名も無き少女
よろしくお願いします。
「いつぐらいぶりだろう、こんなに笑ったの」
そう言ってモモは目尻に溜まった涙をそっと指ですくい、彼等の戯れ合う姿に目を細めていた。
ちなみに、どちらに軍配が上がったかといえば──結局のところ、後頭部をぐりぐり踏まれてモンジが顔面を土まみれにしている時点で、勝敗は決していた。
「ほぉー、ほ、ほ、ほ、ほ。所詮、愚民風情が、天上人たるわたくしに、敵ういわれはなくってよ! ほおー、ほ、ほ、ほ」
何様である── 絹様であった。
絹は、勝ち誇ったように貴族然とした振る舞いで、勝利宣言をしていた。
が、しかし、それはうわべだけで、全体を見れば足元では未だモンジがアレのまま、貴族と言うより暴君にしか見えない。
「ぐふぅ、カッコ悪いようー。くそぉぉ、ぱんつぅぅー」
性懲りもなくまだ言ってる。
顔面土まみれと涙目のモンジは、ぶつぶつと泣き言をほざく。
彼の示した、獣のごとき『男の性』はすっかりなりを潜め、仰向けに手足を伸ばした綺麗な格好で憔悴しきっていた。
もう、あんたの負けだ、諦めろ。そう言いたくなるくらい見苦しい姿である。
「プフッ。う、うんっ、うん。コホン。──はい、はい、お遊びはそこまでです。いい加減、朝食にしましょう」
見兼ねてモモが幕を引く。
「あら、残念。まだまだ踏み足りないのに」
「絹さん。これでもモンジさんは、怪我人なんですからね。労ってあげて下さい」
「ふんっ! この性欲の塊が?」
「絹さん!」
「はい、はい、分かったわよ」
やんわりと咎めるモモに、絹はしぶしぶながら足を退ける。
しっかし、このアマ! 大概だよな! 怪我人にここまですっかよ普通。もう、トサカにきた。我慢なんねぇ。呪ってやる、呪いをかけちゃる。
エコエコアザラク、エコエコアザラク。今夜寝入りばなに絹さんがこむら返りしてフガッて、なりますように、エコエコアザラク。いっしっしっ。今夜が楽しみだぜ、子猫ちゃん。
不貞腐れた態度で念仏を唱えるモンジ。
……なんとも、小ちゃい男である。
「はい、はい。モンジさんも絹さんを呪わない! さっさと顔洗って来て下さい、ご飯にしますよ」
うわっ、バレた。モモ、こわっ!
慌てて逃げ出すモンジに呆れる絹。
「ぷっ、モンジさんって面白いひとです」
それに吹き出すモモは楽し気だ。
「それでは作りますか」と、キビキビした動きでモモは朝食の準備に取り掛かる。
余談ではあるが、一緒に土下座をしていたおでんだが、絹さんに「邪魔っ!」と、一喝されるまで土下座をしていたらしい。律儀なオヤジである。
香ばしい、いい匂いがしてきた。
おでんと一緒に、顔を洗ったりなんだりしてる間に朝食が出来ました。
献立は焼き味噌おにぎりと味噌汁。
絹さんとモモとで作ってくれたらしい。
簡単だけどこの焼きおにぎりが最高に美味くて「う、うまい、美味すぎる」って、埼玉銘菓『十〇石』饅頭のCMみたいに言ってしまった。
おでんも感動しながらおにぎりを絶賛、隣りでおかわりしまくりでモリモリ食ってる。
モモも、俺とおでんの反応が嬉しかったのか、
「おにぎりですから、料理って呼べるものでもないですよ」なんて謙遜しながら満更でもない様子をみせている。気前よく追加オーダーに応えてくれていた。
味噌汁も美味しな。
幸せな気分で俺と絹さんは、ほっこりしながらあさりの味噌汁を啜っています。
月に叢雲、花に風。
お椀を置いて身なりを整え、いよいよと言わんばかりに、絹さんに質問をしてみる。砦の顛末と、イエ姉の行方について聞いてみる。
ジロリと俺を見据える絹さん。
それも束の間で。
溜息ひとつ零して静かな口調で教えてくれた。
「……そうね」
こう前置きする彼女の説明を、俺なりに要約すると。
森山村襲撃からのお家騒動である。
綿姫様誘拐の一連の事件の詳細は不明のまま。
領主様が出張る大事に発展した訳だが、結局首謀者である厳伍が山中にて遺体となって発見され、真相は厳伍と一緒に闇の中だ。
一応は捕虜にも尋問をかけたらしいが、彼等はほぼほぼ雇われ軍人の集まり、言わば傭兵みたいな奴等らしい。
命令に従って動いていただけだから、詳しい事情は聞かされて無いんだと。
そして今現在、半分以上焼け落ちてしまった『木下砦』は厳元様の管轄下に置かれ、常之領の重要拠点であるが故に、近々改修工事をするらしいとのこと。
ただ、未だ詳細が知れない為、砦から落ち延びた厳伍の配下がいつ何時また、森山村を襲撃するか分からない状態であるから厳戒態勢は継続中と。
よって現行、厳元様の私兵八十人ほどが村の警戒にあたっているらしいと。
ふむふむ、結局ワンマン城主の厳伍が烏合の衆を集めて夢を見ちゃったって話しな。
なんとなく分かったよ。
だが本題はこれからだ。
本心を言ってしまえば、ここからが俺にとって本当に知りたいことだ。
イエ姉の行方、それがどうしても知りたい。
獅子面赤髪のオッサンにうっすら聴いたような気もするが、記憶が曖昧なもんで。
言葉を区切り、言いづらいそうにしている絹さんは一旦、姿勢を正す。そして、重そうに口を開く。
「う、うんっ。心して聴いてね。……イエ姉を攫ったのは、北之領頭目『木場 清光』これは間違いないと思う。それと……モンジは聴いたことないかも知れないけれど、今あそこは罪人を送る流刑地になっているの。極悪人を送る場所よ。看守はいるらしいんだけど、私にもどういう状況か分からないわ。情報が一切入って来ないの。もともと国として体を成さないから領主もいないし、治める人間もいない。だからただの無法地帯なのよ、あの場所は」
「えっ! でも、極悪人って、腹切り斬首じゃないの?」
驚いた俺は、前の世界の歴史観で聴いてみた。
「バカじゃないのアンタ。そんなもん、帝の一言でどうとでもなんのよ。……今の帝はお優しいって言うか、甘ちゃんって言うか、とにかくぬるいお方なの。前の帝は、あたり前のように斬首ばかりしていたけどね」
「はあ……」
世界が違うとやっぱり色々と違うもんだなと、俺は改めて痛感した。
「ねえ、話を戻すけど。それでね、綿姫様か聞いた話なんだけど、そこで大党してきたのが清光ってヤツなのよ。彼は元貴族で戦犯らしいの。ん、政治犯罪って言ってたかしら? まぁ、細かい事は後にして、前帝の暗殺に関わったとか何とからしいんだけど。彼は北之領に投獄されていたんだけどね、いつのまにか勝手に頭目を名乗り、瞬く間に罪人どもを纏めあげて、独立国っぽく仕上げたヤツなんだって。つまりは、そんな罪人だらけの場所にイエ姉は、連れ去られたって事になるの、分かる?」
目眩がしてきた。イエ姉がとんでもない所にいるってだけで、動悸、息切れが半端無い。
「で、あんたはどうすんの?」
ふらふらしている俺に、絹さんは厳しい表情で質問をぶつけてくる。
「あ、ぁあ、答えは決まってる。迎えにいく。俺一人でも」
「……そ」
そっけない返しで、ズズと味噌汁を啜る絹さん。
「……わたしも行くから」
「は?」
これまたそっけ無い態度でついてくると仰る。
「だから、わたしも行くって言ってんのよ。殴られすぎて、頭だけじゃなく耳までイカれたんじゃないの!」
「いやいや、いまアンタ自分で危険な場所って言ってただろ! お、女の子なんだから、もっと危ない目に合うかもだし」
「はっ! わたしを誰だと思っているの」
「えっ、絹さんじゃないの」
「違うわ。神様からの寵愛を受ける絹様よ」
なんだそりゃ、結局神頼みかよ。超当てに何ねぇだろうがよ。
「いや、でも── 」
「うるさい! もう決めたことなんだから、四の五の言わない! わたしはイエ姉を助けるって誓ったんだから!」
駄々っ子みたいに宣言する彼女に、何も言えなくなった。経験上、言っても聴かない人だって解ってはいるし。はあー。
「何ですか? 何の相談をしてたんですか?」
追加の焼きおにぎりを持ってモモが戻ってきた。
おでんが嬉しいそうにそれを受け取ってモリモリ頬張る。その横で気まずいそうにしている俺を横目に、絹さんが優しい声色で語りだす。
「私たち、北之領に行くつもりなんだけど……。貴方も来ない?」
いやいや、はしょり過ぎだろ! ちゃんと説明しろよ!
俺も『紋次』との約束もあったし、モモを誘うつもりでいたけど。それでも絹さんの話を聞いた時点で断念しようと思ったんだから。
そんな、危険そうな場所にチビッ子モモを連れて行くなんて、あり得ねえだろ。
「モモはやめといた方が── 」
「ええ、いいですよ」
はやっ! 楽しげなルンルン旅行とちゃうんやで。危険、危険な場所なんよ。早く絹さんも説明してあげて、北之領がどんだけ危ない場所なのかを──
「あっそ、ふふっ。楽しみね」
── だめだこりゃ。
しょうがないので俺から説明した。
「ええ、知ってましたよ。有名ですもん北之領地。いま一番熱い場所だって」
ズズと味噌汁啜りながら、涼しい顔で有名観光スポットでも紹介するみたいにモモさんは仰る。
そんな、生ぬるい場所じゃねぇーだろ!
「お、おでも、旅行っ、い、いぎだい」
こいつら、学生の卒業旅行みたいな気分でいやがる。もう、疲れたよ、もう、知らないよ。何かあっても俺の責任じゃないからね。説明責任は果たしたから知ったこっちゃないよ。ったく、こいつらは。はぁー。
モンジは、十歳ぐらい老けた様子で溜息をついた。
「ねぇ! こんなこともあろうかと、ハト爺に面白いもの作ってもらってんだけど、この後行かない?」
「はい、はい。俺もこの左手の義手、新しいのが欲しいかったから行くつもりだったんで」
「やった! 決まりねっ。ふふ、何が出てくるかはお楽しみよ。ふふ、ぐふふ」
両手をあげてはしゃぐ絹さん。
こうしてみると、年相応の可愛い女の子である。
きょうのお召し物の赤紫っぽい牡丹色のお着物が、今見せてくれた明るい表情の彼女とマッチしていて、何というか、すごい別嬪さんに見える。
いつもこんな感じならなぁと、ついつい思ってしまう。普段が普段だから、褒めて無駄に調子乗られるのも腹立つし、だもんで口が裂けても言いませんけど。
朝食を終えたあと俺達、まぁ、絹さんとおでんと俺だけど。
モモは一人残って、お家の事やお墓の手入れやアレコレをしてくれるらしいから居残りして貰って、結局三人で出かける事にしました。
何から何までスンマセンと一応、ペコペコとお礼言ったらモモは「大丈夫ですよ。体を動かすの好きですから」だって。ええ子やぁ〜。
俺の中でのモモ様の評価、絶賛猛烈爆上げ中です。
お嫁さんにしたい女子No.2まできています。ちなみにNo.1は、不動のイエ姉なんだけどね。
あー、あと絹さんか……あの女はランク外だろ、顔はいいけど性格がな。新婚生活なんぞ「うひっ!」ってなるぐらい、怖すぎて全く想像ができん。
そんなこんなで俺達三人は、モモ一人を残してハト爺の元へと向かった。
モモは手際よく仕事をこなしてゆく。
息つく暇も無く一人テキパキと家事仕事、お寺の管理等々を高速で消化する彼女。もう三日目ともなると手慣れたものだった。
「……ふう、一休みしますか」
洗濯物を干し終えたモモが、額に滲んだ汗を袖で拭う。
急須に入れっぱなしの冷めきったお茶を湯呑みに注ぎ、土間と居間の段差に丁度いい高さの腰掛けを見つけ、お尻を降ろしてくつろぐ。
「……ふふっ、ふふふ」
今朝のモンジと絹の漫才を思い出し、卑しくも思い出し笑いをしてしまった。
── ホントいつぶりだろう、こんなに楽しい気分って。
そう思えるほど彼女は、謙虚にそれこそ真面目に城努めを果たしていた。大任である綿姫様の侍女役を務めあげる為に彼女は、いつも気持ちを張り詰めていた。
……でも、穏やかなこんな暮らしもいいなぁ。
どうしてもそう思ってしまう。
夢物語みたい。詮無い事なのに……。
綿姫様に大恩を返すという使命をモモは自分に課していた。故に彼女には自由そのものが皆無である。
モモは冷めたお茶を一口啜ると、少し物憂げな表情を落とす。
モモにはまたまだ知らないことが沢山あります。知らない方が良かったなんて、思うことも沢山。
もし、彼に会っていなければ。
もし、綿姫様に会っていなければ。
もし、咲姫様に会っていなければ。
もしの奇跡でモモは生きているのですから。
彼女は、謙虚な気持ちを再確認する。
けれど、最後に出てきた『咲姫様』を思い返してモモは、その小さな胸を痛める。
「咲姫さま……」
こう呟いた彼女は、懐かしい記憶とともに、ゆっくりと記憶の回廊を降りていった。
♢
──およそ十年前、ここより南方にある『駿之領』に舞台は移る。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、……」
「おいっ! クソガキがっ! まちやがれっ!!」
「お前等はあっちから周れ! ワシはこのまま、あのガキを追い込むっ!」
屈強な男達三人が、小さな『者』を追い立てている。いや、捕まえようとしている。彼等が手に携えているのは、カマやクワなどのごく一般的な農具であった。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、ひやあーっ!」
田んぼの溝にハマり、脚を取られる小さい者。
転んだ拍子で両腕に抱えた大根やらさつまいも、葉物野菜を盛大にぶちまけてしまった。ついでに本人もごろんと一回転するほどに、転げていた。
「はあ、はあ、はあ、手間ぁかけさやがって盗人がっ! お前か、最近ここいらの畑を荒らし回ってるっちゅうもんはっ!」
田んぼ横の細い農道、そこで散乱した野菜の真ん中に、ボロを纏った小汚い者がひっくり返っている。
「…………」
「なんとか言いやがれっ! クソガキッ!」
目を点にしている汚い者は、何も語らない。
何年も洗ってないような、痛みまくりのグチャグチャな髪に、顔や手足は煤けたように黒く垢まみれだ。
唯一、綺麗な栗色の瞳だけを爛々と輝かせて、その汚い者はスンスンと鼻を鳴らし、彼の匂いをしきりに嗅いでいた。
「気持ち悪いな、このガキ!」
発した声と同時に、汚い者を蹴り上げるこの男。
追いかけていた男達の中で、一際体格のいい男である。
子供はボールのように跳ねて、潰れたカエルみたいに地面に引っ付く。
堪らずと言った具合に、その場に吐瀉物を撒き散らしていた。汚い者が吐きだしたものは水しかないが。
「はあ、はあ、大将。やっと捕まえましたね。はあ、はあ、……」
「大将、どうしやす? こいつ、吊るしやすか? はあ、はあ、はあ、……」
あとの二人も合流し、子供は三人の男達に囲まれてしまう。
── そう、この痩せギスな小汚い者がモモだった。
「ほら、見て見ろよこいつ。さっきから犬みてぇに匂いばっか嗅ぎやがるっ。気持ち悪ったら、ありゃしねえー」
「ホントだっ。ハハッ、気持ち悪ぃなあー。どうするよ、やっちまうか?」
「ああ、そうだな。吊るしたとこで、何の解決にもならんからな。やっちまった方が、手っ取り早いだろ!」
少女には彼等が何の相談をしているのか、サッパリ理解出来なかった。
そうなんだ、この時のわたしは言葉を持っていなかった。誰も教えてくれなかったから。物心ついた頃には、山で一人だったから。
だからか自ずと、匂いで相手の感情を探る癖が付いていた。
──彼等は怒っている。
彼女の鼻がそう教えてくれた。
こんな時の対処法もお手の物の、はずだった。
少女は男達の前でニッコリと満面の笑みを作ると、次に額を地べたに擦りつけ、平伏した。
ドンッ! 少女の体が宙に浮く。
脇腹をしこたま蹴り上げられていた。
それでもめげずに少女は、脇腹を押さえつつまた同じポーズをとる。
「ハハッ、ますます気持ち悪いなぁこいつ。どうするよ、このまま蹴り殺しちまうか?」
「ああ、面白そうだな。いい憂さ晴らしになりそうだしな」
下卑た笑いを浮かべる男達。
モモは彼等の言葉を理解できない。故に、一心不乱に頭を下げ続けている。いまの彼等には逆効果だとも気付かずに。
勿論、誰が悪いと尋ねられれば、少女に非があるのは明白だ。空腹のあまり、彼等の畑から野菜を盗んだのは彼女なのだから。
でも、それすらこの時のわたしは知る由もない。そもそも、善悪の区別がつかない。犯罪である事の認識が出来ていないのだから。
盗みの理由は単純だった。
そこに実がなっていたから。お腹が空いていたから、ただそれだけだった。
山の中での暮らしと同じ感覚でいたからだ。
だからかわたしには、追いかけられる理由も、蹴られる理由も理解が出来なかった。
──ただこうすれば収まると、知っていただけに過ぎない。
震える少女の小さな体を、三つの影が覆う。
少女は意味も分からず懇願していた。どうか怒りを鎮めて下さいと。
彼等の殺気が膨れ上がる。と、そこに。
「そこまでよっ、悪党どもっ!」
鈴の音のような声が響いた。
辛い匂い、苦い匂い、これが混ざった怒りの匂いとなる。その中に陽だまりのような温かい匂いが混ざり、鼻をくすぐる。思わず少女は胃液まみれの顔を上げていた。
「ああん! お嬢ちゃん、てめぇは誰だっ! まあ、いい。ただこりゃあ、見せもんじゃねぇんだ。悪い事は言わねぇ。とっとと、後ろ向いてお家に帰りなっ!」
そうだ、そうだと、囃し立てる仲間達とともにリーダー格の大男は、彼女相手に睨みを効かす。
剣呑な雰囲気の中、わたしはこの時生まれて初めて『人間』に目を奪われた。美しいと思ったんだ、彼女のことを。
彼女のお召し物もしかりで。
眩いばかりの桃花色のお着物に、裾から胸元まで広がる淡く落ち着いた雰囲気の写実的な草花模様が、なんとも言えぬ彩りを加えている。
帯は白銀、同色で別の花柄があしらわれているが別段、お着物の咲誇る花柄を邪魔しない、むしろ引き立てている。
お着物もさる事ながら、そのお顔立ちに少女は息を呑んだ。初めてだったから、こんなに可愛いらしいひと。
大人へと成長すれば、美女と確約されているそのお顔立ち。いまはあどけなさが邪魔して可愛らしいが勝っているが、それでもお人形さんのようで。
肩で切り揃えた髪は、幾分癖があるのか、ふわっと横に広がりを持ち、その柔らかさが彼女本来の優しさを表しているみたいでとても似合っていた。
髪色も綺麗。陽の光に照らされ、見様によっては軽めの赤茶色に輝いている。
そしてなにより、彼女のその黒曜石のように輝く瞳にわたしは、一番心を奪われた。
もっばら、この時のわたしは表現方法なんか知らないから『凄いキレイな人』と、見惚れていただけなんだけど。
彼女と目が合う。
わたしを捉えるのは温かい眼差し。
わたしが欲しても得られなかったものを、彼女が叶えてくれる。
感覚で分かる、匂いで分かる。
彼女から『母性』というものの存在を感じていた。
彼女は母親のような眼差しをわたしに、向けてくれていたんだ。
初めてかも知れない。とても、心地よく感じたんだ。
少女にとって心が安らぐ感覚を覚えたのは、生まれて初めての経験だった。垢まみれでも解ってしまうぐらいに赤面していた。
失礼と分かっていながらもわたしは、穴が開くほど彼女を見つめていた。
そんな彼女の表情が曇りだす。
「ぐぐぐ、ほらっ、片岡。こっからがあなたの出番よ! 目一杯、暴れておしまい」
ああ"! と凄む彼等に対し、人差し指をビシッと突き出し、彼女は息巻く。
街道から煽る彼女。
街道はここより一段高い場所にある。すうっと、何処からともなく彼女の隣りに、ひとりの男性が姿を現す。
頬を指で掻きつつ浮かない顔をする男性。
彼もまた、切れ長の目が特徴的な、綺麗なお顔立ちの男性だった。
「咲姫様、あまり他国のイザコザに巻き込まれるのはちょっと、控えて貰いたいのですが……」
「何を言っているの? いたいけな子供が襲われているのよ。常識人なら見過ごせないじゃない」
「しかしですね。咲姫様も先を急ぐ身、こんな些細な事に首を突っ込んでいる場合では── 」
「はい、はい、分かりましたっ! 融通の利かない『九郎』には頼みませんっ。私ひとりで何とかします!」
急に機嫌を損ねた彼女が、高台より身を乗り出そうとする。それを見ていた籠屋のおじさん達が、必死で彼女を止めている。
「はぁー、仕方のない方です」
やれやれといった具合に、街道から降りて来た綺麗な男性は、ゆっくりとした歩みで彼等と相対する。
「はぁー。あのぅ……詳細は聞きません。けれど、その子供を渡して貰えませんか?」
大仰に嘆息してこの男性は、男達の前で懐から包みをだして、彼等に渡す。
包みを受け取り中身を確認する男達。下卑た笑みを更に崩す。
「おう、あんちゃん、話しが早くていいや。どうだい、こんなこ汚ぇガキに大金出してくれんなら、もう一人二人どっかから見繕って来ようか? グへヘ」
すうと、男達を見つめる男性の目が細く鋭くなる。
「失せろ、ゲス供」
絶対ゼロ度の視線を浴びせられ、男達は下卑た笑いを凍りつかせていた。
冗談じゃねぇかなあ、とか男達は口々に言い合い愛想笑いを作る。かと思うと、「ひぃっ!」と悲鳴をあげクルリと反転、逃げるようにしてこの場をあとにした。
角度の所為で、わたしからは男性の顔が見えない。
けれど、正解だったのかも知れない。彼の顔を見てしまえば彼女は、トラウマ級の人間不審に陥ってしまうからだ。
それほどまでに彼は、『片岡 九郎太郎右衛門』は、尋常ではない殺気を放っていた。
男性にひょいと小脇に抱えられ、街道へと連れて行かれた少女。何も言わず少女は、円な瞳でただただ彼女を見ていた。
「えっとぉ。わたしは、咲っていいます。それで、あなたのお名前は?」
膝を折り、少女と目線を合わせる『咲様』。
「がっ、は、がぅ、……はっ、…………さ、き……」
「う〜ん。それは、私の名前かな」
彼女は困った風な顔をした。
わたしは言葉を知らない。故に話せない。彼女の言葉も理解出来ない。そんなわたしに名前すら、あるはずも無い。
わたしの異変に気付いて、綺麗な男性が彼女に耳打ちをする。
──突然だった。
彼女はわたしを包み込んだ。抱きしめてくれたんだ。
「うん、うん。……辛かったね。……大変だったね。……よく頑張ったね」
意味が分からず、わたしは彼女を拒もうとする。
けれど彼女はギュッと、わたしを抱きしめて離そうとしない。
ただ彼女からは、陽だまりの香りとともに甘いような、爽やかな花弁のような、そんな心地いい香りがしていたのを覚えている。
「あのぅ、咲姫様。お召し物が汚れてしまいます」
「うん! あなたっ、家の子にならない? ねぇ、ねえっ! 九郎、私は決めました。この子を養子に迎えますっ!」
「な、なっ、何を仰っておられるんですか!? 唐突に!」
わたしの肩に手を置き体を離したかと思うと、突然彼女は笑顔を咲かせてこう宣言をした。
涼しい顔を驚愕に変えた綺麗な男性は、彼女に詰め寄る。
勿論、この時のわたしは会話の内容まで理解出来ていない。だから首を傾げていた。
「この近くに確か……尼寺があったはずよね!」
「……は、はい」
「私達は先を急ぐ身です。このまま、この子を都まで連れて行くのは憚れます。ですから一旦、尼寺で預かって貰って、帰りに迎えに行くって……どうかしら?」
これなら文句ないわよね、と言いたげに彼女は、ピンッと人差し指を立てて得意顔をする。
「ま、まぁ、それならって。いやいや、お館様のご意見を伺わねば、なんとも言えません」
「もうっ。お堅いのね、あなたはっ! でも、お館様ならきっと分かって下さるわ。だって……ねえ。私達三人、もう随分長い付き合いですもの。うふふ」
彼女が彼を言い包めたのは分かった。満開の笑みの彼女に対して、彼はガックリと肩を落としている。
わたしのお腹がクゥと小さく鳴いた。
恥ずかしいかな、水で膨らませていたお腹はさっき全部吐き出してしまったから、綺麗さっぱり今は空っぽだった。
「あなたお腹が空いてるのね。可哀想に……。あっ、そうだ! 九郎、アレを持ってきて、ア・レ」
彼女は、わたしの顔をふわふわの布で拭ってくれている。この布なんだろう、とっても気持ちいい。
「えっ、でも、アレはお館様へのお土産では……」
「いいのよ。多分、彼もそうするから」
「……はぁ」
綺麗な男性は、人力籠の中から白い布で包まれた箱を持ってきた。甘い匂いのする物だ。
だけどわたしは少し緊張していた。
だって、この男の人からは血の匂いしかしないから。彼は危険な人間だと、本能が教えてくれる。
「そう、これ、これ。── ジャジャーン! どう? 美味しそうでしょ」
彼から渡された箱を、目の前で開けてくれた彼女。
彼女と同様、甘くて瑞々しい香りが辺りに広がる。
グウ! わたしのお腹が盛大に鳴っている。よだれも止め処なく流れてくる。
「はい、どうぞ」
綺麗に皮を剥いてくれた果実に、わたしは夢中でかぶりついた。
とっても柔くて、とっても甘くて、とっても美味しい食べ物。
初めての食感に、人目も憚らずむしゃぶりついていた。溢れる果汁が顔全体を濡らす。そんなのお構いなしにわたしはかぶりついた。
「うふふふ。まだ、沢山あるから、落ち着いて食べてね」
わたしは夢中で食べ進めた。
二個、三個とペロリとたいらげた。そしてフと思う。これは何という食べ物かと、初めて疑問が湧いた。
食べるのを一旦中止し、わたしはこの美味しい食べ物を見つめる。
「これはね、『桃』って言うのよ。も、も」
察してくれた彼女が、教えてくれた。
「……も、も」
「そう、も、も。『桃』。うふふ」
生まれて初めて、まともに覚えた単語だった──もも。
この後わたしは、彼女に連れられ尼寺に預けられた。ここで言葉と文字を教わる事となる。一般常識も一緒に。
尼寺に着いた時にわたしは、白いほおっかむりの女性に、また彼女と同じ質問された。お名前はって。
「……も、も」
わたしが唯一知っている単語を喋った。
「そう、ももさん。ももさんで、いいのね。短い間ですけど、これからよろしくお願いしますね」
この時が、初めてわたしに名前が付いた瞬間だった。わたしはモモ。わたしはモモなんだと。
去り際に彼女は「必ずあなたを迎えにくるから、少しだけの間ここで待っててね」そう言って、わたしを抱きしめてくれた。
言葉は分からなかったけど、不思議と理解できた。彼女と暮らせる日が来ると。
尼寺の女性は、寺の中へとわたしを促す。
だけどこの女性の手を振り切ってわたしは『モモ』は、何処かへ行ってしまう彼女の後を追っていた。
あの方の顔を瞼に焼き付けたくて── 母親のような眼差しでまた、見つめて欲しくて。
結局追いつけずにモモは、彼女の籠が見えなくなるまで、ずっと立ち尽く他なかった。
咲姫さま。
山狗のようなわたしを、彼女が『人間』にしてくれたんだ。素敵な名前までくれたんだ。
モモは、彼女との出会いを一生忘れない。
結局、彼女はモモを迎えには来なかった。
でも、それでも彼女にもう一度逢いたいと、いまでもモモはそう思っているから。
ありがとうございました。




