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〔墓守り紋次の物語〕  作者: 猫屋敷 中吉
48/122

修羅

よろしくお願いします。


「るがああああああああああああああああああッ!」


 猛るモンジが疾駆する。

 言葉を持たぬ獣のように彼は叫んでいた。

 切り裂いた双眸、鋭い眼光は黒い背中を貫いている。


 迫る殺気に黒服は、思わず振り返ってしまう。その覆面で隠れた顔は既に、驚愕で彩られていた。


 目出しの覆面から覗いた蒼眼を晒す。

 見開く蒼い瞳に恐怖の色を宿す。そんな彼の剥き出しの眼球には、怒り狂う少年の姿が飛び込んできた。


 糸を引いた牙で、獲物に食らいつかんとする彼の姿はまるで、肉食獣のごとく凶威を孕む。

 烈火を纏いし少年は眼前の獲物に対し、逃れられない恐怖を植えつけていた。


 襲いかかるモンジッ──黒服は慄く──狩られるとッ!


 総毛立つ黒服はもはや、抗うことも忘れ血にまみれた自らの数秒後に絶望する、そしてッ。


「──バッゴン!」

 コンマ、秒では無くコンマの差だった。


 襲い掛かる爪が目の前で消えたッ、脅威が吹き飛んだッ。ッ何故に──。


「!?──ッ!」


 瞬間、刻の狭間に凍結する。


 爆裂音とともに少年の体は消え去り、ズラした視線で黒服は、少年が真横に吹き飛んでいた事を知った。


 星霜なる刻の理が、本来の目的を取り戻す──。


 強烈な飛び蹴りをまともに受けたモンジは、ボールのように地面を二度三度とバウンドして、地べたをゴロゴロと転がっていく。

 やがて自らが作った土煙の中で止まり、寝そべるだけの存在と化す。


「はあ、はあ、はあ、はあ、……」


 徐々に体を溶かし黒服は、喘ぐ肺に新鮮な酸素を送る。

 少年を目で追う彼は足を止めていた。冷や汗が顎先から落ちて、地面に黒い染みを作った。

 ハタと我に帰り黒服は、この現況を作った者へと視線を移した。


「はぁ、はぁ、はぁ、……お館様」


 安堵から洩れ出た言葉に、全身が一度は緩む。

 視界に映る、赤毛、赤目、その獅子を彷彿させる容貌の己の主人──『木場 清光』の登場に、なんとか両目を逆立て通常を装った。


「ははんっ、四季の所為で下手こいちまったぜっ! だがしっかし、なんだなっ。この小猿はよぉ、足だけは、いっちょまえだな、なっ!」


 動かぬ少年を見つめて「面白えなぁ」と、上機嫌に笑う己の飼い主に、息を整えつつ複雑な表情を見せる黒服は、頭を垂らす。


「背骨、テメェは先に行っとけ。ワシは少し遊んでから追いつく」


 獅子の相貌が喜色に染まる。

 迫り来る微細な違和感を感じとり清光は、臣下とは真逆の方向、合流地点を見つめて命じてきた。


「はぁ、はぁ、……御意」


 感情を殺して背骨は、少年を主に委ねた。

 少女を担いだままの彼は軽い会釈だけで止め、踵を返し走り去る。


「……さ・き」


 憂いを秘めた瞳を曝け出す。

 背骨の担ぐ赤茶髪の少女に目を奪われた清光は、ほんのひと時だけ、素を晒した。

 目線で追い縋り、目を細めて彼は──おくびにも出さないが内心、動揺もしていた。

 

 イエの顔形、姿、その雰囲気そのものが『生涯を誓いあった相手』──『咲姫』に、酷似していたからに他ならない。


 戸惑いながらも獰猛さを消した表情で彼は、懐かしむように、慈しみの眼差しをイエに、『咲姫』に向けていた。


 懸想が募る。けれどそれは、一時だけのことで。


 清光は意固地なまでの積怨(せきえん)で、これを一蹴。

 目を瞑り、次に開いた瞬間には既に、猛火の色を瞳に宿していた。清光は、口端を裂いて獰猛に笑いだす。


「はんっ! しっかし、緑目姉弟を攫うだけで四季が出張るなんてなぁ、なあっ! はあっ、予想外だったぜっ。はっ、ははんっ、面白え」


 笑止と、己が恋慕を追いやり、尚かつ国一番の陰陽師がしゃしゃり出て来た事に不快感を顕にする。

 けれど存外、インセンティブを快とするフレキシブルな彼の本音は、満更でもない。

 つまりは、刺激が欲しいのである。予測不能な不確定要素を楽しむ彼は、えらくご満悦の様子であった。


♢♦︎


「ガァ! ガッ、ハッ、ハア、ハア、ハア、ハァ、……」


 猛烈に脇腹が痛い。体が、言うことを聞いてくれない。


 激痛に表情を歪めるモンジは、盛大に顔面を搾る。四つん這いの体はダメージを消化し切れていない。口端から血が流れ出していた。

 地べたに這いつくばり、右手で堪えてはいるが、額を土に擦りつけていた。


「ガッ、ハッ、ハッ、カハッ、ハッ、ハッ、ハッ……クソガッ!」


 小間切れの息を吐き出し、それでもモンジは潰れた表情から片目だけを強引に開いて、襲撃者の姿を目に焼き付ける。


 悠然と佇む男が視界を埋める。

 逆巻く赤毛、猛獣を思わす相貌、虎柄の着物に赤い長羽織。そんなふざけた格好の奴が笑って俺を見下ろしている。


 絶対ぇ、忘れねぇ。必ず落とし前はつけさせてやるッ。


 モンジはドス黒くなる感情で奴を見ていた。(はらわた)の隙間からぼこぼこと、怨嗟(えんさ)の滑りが湧き出すのを感じながら。


♦︎♢


 数分前。

 モンジが駆け出したと同時に赤毛に強襲を掛けた、屈強な男達がいた──四季が放った『阿と吽』である。


 彼等を持ってしても赤毛の打倒はおろか、足止めが出来たのは、たったの数秒でしかなかった。


 強襲をかけ豪快に振り抜かれた二つの剛拳に赤毛は、残像だけ残して彼等の視界から忽然と消え去った。

 剛拳は空を貫き、互いに視線を交わす二人。そこに不意を突かれた格好で、足元から衝撃が走った。


 爆散ッ! ──二つの巨体は宙に浮き、次の瞬間には吹き飛んでいたッ!


「ま、まるで、規格外じゃないッ……」

 

 絹は唖然としていた。なんとか視認できた光景に、息をすることも忘れるほどに。


 筋肉二人と接敵、寸秒、地面すれすれに体を沈めた奴は、足払いで二人の動きを封じるとそのまま自らを高速回転。

 軸足から砂煙を巻き上げ、独楽(こま)のように体を高速回転させ赤毛は、強烈な上段回し蹴りを二人に食らわせていた。


 目を剥く暇も与えられず二人は、爆音と衝撃を同時に食らい、同じような格好で弾かれ吹き飛んでいた。


 弾かれた先で煙の如く空中に霧散した二人。後に残された物は、ひらひらと舞い落ちる人型の紙切れ二枚だけだった。


 ほぉー、と重く息を吐き出した赤毛。静かに一呼吸置いてそこから反転、絹に背を向け、何かに追い立てられるよう猛スピードで走り去ってしまった。


 呆然とする絹。理解できなかった。動きが人間離れしていた。人、じゃないっ!?


 紙切れ二枚を見つめる絹は、石像の如く動けずにいる。

 気持ちが悪い。奴の気迫と殺気に当てられ、全身から粘着く汗が溢れ出してくる。


 ──寒い。

 人間離れした赤毛の動きに絹は、体の芯が凍りつく程の恐怖を植えつけられていた。


 ──修羅、そのもの。


 目の前で起きた一方的な暴力に絹が抱いた印象は、それだった。

 数秒後、遅れたきた体の震えに自らを抱きしめる事でこれを制する。


 私には、無理。


 圧倒的な脅威を前に、己は無力であると悟ってしまった。


 それでも。


 喪心から背筋に怖気が走る。粟立つ全身が奴に近付くなと警笛を鳴らす。

 あの男の燃えるような赤い目が恐ろしくて堪らない。


 わたしでは何も出来ない。


 分かってるっ、でもっ。それでもッッ!


 絹は決戦前での──イエの切なる願いを思い出す。


 ──モンジをお願いします。


 彼女が必死に頭を下げている姿を思い出していた。

 イエ姉は、モンジが来るずっと前から集合場所にいて、一人一人に丁寧にお願いをしていた。もちろん私にも。


 私は気付いたの。あれは、恋する乙女の顔だって。


 瞼を閉じる絹。

 火にかけた薬缶を己と見なす──ボコボコと気泡が発生する──カタカタと蓋が踊り出し──遂に「ピーッ!」と、耳をつん裂く高音が沸騰を知らしめた。


 私は許さないッ。

 例えお釈迦様が許しても、私は絶対に許さない。

 乙女の恋路を邪魔する奴は、けちょんけちょんのギッタギタのボッコボコにしてやるんだから。


 恋に恋するお年頃の絹は、自らを奮い立たせる。

 ギュッと、握り拳を作る絹は、怖気付く自分をぶん殴る。にわかに本気モードに移行した。


「うおぉぉぉぉぉぉぉ──っ!」


 およそ女子とは思えない雄叫びをあげて絹は、ドドドドと豪快に走り出した。自分の得物(ぶき)を取りに、である。


 どんな奴が相手でも私は負けないッ。イエ姉、待ってて。私が必ずあなたのその願い、意地でも成就させてあげるんだからッ!


 恋に真っ直ぐな絹の心情が発露する。

 胸の真ん中にある温もり、決してブレない暖かな揺らめきが彼女を突き動かす。


「おおぉぉぉぉぉおぉぉ───っ!」


 眦を決し絹は、勢いよく大地を蹴り付けていた。


♢♢


「もおッ!」


 ──イエッ!


 走り去る黒い男に意識が割かれる。

 俺の散々な有り様を目してイエは、黒服の背中をポスポス叩きなから叫んでいる。


「いえええええええええええええっ!」


 ウグッ、クッソ痛ぇ。

 叫ぶこともままならねえ。

 脇腹からくる痛みからの警告に、大事な何かが折れそうになる。


 だっ、がっ、オール無視だッ!


 破裂しそうなほどに青筋をたてて、立ち上がる。

 赤毛など意識から消えていた。ただ、イエだけを見つめて俺は、思いっきり大地を蹴りつけていた。


「だから、いかせんって……」


 ドンッ!と、背後からの衝撃とともに、体がその場で潰された。走り出す寸前に、俺の全身が再度地に沈む。


「── んがっ!」


 お、重い。

 腰に巨石を落とされたみたいだ。背中がひしゃげて動けない。

 ジャリジャリとした砂が口に入り込む。肺が圧迫されて、ひどく息が苦しい。


「ッぶ、ぐえっ! どけっ、ゲフッ、どけっ、どけっ、どけえ!」


 それでも、意地でも抗うッ。決死の覚悟を見せるモンジは暴れ出した。


 これでもかと出鱈目に手足をぶん回す。暴れる俺に赤毛は、淡々と更に足へと力を込め続ける。


「だから、行かせねえっつってんだろうがっ」


 面倒臭そうに、奴の冷え切った声が俺のうなじに捨てられる。


「勘違いすんなよ。テメェも(さら)う対象だ。大人しくしてりゃあ、痛い目にも遭わん」


 意味判んねぇよっ、何言ってんだコイツっ! 俺達姉弟が何したってんだよッ! てめぇこそ、ふざけんなっ!!


「もおっ!」


 小さくなっていく彼女の叫びが胸を締め付ける。

 心配するイエの叫び声が、胸の内側から俺を焦がし始める。イエ、イエ、イエ、イエッ!


「ンガアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」


 激高するモンジは、大地に手足を貼り付けた。両手両足、全身に万力を込めるッ!


 ──これ以上、俺から奪うなああああああああッ!


 四肢に血管を浮立たせてモンジは全力で体を持ち上げ続ける。鼻血が噴き出すが、気にしねえ。


 そんなの関係ねえーッ!


「おぉっ! ぱぁっ! ぴいぃぃぃぃッ!!」


 全身をプルプル震わせながら、モンジの体が徐々に浮いていく。鼻血がぼたぼたと地面に落ちて、土と合わさり、赤い球を何個もつくる。


「ははんっ、中々面白えなテメェ。小猿、次はぁ、なにをしてくれんだぁ。ああん!」


 間抜けな喋り口のこいつに、更に怒りを増幅させる。


 “ ッヒュン! ”

「……チッ!」


 風切り音がした。

 挑発してきた奴の意識が、別に向いた!?

 がむしゃらな四つん這いの俺の目の前に、ポトッと折れた矢の半分、羽の着いてる部位が降って来た。気持ち、背中が軽くなった気がした。


 筋立つ首をなんとか回して奴の様子を伺う。見た瞬間に俺は、怒りを忘れ瞠目した。


 なんとこの赤毛、矢の板付き部位(先端部分)を掴んで、握り締めていたんだ。


 奴は、高速で迫り来る矢を片手で掴んでいたッ! んな、バカな。漫画じゃねぇんだ、あり得ねぇだろ。


 天邪鬼を踏みつける仁王像の姿で奴は、邪魔をした何者かに対し睨みを利かせている。


「モンジっ!」


 ひっ迫した美叫! えっ、絹さん!?


 思わぬ助っ人の登場に、モンジの胸中に動揺と期待が交差する。

 奴の意識が俺から、あからさまに彼女に向いた事への不安。

 そして、現状の打開に何らしらの貢献をしてくれるだろう彼女への期待。

 この二つに俺は、無責任にも後者を切望してしまった。


「こなっ、クソッ!」


 ゴンッ! 思いっきり地面に頭突きをかます。

 痛ッ、バカか俺はッ! こんなゲームのラスボスみてえな奴を、可憐な少女に任せられっかよッ!!


 モンジはイキリ立つ。有らん限りのフルパワーを四肢に込めるッ。


「どおおっ、せえいぃぃっ!!」


 火事場のクソ力ならぬ時代錯誤的な『男だろっ!』パワーを全開に──背中を持ち上げた。


「!? っえ!」


 馬鹿みたいな声が口をついて出ていた。背中にどっしりと乗っていた重石が消えていた。

 不意に背中が軽くなった所為で、勢い余って体を転がしたモンジは、夜空を見上げて目を点にしている。


 でも、横に転がったおかげで視界が開けた。今起きている全容が明らかになる。


 “ タ、タ、タ、タ、タ、タ、── ”


 次弾を装填済みの絹さんは、弓引き、伸合(のびあい)、やごろ(矢を放てる状態)状態で赤毛に標準を合わせている。


 “── タ、タ、タ、タ、タ、タッ“


 そして、駆け寄る足音は繁忠ッ!


「あっ」──助かった。


 俺の中での最強のツーマンセルの登場に、心底感謝した。


 弓を構える絹さんを背にして繁忠は、刀の柄に利き手を添える。いぶし銀の男は、奴へと猛進する。

 

 奴は俺の斜め上で突っ立っているだけで、微動だにしない。


 もうすぐ終わる。後は黒服を追いかけるだけだ。浅はかな俺は、赤毛の存在を忘れて『イエ奪還』に思慮を巡らす。


 緊張感を残しつつ、微細なれど安堵した体は脱力する。自分でねじ伏せていた体の痛みに、耳を傾けていた。

 明滅する箇所は沢山ある。

 あり過ぎるが、特に脇腹が酷かった。俺は激痛に顔をしかめながら身を起こした。


 だけど、俺は知らなかった。甘く見ていたんだ。


 彼等ならコイツをねじ伏せられると、本気で信じていた。信じきっていた。


 俺は赤毛の実力を舐めていたんだ。


 奴は、陰陽師の護衛役『阿と吽』を瞬殺する程の実力者で『本物』だとは……能天気にも俺は知らずにいた。


「チッ!」小さな舌打ちが聞こえた気がした。意識が赤毛に持っていかれる。


「きえええええええええええ──ッ!!」


 咆哮一声ッ!

 低勢即貫、眼光を尖らせ突貫して来る繁忠に、だらりと両腕を垂らした無防備姿の奴は、なんのアクションも起こさない。


 ドンッ! 奴の眼前。繁忠は踏み込む利き足で地面を発射台とし、轟音を轟かすッ!


 瞬殺の一閃を振り、抜くッ──“ ッサン! ”


 刹那の間に間に、銀の閃きが宵闇を斬り裂く。


 神速の抜刀が繁忠の眼前に、白銀の円弧を描いていた。


 でも、それだけだった。「───ッ!?」


 余りの手応えの無さに繁忠は、スッと目を薄める。

 直ぐさまスルリと、何者かの手が腰に回った。繁忠の顔面からは表情が消え去る。背中から回された筋肉質な腕で『負けた』と確信した。


「三流だな。まだまだ足りねぇな、テメェは。まっこと、つまらねえ。とりあえずテメェは、此処で死ね」


 耳元で囁かれ、自分との格の違いに戦慄を覚えた繁忠は言葉を失う。


「せいっ!」


 掛け声とともに奴は、繁忠を持ち上げ、真後ろへと反り投げた! 

 繁忠の体は縦にグルンと宙を舞う──ボゴンッ! 豪快に頭から地面に叩きつけられていたッ。


 奴は投げ技『岩石落とし』『バックドロップ』をしてきやがった!


「しげただあぁぁぁぁぁっ!」


 初めて聞いた絹さんの泣き叫ぶ声に、ギュッと心臓を鷲掴みにされる。

 

 顎が軋む。噛み締めた奥歯がギリギリと不協和音を鳴らす。傷の痛みを忘れるほどに気持ちが圧搾される。鼓動が激しくなる。脳味噌が沸騰しそうだ。


 土塊を撒き散らし、地面にめり込む頭。

 繁忠は頭と肩を地面に突き刺さしながら倒れている。しばしの沈黙が訪れた。


「──ッガア!」


 焦眉(しょうび)の急と言わんばかりに、息を吹き返した。

 頭を振りながら上体を起こした繁忠に、尋常ではないタフネスさを感じて俺は、幾許かの溜飲を下げた。


 もとより、繁忠の奮闘もどこ吹く風で奴は、一点を見つめていた。

 赤毛は地に突き立った繁忠の愛刀を見ている。投げられた拍子に取り落とした繁忠の愛刀『鴉斬り丸』を拾いあげると、わざとらしく刀身を検分し始めた。


「はんっ、テメェには過ぎた代物んだなっ、こりゃ。おいっテメェ、刀ってなぁ、こうやって使うんだよっ!」


「ッ──!」

 咄嗟の事だった!


 一瞬、知覚した何かに体が反応した。

 奴の足に瞬時に飛びついたモンジは、赤毛の体制を僅かに崩す。


「── ヒュッ!」

 奴はノーモーションからの一刀を、繁忠に浴びせた。


 あり得ねぇ! あろう事か奴は、呆気に取られている繁忠の首を狙って、刀を横凪に振り抜いたんだ!


 けど、完璧は防げな無かった。しくじった!? 俺の視界に紅の粒が舞う。


 モンジの機転で軌道のブレた射線は首から逸れはした、しかし、代わりに繁忠の顔面を横一文字に斬り裂いていた。


「いやあああああああああああああっ!」


 絹さんの悲痛な叫びが耳朶を打つ。白目を剥いた繁忠は顔面から血を噴き出して、仰向けに倒れ込んだ。


 コイツを舐めていた自分を、殺したくなる。


 絹の割れんばかりの悲叫と、繁忠の尋常では無い血飛沫に、心が殺られる。

 何度目かの土を舐めながら俺は、打開策にと足りない頭をフル回転させる。


 せめて絹さんだけでも安全な場所に──っと、思った矢先に、絹さんの行動に声を荒げてしまった。


「やめろッ!」


 眦に涙を溜めて絹さんは赤毛に、矢を放っていた。


 懇意にしてくれた友人『繁忠』の仇。幼馴染の女の子『イエ姉』の仇。全ての元凶はコイツなんだと。


 絹は竦む体を怒りで押さえ込み、怨嗟で自らを燃やして矢を放つ。


 些事とばかり赤毛は、片手で矢を弾いた。けれど、灼熱の眼光は絹に向けられる。次はお前だと言わんばかりに。


「絹さんっ! ダメだっ!」


 モンジの悲鳴に似た声に彼女の気持ちが揺らぎだす。まるで、私は無力だと言ってるみたいだった。


 現に今放った矢もあいつは軽く弾いてしまった。

 無駄だ、無謀だと私がわたしに言ってくる。分かっている。私ではどうにも出来ないって、等に解っている。


 心はとっくにへし折られている。

 けれどっ、それでもわたしはせめて、こいつにだけは一矢報いたいッ!


 あらん限りに眉尻を逆立て、決意を灯した双眸で絹は、赤毛を捉え続ける。


 イエ姉ごめんなさい。それでも、あなた想いは私が必ず守るからッ!


「モンジ、あなただけでも逃げて!」


「──ッビン!」


 願いを込めた一矢を放つッ! 鋭い眼光に微かな悲哀を込めて絹は、三射目の矢を放った。


「チッ、面倒くせえ女だなっ!」


 舌打ちをしながら絹の矢を難無く躱した奴は、コッと、足元の小石を軽く蹴りつけた。


 たったそれだけだった。


 凄まじい勢いで小石は絹さん目掛けて飛んでゆく。

「あうっ、くっ!」


 短い悲鳴で絹さんの体は、くの字に折れていた。

 小石を腹部に喰らい、次弾を装填中の絹さんはつがえた矢を落としてしまう。彼女は弓を握り締めたまま、その場で崩れ落ちていた。


「絹さんッッ!!」


 もう、悲鳴、悲叫、叫喚だった。親き者達の倒れゆく様に、俺の感情は限界を超えていた。そして……。


 静寂が訪れる。モンジは急に静かになる。電池の切れた玩具のようだった。


 うつろな視線を送る少年は表情を失い、まるで感情の無い能面の様である。よく見るとその双眼は、緑と灰色に明滅していた。


 


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