第六話 間違えた選択
思い出したくもない。小学二年生の時、僕は運動神経は悪いが頭だけは良かったから典型的なガリ勉としてイジメられていた。今の歪んだ性格は、あの時に形成されたと言っても過言ではない。
しかしそんな僕の他にもう一人、デブで不細工で、頭も悪く運動も出来ない。何をやらせても秀でたものが何も無い。そんなこの世の全ての不利益を背負ったみたいな女がいた。
変わり過ぎてて気付きようがない。その人こそが、東雲未来だったなんて。
♢
「どうしたら、いじめられなくなるんだろうな..」
「なくならないよ。私、本当にデブで不細工なんだから..」
いじめられっ子同士、とでも言うべきだろうか。僕と東雲は、よく一緒に通学し、その途中にあるショッピングモールの中のゲーセンで遊ぶくらいには仲が良かった。
「皆川くんは良いよね。賢いし、今は苦しくても将来は何とかなりそう」
「そのつもりだよ。あんな群れでしか行動出来ないような猿は、いつか偉くなった僕が顎でこき使ってやるんだ。それで、未来は絶対に幸せにするんだ」
「......じゃあさ、今の私も幸せにしてよ」
こうして、僕は東雲未来と付き合う事になった。あの時だけは、僕も幸せだったと思う。
いじめられても、それを相談出来る相手がいる。何なら相談相手もいじめを受けてるから、話題はいじめっ子の悪口で尽きない。『A男は親がPTA会長だから威張ってるだけで、本当は小心者だ』と言った具合に。
二人でいじめてくる連中を罵倒する時だけ、僕達は精神的に勝った気でいられた。けれどお互いに本心では気付いていたんだと思う。
『あぁ、惨めだなぁ』ってー
特に、東雲未来のいじめはどんどんエスカレートしていった。当初は同姓に容姿や体型を揶揄われる程度だったものが、男子からも笑われ始め、ついにーー
放課後、僕はいつも自分をいじめてくる奴の一人に、校舎裏に呼び出された。嫌な予感はしていた。大方、悪いテストの点をとった憂さ晴らしに、僕への当てつけの念も込めて暴力を振るうのだろう。
いつもされていた事だから、あまり傷痕が目立たないようにとか、そんなどうでもいい事ばかりを考えていた。丸裸にされ、複数人の男子に組敷かれる、東雲未来の姿を見るまでは。
「見ないで!!」
僕が視界に入るや否や、東雲未来は金切り声でそう叫んだ。
「見ないでって、豚が発狂しててマジウケるんだけど」
女子は遠巻きに観察している。集団でこんな事をしておいて、あくまで傍観者のツラを被るつもりだ。本当に胸糞が悪くて反吐が出る。
「これは、どういう状況..?」
激しい怒りの気持ちが込み上げた。彼女をこんな姿にされて、自分を呼び出し何をさせる魂胆かはおおよそ察しがつく。しかしそれと同時に怖かった。怖くて、身体中の震えが止まらなかった。
「は? お前、この豚の彼氏だろ? だからさ、俺らが見てる前でキスしろよw」
「......え?」
「ほらぁ。キスだよキス....」
バカみたいな話だと思うが、当時の僕は、好きな人とキスしたら、女性は妊娠して子供が産まれるみたいな妄言を本当に信じていた。キスは特別なもので、結婚する時とかにしかしてはいけないものだと思っていた。
それを、大勢の前で、こんな公開処刑みたいな感じでやらされて、東雲未来の一生は台無しになる。ノベルゲームとかだったら、ここで選択肢が出てくるとこだ。
選択次第で、今後の人生が大きく変わってしまようなもの。人生における大事な決断。僕にとって初めてのそれは、彼女の生涯を台無しにしてまで愛を貫くか、それとも自分ただ一人が嫌われても彼女を守るかの二択だった。
「........」
僕は後者を選んだ。
「誤解だと思うんだけどさ、僕はその、未来"さん"とは付き合ってないよ..」
その瞬間、東雲未来の表情が絶望に染まった。
「嘘つくな。俺はそこの豚から、皆川くんと付き合ってる。彼だけは巻き込まないでくれって懇願されたばかりなんだぜ。その熱意に惹かれ、せめてものご褒美を今与えてやろうとしたのに」
「そうだぞ皆川〜! 豚にキスしてあげたら、人間に戻るかもよ〜!」
ふざけるな。けれど、こいつらの口車に乗せられたら全て終わりだ。
「いや、何か勘違いしてるんじゃないかな..? ねぇ、僕達って赤の他人だよね」
「........」
「うーん。確かに、豚の妄言の可能性が高いか。頭の良いお前の証言の方が信頼に足る」
何も良くは無いけど、少なくとも最悪の結末だけは避けれた。そう思った矢先だった。
「じゃあこれは踏み絵だ。お前が本当に豚の彼氏じゃ無いって言い張るんだったら、ほら、ここにある消費期限切れの牛乳を、豚に飲ませろ」
PTA会長の母親と、医師の父を持つが故か、リーダーシップと学力を兼ね備えているそいつは、まさにいじめの主犯格としてこれ以上無い最悪な行為を僕に迫ってきた。
僕の証言が嘘である事など既に見透かしている。ただそれを直接的に否定してこない代わりに、東雲未来と僕の心を最も抉る汚いやり方を瞬時に選び取ったわけだ。
いじめっ子は基本、みんな愚かで低俗な人間ばかりだが、こいつは僕以上に頭が回り、尚且つマトモな人間の皮を被り周囲に味方を作るコミュ力まで兼ね備えている。なのに何が不満なんだ??
どうして僕や未来のような弱い立場の人間を救わず、加害する側に回るんだ..。そこから先の事はよく覚えていない。先ほどからもはや生気の抜けた死人のような顔の東雲未来の眼前に、僕は牛乳の中身をぶち撒け言い放った。
「ねぇ。早くそれ飲めよ。豚....」
その日から、彼女は学校に来なくなった。
♢
「とううん..。ずっと読み違えてた..。未来、か....」
「やっと、思い出してくれたんだね」
無表情のまま、彼女は僕に背を向けた状態で元の勉強机に座った。
「あれから私、頑張ったんだよ。ダイエットした。たくさん勉強した。成長と共に、顔はだんだん良くなっていった。中学一年の2学期くらいかな。私には約4年間、社会に復帰する前の空白期間がある」
「....。それも、僕のせいなんだろう」
「えぇ。正直に言って、私はあんたの事をすごい恨んでる。憎いと思っている。引きこもってた時、殺してやりたいと何度も思った。それは今も変わらない」
「うん....」
「なのにさ」
東雲未来は、声を荒げ壁を思い切り叩いた。
「久しぶりに会って、謝ったり、弁解する様子も無い..。忘れてたって何よ! 私の努力は、私が必死に変わろうと足掻いてきた4年の月日はさ、全部あんたを見返す為のものだった!」
「事実だから、言い訳のしようもない..」
「......。でも、今は思い出したんでしょ。じゃあ完全に忘れたわけじゃないんだね、"あの日"の事」
あの日、僕が彼女に消費期限切れの牛乳を飲ませた日だ。
「あの味は今でも忘れない。ぬかるんだ土と一緒に食べたから、お腹を壊して数日吐き気が止まらなかった。吐くたびに、私を見下すあんたの顔を思い出した」
「........」
ここまで詰められ、僕の抱いた感情は安堵だった。彼女はちゃんと自分の事を嫌ってくれているし、むしろ努力を必死に積み重ねてきたんだーー
今更、あの時のような関係性は望まない。当時の選択は間違えじゃなかったんだと、そう思っていた。
翌日の晩、彼女が自殺未遂を図るまでは。




