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第七話 嵐の中の接吻

 先日以来、僕と東雲未来の関係は完全に冷え切った。お互いに目を合わせても一切会話を交える事なく、少し時間差をおいて高校に通う。そんな異変に、遥香さんはすぐに気付いたんだと思う。


 その日の夕方、僕は遥香さんといつも夕食を食べる机で、面と向かって座っていた。気まずい沈黙が流れる。東雲未来はいつもの部活動で8時になるまで帰ってこない。時計の秒針を刻む音。遥香さんは口を開いた。


「私は今、どうしようもなく悲しい気持ちで胸が塞がりそうなの。7年前のあの時と同じ」


 その一言で全てを察した。遥香さんは当時僕が犯した罪、東雲未来が不登校に至った経緯と、今の生活に澱みが生じた原因を結び付けている。言い訳などしようもなかった。


「はい。容姿も体型も変わり過ぎていて気付きませんでした。僕は7年前、彼女に酷い事をしました」


 少なくとも僕が知る限りの事件の全容を、包み隠さずに話す。遥香さんは相槌を打ちながら、表情を変える事なく僕の説明を聞いた後、目の端に涙を浮かべた。


「その話は娘の未来から聞き及んでいます。いじめの主犯格には目星がついていたから、学校に抗議の連絡をなん度も入れましたが、まともに取り合って貰えませんでした」


「そうですか..」


 いつもの愛想笑いが消え、淡々と話す様子を側から見ていると、僕はこの人にとっては全くの赤の他人である事を再認識させられる。もう終わったな、僕は追い出されるとそう思った矢先だった。


「私は貴方に言葉では言い尽くせないほど感謝しているんですよ。皆川くん」


「え..?」


 予想外の返答に耳を疑う間もなく、遥香さんは以降も淡々と話を続けた。


「私は、貴方の選択は間違えていないと思います。こればかりは自信をもって言えます。だからあまり気負わないで、いつも通り接してあげて」


「なんで..。僕はあいつに、嘘をついてて....」


「えぇ。誰かを守るために、その人に嫌われるという決断を、貴方は実行したんです。生半可な覚悟じゃ出来ない。生涯恨まれる事など、承知の上ですから」


「......」


「貴方の予想通り、娘は変わり、過去の一切を忘却しました。昔の自分を捨てて、生まれ変わった気でいるんです。ただ、数ヶ月前にあの子の部屋を掃除した時、周りより際立って古い一冊のノートを見つけました」


 そのノートの表面には、『恋愛日記』という気恥ずかしいベタなタイトルがつけられていた。中身を捲ると、その感情は余計に高まる。小二の時、僕と一緒に行ったデートの感想が事細かに書かれている。


「これを読んで、私は思いました。娘は多分、まだ貴方の事が完全に嫌いなわけじゃないと。いくら軽蔑し、恨み憎もうと、本心からその感情を肯定できずにもがいているのだとーー」


「......」


 僕は、ここまで自分なんかを好きでいてくれたあいつを可笑しいと思うと同時に、切ない気持ちが込み上げて止まらなくなった。自分の犯した過ち、それは僕が、あいつの本音から目を背けた事だと気付いた。


「あれっ..。目から涙が、止まらない。どうしてだろう....」


「......。今日は夕方から晩にかけて、天気が崩れるそうです。しかし、私とした事が、娘に傘を持たせる事をド忘れしてしまいました。だからもし宜しければ、今から学校に、傘を渡しに行って貰えませんか?」


「....。はい。勿論です」


 会って、あの時の事を、面と向かって謝ろう。



「未来どうしたの? 今日ちょっと調子悪くない?」


「いいえ、全然。大会まで近いですし、ここで気を抜くわけにはいきませんから」


「でも無理は禁物だよ。未来の真面目さは長所でもあり、短所でもある。要するに諸刃の剣ってわけさ。あまり気負い過ぎず、たまには肩の力を抜くのも大事なんだからね」


「先輩....」


 やっぱり、どうしても分からない。肉体面も精神面も、先輩の方が遥かに成熟していて、私なんか足元にも及ばない。ただバレーの技術が高い。それだけでレギュラーの座を奪ってしまった。その責任感で押し潰されそうだ。


『お前より下手くそなだけだろ』


 皆川の声が脳裏に響く。あの男は、本当に想像力が足りていない。受験勉強ばっかやってきた弊害か、物事を論理的な側面でしか解釈出来ない。そこに至る感情は全部度外視する、利己的なクズだ。


 だからあの時だって、保身に走って私を切り捨てたんだーー


「やっぱりいつもよりプレイの質が荒いよ。前半から飛ばし過ぎて体力切れた? 水分補給しないと、ほら」


 そういって、先輩から水筒を手渡される。一口だけ飲み、またコートに戻ろうとした足が崩れ落ちた。次に猛烈な眠気が徐々に襲ってくる。なぜこんなに疲れるのだろう? もう、意識が飛ぶ..。



 本降りになってきた。急なにわか雨で雷も鳴っている。バレー部は体育館で活動しているというから運動靴まで持参してきたのに、既に中の明かりは暗くなっていた。


 早めに切り上げたのだろう。女子更衣室からも特に話し声は聞こえなかったので、どこかで雨宿りしている可能性も考慮し校舎の中を歩いて回った。夜中の誰もいない、静かな教室。


 そこにも東雲未来はいなかった。僕は上の階へと歩みを進める。屋上に行けば、校舎だけでなく、隣接する建物全体を見渡せるので、人探しには好都合だと思った。


 バタンー


 扉を開ける寸前、嫌な予感がした。東雲未来のつけている香水が、わずかに鼻腔を掠めた気がしたのだ。こんな土砂降りの中で、雨避けのない屋上に行く理由なんて僅かしかない。


 気のせいであってくれと、そう思い屋上に出た僕の視線は、まるで色褪せた白黒写真のような、無機質なその光景の一点に、女性の像を結んだ。見慣れた金髪、制服姿の東雲未来だった。


 柵の手前、屋上の縁に座り込んで、呆然とした面持ちで空を見つめている。


「何、やってるんだ..?」


 背後から不意に話しかけられたからか、東雲未来の背中は一瞬だけ震えた。しかしすぐに誰か分かったらしく、蔑むような表情で僕の方を向き、こう言い放った。


「あんたには関係ない。早く消えろ雑魚」


「....。未来、ごめん。僕はその、君に昔の事を、ちゃんと謝らなくちゃいけないと思って来た」


「は....?」


 彼女は目を大きく見開き、次に視線を僕の右手に掴まれた物体に移した。


「それ(傘)、渡しに来たのかと思ってた。謝るって、何を?」


「僕はあの時、キスしたら妊娠して子供が出来るって話を、本気で信じてた。あんな場所でするものじゃないと思った。僕は、君に嫌われても君を守りたいって決めて、あんな嘘をついた。ごめーー」


「知ってるよそんな事!!」


「......それはどういう意味?」


「くっ..。だからあんたが、私の身を案じてシラを切ったのも、私があんたを嫌うように仕向けた策略だったって事も全部気付いてる。気付いてて納得いかないんだよ....」


 ポツリポツリと、大粒の涙を溢しながら彼女は呟いた。


「私の事なんて、私の将来なんて、全部全部どうでも良かったんだ。7年前、私は文字通り闇の中で育ってきた。デブで不細工で、何をやってもうまくいかない。何度も死を思った。けど、そこに貴方が現れたの....」


「....」


「童話の世界に出てくる、白馬の王子様だと思った。私の人生に初めて光が差した。生きる意味、そして自分の人生の希望だった。なのにどうして、どうしてあんな別れ方するの..?」


「そ、それは..、東雲の事を思って..」


「ちっとも思ってない! 貴方はただ、自分が一番格好良いと周囲から思われる選択をしたのよ!! 自分が嫌われても、大好きな人を窮地から救えたから構わないって、美談を作りたかっただけなのよ!!」


「私は、私は私は!! あの時貴方に、キスされても良かった。それがいじめの結果でも、他の人に見下されながらでも、妊娠して子供が出来ても、その後の人生が破滅しても良かった..。良かったのよ....」


「それは..、悪かったと思ってる......」


「......」


 先程とはまた違う。全てに絶望し切った表情の、東雲未来は呟いた。


「私ね、さっき部活の先輩に、水筒の中に睡眠薬もられたんだ」


 その衝撃の告白に、僕は絶句した。


「たまたま近くを歩いていた同期が、その先輩が私の水筒に変な粉を入れるとこ目撃したらしいの。その直後に私が倒れたからさ、可笑しいと思って問いただしたら、打ち明けたんだって」


「なんで..、そんな事するんだ....?」


「前に話したじゃない。私がレギュラーを奪った先輩の話。それで察してよ。動機は明白。倒れた私を医務室に運ぶふりをして、死なない程度の高さから突き落として怪我させて、大会に出場出来なくさせる事が目的だったみたい」


 あまりに酷い内容であるにも関わらず、淡々と話す東雲未来に、どことなく不気味な印象を受けた。


「私もう、何を信じたら良いか分からないよ。好きな人からも、尊敬していた人からも裏切られた。嫌いな人間をいつか見返すためにここまで頑張ってきたけど、そいつもう、私の事を覚えてすらいなかった..」


「本当に..」


 ごめんと言いかけて、やめた。意味のない事だと悟った。彼女は謝罪を望んでいない、もう二度と関係性を修復出来ない。引き返すなら今のうちだと、脳が警鐘を鳴らす。


 しかし、彼女は何故こんな場所に来たんだ? その疑念が解決しない以上、黙って立ち去る訳にはいかない。


「な、なぁ....」


「宣誓!!」


「......」


「1年A組、出席番号41番東雲未来は、今日ここで死ぬ事を決意しました。小さい時から不器用で、要領も悪くて、幸せとは程遠い人生を歩んで来ました。ここまで頑張ってきたけど、もう、限界です....」


「待て、東雲!!」


「じゃあね..。最後まで大好きだったよ、皆川奏斗..」


 彼女がそう言い放ち、柵を乗り越えようとするのと、僕が駆け出したのはほとんど同じタイミングだった。後は間に合うか否か? 頭は回っていない。ひたすら足を動かした。


『何の為に? 彼女は死のうとしているじゃないか? あの子を思うなら、その意思も尊重してあげるべきだと思うな。結局君は、彼女の為だとか言っておきながら、自分が格好良いように振る舞ってるだけなんだよ』


 理性がそう呼びかける。しかしその時だけは、僕の本心が、分厚くのしかかるそれを凌駕した。


「東雲!!」


 ようやく柵の一番上まで腕を伸ばしかけた彼女の腰に手を回し、そのまま力づくで後ろに引き剥がした。反動と衝撃をモロにくらい、背中に激痛が走る。


「やめてよ!! 助けになんてこないで!! もう死なせてよ、奏斗!」


「嫌だ。僕は君に死んで欲しくない。未来....」


 再び柵をよじ登ろうと必死で身を捩る東雲が、僕の方を向いたその一瞬。首の後ろに手を回し、7年前のあの日、彼女を守る為などと都合の良い言い訳で、できなかったキスをした。


「あ....」


「僕も、君とキスをしたかった。あの日からずっと、そう思ってた」


「う、う....。うわあああああああああああああああああああーーー」


 彼女の慟哭が、嵐の音と呼応した。






 



導入は以上です。

次話から本編が始まります。

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