に叩きつけ、膝から崩れ落ちた。


「「ッおらぁ、死ねやぁ、くそガキィィ! だりぁあ! どたまっ、かち割ったるっ!」」


 気付けばヤクザ共に囲まれていた。

 ヤッバ、凹み過ぎて初動が遅れた。マズイッ!

 

 ヤクザの第二グループである、十人の内の五人に囲まれていた。


 頭上から振り下ろされる五本の刃に、俺は義手を頭上に掲げて縮こまる。ついでに金玉も丸まったハムスター並みに縮こまる。


 終わったかも……そう思った瞬間だった。


「……んっ。…………んんっ?」


 数秒待ち。白刃が一向に落ちてくる気配が無い。


「………んんん。……んっ!?」


 おずおずと頭上を仰げば── おっさん等、青い顔とぶさ面でなんか、止まってた。


「か、か、は。ぐ、ぐ。ぎ、ぎ、ぎ、が、は、は……」

「……えっ?」


 刀を振り上げて、変な汗をダラダラとかいている。体もそうだけど、息も止まってるっぽい。


 どったの?


 あっ、とにかく逃げないと!

 瞬きを数回繰り返し正気に戻り。

 これはラッキーとばかりに、俺はオッサン等の股下を潜って、時間の止まった輪の中から抜け出した。


「……!? あいつ」


 抜け出してまず最初に目に入ったのが白髪の少女、バンビだった。

 またこいつ勝手にっ! ん、つうことは、おでんもいるのか? 


 視線を回して探せども、おでんはおらず

 おでんの走り去った方角に視線を移すと……ヤツの後ろ姿が見える。しかも、その背中が小さくなっていく。


 現状を把握する。

 こいつ、一人で戻ってきやがった! 俺の作戦、無視しやがって、このバカチンがっ!


「バンビっ、お前なにやってんだ!」


 キレる俺。

 怒り七十パーに嬉しさ三十パーぐらいで。


「……さっき言ったでしょ。助けに来たって」

「っえ、あ」


 汗に濡れた額に前髪をくっ付けて、少女はオッサン等に向けて腕を突き出している。整った顔を、ぐぬぬぬっと歪めて力んでいた。


 助けるって、何してんのこの子。なんなん、この子!


 瞠目するモンジ。

 オッサン等同様、変な汗をかいてる彼女が口を開いく。


「……お前一人でカッコつけんな」

 

「はあ? 訳わかんねぇ。そんなつまんない事を言いに戻ってきたのかよ!? はあ?」


「うるさいっ、つまんなくない!」


 俺を怒鳴りつけながら、バンビの目が虚になっていく。


 俺は混乱していた。

 目の前で起きてる不可思議な現象と、バンビの格好を推測するに。


 明らかにバンビが『何か』を仕掛けている。

 暗示か、若しくは超能力的な何か。試しに今度スプーンでも曲げて貰おうかな。


 そんなしょうもない事を考えていたら、バンビが疲れた様子で手を下ろす。すると──


「ッバタ、バタ、バタ、ドサッ、バタッ」


 彼女の手の動きに合わせて、見えない『何か』に拘束されていた五人全員が倒れた。


「ッドサ」

 次いでにバンビも倒れ。


「── お前もかぁっ!」

 間髪入れずにツッコんだ。


「えっ、なにこれっ! 自爆覚悟の一回こっきりの技なの? こんなん意味なく無い。使い所に困んだろっ!!」


 俺が混乱していると。


「はあ、はあ、はあ。なあ、お前等何やってんの」


 ドスの効いたおっさんの声が背後から迫る。

 バンビから視線を切って、顔ごと声のする方へと向いた。


「遊んでんのかお前等。ガキの一人ぐらいさっさと始末しろよ」


 このおっさん、かなりお怒りの様子。

 怒られてギャーギャー仲間割れをしている第二グループの残りの五人組に、この一際ガタイのいい奴が睨みを効かす。キョドッて、すぐにシュンとなる五人衆。


「急げ、テメェ等。この餓鬼と逃げたヤツ等バラして、山に埋めに行かにゃあならんからな」


 いきり立つガタイのいいおっさんに凄まれ、五人衆もビビるが、俺もビビる。


 ゾロゾロと集まりだすヤクザ共。

 最後尾にいた第三グループも合流し、これでヤクザもん、ほぼ全員がこの場に集結した事になる。俺の眼前には約三十人弱いる。


「……ハハ」


 一周周って笑えてきた。

 四の五の言ってらんない。ならば奥の手を出すか。

 俺は懐に手を突っ込み、走るのにめちゃくちゃ邪魔だったアレを取り出した。


「おいお前等、これが何だか分かるか!」


 雅な袋を掲げる俺。

 強面のおっさんら三十人が一斉に注目する。


「お前等の好きな金だ!」


 ヤツ等の血走る目が怖かったが、頑張って不敵に笑い。


「くれてやるからっ、受け取れぇー!」


 俺は力任せに、雅な袋を思いっきりぶん投げた。


「俺んだー! おらっ、ドケーッ! テメェ、邪魔だ! カネッ、カネッ! まてやっ、金ぇ! おおおおおおおおおおおおおッ!!」


 嬌声や歓喜の声を上げて三十人が袋を追いかける。

 もちろん袋の中身は、さきほど拾った小石がギッチリ。


「ふぅ。あいつ等、馬鹿で良かった」


 溜息と共に安堵する俺。

 目の色を変えて袋を追いかける馬鹿共。

 それを尻目に俺は、踵を返して急いでバンビに駆け寄った。

 

「おいっ、バンビ。お前、大丈夫かっ?」


 バンビは汗に濡れて顔面蒼白だ。


 俺に気付いて薄らと目を開ける彼女。

 端正な顔立ちと澄んだ蒼い瞳に見つめられ、ドキッとしてしまう。すぅっと彼女の白い唇が横に伸びて。


「なっ、助かっただろ」


 ドヤ顔でグッと親指を立てて、そうほざきやがった。


 ウゼェェッ。こいつ、マジでウゼェェェ! 


「ふっ、ふふっ、はっ、あはははっ」


 でも、面白いじゃんこの子。

 ひっ迫したの状況なのに笑えてきた。


「笑う所じゃないぞ。あたしを誉める所だぞ」


 目を吊ってバンビはほっぺを膨らます。


 確かに。

 何の能力かは知らんけど、助けて貰ったのは事実。だから今度は俺の番だな。


「メンゴ、メンゴ。マジで助かった、あんがと。つーか、バンビは凄いな。それって相手に暗示かなんかかけたのか?」


「……秘密」


 得意気な顔でプイッと目を背けるバンビ。やっぱウザい。


「……だよな、秘密だよな。こういうのは信頼関係が無いと教えらんないよな。……うん、分かった。それよりお前は平気なんか?」


 立てる? って聞きながら、仰向けに倒れてるバンビに手を差し伸ばし、彼女の伸ばした腕を掴む。


「それにしてもお前、倒れるまで無理しやがって。お前はチビッ子なんだから大人の背中に隠れてりゃあいいものを、わざわざこんな危険な場所に出しゃばりやがって、おでんと一緒に逃げれてればいいのに……」


 あきらかに、限界以上の力を使ったこいつ。老婆心ながらに、つい小言が出てしまう。


「……モンジは。……モンジは子供を助けたから」

「……えっ」


「……あたしの家にも、ちっちゃい子供が居るから」

「……うん」


「……モンジはいいヤツだから、助けたくなった」

「……はあ?」


 たったそれだけで。

 正直、たったそれだけの理由でこいつ、命かけれんの。


 俺も言えた義理じゃないがこいつ、相当のお馬鹿さんかも。


「は、はっ、あはっ、あはははっ!」


 また笑えてきたよ。


「……笑うなっ、バカモンジ! ブス顔がもっとブスになってるぞ!」


 目を吊り上げてバンビが吠えてる。

 ハハ、やっぱこいつ面白いな。俺、こいつの事……結構好きかも。


「おうっ、兄ちゃん。 俺等相手に随分、余裕見せてくれてんなぁ、なあ!」


 見なくても声で分かる。あの一際デカイ奴が脅しをかけてきた。


 背中越しだが分かる。

 居残り組の数人のヤクザが近づいてくる。

 己の足を確認……まだイケる。バンビのお陰で気力も体力も少しは回復した。


 俺はバンビを掬いあげ、お姫様抱っこの格好。


「っちゅ!」

 次いでに、バンビのオデコにチューをした。

 ちなみにこれは、俺が幼い頃に良い事をした時、必ずしてくれた母親からのご褒美。おまじない、みたいなモン。


「な、な、何をしたっ、貴様っ!!」

「……おまじない」


 バンビの眦がキリキリと吊り上がる。

 

 俺はバンビが落ちないようにガッチリ掴む。

 狭い場所で茹で蛸みたいなバンビが、汚物を拭い去るように高速でオデコを擦っている。


 オデコ真っ赤じゃん。

 しかも俺ってそんな汚い? ちょとだけ気持ちが凹む。

 自分でも不思議だった。

 何で俺、こいつにチューした? 俺、無意識にしちゃってたし……。ん〜、やっぱ、可愛いからか。うん、多分そう言うことで。


 とにかく今は、三十六計逃げるに如かずだ。


 俺は足に膂力を込めて、走りだそうとしたその時だった。


「ッピィ──! ピィ──ッ!!」


 草むらに隠れていた鳥達が一斉に飛び立ったんだ。

 恐怖に駆られて辺りを見回す。


 以前にも似たような事が──不穏な予感──まさかッ!

 山を見上げれば夕陽の落ちかけた紫色の空を、大量の鳥達が覆っていた。


 ── 大津波にあった、あの日と同じ。また来るのか『アレ』がッ!


「どうしたクソガキッ。死ぬ覚悟でも出来たのか? ああん」


 凍り付いた俺にオッサンからの最終通告。ヤクザが言い終えた瞬間だった。


「グラッ、グラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラグラ───────ッ!」


 地震が起きた。


「「おわっ! なんなんだっ! 地面が揺れるぅ! 立ってらんねぇ! 母ちゃん、母ちゃん! 死にたくねぇよぉ! テメェ等かっ、またテメェ等の仕業か!……」」


 へたり込むヤクザ共が勝手にパニくってる。

 バンビは何故か耳を澄ましている。

 俺はバンビをしっかりと右手で抱いて、腰を落として耐える。


 人が立ってられないレベルって、震度六から七だったような。


「ッモンジ!」


 記憶を手繰り寄せていたら、誰かが俺を呼ぶ。

 慌てて声のする方向に向くと……めちゃくちゃ怖い顔の絹さん。


「── 絹さんっ!」


 未だ揺れの続く中、絹さんはウサギ()に跨がり、片手にもう一頭ハッチ()を引き連れこっちにやって来た。名前がもう、なんともややこしいな。


「ヒヒーンッ! ッドン、ゴンッ! ッげふ、ッごふ」


 絹さんは容赦なく腰を抜かしているヤクザ共に馬ごと突っ込み、俺の声に反応して真っ直ぐ向かってきた。


「あんた達っ、怪我はッ!」

「無いです……」


 怖い顔に安堵を滲ませる絹さん。

 華麗に助けに来てくれた彼女は、引き連れてきたハッチの手綱を俺に渡して。


「ほらっ、早く乗って! ずらかるわよっ!」


 早口で捲し立てる。

 ずらかるって……悪党みたいだけど、まぁ、いいや。


 地震で地べたに座り込むヤクザ共を尻目に、俺はバンビを抱えてハッチに跨がり。


「ハイヨーッ、シルバー!」

「ハッチよっ! バカねっ!!」


 速攻で絹さんからツッコまれる。

 ローン・レンジャーの真似だし……。気を取り直して。

 

「ハイヨー、ハッチ!」ッパン!

「ヒヒ───ッ!」


 ハッチの腹を控えめに蹴って走り出した。

 絹さんの背中を馬で追いかけていると、前抱っこでしがみ付くバンビが俺を見上げて。


「……モンジは、いい仲間がいて良かったな」


 ニッコリと子供らしい笑顔のバンビ。


「……ああ、ホントにそうだな」


 彼女に、そうしみじみ答えながら。

 蘇る津波に呑まれた嫌な記憶と、万が一あるかも知れない可能性を、頭の片隅に思い浮かべていた。


 地震イコール津波。

 津波に巻き込まれて俺はこの世界にいる。もしも、戻る手段が有るとするなら。

 あの時のような途轍もない巨大津波に呑み込まれれば、もしかしたら俺はまた元の世界に戻れるんじゃないのかと。


 そんな根拠のない事を漠然と思っていた。



 ありがとうございました。

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