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〔墓守り紋次の物語〕  作者: 猫屋敷 中吉
53/122

残り火

 よろしくお願いします。


「なんか、ほざいたか。小猿」


 怖い顔。

 赤毛の機嫌は最悪だった。

 防戦一方のモンジに癇癪を起こしていた。


「ッテメェ、ワシを舐めてんのか? ああん! おちょくってんのか? ああ"ん!?」


 奴は刃物のような鋭い眼光でモンジを射刺す。

 竦む体、今すぐ視線を切り離したい。でも逆に、奴から目が離れない。一瞬でも目を離した隙に刈り取られそう。だがな。


 グッと、目を吊り上げてモンジも負けじと睨み返す。


 だが、俺にはアレがある。

 そうだ。攻防特化のお助けアイテム。

 『黒の式神、ジィ』がな。

 

 不敵に笑うモンジ。腕を回して腰に手を伸ばす。

 が、顔が青ざめた。


「── な、無い!?」


 慌てふためく!

 無い、無いっ、アレが無いッ! 無いんだけどっ!最後の頼みの綱だったアレが……無い。……落とした!?


 焦る俺は口をあんぐり、凍りついた。

 奴は少しばかり眉をひそめて、また喋りだした。


「はん! もう、テメェからは何も感じねぇ。覇気も気勢も気炎も……狂気すらも、何も感じねぇ。くだらねぇな。……全くもって、つまらねぇ」


 心底失望した様子で奴が吐き捨てる。


 う、うるせぇ。それどころじゃねぇんだぞ、こっちは!

 アレがねぇとお前に対抗する術がねぇんだ。クッソ、シクった。どうする。


 嵐の中を奴がゆらゆらと近付いてくる。頭の中が真っ白で何も思いつかない。マジでどうする。


 困惑するモンジ。

 奴から一瞬、視線を離した。その時。


「ふんっ! ッバゴ!」

「── ッごふ」


 モンジの顎を赤毛が蹴り上げた。

 余裕のある間合いを、瞬間で喰われた。

 俺の両の手が持ち上がり、地面から離れる。


「……もう、いい。お前は落ちろ。 ッパシン!」

 

 上半身が浮いた所に、思いっきり、横っ面を蹴られた。


「── ッカ、は」


 目から火花が散る。首が在らん限りに伸びる。脳がブレた。左頬を蹴られ、モンジの体が急速に右に飛ぶ。


「ッスパン!」

 間髪入れずに右からもッ。

「── ッが!」


「ッバン!」

 また左ッ!

「──ッゴ!」


 左右からの強烈な痛みに振り回される。

 視界がズレまくる。意識が飛びそう。

 だが奴は許さない。意識が飛ぶ瞬間、また蹴られて、痛みによる覚醒を強要される。まるで無限地獄のようだ。

 

「ふんっ! 『九郎』がよぎっちまった。……ワシはこの小猿に、お前とおんなじモンを感じたんだが……気の所為だったようだな。チッ、つまらん。ワシの世迷事よ、のっ! ガッ、ドンッ!」

 

 吐き捨てるような台詞。

 言い終わるや否や、強烈な下段蹴りが飛んできた。

 ッ── 俺の脇腹で爆発した。


「──ッぐ、ぅ!?」


 膝立ちまで迫り上がったモンジの脇腹を、痛烈な痛みが襲う。激しく錐揉みしながら飛んでゆく。


「ッバチャ! っが、か!」

 受け身も取れず、地面に叩きつけられた。

 モンジは泥の飛沫を撒きあげ、ゴロゴロと豪快に転がっていく。

 やがて、突き立った木の杭にしこたまその身をぶつけ、静止した。


「が、が、が、がはぁっ! ひゅ、ひゅ、ひゅ、ひゅ……」


 視界が点滅する。

 肺の空気が全部出た。

 息が不規則に乱れ、壊れた楽器みたいな音を鳴らしている。意識があるのが不思議なぐらいに、激痛に脳が潰される寸前だった。


「ッが、ッが、あべっ」


 うつ伏せで泥に沈むモンジ。

 顔と脇腹が猛烈に痛い。

 泥水が口の中に容赦なく入ってる。ザラつく。

 口内を切った所為で、土臭さと血の苦塩っぱさが舌の上で広がった。


 痛みを庇おうとするが、腕が上がらない。

 全身が麻痺して、動かない。

 絶望感の縁で唯一の抵抗してみせる── 顔を歪めるのが精一杯だった。


 泥をまみれ、屍のように動かぬモンジ。

 嵐のうねりの中で、ぴちゃぴちゃと奴の足音だけが大きく聞こえる。俺が終わる、死ぬ。


 緩慢な動きで奴は確実に迫ってくる。激痛による全身からの悲鳴に、意地も矜持も消えかかる。俺はもう、動けない。


「おうっ、小猿。……テメェはここらで、もう死んどけ。もう要らん。あの娘は聞く事があるからな、ワシの城まで連れてく。……テメェには全く、期待はずれもいいところだ。なあっ。しっかし……はっ、つまらねぇ。ホントつまらねぇなぁっ、たくよぉ!」


 貧乏クジでも引いたみたいに、赤毛が面倒くさそうに喋る。でも。


 奴の能書きが遠くに聞こえる。

 でも、聞き捨てならない台詞に耳が動く。

 あの娘……イエを連れてくだと! ふざけんなクソがっ!! イエだけは絶対えっ、わたさねえっ!!

 瞳に光りが灯る。根性だけで俺は、泥だらけの頭を持ち上げた。

 

「……チッ、まだ目が死んでねぇな、このガキ。なら、もう一丁──ッスパン!」


 こめかみに痛撃、蹴りを食らった。

 首から上が千切れそうだった。

 頭だけが彼我の彼方に飛ばされた感覚を覚えて──思考が白濁する。

 白目を剥いてモンジは、割れた記憶の破片に埋もれていた。


 ……俺、何してんだっけ?

 ッ! 頭っ、痛ってぇ! いや、全部が痛ぇ!

 つぅー。……なんで俺、こんな目にあってんだ?


 記憶がブレる。

 現実が曖昧になる。

 いろんな意味で、もう、とっくに限界を超えていた。


 理想と現実の葛藤、疲労と苦痛の蓄積。

 こめかみの衝撃をトリガーに、とうとう脳がパンクした。

 さっきまでの記憶すら、モンジの中ではぶっ飛んでいた。


「…………」


 モンジは沈黙する。

 虚な眼差しで泥水に半身を沈めて。

 心なし少年は、安らかな表情をみせる。しがらみを無くした仏のような表情で。


 なんで……だっけ。

 何してたんだっけ……俺は。


 腑抜けた顔のモンジ。頭の中では、懸命に記憶のピースを拾い集めていた。


 戦、争?


 思考に霞がかかる。

 思い出そうとしても、勝手に遮断される。

 焦点の合わない両目が体を映す。


 ……酷い有様だった。

 カラシ色の着物も血と泥に染まりきり、元の色さえ分からない。無数にある切り傷からは、未だ赤い滴が垂れていた。


 これはっ、なに?

 確かな理由があったはず。 なんだっけ?

 記憶に隠された真実が、見えそうで見えない。


 眉間に皺を寄せて、モンジは目を閉じた。

 現状、もし彼を見る者がいたとしたなら、目を覆いたくなるほどの惨憺たる姿である。

 度重なる連戦のツケが、痕跡が、少年の全身にくっきりと無数の傷跡として刻まれている。


「……あー、しんど」


 無意識の呟き。

 雨に全身を打たれて頭も冷えていく。

 壊れたピースを繋ぐみたいに、曖昧な記憶が徐々にだが固まりつつある。少しだけ見えてきた気がした。


 あぁ、そうだ、頑張っていたんだっけ。

 確か……俺が嫌いな戦争ってヤツ、だよな。

 うんうん、そうそう、確かそうだった。ハハ、俺が戦争なんて……全くらしくねぇ。あんな、意味わかんねぇもん。


 俺、元々嫌いなんだよなぁ、争い事って。


 だよな。みんなも嫌いだよな。

 あんな無価値なもんをよ。

 ケンカなんて。

 あんな怖い顔で睨まれて、襟首なんて掴まれた日にゃ、そりゃあ、ブルッてチビリそうになるじゃんか。でも意地張って、相手にそんな素振りを見せたくないから、無理して俺もイキるけど。

 それでも内心は、落とし所を必死に考えて模索して、穏便に済ませたいなぁって、やっぱ思っちまう。それが普通だろ。


 人と人の争い事ってなんか、滑稽つーか、馬鹿っぽいつーか、無駄だよな。話が通じんなら、話し合えばいいじゃんか。なぁ。


 あっ、でも、俺も今、戦争してんだっけ。人の事言えねぇな。タハッ、俺も馬鹿で間抜けって事だな。


 記憶のピースが嵌まりだす。

 徐々にだが、瞳に光りが戻ってきた。

 雨上がりに雲の隙間から差し込む一条の光りのように、自分のやるべき事が見えてき気がした。


 改めて全身を見回すモンジ。

 ん、デロデロじゃねぇか! こんなんじゃイエ姉に嫌われっちまう。

 こんな格好じゃあ、ケンカしてましたって言っているようなモンだ。

 イエ姉にバレちまう。こっそり着替えて、何食わぬ顔で家に入らんと。


 家で待っているイエ姉に心配も掛けたく無いしな、勿論嫌われたくも無いし。だって彼女。暴力は大っ嫌いっていってたしな、うん。

 あー、イエ姉に会いてぇなぁ。帰って、お風呂入って、彼女お得意のこっぱ汁飲んで、そんでクンクン匂い嗅ぎてぇ。寝る前にギュウッて、抱きしめてぇなぁ。


 あー、早く帰りてぇなぁ。イエ姉の待つお家に──。

 

 そんな妄想に違和感を覚える。モンジの緩みきった表情が、見る見る険しくなっていく。


 ──イエ姉ッ! そうだっ、俺、イエ姉を助ける為に戦争してたんだ。


 俺のバカちんがああああああああッ!


 歯を食いしばり、モンジは震えてる手で上体を起こそうとする。

「──ッガ!」けれどぬかるみに手を取られ、また泥の中に沈んでしまった。


「ギャギャッ! ドギャヤアアアアァァァンッ!!」


 顔面泥まみれの少年を、稲光りが残酷に照らす。

 震える腕は碌に力は残っていない。

 仰いだ黒い空に、天を貫くような二本の杭が視界を埋めた。

 濡れた表面、中央あたりが削られ文字が書かれている。もう一度鳴った閃光に、書かれた内容がなんとか確認出来た。


『真平 クロエ ここに眠る』もう一本は。

『真平 しろ ここに眠る』と。


 墓、なのか……これは。


 よく見れば、ここは小高い丘になっていて広場を一望できる位置になっていた。周りにはさっき見た、白い花が咲き乱れている。

 その可憐な花は細い体に強風を浴びながらも、空に向いて力強く凛とした姿を見せていた。


 小さくても、強い、美しい花。


 何も持っていない。

 火薬は雨に濡れて使い物にならない。頼みの黒い箱も激しい戦闘の最中、無くしてしまった。技も技術も勿論、持ち合わせていない。


 どん詰まり。


 赤毛は弱い俺の所為だとほざいていた。弱さは罪なんだと頭ごなしに。


 弱い人間が何かを求める、それ自体が罪なのか? 身分不相応に求めた事で、神から裁きが下ったって事なのか?


 不意に、誰かの言葉を思い出した。


『求めるものが大きければ大きい程、欲する者も然り、それに見合わなければならない』と。


 誰が言ったか覚えちゃいない、だけどッ。

 俺はその時こう思ったんだっ──ふざけんな、クソがッ! ってな。


 この世の中、強いって言われる奴がどれほど居んだよっ、ああ"ッ!

 みんな弱いから仲間を作って、家族を作って、力ぁ、合わせて強く生きてんじゃねぇかっ。

 弱ぇってだけで一括りにして、頭っから押さえつけんじゃねぇぞッ、ダボがっ。


 俺は好きな子と一緒にいたいだけなんだっ! 

 それが高望みだとほざくんなら、俺は俺自身を裁く全ての奴等全員を、容赦なくとっちめてやる。

 鼻っつらに『にぎりっ屁』でも食らわしてやんぜ。物っ凄い、くっさいやつをなっ!


 雷光が輝く。

 視界にある物を捕捉する。

 墓標の後ろ。鈍く光りを放つ、錆び色の物体が見えた。


 光りを取り戻した眼光。少年は最後の牙をその視界に、捉えていた。

 

 体は瀕死状態、自力で立つことさえままならない。けれど、少年のその緑色(エメラルド)の瞳だけは鋭さを増してゆく──気魂は死んではいない。

 

「ふんっ! やっぱ無理か。……ああ"、たくっ! ガキなお守りは面倒くせぇなぁ。こんなんなら『胸骨』でも連れてくりゃあ良かったぜ、チッ!」


 赤毛は落胆した。

 少年の覚醒に期待半分で待ちの姿勢でいたから。結果は期待外れ、時間の無駄だった。


 消化不良の結末に、急速にヤル気を削がれた赤毛は、億劫そうに少年を見下ろす。


「ふん、胸骨か。世迷言を……」


 この誘拐作戦に最後まで参加したがっていた、一頭地を抜く臣下の顔を思い浮かべ臍を噛む。

 次いで口が曲がる。自分の吐いた言葉なれど、いささか辟易した。うるさいのは苦手だと言わんばかりに。


「あー、もういいや。……終わりだ」


 背中を見せる少年。

 雨で濡れた前髪で顔半分が隠れていた。

 そのツラ拝ませろと言わんばかりに、奴が襟首を掴んで軽々と持ち上げた。少年の足が地面から離れそうになる、その瞬間ッ。


「───ッ!」


 開いた前髪の隙間から爛々と輝く緑眼が覗いた。

 ダンッと渾身の力で地面を蹴る少年は転瞬、最後の力を振り絞る。両手で構えた錆びた刀を、思いっきり突き上げてきた。


「なっ、な。こ、このくそ餓鬼ッ!」


 虚を突かれ、腕を貫いた。

 赤毛は瞠目する。

 ヤケクソで突き上げた刀は、少年の襟首を持つ奴の二の腕を突き抜け、鮮血を散らした。

 

 モンジの振り上げたこの刀。

 錆びだらけの刀は、土門の愛妻と愛娘を屠った刀だった。

 

 あの日、埋葬する際に土門は、恨みを忘れぬよう敢えて墓標の裏に置いていた刀。言わばいわくつきの一振りである。


 紅い眼光と緑の瞳が激しくぶつかり合う。

 少年の目は未だ死んではいない。

 彼はまだ、何も諦めてはいない。


「おおおおおおおおおおおおおああッ!!」


 少年の雄叫びが響き渡る。

 緑色の瞳が吊り上がり角度を増した。

 両手に力を込めてこれでもかと、刺した刀を更に押しあげる。

 瞳の奥底に、命の残り火を燦然と燃やしながら。


「こ、小猿風情がッ!」


 突沸したよう、赤毛は憤怒をまとう。


「っおらぁ!」

「ッが!」


 反射的に奴は『ヘッドバット』を少年に見舞っていた。

 盛大な打撃音とともに、強烈な頭突きで額をかち割られる少年。鼻血を噴出し、白目を剥いた少年は再び、足元に広がる泥へと体を落とす。


 頭から押し潰されたように、モンジは膝を折り曲げ、背中と後頭部を泥水に浸している。

 事きれた獣のよう、ズタボロの少年は完全に沈黙してしまった。


「つーッ! チ"ッ! こんクソ餓鬼ゃ。ワシの顔を焼くわ、腕ぇ、馬鹿にするわ、残りの手足切り落としちまおぅかぁ? ぁあ"あ"っ! チ"ィッッ!!」


 腕を貫く錆び刀に一瞥、毒を吐き散らし赤毛は最大級の舌打ちを鳴らす。モンジに視線を落としながら、むしろ自分を罵るように。


「─── っふん!?」

「ッキン!───カンッ、キンッ!」


 アッサリと引き抜いた刀で、流麗に飛翔物を弾き返した赤毛。


「糞虫どもがッ!」


 猛獣を彷彿させる獰猛な面妖を晒し、射出もと、森の暗闇へと牙を剥き出しに吠声を上げた。

 

「モンジさんっ!」


 射殺すような視線も意に介さず、少女は叫んだ。


 彼女は死んだように崩れ落ちている少年を見つめ、声を荒げている。そして赤毛が少女に向いた、その時。


「── ッダン!」


 弾かれたように森の闇から、影が飛び出してきた。

 己の真逆。背後から迫る足音に、有無も言わさず剛腕からの一刀、振り向き様に奴は錆刀を薙いだ。


 俊足の獣然とした走りは圧巻。

 雨粒を弾く顔面包帯まみれの偉丈夫。繁忠が視光の残線を引き連れ、今まさに愛刀を振り抜く。


「── ッふん!」

「きえええええええええええええーッ!!」


 剛腕からの大薙と、神速の抜刀が重なり──振り抜いたッ!


「ギャッ、キィンッ!」


 至高の閃きに、赤毛は目を見張る。

 走りながらに繁忠が放った渾身の一閃。

 稲光りの中、二人のあいだに火花が舞い散る。


 顔面に錆刀があたる寸前、繁忠の愛刀が奴の刀を切り裂いた。

 強風に煽られ、夜空に弧を描く錆び色の刀身。

 茶色の刃は宙を舞い、地面に先端を突き立てる。


「このッ、クソ餓鬼どもッ!」


 躊躇はなかった、

 繁忠は刀を振り抜くや否や、奴の足元に転がるモンジを攫い、森へと体ごと突っ込んだ。


「っざけんなッ! テメェ等。手加減抜きだッ! 八つ裂きにしちゃるッ! ああ"っ!!」


 全身を発火させたよう、奴の怒気が沸き立つ。

 刀身を根本から立ち斬られた錆刀を、繁忠の消えた森の闇へと投げつけた。


 “ ッヒュ! ”

「ッチ!」

 次なる急襲。

 赤毛は飛来する矢を難無く腕で払った──筈だった。

 トスッと、右肩に矢が突き刺さり、仰反る体を後ろ足で耐えきる。

 一矢目はダミー。隠れるよう同じ射線状に放たれた『もう一本の矢』が、奴の右肩を貫いていた。


「はああ"! 小癪な真似をッ」


 燃える視線の先。

 雷光に照らされた暗闇の中に、巫女装束の娘とその背後、熊皮を纏った大男が並んでいる。弓を構える女と大弓の大男、絹と土門だ。

 この二人は息のあった見事な連係で、神業級の連射をしてのけた。


 土門は二射目を番える。

 振り向く絹と視線を交わし、無言の合図。すぐに二射目を放った──。


 モンジと赤毛が消えたあと、モモの介抱により意識を取り戻した土門。

 森に響く爆音に戦場となる位置を割り出し、すぐさま行動に移した。この山全部が、勝手知ったる庭みたいなものだと。


 土門は回復した彼等を引き連れ、最短で林の中を抜けて『旧、真平集落』へと辿り着いていた。

 約半年ぶりの来訪であったが、彼等はそのまま闇へと身を潜め、モンジ救出の機会を窺っていた。


 森の中で出会った、彼等と共に。


 ──同じ手は食わぬ。

 手刀で奴は、二本の矢を難無く叩き落とす。


 愉悦に歪む獰猛なる面差し。

 面白ぇと口端をあげた表情とは裏腹に、その眼光は鋭さを増していく。あたかも次なる標的を狙う、獣のような眼差しで。


 ここで一変する。

 広場の中央より西より北西を向いていた赤毛は振り返った。

 眉間に皺を寄せて、警戒レベルを最大級にあげていた。

 他ならぬ、戦場に似た空気感、膨大な殺気を感じたからだ。


「──放てッ!」


 一瞬、静けさを取り戻した森の中に、鬨の声が響き渡る。


 “ッヒュ、ヒュンッ、ヒュン、ヒ、ヒュンッ、ヒュンッ……”


 号令と同時に、数多の矢が広場を覆い尽くす。

 少数に対する回避不能な広域戦術。領主、厳元の合図で、広場半面まで広げた軍団から、一斉総射された。


「おうらあっ!」


 着ていた長羽織を一振り。赤毛は降りかかる矢を振り払う。


「くっ、──抜剣ッ!」


 間を置かずの号令に、濃緑の鎧武者等が抜剣。


「── 突撃ッッ!!」

「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」


 森の闇より、怒号を上げながら鎧武者が躍り出る。

 その数およそ三百。刀を振り上げ鎧武者等は、一人の男に向かって突貫した。


「「「おおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」


 雷音をかき消す三百の雄叫びが、大地を震わす。

 雨を弾く濃緑の大群が、怒気を撒き散らし広場を駆け抜ける。


 嵐を突き破る彼等は──凄烈であった。


「余興も潮時だな。はっ、仕方ねぇ」


 圧倒される光景に眉ひとつ動かさず赤毛は、豪胆さを見せつける。時間切れとばかりに、クルリと身を翻すと走りだし、近場の木へと跳び付いた。


「はあっ、はああ! こりゃあ圧巻だねぇ」


 愉快、愉快と。

 その筋肉質な体で細枝に立つ赤毛は、他人事のように声を上げていた。ツイっと森の中に、そこから見えるはずの無い繁忠に、視線を向けると。


「おいっ、ほっかむり! その腑抜けた餓鬼に伝えておけ。ワシは北の大地におる。二週間待ってやる。娘ぇ、返して欲しくば、テメェで取り返しに来いって伝えておけっ、なあ!」


 はあっ、はああ! と風変わりな雄叫びを残して奴は、背後の枝に跳び移り、猿のような動きで森の中へと消えていった。


「奴が黒幕やも知れんッ! 取り押さえろッ!!」


 追撃の指示を出す厳元もまた、先陣を切って進む軍団に分け入り、奴の後を追って森の中へと消えていく。



 ややあって落ちつきを取り戻した広場ちは、ゴォーとうねる強風の音と、揺らぐ木々の擦れる音、バタバタと雨垂れが地面を打つ音だけが満ちていた。


 残された森山村の面々。

 自ずと少年の元へと集まる彼等彼女等。ただそこには、少女の悲痛な呼び声が響いていた。


「モンジさんっ! モンジさん! モンジさんッ!!」


 雨のあたらぬ、枝葉の茂る木の根本。

 繁忠は羽織っていた獣皮を敷いて、簡易的な寝床を作っていた。

 そこに横たわるのはボロボロの少年。小刻みな呼吸音を発し、全身からなる苦痛に顔を歪めている。


 膝枕で少年の頭を抱え、懸命に彼の名を呼ぶ小柄な少女を、鎮痛な面持ちで絹と繁忠は見つめていた。ひとり、この場にいない土門を除いては。


 呼び声に少年は、微かな反応を見せる。


「かっ! かはっ! はっ、はぁ、ひゅ、ひゅ、はぁ、ひゅ、……」


「モンジさんッ!」


 瀕死のモンジ。

 誰もが彼の姿に眉をひそめ、目を細めている。


 血と泥で汚れているのは言いに及ばし。

 顔半分は変色し腫れあがり、首から下、体はあざだらけで傷だらけ。胸に置いた手、その小指と薬指が逆の方向をむいている。

 ひび割れた爪と既に数枚が剥がれ落ちていて、体の裂傷から血が絶えず流れ出ていた。肋骨も折れ肺を圧迫しているのか、呼吸がおかしい。


 誰もが思ってしまう、生きているのが不思議なぐらいだと。


「モンジさんッ、今すぐ村に連れ帰りますからッ。そのままっ、そのままジッとしてい下さい。繁忠さんっ、撤収、撤収しましょう。早くッ!!」


 予断を許さない状況でモモは、必死に彼の命を繋ぎ止めようと訴えかける。だけど。


「かっ! かはっ! はっ、はっ、はっ、あー、モモか。はっ、はっ、まっ、まって、頼みがあるんだ。かはっ、はっ、ひゅ、ひゅ、はっ、はっ」


「はいッ! なんですかっ?」


「ひっ、ひゅ、ひゅ、はっ、はっ、あ、あの薬。痛みぃ、消してくれる、ひゅ、ひっ、ひゅ、あの薬、くれねぇか。は、はっ、追いかける。はっ、ひゅ、はっ、はっ」


 彼の望みは、まさかの継続。

 モンジの常軌を逸した言葉に、途端に蒸気させた顔でモモは叫んでいた。


「馬鹿ですかッ!? こんな状態で、薬で誤魔化したって、モンジさん死にますよッッ!! あなたは、大馬鹿ですかッ!!」


「はっ、ひゅ、ひゅ、はっ、た、頼む」


 正座しているモモの背筋がピーンと伸びる。

 唇だけがパクパクと開閉していた。怒り心頭で言葉が、口の中で空回りする。


「ひっ、ひっ、ひゅ、はっ、イ、イエ、イエ姉を、助け、たいんだ。はっ、はっ、はっ、頼む」


 虚な目、少年の意識も定かではないのが分かる。

 モンジの懇願に、眦に涙を溜めてモモは、ギュッと拳を握っていた。聞き分けのない彼を、強制的に眠らせてやると。

 

 少女の背後から影が迫る

 モモの震える拳に、背後から絹はソッと手を添えていた。そしてモモの側で片膝を落として彼女は……。

 モンジの首元に優しく手をおいて簡単に気絶させた。


 眠るように意識を飛ばした少年。

 安らかな彼の顔を、少女の顎先から零れた雫が濡らす。

 モモは決壊した涙と言いしえぬ悔しさで、表情を歪めていた。


 ポンポンと優しくモモの拳を二度叩いて、絹は柔らかな微笑みで彼女を包み込んだ。感情の堰が決壊する。


「なんでッ! なんで分かんないのッ!!」


 怒りの矛先を失ったモモの拳が、更に震える。絹の優しさに、モモの感情が爆発した。


「なんでっ、なんでッ! 分かってくれないのッ!! モンジさんが死んだらッ、イエさんだって、誰だって、モモだってッ、悲しいのにッ! 嫌なのにッッ!! モンジさんは、何も分かっていないッ! わかろうとしないッ!!」


 肩を震わせモモは怒りを、慟哭をモンジに、周りの全てにぶつけていた。俯いている少女の表情までは解らないが、泣いているんだとその声音で察しがついた。


「あー、ちょと、いいか? 水を差すようで悪いんだが、男のワシから言わして貰うとだな、コイツも結局『男』って事だよな」


「なにがッ!!」


 繁忠の横やりに、凄い剣幕で噛み付くモモ。

 大粒の涙を流す彼女は、噛み付かんばかりに歯を剥き出し、繁忠を威嚇していた。


 彼女の気迫に手を後頭部に置いた繁忠は、目を丸くし包帯まみれの顔面でたじろぐ。言葉を繋ぎかけて結局、彼は呑み込んでしまった。そして状況を鑑み、その重い口を開いた。


「まあ、遺恨は残るが、ワシ等にはもうこれ以上打つては無いからな。彼女の言う通り、ひとまず撤収で……宜しいか?」


「そうね。ひとまず撤収しましょう」


 こんな場面では必ずと言っていいほど噛み付いてくる絹が、アッサリと了承する。驚いた繁忠は一言付け足した。


「……なんだ、絹。何か言いたげだか」


 幼馴染の機微を感じ取り、繁忠がいま吐き出しておけと迫る。


「……ええ、そうね。……繁忠、あんたこそ聞いていたでしょ。アイツの言葉」


「あ、あぁ」


「北の大地。……私は決めたわ。私が必ずイエ姉を連れ戻すって」


 ハッ、ハッハハッハハハッ。繁忠のひきつった笑いに、ギロリと怖い目で睨む絹は「なによ、文句でもあるの」と、付け加えた。


「あー、スマン、スマン。いやぁ、まっこと、お前は強いなぁと思うて。しかも、いい女だなぁと改めて思うたよ」


「はっ? 何いってんのバカ。何言ってんのよバカ。アンタ、一回死んだほうがいいんじゃないのバカ。こんなところでバカ。気持ち悪いバカ。……バカ」


 普段からの性格が災いしてか、褒められ慣れていない彼女なりの照れ隠しである。繁忠の包帯まみれのしたり顔に絹は、顔を赤らめ、ヘソを曲げた子供みたいにプリプリしている。


 フンッと明後日の方向を向いて彼女は、そのまま黒い空を仰ぐ。

 頬の火照りを冷ますように、瞳を閉じて大量の雨粒に顔を晒す。暫くして、声をひそめて呟いた。


「……イエ姉、今だけは我慢してね。私が必ずあなたをモンジに会わせてあげるから。だから、今だけは……ね」


 嘆くように囁いた。

 雨に濡れた衣服が彼女に張り付く。スラリとした細身の輪郭を浮き出たせる。強張るその体がありありと浮き出ていた。彼女の降ろした手の平が、硬く、そして強く、握り締められていた。


 絹は怒っていた。

 奴等の生木を裂くようなゲスなやり方に、華奢な肩を震わせ、猛烈な怒りを抑え込んでいる。

 見開いた黒い瞳の中に彼女は、嵐でも消せない怒りの焔を灯しながら。



 土門は皆の輪から外れて、ひとり佇む。

 全身ずぶ濡れのまま、静かに墓標の前で手を合わせていた。


 瞑目する土門。

 かつての幸せだった日々が脳裏に浮かぶ。

 クロエとシロの笑顔が鮮やかに映しだされていた。


 胸の真ん中から懐かしい声が聞こえた気がして、土門は耳を澄ました。

 

「あなたはまだ、やり残したことがあるでしょ」

「おどどー、ある、あるぅ」


 二人の声に目尻が潤む。


「ああ、確かにな。だが……疲れたな」


 つい、本音が洩れた。


「あなたは私が惚れた男なんだから、シャンとしなさいっ」

「しゃんと、しなちゃいっ」


 ただの叱責だが、嬉しかった。

 これは妻からの信頼の証だと、土門は解っている。

 それ故に、妄想の中での会話ではあるが、彼女達の言いそうな言葉に気持ちも和み、顔も綻ぶ。


 徐々に、静かに消える二人の面影。

 瞼を開いて土門は顔をあげた。その表情はどこかスッキリしていた。

 彼は胸の内側に小さな焔を灯し始めた。成すべき事を成す為にと決意を固めて。

 

 結局、『森山村襲撃事件』の解決は彼等の中に、『誘拐事件』という新たな火種となって燻る結果となってしまった。


 この火種が、いづれ訪れる業火の火種になるとも知らずに。


 ありがとうございました。

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