第八話 深夜の邂逅
今回の話より、第一章が始まります!
「まだ完全に睡眠薬が抜け切ってないんだ。頭フラフラする」
「......」
「なんか言ってよ。じゃないと、恥ずかしい....」
帰り道、既に雨は止んでいた。大小の水溜まりを飛び越えて、二人で並んで歩く。ついさっき、東雲未来とキスをしたという事実が中々現実味を帯びなかった。
ただ唇を合わせるだけの行為を、あれほどまでに欲してしまった自分の本心が理解できない。僕はまだ彼女の事を愛しているのだろうか? それとも、彼女を死なせたくない一心で及んだに過ぎないのか?
「....。東雲はさ、、」
「ん?」
上目遣いで見つめられ、不意に目を逸らしてしまう。背徳感があるわけでもないのに気まずい。
「僕と、仲直りしてくれる?」
「....。うーん、どうしよっかなぁ..」
「なんではぐらかすんだよ」
「だって、簡単に気を許したら君、すぐ調子乗るじゃん」
「僕に限ってそれはないね。一時の感情に身を委ねる程愚かじゃーー」
「....。ん? 何か、思い当たる節があるのかなぁ..?」
性格が悪い。この女、僕が反論で地雷を踏むところまで見越していたんだ。慎重に話を進めても、気付いたら会話の主導権を握られ、一方的に殴られる。
「あ、え、その....」
「キス、しちゃったもんね..」
「........」
「顔真っ赤にしちゃって..。君は本当に、可愛いね」
「へへ..。とか言っておきながらお前も照れてるんじゃないか?」
しかし、彼女の顔色は特に変わりなかった。さっき屋上でキスした時は茹蛸みたいだったくせに、更衣室に行くと言って、出てきてからは平常時に収まっていた。
そんな短時間で感情の整理がつけられるほど、東雲未来もできた人間では無い。恐らく手洗い場でフェイスパウダーかファンデーションでも塗ったのだろうが、指摘しないでおいた。
「......」
「え??」
いつもみたく、僕を煽って上手い具合にかわす事を期待していたのに、予想外だった。
「違う....。照れてなんか、いないし....」
「まさかだけどさ..。東雲って、異性とキスするの初めてだったーー」
「違う! うるさい! 黙れ黙れ黙れ!!」
ここまで取り乱す彼女を見ると、ついおかしくて笑ってしまう。案の定それを嘲笑と受け止めた彼女は、更に慌てふためいて力なく僕の肩や背中を叩いてくるのであった。
そんなやり取りを続けているうちに、だんだんと僕の方まで疲れてきた。家に帰ったらすぐに寝よう。ベッドに入るまでに興奮が冷めればの話だけどーー
♢
「全然眠れねぇ....」
深夜2時、頭は異常に冴えており、目を閉じても全く寝れる気配がなかった。一方東雲未来はというと、涎を垂らしながら気持ち良さそうに眠っている。睡眠薬がまだ抜けきっていなかったのだろう。
明日起きれば、キスの件も忘れられているかもしれない。過去の僕や尊敬する先輩に裏切られ、そのショックで自殺を図ろうとした事も、思い出さないでいてくれるかもしれない。でも、忘れて欲しくない。
初めてキスした。誰かの唇があんなにも暖かくて、柔らかいものだという事を知った。もう昔の事だと頭では分かっているのに、胸の奥から湧き上がるこの感情は、愛なのだろうか?
「はは..」
不意に笑みが溢れた。そんな事、今になって都合が良すぎる。僕は東雲未来と恋人になれない。けれど、あいつのファーストキスを奪った責任は取らないといけない。
改めて玄関口に映る自分の全身を見てふと思った。中学生レベルのファッションセンスに、なんの手入れもされてない容姿。悪い姿勢。全て、東雲未来の相手にふさわしくない人間の形をしたそれは醜悪さすら感じさせる。
変わらないと。勉強時間は確保した上で、まずは地道に運動習慣を積み重ねていこう。眠れないし、深夜徘徊も兼ねてランニングでもしてみようかな。そう思って、僕はマンションから外へと足を踏み出した。
♢ Another View
つまらない。人生は退屈でつまらない。普通に生活していたって、面白い事なんてアリやしない。将来の事もよく分からないから、私は、どんな手段を使ってでも今を楽しく生きていたい。
「あっはははははは!」
不良仲間たちと、深夜の公園で花火大会。それが終わったら、近くのコンビニで買った酒を飲む。未成年だけどそんなの関係ない。アルコールが入ると、頭がバカになる。嫌な記憶も全部ぼやけて、キラキラが残る。
今日は星が綺麗だなぁとか、風が気もちぃなぁとか。さっきまでの土砂降りはウソのようだ。視界は開け、希望という名の幾兆の光を私の頭上に落としてくれる。気分良いし、"アレ"やろう。
周りの人から、臆病者だと揶揄われていつも腹が立っていた。初めてだから怖くて、今まで中々手を出せないでいた奴。一発でキいて、全部気持ちよくなっちゃう魔法の錠剤。先輩に貰ったそれを、慎重に口元へ運んだ時だった。
私の知り合いで最近彼女を中絶させたクズが、面白い奴を連れて来たとみんなに報告して回った。
「なんかさ、すっげえヘロヘロでこの近くを走ってた奴でさ。興味湧いたんで事情聞いたら、俺らの事を明らかに見下した態度取ってんだよ。バカにされてる気分になる」
バカ。小さい時から、何度も浴びせられ続けた言葉だ。自分の通っている高校が近隣では底辺校として扱われている事も知っている。今更そんな事で怒りの感情すら湧かないのだが、それを差し引いても何かあるというのだろうか?
しばらく待っていると、男複数人に抱えられて来たそいつが何故面白いのか分かった。目が気に食わない。自分たちのことなど眼中にも無いような、呆れ果てたあの目。高校教師と全く同じだ。
「あのさ、早く帰りたいんだけど..」
それにこんな集団に囲まれて、その男は完全に萎縮していた。弱っちいし、見てて可哀想になってくる。
「はっ。そんな早く帰りたいだなんて心外だなぁ。一緒に遊ぼうぜ」
「......ごめん。本当に、そろそろ戻らないとまずいんだ」
「そっかそっか。じゃあ行っていいぜ」
「あ、ありがとーー」
その直後だった。話し相手の不良が腹パンを入れた。鳩尾に入ったらしく、男は膝をついて細い呼吸音を漏らし、激しい痛みからかじっとりとした脂汗を額に浮かべている。
「雑魚が....。返すわけねーだろ」
集団リンチだ。もう何回も見てきたから珍しいものでは無いけど、やっぱりいつ見ても胸糞悪くなる。弱者を一方的にいたぶって何が楽しいんだろう? 確かにあの舐めた目はムカつく。それにしたってやり過ぎだ。
「ふぅ..。じゃあ星野、後始末は頼んだぜ」
後始末。要するにボコった相手から後で訴えられないように、何かしらの弱みを握る事だ。身分証明書の写真を撮り、私達のことを誰かに話したらこれを晒すとひと言脅すだけで良い。
ただ今日はいつもと違う気分だった。リンチされた男があまりにも惨めで、情けなく地面に蹲っていたから、ほんの少し同情したのかもしれない。せめて話し相手くらいにはなってやりたかった。
「おい..、お前、とんだ災難だったな。ここら辺はさ、深夜になると私ら底辺高校の学生の溜まり場に様変わりするんだ。同じ目に遭いたく無いなら二度と近づかない事だ」
「......。じゃあなんか標識でも立てとけよ..。黄色と黒で、ここから先立ち入り禁止ってさ..」
冗談のつもりだろうか? 思わず笑みを溢してしまう。誰かとの会話でこんな気持ちになるのは久しぶりだった。
「もっともだな。今度あいつらと相談してみる。それよりさ、今日は星がキレイだよ。割に合わない"授業料"を支払ったんだ。折角だし見て行けよ」
「....」
男は無言のまま、血の付着した口元の傷を拭いながら空を見上げた。何を思っているのだろう、やがて目を逸らしたかと思えば、今度は下を向いて呟いた。
「良いよ..。正直今、少し泣きそうなんだ。話しかけないでくれた方が嬉しい..」
そのままの状態で、男は嗚咽を漏らし始めた。不思議な奴だ。そんなに傷付くなら、舐めたような態度を取らずに下手に出ていればなんとかなったかもしれないのに....。それともーー
私は異臭を放つ制服の裾を捲り、思い出したくもない記憶に思考を巡らせていた。
それは、今なお続く家庭内暴力によって胸の奥深くに沈み込んだ苦しみの感情を、彼の辿ったであろう境遇と重ね合わせてみたくなったからだ。こいつも案外、私と似たり寄ったりなのかもな。
「....おい」
「....」
返事はない。ただ、どうせ聞いているだろうから、私は言葉を続けた。
「明日、お前をボコった奴らはここにこない。来るのは私だけ..。だから何だ....。今日と同じ時間、同じ場所で、また私と一緒に話さないか?」
虫のいい話なのは分かっている。彼をボコった不良集団とつるんでいた私と会うなんて、普通に誘っただけでは絶対に来ない。ならば取る手段は一つしかない。私は無抵抗な彼のポケットを弄り、財布の中から一枚の身分証明書を抜き取った。
「もし来なかったら、お前の個人情報をネットに晒す..」
「は..」
嫌われても良い。私はそれでも、彼の事を知りたいと思った。




