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〔墓守り紋次の物語〕  作者: 猫屋敷 中吉
54/122

記憶の断片

 よろしくお願いします。


 荒れ狂う暴風雨。

 時化(しけ)た黒い海原が苛烈に鳴き叫ぶ。

 豪風にあおられた高波が、鉄色の夜空に白く波の花を散らす。


 そう、ここは深夜の海上、嵐の海原。


 黒闇の溟渤(めいぼつ)に浮かぶ。

 二十メートル級の船が暴風に晒され、右へ左へとその船体を大きく揺らしている。

 そんな中、船の甲板にほんの小さな明かりが灯る。


「もう、ムリィ〜〜〜〜〜〜ッ!」


 バタンッと、勢いよく扉を開け放ち甲板へと飛び出して来たのは、妙齢とおぼしきひとりの女性。

 転がるように転落防止柵に掴まり、その身を乗り出す。


 思いあまっての事では無い。

 彼女の顔色を見るに一目瞭然。

 彼女は畏怖さえ感じさせる漆黒の海原に、青白い顔を突き出し「げえぇぇ、げえぇぇ」と、えづいていた。……お察しの通り、ただの船酔いだ。


「おい、おい、大丈夫かねお前いさん? あんまり身を乗り出し過ぎると、海に落っこっちまうぞい」


 急に背後から帯を掴まれ女性は、瀕死の様相で振り返る。


「うぅぅ、あたしやっぱ苦手だわ、この船。とんでもなく揺れるもん。それに足元も覚束ない感じだし」


 暴風雨を浴び続ける彼女からの陳情。

 強風でほつれた長い金髪がふわりとたなびく。

 頭上で纏めたお団子状の髪が乱れ、艶っぽいうなじに絡みついた。


 雅な淡く藍色の着物が黒夜を彩る。

 必要以上に胸元の開いた襟元からは、深い谷間が覗く。


 肉感的でメリハリのある身体つき。

 水分を含んだ着物が身体に張り付き、見事なまでのプロポーションを晒している。


 美に愛された彼女のスタイル。

 豊かな双丘、くびれた柳腰と張りのある臀部。数多の女性には溜息をつかせ、男性なら垂涎(すいぜん)もののシルエットを浮き立たせていた。


「全然楽しくない〜〜。もう降りたい〜〜っ!」


 そんな彼女が大人げない悲鳴をあげている。

 雨に濡れた華やかな顔に涙まで流して訴えている。


「ふお、ふお、ふお。『胸骨』お前いさんでも苦手なもんがあったとはのう。ふお、ふお、ふお」


 軽薄そうに笑うのは、作務衣姿の小さな老人。

 『胸骨』と呼ばれた女性は乱れた髪もお構いなしにキッと、その蒼い瞳で睨みつけた。


「言うじゃない『ドム爺』。食事を摂る際は気おつけなさいよっ!」


「おー、おー、くわばら、くわばら。『毒姫様』の機嫌を損ねてしもうたら一大事じゃ。こりゃあ、命がいくつあってもたらんのう。ふお、ふお、ふお」


 老人斑の浮いた顔面に丸眼鏡が食い込む。

 牛乳瓶の底のようなレンズ周りに、極端なほど皺をつけて『ドム爺』が軽口で返す。


「おっ、帰ってきおったわい!」と、厚いレンズの中で大きく目を見張る老人。震える指先で荒れた海原の先、陸地へと指差した。


 ご老体の行動にパッと瞳を輝かせる美女。

 さっきまでの死に(てい)はどこえやら、元気いっぱいに胸骨は振り返った。


「あっ、お館様っ!? あれって、お館様よねっ! お館さまぁ〜! 胸骨はここですぅ〜! お・や・か・た・さ・まぁ〜っ!!」


 ぶんぶんと思いっきり両腕を振る胸骨。重厚な双丘がたゆんたゆんと揺れている。

 理知的な美貌の彼女は、青白い顔色を瞬時に紅色へと変えて、幼子のようにはしゃいでいた。


 船への信号は崖の上からの合図だった。

 丸く円を描く形でランタンの灯りが揺らめいている。

 それを目にして彼女は、居ても立っても居られない様子で、全力で愛嬌を振り撒く。

 あたかもそれは待ち侘びた想い人との再会を、数年ぶりに果たした乙女のようにも見えた。


「ふお、ふお、ふお。お前いさんはアホゥか? こっからじゃあ、見える訳なかろうに。ふお、ふお、ふお」


「うっさいわねぇ。こういうのはね、気持ちよ、気持ちの問題なのっ。乙女心ってヤツが分かってないわねぇドム爺は。ああん、もう、こんな恥ずかしい格好、お館様に見せらんない!」


 しどけない己の姿に彼女は驚嘆する。

 呆れ果てるドム爺の前で乱れた金髪を託しあげて、花魁下駄をカツカツ鳴らし、慌てて船内へと戻って行く。


「ふお、ふお、ふお、女子(おなご)というのも、まっこと厄介な生き物よのう。ふお、ふお、ふお」


 彼女を見送り感慨深げに一人頷くドム爺。と、そこに、気配も感じさせず、扉から四角い顔の男が姿を現す。


「おお、お前さんか。お館様のご帰還じゃ、出航の準備を急ぐぞ」


「……」


「早う、錨を上げるんじゃ! エンジーンに火を入れて、北北西に舵を取るのじゃっ! 全く、いちいち説明せんと分からんか?」


「……」


「……ほらっ、早よぅせんかいっ!」


「……」


 無言で男は船内へと戻って行く。

 小言をぶつぶつと呟くドム爺はクイッと、後頭部の長い歪な形の頭を傾け、上空を仰いだ。そして不機嫌だった表情を直ぐに、ニンマリとした恵比寿顔へと変えている。


「ふお、ふお、ふお。それにしてもルーシア連邦国より取り寄せたこの船は、まっこと素晴らしいのう。技術力もさる事ながら、発想がよろしい。なんにせよ、北の領地よりここまで一日で来れるんじゃ。まさに卓越した乗り物じゃて。ふお、ふお、ふお」


 短い両手を腰に回して、ドム爺は誇らし気に船を見上げている。

 顔面に張り付く丸型眼鏡のレンズには、雷雲を覆い尽くす程の巨大なアーモンド型の風船が映り込んでいた。


 巨大風船の下には、自身を乗せた船型の乗り物。

 この時代、この国にはない最先端の飛行物体は『飛行船』である。


「ふお、ふお、ふお。この勇姿や如何に、この曲線美や如何に。まっこと淡麗、荘厳じゃのう。もとより、これを手に入れた『清光様』はやはり、ひとかたならぬお方。天下を取れるお人じゃろうて。これから新しい時代がくる、量より質の時代じゃ。万の軍勢を一つの最新兵器で消し飛ばす、まさにそんな時代の始まりじゃ。ふお、ふお、ふお。うぉふお、ふお、ふお。愉快、愉快、長生きはするもんじゃのう」


 滔々と縷々べるドム爺。

 興奮冷め止まぬ様子で、高らかな笑い声を残して彼は、ペタペタと足裏を鳴らしながら船内へと戻っていった。


「ピギャギャッ、ドドォオオオオオオオオオッ!!」


 稲光りが起きる。

 真っ暗な海上。

 空中で停滞する『飛行船』は、雷光に照らされ、その大まかな全貌を明らかにした。


 全長五十メートル強、全高二十メートル弱、全幅四十メートルほどもある、アーモンド型の飛行船がゆっくりと先航する。

 嵐で大きく船体を揺らしながら、海上より三十メートルほど上空を飛んでいた。


 形から連想するに、その巨大な黒い塊はあたかも、『冥界を泳ぐ鯨』のようにも見える。

 

 大海を進む鯨のごとく、嵐の中をゆっくりと飛行船は陸地を目指して舵を切る。

 船首を傾ける船は、後部に付けられた二機のプロペラを勢いよく回し、徐々に加速していく。



 一方陸地では。

 飛行船の動きに赤毛は、回していたランタンを下ろしていた。


「き、気付いてくれたようですね。……あ、あの、お館様。……誠に申し訳ございません。私ごときが、親方様のお手を煩わすような真似を……」

 

 覆面を取り素顔を晒している背骨が、赤髪の男に肩を借りていた。

 彼の異国情緒溢れる相貌が、申し訳なさそうに曇る。


「はっ、ははん! てっめぇが、こうもアッサリやられるとはなっ、は、は、ははんっ! あの小僧も思っていたよりもやりおるわい、なあ、背骨! はっ、はっ、ははん!!」


「面目次第に御座いません……」


 独特の笑い声の赤髪の人物『木場 清光』に、頭を垂れて謝罪をする背骨。

 普段はみせない、彼らしからぬ憐れな姿を晒していた。


「はあっ、はああ! あの船見ろよっ、はああ、イカしてんなあ。だが、まだ足りん……あと十艘は必要だ。もう少しで揃う予定なんじゃがな……。ははんっ、これでワシ等の時代が来るってもんよっ、はあっ、はああ! そしたらもっとテメェ等にゃ、働いてもらわにゃあ、ならんからのぉ。帰ったら重々覚悟しておけよ」


「……ぎょ、御意」


 掲げるランタンの明かりに清光の顔が照らされる。

 子供のように破顔する容貌魁偉、親代わりでもある清光を見上げて背骨は、つられるように相好を崩した。

 

「はっ! ワシが目指すは天下のみ。ヌシも心して置け」


「御意……」


 飛行船を真っ直ぐ見つめながら発せられた清光の宣言に、背骨は大きく頷く。

 地面に横たわる、紅い長羽織に包まれた娘が、視界の隅に引っかかるが気にも止めない。


 俯くこと数秒、思い立ったように金色の眉を吊り上げ背骨は顔を持ち上げた。そして、切長の蒼い瞳を真っ黒な空へと向けて改めて決意を固める。


 尊敬する清光様だけの『股肱の臣』であろうと、彼は自らの魂に誓いを立てていた。

 

 清光は目を細めて、背骨を見つめる。

 整いし端正な異国の顔を持つ臣下の横顔に、父親のような温かい眼差しを、ただただ向けていた。



♢♦︎♢


 

 また、ここか。


 俺はまた、暗闇の空間にいたんだ。

 

 “ トイチさん。無茶はダメですよ ”


 おぉっ! いきなりのダメ出しかよっ。


 “ 言いたくはないけど、この体は僕の体でもあるんですからね ”


「もちのろんっ! 分かっているって。でも、あん時は仕方なかったと言うか、何と言うか……」


 歯切れの悪くなるトイチに、『紋次』は話を続ける。


 “ とにかく、今は時間がありません。簡潔に言いますから、しっかり聞いて下さい ”


「お、おう」


 焦燥感丸出しで紋次が早口でまくる。


 “ 僕はこれからイエ姉を追い駆けます。この体から飛び出て ”


「飛び出てって……。お、おい。お前、大丈夫なんか?」


 “ 心配ご無用です。何回か試していますから。それで、暫くあいだ僕は体を留守にしますので、僕の体、よろしくお願いしますね ”


 おい、おい、おい、プチ旅行するみたいに軽く言っているけど、マジで大丈夫なんか? こいつ戻れなくなんじゃねぇのか?


「……あ、あのさ」


 “ 質問は無しです。今急いでますから。そこでトイチさんにもう一つお願いです。人の体は無理だったんで、動物の体を使ってイエ姉を追うんですが、トイチさん、必ず僕等を迎えに来てくださいね。動物の体だけでイエ姉を守り切る自信は、僕にはありませんから。あと、彼女、モモさん? 彼女は感が鋭いので、僕みたいにトイチさんの安全装置になり得ます。僕がいない間、彼女と行動を共にすることをおススメします。無理なら仕方ありませんが。それでは、言って来ます ”


 早口過ぎて内容が入って来ねぇっス。


「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待て!」


 “ はっ? 僕、忙しいんですけど ”


「せめて、サラッとだけでも説明してくれ、前に言っていた俺の能力とか、動物の体とかイエ姉を守るとか、さっぱり意味わかんねぇんだけど」


 “ 馬鹿なんですか、アホなんですか? トイチさん。説明は後日かならず。最後に、これは僕が失念していたことです、すいません。『片岡さん』からの伝言です。「あのお方は、約束を守るお方だ」だそうです ”


 それじゃあ、と言い残して終了。

 体から何かが抜け出した感触を残して『紋次』は、そそくさと出て行ってしまった。ぼんやりとした意識の中に、銀色に輝く光体が梟に憑依し、飛び去る姿を見た気がした。


 ──あ、この銀色の光体って。あの、訳わかんない薄闇の世界で、見たような気が──


 ボヤけていく意識の中で、緑色の眼をした梟が飛び去るのを目で追っていた。そして俺の意識は、完全に消えた。




 歌が聞こえる。


 わらべ歌──


「勝って、うれしい花いちもんめ ♪ 負けぇて、悔しい話いちもんめ ♪ あの子がほしいっ、あの子じゃわからんっ── ♪ 」


 焚き火を背にして手をつなぐ子供達の影が、地面にゆらゆらと揺らいでいる。子供の頃のイエ姉と子供の俺がなぜか、手を繋いで踊っていた。


 二組ある横並びの列はお互い距離を置いて対面し、向こうが出張ればこっちが引っ込み、こっちが出張れば向こうが引っ込む、といった風に歌に合わせて踊っている。


 不思議なことに、五人ほどいる相手の顔が全てモザイクが掛かっている。歌を口ずさむその口しか認識出来ない。こっちの組も俺とイエ姉以外は、顔がモザイクで消えていた。


「相談しましょっ。そうしましょっ ♪ ちょいと、ま〜る〜め〜 ── ♪ 」


 そう歌って、双方の組が丸く円を作り相談し合う。勿論、俺達の組も円陣を組んで話し合うのだが、顔の無い子供達の言葉は全く理解出来なかった。

 ただ、もしょもしょと分からない言語が聞こえるだけで、とても不気味に感じた。


「──き〜まったっ ♪ 」


 イエ姉は理解出来ているみたいに、周りの子に頷いていた。「きーまった」こっちの組も誰かの合図で円陣は解かれ、また横並びに戻る。


「──ちゃん、おいでっ ♪ 」


 まず、こっちの組が理解出来ない言葉で誰かの名前を呼んだ。次に。


「イエちゃん、おいでっ ♪ 」


 あっちの組はイエ姉を呼ぶ。ぶわっと全身が総毛だち、嫌な予感がしたんだ。


 すると、急に強い風が吹いて、暴風に煽られる。

 いきなり背後にある焚き火が勢いを増し、炎の火柱をあげる。熱波に襲われ子供達の姿が瞬時に消えた。

 この場に残るのは俺とイエ姉だけ。俺達はぎゅっと手を繋ぎ、燃え盛る炎を二人で見つめていた。


 それは突然起こった。

 天を貫く程の炎の先端がイエ姉に襲い掛かかる。

 驚きおののいた俺は、あろう事か彼女の手を離してしまったんだ。

 手を離した瞬間、間髪入れずに彼女の体は炎に呑み込まれ、瞬時に灰へと変わる。

 動けなかった、見ているだけだった。俺は恐怖に負けて、我が身可愛さで一人だけで逃げてしまったんだ。


「あ、あ、ああ、ああぁ、ああああああああああああッ!!」


 もう、遅い。

 後の祭りだ。

 イエ姉のいた場所には何も無い、何も残ってはいなかった。只々取り乱し、叫ぶだけの俺に誰かの声が道を示す。


「…… 二週間。……この娘を奪い返しに来い。……北の大地で──待つ」


 パンッと、弾かれたように急に場面が変わる。


 ……熱い。

 視界は真っ赤。

 ガラガラと天井から、火のついた瓦礫が落ちてくる。俺は訳も分からず咄嗟に後退りをしていた。


 気付けば、見える物全てが炎に包まれていた。


 屋敷の中なのは分かる。

 畳の上で俺は佇んでいる。

 足首を誰かが掴んできた。ぎょっとしながらも、視線を下に落とす。

 

 人だ、女の人だった。


 うつ伏せの格好で、背中には大きな梁が何本ものし掛かっており、彼女は動けないでいる。

 煤けた顔で、こめかみと口端から血を流している。 

 彼女はとても綺麗な人だった。俺を見上げ、何かを懸命に訴えていたんだ。


「────── っ!」


 聞こえているが、分からない。理解できない。


 彼女は右手に持っている物、紫色の布で包まれた筆箱サイズの物を、俺に突き出している。


「────!!」

 

 託すという意味なのか?

 押し付けられるような形でソレを掴むと、彼女は追い立てるように俺を手で払った。


 まるで早く行きなさい、と言うように。


 こんな状況で俺だけ逃げれる訳ないだろッ!


 だけど、体は意に反して走りだす。


 おい、死んじまう。あのひとが死んじまうだろッ!


 体は俺の意志など無視して勝手に動く。ぐんぐん加速する視界は、一瞬だけ後ろを振り返った。


 両手を畳に落として彼女は、俺を見つめ、微笑みながら涙を流していた。母親のような慈愛に満ちた瞳で。

 しかしそれも一瞬のことで、ガラガラと崩れ落ちる天井とともに、彼女の姿は見えなくなってしまった。


 あぁ、声が漏れる。心の声が漏れる。


 床以外は全面が火に呑まれ、廊下は煙を吐き出すトンネルと化し、灼熱だけが体感できた。

 それでも視界はどんどん加速していき遂には、体当たりで閉め切った玄関をぶち破っていた。


 勢いそのままに、膝から転んでしまった俺は、土の地面に思いっきり頬を擦りつける。

 ここで気付いたんだ。

 立ちあがろうと伸ばした手はとても小さく、幼い頃の自分であることに。

 その右手には紫色の布で包まれたソレをしっかりと、握り締めていた。


 懐にソレを仕舞い、火事から逃れるよう足早にその場を後にした。暫く走って、振り向いた光景に見覚えがあった。


 炎に撒かれた町並みに、煤けた夜空に火の粉が舞っている。美しくも、恐しく感じたこの光景──


 この世界に来る前に見た『夢の中での光景』に俺は、息を飲んで佇んでしまった。


 ハタと気づく。

 炎に呑み込まれた町並みから、一つの影が伸びている。まさかと思い、影の先に視線を走らせた。

 その影はどんどんと近寄ってきて、一人の少女である事が分かった。


 黒墨の何かを大事そうに抱えた少女は、両耳から血を流していた。


 そうだ。─── イエ姉ッ!




「──イエ姉ッ!」


 いきなり飛び起きたモンジ。

 布団を引き剥がし、弾かれたように上半身を起こしていた。


「つぅ、つうぅ───っ」


 全身からの悲鳴、激痛に俺は悶えた。

 

 おごわぁー! 痛い、痛すぎる。脇腹抉れてんじゃねぇか? マジでやべぇ。


 瞬間で体から嫌な汗を吹き出しながら、脇腹を押さえて激痛に苦しむモンジ。堪らずといった感じで、体をくの字に折り曲げていた。


「あっ! 起きましたっ!?」


 くぅー、と痛念と闘う俺の耳に、聞いたことのある声が……。


「おでんさーんっ! モンジさんが起きましたー!」


 激痛に苛まれる俺は、顔を横に声のする方へと向けた。


 頭に頭巾を巻いた淡い緑色の着物。

 割烹着を羽織った町娘風少女の姿が目に入る。ってかモモじゃん。なんでいんの?


 沸いた疑問に、痛みに歪んだ顔を更に歪める。

 今度は、ドスドスと表の方から地響きのような音が聞こえてきた。かと思うと、すぐさま呉座のれんを潜ってハゲ頭の大男が顔を出す。


 パツパツなカラシ色の着物。

 多分俺のだろうが、サイズが小さ過ぎる所為か胸毛と腹毛、しかも褌を丸出しの姿を見せる。

 喜び満面の笑顔で、小粒な一つしか無い目を見開いていた。ってか、マッパのおっさんじゃん。


「どいぃぃぃ──っ!」


 持っていた薪を足元に散らし、家が傾きそうな勢いで走り寄ってきた。


「だあっ! 止まれっ! 家が壊れんだろッ! っつう───」


 ツッコんだだけで脇腹からまた激痛が走り、悶えてしまった。


 ピタッと、動きを止めるおでん。

 その嬉しそうな顔を瞬時に不安に変える。

 涙を堪えながら、ここが自分の家だと気づく。

 当たり前にいた人が、今ここに居ない事に今更に気付く。


「イエっ、イエ姉はいるのか! つぅ、つうぅぅ──!」


 馬鹿みたいに何度も痛い目に遭いながら、それでも叫んでしまう。

 だって俺は、彼女がいないと『生きる意味』そのものを失ってしまうから。


 土間で立ち尽くすおでん。

 大きく肩を落とし、分かり易く落ち込んでいる。

 モモは料理中だったのか、片手に持ったオタマを下げて暗い表情を落とす。


 俺の所為だ。


 心あたりがあり過ぎる。

 俺は最後の最後で、覚悟が足らんかった。


 あの時、墓標の前で俺は、一瞬だが躊躇してしまったんだ。腕か胸かで、躊躇してしまったんだ。


 俺はヤツを殺せなかった。


 腕を刺したんだ。


 それで結果がこうなった。


 最悪だ。どうしようも無く馬鹿だっ、俺はっ!

 なんで迷った?

 何を躊躇うことがあったんだっ!

 クッソッ、クッソッ、クッソッッ!!

 救いようが無い大馬鹿野郎だっ、俺はッ!!


 モンジはひとり苦悩する。

 痛みと後悔に悶える彼に、モモとおでんの二人は言葉を失う。


「……モモ。悪いが、あの薬をくれないか」


 俯き、囁くようなモンジの呟きに、モモの肩が跳ねあがる。


「頼む、今すぐ必要なんだ。……頼む」


 前髪で隠れたモンジの顔。

 それだけで彼の考えている事は十分にわかる。

 潤み始めた瞳で一瞥したモモは、すぐにプイッとそっぽを向く。


「……ダメです。あと二日は安静にって、加合様がおっしゃっておりました。……だから、ダメです」


 モモはハッキリとした口調で『NO』を突き付けた。


「っなんでだよッ!」


「ダメったら、ダメですッ!」


 荒い口調のモンジに、モモも負けてはいない。目端を吊り上げモンジを威嚇する。

 火花を散らす二人の間でおでんは、彼等を交互に見やり、おろおろするばかりで困っていた。


 睨み合う二人。

 埒が開かないと先にモモから視線を剥がして、モンジを完全無視。


「くそっ!」


 モンジは一声吠えて、布団を勢いよく頭から被って不貞腐れる。彼は子供じみた態度で拗ねてしまったんだ。


 そっと彼に視線を移すモモ。

 彼女は悲痛な表情を浮かべている。

 瞳に決壊しそうなほど涙を溜めた彼に、かつての自分を重ねていたから。


 同じだった。この人はあの時の自分と同じなんだと。


 生への執着も。

 生き抜く渇望すら無い。

 ただ傷つくのに慣れている。

 自分だけが傷つくだけならと。

 いっそ己の命も要らないとさえ思っているはずだと、分かってしまう。


 ──だから、ムカついたんだ。


 ふぅーと、長い溜息を吐いたモモはツーンとすまし顔で家事仕事に戻る。

 おでんも溢した薪を拾い上げ、肩を落としたままモンジを見やり名残り惜しそうにまた、外へと出ていった。


 布団の中でぶつぶつと呪文のように文句を垂れ流すモンジ。

 彼を横目にモモは、誰にも聞こえ無いような小さな声でこう呟きを零した。


「……イエさんよりモモは、あなたの方がずっと大切な人なんだから」


 少女の呟きは昼下がりの温かな日差しに触れて、溶けるように消えていった。


 ありがとうございました。

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