獣の咆哮
よろしくお願いします。
「おぉ──い。絹ぅ──。待たせたなぁ──!」
少し間の抜けた叫び声が聞こえる。
砦より西側、予想外である森の方から聞き慣れた叫び声が、絹へと届いた。
「えっ! なんで!?」
不安げな表情の絹も寸秒だけ驚きを見せるも、すぐにパーッと明るい笑みで華やぐ。
間を置かず、ハッと我に帰りすぐさま腕を組み直して、ブスッとした表情に変えた。要は、彼女なりの照れ隠しである。
在らぬ方向から現れた彼は、そんなことも全くお構いなしに、右手をぶんぶん振りながら近づいてくる。
「ぶっ! なんなのよっ、あれ!?」
彼を先頭に、森から人が出てくるわ、出てくるわ。
女性らしき人物を背負いながらは、分かる。綿姫様を救出に向かったんだから。
しかしながら、ぞろぞろと人を引き連れての帰還に、絹も驚きを隠せなかった。
「はあ? どう言うことよっ!」
厳つい恵比寿顔で放っかむりに、短めの獣皮を羽織っているせいか、どこか愛嬌のある姿を晒す幼馴染。
そう、三馬鹿トリオのひとり、繁忠の帰還に、絹も嬉しさ五割、驚き三割、怒りが二割と、こんな具合になっていた。
「あのっ馬鹿供。何がどうなっての御一行様よ。……心配したじゃない」
最後尾に土門とモンジを確認し、驚き三割、怒り二割の割合を、安堵五割に変化させた。
「ふふ、ホント馬鹿ね」
しみじみと呟いた彼女は、吊り上げた眉尻を下げて、笑みを滲ませていた。
ここ、南門前の平原では陰陽師が一人で敵を蹴散らした直後の事だった。
ややあって、むっつり顔の絹と微笑を湛えた繁忠は笑顔を交わす。
「っよ! お待たせ」
「遅いっ、繁忠のくせにっ! どんだけ待たすのよっ!」
片手を挙げつつ満面の笑みで近寄る繁忠に、キツい物言いで絹が噛み付く。
「こりゃまた、手痛いのう、絹は……」
「……だって」
繁忠の眉が反応する。短いやり取りの中で違和感を感じた。微細な変化、機微を感じて彼は絹を一瞥し、顔を曇らす。
いつもの彼女らしい態度ではあるが、僅かだが彼女の声音は震えている。繁忠はほぐした表情を渋いものへと変えていた。
「どうした? 何か不都合でも起きたか?」
繁忠の怪訝そうな声に「あっ」と、絹は口を開きかけるも──邪魔が入る。
「やあ、繁くんっ。首尾は上場だったみたいだね ♪」
言いかけた絹の背後からピョコンと現れた陰陽師に、会話の先手を取らてしまった。
視線を切られ、俯く彼女に幾許かの不安を残しつつ繁忠は、陰陽師に軽い会釈をする。
「これは、これは四季様。ご足労感謝いたします。……して、どうなされたのですか? こんな所で……」
いるはずの無い陰陽師に疑問を呈する繁忠に、トホホ顔の四季はこう返した。
「聴いてよ、繁くんっ! ホント、人使い荒いんだよねぇ、あのモジャモジャ。あれっ、おひさ〜、元気だった綿ちゃん ♪ 息災で何よりだねっ ♪ 」
いつもの調子の四季に繁忠は苦笑いを作る。四季は彼の背中を覗き込み、小さく手を振っていた。
「ひゃいっ! あっ、た、立花様っ。お久しぶりです。すいません、こんなはしたない格好で……申し訳ありません」
消え入りそうな声の綿姫は全身を赤く染める。襦袢姿、肌着姿の彼女は、今更ながらに身支度を整える。だがいかんせん、繁忠に背負われている所為で差してその身なりに変化は無い。
いいよ、いいよと、ニッコリ微笑み返した四季は、繁忠に視線を移して、その口を開いた。
「で、モンジ君は無事?」
真顔で、しかもこっちが本命とばかりに声のトーンを落として。
「は、はあ、殿に、後ろにいるはずですが……」
「うん、わかっ……」
“タ、タ、タ、タ、タ、タ、タ…… ”
四季の後ろを駆け抜ける足音に彼等は目を点にする。
四季の変化に戸惑いながら答えた繁忠に、直ぐにいつもの男の娘風『可愛い』を纏った四季は「えっ」と小声を溢した。
彼の背後を、何かに急かされるよう一人の女性が駆け抜けて行ったからだ。
繁忠の背後に伸びる列。その最後尾を目指して走り去る背中は──イエ、だった。彼女は一目散に駆け抜けていった。
「あちゃー、先越されたちゃったなぁー。でも仕方ないね、あの娘なら良しとしようかな ♪ 」
おちゃらけた態度で四季は、やれやれといった大袈裟なジェスチャーを見せる。ふうーと、首をフリフリ、嘆息とともに腰に手をやった。
彼女を見送る三人。繁忠はハニカミながら、四季は溜息まじりに、絹は──陽だまりのような笑顔で、彼女の背中を見送っていた。
「っっ!?──ええっ!」
横を通り過ぎたイエに少女は、眼を剥いて、次に叫喚した。
綿姫の側に付きっきりだった少女、モモは、横を通り過ぎていったイエの姿に栗色の瞳をクリクリさせて驚きの表情を弾かせる。
そして「ごめんなさいっ」と、綿姫に対し豪快な謝罪を残して、彼女の後を追いかけて行った。
♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢
モンジは考えていた。
奇しくも、厳伍の使った隠し通路を使っての、砦から脱出を成功させた彼等、繁忠率いる御一行様は、何事も無く無事に援護組との合流を果たした訳だが。
モンジは珍しく、思案中である。
砦を出る際「殿で丸腰はイカンだろっ」って事で、繁忠から預かった脇差をイジイジしながらである。
緩んた雰囲気の中で彼は、ひとりだけ浮かない顔をしていた。
列の最後尾。腰に横で大槍を持ち、それを支えにおでんを背負っている土門さんが前を歩く。その後ろで俺はトボトボと歩きながら。
目の前にあるのは、歩く度にダルン、ダルンと揺れる、丸出しオッサン(おでん)のダルダルの汚いケツを見つめながらであった。
このデブの処遇に、頭を悩ませていたんだ。
ん〜〜、解るよ、分かっているよ。こいつは『人喰いで人殺し』だってことは、俺もこの目で人を食っているのを目撃しているんだし……。
けど……。けどね、こいつは俺達を助けてくれたのも事実な訳で……。
もし、もし何かしらの事情があって人を食っていたんだとしたら……。って、事情は想像出来んけど……。
でも、こいつの処分は事情を聞いてからでも遅くないって言うか、やっぱ、あんな所で見殺しになんて出来なくて……あー、なんか言い訳っぽいな。
結局、俺は『命の責任』を先延ばしにしただけ、なのかも知れないけど。
自問自答を繰り返すモンジ。それでもモンジは、最後に土門さんに言われた言葉で、ほんの僅かだが救われた気がしていた。
「モンジ殿は、そう言うと思っていたよ」
俺が最後に「おでんを助けたい」って言ったときに、土門さんのくれた言葉が身に染みて……嬉しかったっていうか、分かってくれたような気がしたんだ。
で、土門さんは俺に任せろって言って筋肉自慢をしてから、おでんを背負ってくれて今に至るんだけど。
『命の責任』をとりたく無い、負いたくないっていう俺の弱さなんだろうか。いや、これは逃げ、なんだろうな。
列の最後尾で俯むき、どんよりしているモンジに軽快な足音が迫る。
ネガティブ温泉に肩までどっぷりと浸かって、ハアーと重い溜息をついていたら──ガッシッ! と、柔らかい塊に激突されたッ。尚且つギュッと、強く抱きしめてきた。
「あわわっ!」って、曲がりかどで食パン咥えた気になるあの子にぶつかった時みたいに、驚嘆をあげてしまった。勿論、そんな経験は無いけども。
体にかかる優しい圧。細いからだが絡みつく。目の前で揺れる、柔い赤茶色の髪がふわっと鼻をくすぐった── 感触で分かる、彼女しかいないって。
まわしたその腕は優しくて、寄りかかる重さはとても軽くて、甘いフローラル系の香りに、雪のように白い肌の女の子。
夜光に濡れる優艶な首筋と、滑らかな頬は桜色に染まり、その下に小さめな唇が艶めいていて、今夜はとても色っぽい。俯いているせいで顔が良く見えないな。……残念。
でも、見紛うはずがない。だって大切な一人っきりの家族で、俺の全部だから。
そう、俺の全部なんだから。
──イエ姉「ただいま」そう言って、彼女をソッと抱きしめた。
視界の隅で砦が燃ゆる、初めて会ったあの日の追懐。俺は当時、彼女のことをとても強くて頼もしい女性だと思っていた。手を引いてくれる彼女が、格好いいって思っていたんだ。だけど……。
今抱きしめてくれている彼女は、とても弱々しくて、少しの力だけで壊れてしまいそうなほど儚げで、まるでガラス細工のように繊細で。
けれど、それが全然嫌じゃなくて、守ってやらなきゃ、頑張んなきゃって思えて。
むしろ頼られているみたいで、彼女を守れるのが俺しかいないってことが、なんだか嬉しくて。
いつの間にか、見上げる立場から見下ろすようになった彼女に、彼女の髪に、思わず俺は頬を擦り寄せていたんだ。
ここでフと、地下室での綿姫様の心情に触れた気がした。
モモの髪に頬を寄せる綿姫様、彼女は癒しを求めて頬ずりをしていた訳じゃなかった。
ただ、愛おしいだけ。それだけ何だと気づかされたから。
現に、イエ姉に頬ずりしている俺にはそれしか、それだけしかないのだから。
ただ、愛おしいだけ。
簡易で簡素な単純な想い。それさえあれば人は強くなれるんだって、生きていけるんだって気付かされた気がしたんだ。
「え〜、こ、こほんっ。あ、あのー、そのー、えーと、ちょっとだけ、よろしいでしょうか?」
ラブラブタイムを邪魔するように、遠慮気味な可愛い声が水を差す。
イエ姉の後ろに佇んで、胸の前で両手の指先を合わせてモジモジしている女の子、まぁ、モモだけど。
何故か赤面するモモが落とした視線で、たまにチラッチラッとこちらを伺いながら声をかけてきた。
「あ、あぁ、もちろんっ! なんでもござれだっ。……で、なに? なんかあった?」
モモの赤ら顔に俺まで照れてしまった。今更だけど。
「あのー……。モンジさんとくっ付いていらっしゃるそのお方、その方のお名前、教えて貰えないでしょうか? なんて言いますか、昔、お世話になった方と似ていたものですから……。ダメ、ですか?」
勢いをつけて語りだすも、最後は尻すぼみになるモモのお願い。俺はちょっとだけ戸惑う。
「ちなみに、モモのお世話になった人ってなんて名前なの?」
イエ姉の名前を教えてもいいんだけど、何の気なしに聞いてみた。モジモジしながらモモは、唇に言葉を乗せる。
「……『咲姫さま』です。……ご存じ、でしょうか?」
咲姫様──覚えている。……確か、アイツもイエ姉の事をそう呼んでいた。……咲姫さまか。
顎に手を置いて暫く考え込む俺に、イエ姉は俺の腕を揺すって促してくる。
モモが困った顔をしていたからだ。あっ、考え込んでフリーズしてたッ、メンゴ。
「ご、ゴメンっモモ。……やっぱ、知らんわ、ごめん。えー、それで、この人は俺の姉ちゃんでイエ。あっ、イエ姉も、この子はモモちん、俺の命の恩人ね。あと、モモ、本当にゴメンな。無駄足になっちゃったな」
「いえいえ、無駄足だなんてそんな。知らない事を知れたのですから、無駄ではなかったです。はい。……モモも十年前に会ったきりのお方ですから、気にしないで下さい。……ただ、お顔とか雰囲気が凄く似ていらしたので親戚の方かなぁーって、勝手に勘違いしただけですから」
無理矢理の笑顔、残念そうに笑うモモの瞳はイエ姉を見つめて懐かしむように、それでいて寂しそうに映った。何かを察したのかイエ姉、申し訳なさそうにペコペコとモモに頭を下げているし。
「モモの大事な人なのか……?」
ペコペコ合戦に興じる二人。頭を下げるイエ姉に恐縮して、モモもペコペコ頭を下げている。俺はそんな二人に、モモに質問を投げかけた。
「……えー、大事な人と言いますか。その方は多分、モモのことなんか気にもしていないと思いますけど……。モモは、とても衝撃を受けたって言いますか。咲姫さまはモモの名付け親で、そのー。……初めてモモに優しくしてくれたお方で、えーと、モモを『人間』にしてくれたひと、なんです」
恥ずかしそうに、途切れ途切れに少しだけ生い立ちを語るモモに、彼女の言葉『モモを人間にしてくれた』ってフレーズが、過剰に引っ掛かってしまって……。
まだ、ちびっこなのに俺なんかの想像を絶する苦労を重ねて来たんだと思うと……これ以上、何も言えなくなってしまった。
また、ペコペコと頭を下げて立ち去るモモ。小走りで立ち去る小さな背中に俺は、『がんばれ』ってエールを贈ることしか出来なかった。
不意に、右手を包む優しい感触。視線を落とすとイエ姉が俺の右手を掴んでくれていた。顔をあげると、翡翠色の瞳が見つめてくれている。
潤んだ瞳、小ぶりな唇、鼻先が触れ合うほどの距離で彼女は、誰よりも綺麗で。
吸い込まれるように俺は、彼女にキス──!?
「エロッ、ガッパッ!!」
「あうちっ!」
バチンッ! と、罵声、響音とともに、肩に衝撃アンド痛みが走ったッ! もれなく涙目のワタクシ。
「いやらしいっ! エロモンジッ! 死ねっ!!」
強烈な『肩パン』と辛辣な言葉を浴びせてくる人物──絹さんがそこにいやがったッ!
唇を前に突き出し、その唇の先をピコピコさせながらイエ姉に迫る俺に肩パンを食らわして来た訳だが。見てくれもカッパみたいになってたけどもッ、もう、ガッカリだ、ガッカリだよッ!
眼を吊り上げ腕組みをしている絹さんは、お怒りモード。イエ姉も顔を赤らめ仰け反って、若干引いてるご様子。信じられないって顔で目ぇ、パチパチしてるしな。でも残念過ぎるっ。あとちょっとだったのにっ。
あー、俺のファーストキッスだと思ったのに……肩痛え。ああ、そっか、くそ陰陽師に奪われたんだっけ。あー、いろいろ残念だなぁ俺。結局、最後まで締まらねぇや。
肩をさすりながら項垂れるモンジは、ひとり反省会である。
満天の星空のした、いくつかの障害を乗り越え『綿姫様救出作戦』は終わった、終わったように見えた。
だがしかし、凪いだ夜風に、何故かモンジの頬を掠める一陣の風が吹き抜けた。
「ッ!?」
突如、目の前にいたはずのイエ姉の姿が──消えたッ、消え失せたッ!
戸惑うモンジ、それも刹那の事で。
「えっ!」
脇腹の衝撃とともに足が地面から浮いた感触! 持っていかれるっ、そう確信したとき。
バリバリッ! 全身に電撃が突き抜けたッ!
「ッガ、ガッハッ!」
気付けば地面に盛大に尻餅をついていて、あまりの急展開に思考が追いついていかない。
「いっ……ッ!?」
手を着いた地面の先に、紫の扇子が落ちている。臀部の痛みに顔をしかめるモンジ。
──それどころじゃねぇッ!
落とした視線を急いで流して彼女を、イエ姉を探すッ。
流した視線の先、肩にイエ姉を担いで逃げ去る、長身の黒男を見つけたッ!
一瞬だった。一瞬で怒りの沸点が超えたッ!!
「がああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁッ!!」
獣の咆哮ッ。
モンジは獣のような雄叫びをあげていた。
ありがとうございました。




