桃
よろしくお願いします。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
雨に打たれながら、一人の少女が森の中を駆け抜る。
後ろから追っ手が三人ついて来る。紫色の忍び装束を纏った少女は木々の間をスルスルと、まるでリスの如く駆け抜けていた。
後ろを気にしながら走る少女、不意に森を抜けてしまい蹈鞴を踏んだ。
右手は切り株だらけの裸の林、左手は広々とした田んぼが広がり、後ろからは追っ手が近付いてくる。
雨足が強くなってきた。冷えた体に体力が奪われる。何としてでも逃げきらなくちゃ。
遮蔽物のないこの広場で少女は、街道の先にある杉林、100mほど先にある杉林へと急いだ。
「いたぞ! 矢を放て!」
後ろから聞こえる追っ手の声に、少女の顔が緊張で強張る。つられて彼女の足も速まった。
飛んでくる矢に負けじと、ぬかるむ街道を泥を蹴り上げスピードを上げる。あと少しで林に入るという所で、左肩に矢を受けてしまった。
「クッ!」
雨にまみれた少女の顔が苦悶の表情へと変わった。途端にスピードを落とした彼女に追っ手が迫る。
左肩を押さえながら、何とか杉林へ逃げ込んだ彼女。ビチャビチャと足音が聞こえるほど迫り来る追っ手に、少女は一本の杉の木を仰ぎ見た。
そして右手と両足だけで器用に杉の木を登ると、小さな体を生かし枝の間に身を隠す。
「おい! まだ近くにいるはずだ。隈なく探せ!」
黒い鎧武者共が吠える。雨のおかげか、流れた血の後も消され彼女の痕跡は残っていない。
少女は木の上で息を殺し更に身を小さくした。
「お前等はあっちを探せ! 俺は向こうを探す。 散れ!」
リーダーらしき鎧武者の指示で、追っ手三人は散開する。それを頭上より見ていた少女は、ホッと息を漏らした。
確かこの先に小さな漁村があったはず……。えーと、森山村だったかな? とにかくソコまで行かなきゃ!
綿姫様、待ってて。モモが必ず助けに戻ります。だから、もう少しだけ我慢して下さい。
モモと名乗った少女は追っ手を振り切る為、この場で夜を待つことにした。
ひとえに大切な人を助ける為に。
少女は降りしきる雨の中、震える体で痛む左肩を押さえながら、ジッと夜になるのを待つ他なかった。
♦︎♢♦︎♢
昨日までの晴れが嘘みたいに今日は雨降りだ。結構な本降りで、まだ包帯まみれの俺は自宅療養している訳だが。
することもなく、何の気無しに格子窓から外を眺めている。昨日のイエ姉カッコ良かったなぁ、なんて、思い出し笑顔になってしまう。
目に焼き付いている昨日の光景が、何度も浮かんでくる。それほどまでにイエ姉の葬儀に感動していた。
澄んだ綺麗な声で、死者の魂を浄化するイエ姉のその姿に。
カッコ良かったなぁ、可愛いかったなぁ、綺麗だったなぁ。悲しいのも事実だけど、それを紛らせてくれるくらい、美しく幻想的だった。
そんな事を思い返してボーッと外を見ていたら、いい匂いがして来て。鼻をスンスン鳴らしながら匂いの元を辿った。
イエ姉は襷を巻いて気合充分。真剣な顔で料理をしているではないか。
そう、普段のメニューは、こっぱ野菜の雑炊かこっぱ野菜のすいとんと、こっぱバッカリで味気ないものばかりだった。
家の野菜って本体は無くて、切れ端しかないの? 逆に難しく無い? なんて思ってた所だった。
昨日の晩ゴハンは久々の焼き魚! マジでご馳走に見えたね。
海が近いからって、毎日お魚が食べられる訳じゃ無いみたい。まぁ、ウチは漁師じゃなく墓守りなんだし、仕方がないんだけど。
昨日の合同葬儀の貰い物らしいチョット豪華な食材。だけど葬式の後にご馳走食べるってどうよ! なんて思うんだけど。
冷蔵庫も無いし、腐る前に食べ切った方がいいよね。
お陰でお昼ご飯もすごく楽しみなんだけど。グー、そんな事考えてたらお腹が鳴った。
お昼ご飯を待つあいだ、また何の気無しに外を眺めることにした。イエ姉を見ているとお腹からの催促がうるさいからね。
笑顔で外を眺めるモンジ。その顔がどんどん暗い表情に変わっていく。
“ イヤ〜!あんた〜…… ”
……妊婦さんの悲痛な叫び声が、今も耳にこびり付いて離れない。
努めて明るく考えようとしていたが……やっぱ、無理だ、誤魔化しきれない。
感動したなんて嘘っぱちだ。無力感しか無かったはずだ。
震えて泣き崩れる彼女の、あの細い肩は忘れられない。
あの時俺は、何も言えなかった。言ってやれなかった。ただ、呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。
大人だったらあの場面で、適切な言葉を掛けてやれたのかも知れないのに。彼女の気持ちを少しでも、楽にしてやれたのかも知れないのに。
でも……未だに俺は、馬鹿な俺は、ズルくて間抜けなガキでしか無かった訳で。
……彼女に何て言ってやればよかったんだろう。 今更ながらに後悔しか浮かばない。
格子窓から見える景色に、気持ちとおんなじ雨で曇る景色の中に、傘を片手に歩いてくる人影が見えた。
程無くして玄関から現れた人物は、繁忠だった。
足元を泥で汚し傘をたたむその姿を見ると、また厄介事かと、どうしても身構えてしまう。
イエ姉が急いで手拭いと足洗い用の桶を用意するも、気にするなと断りを入れ、そのまま繁忠は俺を見据えて来た。
「モンジ。……黒い甲冑の捕虜等は処分した。だが……獣姿の捕虜等の処分に問題が起きてる」
渋い顔で話す繁忠に、多分俺も渋い顔をしていたと思う。
「それで……。今夜また、村長の屋敷に来て欲しい。お主も件の当事者だからな」
繁忠の言葉は理解した、理解した上で確認してしまった。
「……処分って、どういうことですか?」
俺を見据えたまま、顔色ひとつ変えずに繁忠は答えた。
「今朝方、首を刎ねた」
首をはねた。殺した。……死んだ。
アレッ、何も感じ無い。俺は奴らの死に何も感じ無い。
向こうの世界にいた時は、あれほど死に敏感だったのに、トラウマだったのに、今は何も感じ無い。むしろ何も感じ無い自分に驚いている。
なんなら、危険な奴等が減ったことに、少しホッとしている自分がいる。
危険な奴等? 敵だから簡単に殺してもいいのか? 俺は無神経になって来ている? 死んで当たり前だと思ってる?
自分の心変わりに、疑問が次々と湧いてくる。
俺の心には芯が無い、あると勘違いしていたみたいだ。アッチにゆらゆら、コッチにゆらゆら、まるで夢で見た笹舟そのものだ。
ブレブレな自分自身に苦笑いしか出て来ない、そこでハタと気づく。
イエ姉が心配そうに俺を見ていたんだ。……まずった、不安が顔に出てた、また心配かけちゃうかな。それは、嫌だな。
だけど、まだ無事な捕虜達もいる。……俺は、見極めなくちゃならないのかも知れない。命の価値そのものを。
そして、イエ姉にいらん心配はかけたく無くて、極力平静を装って「分かった」と答えた。
繁忠が帰り、重たい空気の家の中。イエ姉の作ってくれた美味しそうな料理の香りだけが、俺達の救いになっていた。
♦︎♢♦︎♢♦︎
日も落ち、ドップリと闇に浸かった林の中、一人の少女が歩いていた。
雨は上がりはしたが、未だ曇り空の為か月明かりすらない暗闇の中を、左肩を押さえながら少女は歩いている。
周りを警戒しながら、おぼつかない足取りで、彼女はそれでも前へと進む。
モモを待っているから、綿姫様と約束したから。
その一心で、彼女は暗闇を歩き続ける。木の根に足を取られ、倒れる少女。
しかし彼女はゆっくりと立ち上がると、またのそのそと歩き出した。
その目に強い意志を湛えて。
彼女の向かう先、モンジの住まう森山村に助けを乞う為、そして彼女の大切な人を助ける為に。
少女は限界を超えた体を引きづって、暗闇の中一人歩き続けた。
ありがとうございました。




